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今苦しい人へ、聖書の御言葉

聖書は、人類歴史上最も長く読まれてきた知恵の書。6000年前からある命の泉の書。

歴史上偉大な人物は読んできた、世界で最もポピュラーな書物。私は人に進められ読みました。

心が洗われ清まり、元気が出ます。日本人は読む人は少ないが、世界では80%の人が読んでいるそうです。自分で書写しまた元気をもらい、何回読んでも元気をもらいます。読む毎に内容もわかってきます。皆さんに祝福あれ。

わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。


すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられ

る者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。


あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。

しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとうりにせよ。


しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。


なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。


おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。


あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。


自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。


よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない。


万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。


悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。


すなわち、私たちのうち、誰一人自分のために生きる者はなく、誰一人自分のために死ぬ者はない。私達は、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、私達は主のものなのである。


あなたがたのさばくべき者は、内の人達ではないか。外の人達は、神が裁くのである。その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。


愛は寛容であり、愛は情け深い。また、妬むことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、苛立たない、恨みを抱かない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。


このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。


誰が神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとを下さる。


私は神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。


私は知っている。すべて神がなさる事は永遠に変わることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。


彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。人は全くその来たように、また去って行かなければならない。人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。


たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、私は言う、流産の子はその人にまさると。これはむなしく来て、暗やみの中に去って行き、その名は暗やみにおおわれる。またこれは日を見ず、物を知らない。けれどもこれは彼よりも安らかである。たとい彼は千年に倍するほど生きても幸福を見ない。みな一つ所に行くのではないか。


悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。


あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。

人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる。ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。

すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともに裁かれるからである。






私が好きなみ言葉を書いていきます。\(^_^)/

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