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火星には古くから赤い眼のいい伝えがあった。

 火星は二年二か月の周期で地球に接近する。その接近の距離は年によって違う。美麗びれいが高校一年であるその年は、五万七千年ぶりの大接近となった。


 一


 翼に会うのは、一学期の終業式以来だから、約一ヶ月ぶりのことである。

 鏡のまえにすわって、美麗は半べそをかいていた。これからつばさとの初めてのデートなのに、額のところに大きなニキビができていた。

 一重まぶたで眼が細く見えるのに、そのうえニキビがあっては、美人でもないのにマイナス点ばかりだ。

 美麗と翼は臨海工業地帯の中枢都市であるS市にある県立高校に通っていた。ふたりは同級生であり、部活も同じ美術部であった。

 入部早々、美麗は背が高く、物静かな翼のことが気にかかっていた。

 夏休み前の最後の部活のとき、たまたま翼と雑談をしていたら、火星の話題になった。この夏は五万七千年ぶりに火星が地球に大接近をする。

 絵を描くものにとって、神秘的に赤く輝く火星は、かっこうのテーマになると翼がいいだした。

 翼は一年生でありながら、入学当初から進学は国立の美大と決めていて、絵に対しての真剣さは、上級生を含めた全部員のなかでも抜きんでていた。

 美麗も、火星を見たいというと、それなら、ふたりで、海を臨むポートタワーの展望台に昇って、最高の火星を見ようとなった。

 翼が美麗のことをどう思っているかはわからない。それでも、ふたりにとっての初デートが成立したのだ。

 火星大接近のその夜、ポートタワーの前には長蛇の列ができていた。

 すべてが展望台へのエレベーター待ちの客だった。その中に翼と美麗も混じっていた。

 エレベーターのかごが降りてくるたびに係員の指示によって、三十人ほどの客が乗り込む。だが、これだけ人数が多いとなかなか前に進まない。

 美麗は翼と肩を並べて、列に並びながらもニキビのことが気になっていた。翼のほうを見るのではなく、指で前髪を引っぱり、俯いていた。

 気の利いた話題でもあればいいのだが、美麗はつい同じことを話してしまう。

「展望台から火星を見たら素敵かしら?」

 口にしてから、これ、さっきもいったことだと気がついた。

 そんなとんちんかんな美麗のことを翼はどう思っているのか……、涼しげな表情のままこたえる。

「展望台に昇ってみないと、どこまで火星が見えるかわからないね。しかし、それにしても、エレベーターに乗るのにずいぶん待つね」

 美麗は首をひねって、列をずらりと見回してみる。

 夜だから、カップルが多いのは当然のこととして、小学生の子どもまでが、お父さんに連れられて並んでいる。火星大接近は、天文ファンにとっては大イベントなのだ。

 列に並んで一時間近くたっていた。ようやくふたりがエレベーターに乗る順番が回ってきた。

 美麗と翼は、係員に押し込まれるままに、他の客といっしょにエレベーターに乗り込んだ。そのとき一瞬だが翼と肩が触れて、ドキッとした。

 美麗は、以前にもこのエレベーターに乗ったことがあった。その時は、小学校のときで、両親と妹との家族四人だった。小さな妹が、円形の展望台のなかで走りまわっていたのを覚えている。

 エレベーターは、建物側の一面を除いて、残りの三面がガラス張りになっている。ガラス張りのエレベーターが、百メートル以上ある展望台へと駆け上る。

 その三面のうち、海に面しているのは正面だけで、残りの二面は倉庫やらクレーンやら港の風景を正面に臨む。展望台に昇るまでの景色が、どれがいいかは人による。

 いずれにせよ、客はエレベーターがいったん動き出すと、自分が宙に浮いて、空にまで昇っていくような感覚にとらわれる。

 人によっては、日常生活から一転して、夢の世界、魔法の空間に迷い込んだ気分になるかもしれない。美麗は、翼と乗るこのエレベーターが、魔法の空間であれと願った。

 ――これまで臆病になって、翼にちっとも、いいところを見せられなかった。

 このままじゃ、ふたりで火星を見にきたことで、かえって気まずくなってしまう。

 もし魔法の空間に行けるのなら、引っ込み思案の自分から、別人になって欲しい。

 美麗と翼のふたりは、幸運にも、かごに乗ると、海を臨んだガラス面に向かって立つことができた。目の前には、海があって、星々が煌めいている。

 美麗はかごに乗ったはいいが、後ろからぐいぐい背中を押された。

 振り向いてみると、満員のため、誰かが動くと、他の人が押されるのだ。

 カップルが多いが、それ以外にも親子連れが乗っている。

 その中で、ひときわ目立っている、頭ひとつ背が高い男の人がいた。白っぽい髪でサングラスをかけている。欧米の人だ。

 少し歳をとっているようで、サングラスから普通の眼鏡に変えたのなら、フライドチキンのカーネルおじさんに似ている。その人には連れがいないようで、両隣に立つのは、その人とは関係のなさそうな大学生ぐらいのカップルだった。

 美麗はメンバーを見たあと、翼と肩を並べて、海を臨むガラス面に向かった。

 夜空と大海原を前にして、いつも冷静な翼の口調も弾んでいた。

「海側に乗れるなんて最高だね! エレベーターに乗っている間にも火星が見えるかもね」

 美麗が相槌を打つと、

「ええっ、ほんと!」

 エレベーターが動きだした。ガタンという音とともに、身体が揺れた。それと同時に翼の腕に、美麗の肩がくっついた。

 翼に触れるのはこの日二度目だった。

 エレベーターに乗るときが最初で、動き出してからもう一度。翼の体温が温かい。       

 かごが上昇すると、すべての人たちが、海の見えるガラス面のほうに目を向けた。

 黒々と水平に横たわる海と、綺羅星が点々とする無限に広がる夜空が広がる。

 乗客のすべてはきっと考えている。

 どれほど昇ったら、火星を眼にすることができるのだろう?

 言葉を口にするものの数が減ってゆき、ついにはすべての者が無言になった。


  ( 続く )

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