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知らない顔の翼がいた


どんな話題なら、翼との会話が進むのだろう? 美麗は考えた。

美術部では、石膏像を対象に、デッサンすることもあるが、絵の題材は自分で探すことが多い。そこでよく、部員間で次はなにを描こうかなどと話すことがある。

 夏休みに入る前の最後の部活のとき、美麗は思い切ってキャンバスに向かい、隣にすわる翼に話しかけた。

心臓はドキドキと高なってた。

「翼くん、今度の絵のテーマって決めた?」

 すると、翼は筆を握ったまま、「う~ん」と考え出した。

 つぎには、

「すごくインパクトがあって、今どきのものってないかなぁ」

 と、眉根を寄せて美麗のほうを見た。

 美麗は自分のキャンパスに向かいながら、横目で翼を見ながら、待ってましたとばかり続けた。

「そういえば、今年って火星が大接近するわ……」

 美麗は、火星の大接近を持ち出せば、絵の題材にもなりそうで、翼との会話も進むと狙いを定めた。

案の定、翼も火星には並々ならぬ興味があったようで、翼のほうから、絶好の観察地点から火星を見たいといい出した。

美麗の作戦は大成功だった。

願い通りに、八月の末に、ついにふたりでポートタワーから火星を見にいくことになった。 

しかし、約束をしたといっても、翼が美麗のことをどう思っているのかはわからない。

 約束の日が近づくにつれて美麗は追い込まれたような気持ちになっていった。鏡を見るたびに、自分の顔が気に入らなくなった。

もう少し目が大きければ……。頬のあたりがほっそりしていれば……などと、火星を見に行く日が近づくにつれて、なんでもっと美人に産んでくれなかったと、親を怨むまでになっていた。

テレビや雑誌をにぎわす女優やモデルの顔に心からなりたいと願った。

化粧もしたい。眉毛を描いて、眼を大きくして――。

そうこう考えているうちに、ついにはデートの前日には、額に大きなニキビが出来てしまった。

 当日、翼とふたりで街を歩きながら、ニキビのせいにして、化粧のひとつもできない自分を嘆き、呪ってばかりいた。

翼とふたりで街を歩いても、髪が風で揺れるたびに、前髪を額の前でおさえた。

周りの目が気になる。

普通のとりえのない女の子と、背が高く、美しい顔をした男の子が歩いている。それを周りの人は不釣合いのカップルだなんて見ているのかしら?

それ以上に、学校のクラスメートにでも見られたらどうなるの? 

 ハンバーガーショップでの夕食も、美麗のほうから、カウンターで横並びに座るようにした。

とてもテーブルで、翼と向き合うことには耐えらなかった。

 店を出たころにはすでに陽が沈んでいた。

予想はしていたものの、ポートタワーの前までくると、エレベーター乗り場には長い列ができていた。

火星観測をしようとする人々がこんなに多いとは思いもよらなかった。

一時間近く待って、ようやくエレベーターに乗ることができた。

エレベーターのかごの中では、すべての乗客が言葉少なげになっていた。

美麗はそんな中でも、ここまで、ニキビと同じぐらいに、自分の会話の下手さに悩んだ。もっと気のきいた会話をできたらいいのに……。

ぎこちなく、決してうまくいっていたデートではなかった。


――それでも、それでも! 

こんなことってひどすぎる! 

 どうして、美麗ひとりが上昇するエレベーターから落とされて、わけのわからない空間に投げ落とされなければならなかったのだろうか? 

薄暗くて、まるで地下のようなところだ。

 泣きたい気持ちで辺りを見回した。そうこうするうちに美麗の眼も慣れてきた。

自分のいる空間がずいぶん広いところだとわかってきた。

進んでゆけばどこかに通じているかもしれない……。

少し歩いてみようと、恐る恐る足を踏み出した。

「ここはどこ? 誰かいないのですか?」

周りには誰も見当たらないのだが、声に出していないと気がおかしくなりそうだった。

「誰か、こたえてください」

 美麗の発した言葉は、虚しく空間のなかに吸い込まれていく。

それでも美麗は話しつづける。

「ここはエレベーターの中でもない。かといって、ポートタワーだって見えない。なにもないわ。ただ薄暗い空間が続いているだけ。ビルも人の家もない。薄暗いだけ……」

 いきなり、恐怖が背筋を走り、足もとを見た。

周りになにもないということは、もしかして、足もとも、どこかで途切れているかもしれない。

足もとをよく見ると、薄闇のなかに、薄っすらとした、道のようなものが続いていた。

途切れてはおらず、代わりに道があった。

美麗はその道を歩きはじめた。

「道になっているのよね。いきなり途切れていて、落ちるってことはないよね」

 そろそろと歩き続けた。

しばらくすると、ぼやっと前方に人影のようなものが見えてきた。

「誰かいるの!」

 美麗は声をかけながら、人影に向かって足を速めた。

なにものか、わかったもんじゃない。凶悪犯かもしれない。

それでも、ひとりで、この空間にいるよりいい……。

歩く速度がより速く、小走りになった。

その影がはっきりしてきた。男の人の後ろ姿に見える。

――もしかしたら! 

希望が美麗にわいてきた。

まだ若い男の人の体つきだ。十代かそれとも少し年上。

ティーンズにしても、背が高めで、細身の背中だ。髪が少し長く、肩すれすれまである。

「翼!」

 翼の名前を呼んだ。翼に違いない。

 美麗は、たとえ、ふたりがどんな事情でバラバラになっても、翼には会えると信じていた。

あの後ろ姿は翼に間違いがない。

「翼! どこに行っていたのよ。わたしどうなるかと……」

 美麗は翼の後ろ姿に向かって、駆け寄っていった。

 だが、その翼は後ろを向いたきり、返事はない。

と、そのとき背中を向けていた翼がゆっくりと後ろに振り返った。

美麗はその顔を見て思わず足を止めた。

翼には違いない。

でも、これまで見たことのない険しい表情をしている。

美術部での翼はいつも優しげで、どちらかというと、頼りないようにも見える。男の子には珍しい、内にこもるような繊細さが、美麗は好きだった。

それが、眼の前にいる翼は、これまで美麗が知っていた翼とは、まったくの別人なのだ。

その険しい目つきには優しさのカケラもない。まるで肉食動物のようにギラギラ光っている。

唇も同じように、強い意思を示すかのように真一文字に結ばれていた。

 美麗の心臓が高鳴る。

翼であるのなら駆け寄りたかった。でも、それができない。射すくめられたように、美麗はその場から一歩も動けなくなった。

いっぽうの翼には、美麗のことなど映ってないかのようだった。

表情を変えずに、くるりと背中を見せた。

待ってー―、美麗は呼び止めたかった。だが、喉が緊張で痙攣したかのようになって、声が出ない。

翼が歩き出した。遠ざかっていく。その翼の背中がブルッと震えた。

その震える背中は、翼の険しい表情とともに、美麗にいいようのない不安を抱かせた。

翼が立ち去っていく。やっとのことで声が出た。

「だめよ! 翼、行っちゃだめよ」 

美麗は叫んでいた。


     ( 続く)


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