表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

火星にとらわれた美麗

  二


 エレベーターは、展望台までの半分以上の高度へと昇っていた。三方がガラス張りのエレベーターのかごは、港と一体となり、海上の夜空に舞う気球のようだ。

 通常なら興奮する場面でも、美麗の心は沈んだままだった。

 ニキビが出来たことの負い目もあった。翼とふたりきりで会うことの緊張で、うまく会話をつなげられないこともあった。ことごとく、うまくいかず、自分は駄目なのだと思う。

 ぎっしり詰まった乗客たちの沈黙すら、異様な空気となって、風船のように膨れ上がって、背中からの重圧となってくる。

 翼との間には会話がなくなっている。

 ほんの短い間かもしれないが、その沈黙が美麗には、気が遠くなるほどの長さに感じられた。

 自分といるのが退屈だろう、とかたわらに立つ翼の横顔を見る。

 とそのとき、沈黙を破り、乗客の一人が声をあげた。

「火星だ! あれが火星だ!」

 いっせいにエレベーターのかごの中がざわつく。

「ほんとだ!」「あれよ!」と声が続いた。

 背後で、みなが背伸びして夜空を見ようとしている。

 声が重なり合って、そこからは、雪崩を打ったように歓声一色で沸いた。 

 それまで黙り込んでいた翼も、        

「すごい!」

 と喜びを全身に表して、ガラスに顔をくっつけた。

 暗黒色の夜空のスクリーンにくっきりと浮かんだ赤い星!

 それでも、美麗だけが素直に感動をあらわせない。エレベーターのかごの中の客すべてが喜んでいるのに、美麗だけが蚊帳の外だった。

 ひとり落ち込んで、そこから抜け出せない。

「大きく見えるね」

 いきなり翼が美麗に返事を求めた。

 美麗はぐじぐじとこたえた。 

「うん、ほんと……」

 沈み込む美麗とは対照的に、翼は饒舌になっていた。

「火星の色は赤色といおうか……いや、黄色と赤の中間の色かな。オレンジ色に近いかな。ほんと、拳のように大きい。地球でこんなに大きく見えるのは何万年ぶりかなんだって?」

 美麗はぽつりとこたえた。

「五万七千年ぶりよ」

 ひととおり火星のことは調べていた。

 翼が、いきなり美麗のほうに顏を向けた。すぶさま、美麗はニキビを前髪で隠すように、顔を伏せた。

「そうだった。よく知っているね」

 翼は感心したふうを見せたが、つぎには火星のほうに眼をむけていた。

 火星以外のものは眼に入らない。

 エレベーターはさらに高度を上げていく。

 しばらくして翼がぽつりとつぶやいた。

 先ほどまでと翼のようすが違っていた。

 言葉が暗くなった。

「火星って妙な色をしている……」

 ほんのつい先ほどまでは、火星に驚き、はしゃいでいたのが、一転してなにかを考えこんでいる。

「え……。どんなふうに?」

 美麗はそんな翼に聞き返した。

「あぁっ……、色が変わってきた……。オレンジ色から真っ赤に見えてきた」

 いわれれば、その通りだ。

 美麗の目にも、火星の色が変わっているように映った。そのうえ、大きさを増し、より鮮明になってきた。どこか毒毒しい。

 これまで拳大の火星が、まるで大きな真っ赤なバランスボールのように見えてきた。

 火星がぐっと迫って来る。

 美麗は尻込みした。眼を離したかったが、なぜか火星に吸いつけられたように、眼を離すことができない。

 息苦しくなって、口を開けた。

 ついには視界が真っ赤に覆われた。

 すると、いきなり口からなにかが飛び込んできた。

 そんな気がした。

 口に入ったのは、なにかはわからない。わからないなりに考えた。妙な答えが返ってきた。

 火星から放出された光のようなものが、口から入った。それって、火星が放ったエネルギー?

 ――こんなことって、あるのかしら? 火星からのエネルギーを飲み込んでしまうことなんて……。

 いぶかしがりながらも、いま、胸の中で、その、あり得ないエネルギーがうごめき出した。

 少し眩暈をおぼえる。ふらふらする。どうなっているの?

 これは現実なのだろうか?

 そのうちに翼が言葉をかけてきた。

 確かに、話しかけてきているのに、その言葉が聞き取れない。

 まるで壁の向こう側から話しかけているかのようだ。

「えっ? なんていったの?」

 美麗は翼に聞き返した。

 いっぽうの翼は、これまで見たことのない無機質なものになっている。表情がない。まるでマネキンのようだ。

 翼も火星に影響を受けているのか? 火星のほうを見上げたまま固まっている。

 気をとりなおして、もう一度聞いた。

「もっとはっきりいってよ」

 そういいながら、美麗ははぁはぁと大きく息をした。言葉を発することが苦しかった。

 横顔を見せたままの、マネキンとなった翼が、口をゆっくりと動かす。

 今度も聞き取ることは出来なかった。

 美麗は自分のほうに疑いをもった。まさか、聴覚が異常をきたしたのではないのか?

 耳たぶを指先で引っ張る。もどれ、もどれ、聞こえるようになれと――。

 すると、ボソリボソリと、遠くからのように小さな声で、翼の言葉が耳に入ってきた。

 それも途切れ途切れに。

「ち…、真っ赤」

 ようやく聞き取れた。でも、今度は聞き間違いかと思った。

「翼。いま、ち……、血っていったの?」

 翼は夜空に浮かぶ火星を見上げたまま固まっている。魂を奪われたマネキンのままだ。

 ぎこちない動きの唇からさらに言葉が発せられる。

「火星の色は真っ赤な血に見える。飢えた人間たちが流す鮮血……」

 なんて気味の悪いことをいうの……、おかしいわよ。美麗は口に出して、翼にそういいたかったが、ぐっとこらえた。         

 エレベーターは昇る。夜空に浮かぶ火星に近づいていく。

 かごに乗っている乗客のすべてが、早く展望台へと、大きな火星を見たい、そう思っているのに美麗だけが違った。

 胸の中が、火星のエネルギーで支配された感じで、不安ばかりが増す。

 今すぐにも、翼とも離れて、引き返したかった。透明なガラス壁を蹴破って、エレベーターの中から飛び出したかった。

 息苦しさと眩暈がひどくなってきた。美麗は、立っていられないほど疲れてきた。

 眼の前は依然として、大スクリーンに映し出されたもののように、火星が巨大化している。赤い光を放ち、まるで笑っているようだ。

 目をそむけようとしても、火星のエネルギーのせいか、それもさせてくれない。

 ――どうしたの? これは!

 その瞬間、美麗の身体が傾いた。いや、沈んだ。


  ( 続く )

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ