「第五話 あらしの夜に」
昨夜とは打って変わって静かな館に、灯りはない。外は嵐が過ぎ去った後の晴れ間が広がり、朝露が木々を輝かせる。
焼け落ちた正面玄関を潜り抜け、縦に皹が入った扉を押し開ける。足下に転がる焦げた柱を避け、黒ずんだ柱時計を一瞥をくれた。
昔、ここで殺人事件があった。そう、村人から噂を聞いたことがある。噂によると、殺人事件に関与していた人物は既に他界していたため、事件は迷宮入りした。それから現場はかつて非道な惨劇があったヴィラン家として、村の若者たちのホラースポットと変わり果て、村の噂の種となった。そして、ついに館へ忍び込んだ若者の中で怪我人や精神を病んでしまった者が、相次いで続出してしまったらしい。
「幽霊が出るから、祓って欲しい」。村人からそう請われ、村の神父として向かったが。
「……やぁれやれ。村人も面倒な頼み事をするねぇ」
割れて落ちた窓ガラスをぱきぱきと踏みしめ、くねくねと曲がりくねった廊下を進む。あちこちに焼け跡が残り、煤が散らばった絨毯を踏みしめる毎に埃が光に照らされ、舞い上がる。
そのまま奥へと進むと、分かれ道に出た。右を覗くと、階段は焼け落ち、二階はところどころ崩れてしまっている。壁は焦げ痕が付き、正面の客室の扉は壊れて床に転がっている。客室の中は、赤黒い染みが絨毯にこびりつき、ベッドと机は木の破片しか残っていなかった。
今度は左へ足を向け、そのまま進む。突き当たりまで行くと、大きな扉は床に落ち、中の食堂はがらんとしていた。その部屋の片隅に、黒い影がうずくまっている姿が見える。少女だった。
静寂な館の中で靴音を鳴らし、少女に近付く。少女に近づく毎に「あたしじゃない」という呟きが繰り返し聞こえてきた。
「……メリー」
そろりと名前を呼ぶが、反応はない。猫のように丸まった黒い背中に、もう一度だけ声を掛ける。
「メリー。シェリーは、死んだよ」
途端に呟きが、ぴたりと止む。少女はぎぎぎと音がしそうな程ゆっくりと振り向き、薄暗い館内でも爛々(らんらん)と光る目が、私の目を捉えた。化粧で偽の火傷痕を作った筈が、今では悲しいことに擬似ではないことを物語っている。
私は少女の視線から眼を逸らさず、言葉を吐いた。
「あのとき、逃げた子どもはニックじゃなくて、メリー。君だったんだね」
「……あたしじゃない」
「君の日記を読んだよ。メリーが、シェリーを殺したんだ」
「あ、あた、……あたしじゃない!!」
「シェリーを、両親を、全員を、遂には君自身さえも殺したのは、他ならぬ君、メリーだ」
「違う違う違う! あたしはシェリーよ!!」
「ニックは、君が死んでからも一緒に居たよ」
雨に濡れたが焦げ痕の残る人形を取り出し、メリーの傍に置く。すると、目だけを向けていたメリーが目にも止まらぬ速さで人形を抱き寄せる。ゆっくりと、メリーから嗚咽が零れ落ちた。
ニックも、アドミール家も、全部がメリーの空想だった。シェリーに「メリー」を乗っ取られた日から今日まで、ニックはメリーのやり場のない悲しみや怒りを紛らわせる、唯一の存在だ。ニック・アドミールという名の人形は、双子の妹の代わりとして、メリーの日記に名前がない日はどこにも見当たらない。
―――ニックがあたしだったら良かったのに。
―――それで、あたしはニックとずっと一緒に居るの。
―――あの子じゃなくて、あたしがニックと双子なの。
ニックに関する記述は、それが最後だった。
「ねぇ、メリー」
「……やめて。あたしは、シェリーよ」
「ねぇ、シェリー」
「……」
「たまにはさ、……外にも出ようよ」
「……え」
「そう。外だ」
「お外?」
「今日は良い天気だし。一緒に散歩しよう」
「さ、んぽ……?」
「ここだけが、君の世界じゃないんだよ」
「でも、……だって、あたしは悪魔の子だから、外に出たらいじめられるし、石を投げられるし、悪口を言われるから、出ちゃダメってメリーが言ってたの。だから、あたしは、……あたしは!」
低くくぐもった声だったが、どこか震えているような気もする。メリーは、シェリーに「メリー」を取って代わられ、シェリーから二度と入れ替わりを起こさないようにそう言い聞かせていたようだ。
もしかしたら、シェリーも必死だったのかもしれない。もう二度と「悪魔の子」だと、罵られ、蔑まれ、疎まれないために。
「それならさ」
つばの広い帽子を取って、メリーの傍に腰を下ろす。それから、メリーへそっと手を差し出した。
「どこか、知らない土地で暮らそう。シェリーも知らない土地で、友達として一緒に暮らそうか」
再び館内が静寂に包まれ、今までに感じたことのない長い一秒が経つ。メリーがじっと見つめる。私が見つめ返す。メリーが瞬きをする。私も瞬きをする。
そして。
「あの……ね。あたし、ニック以外の友達って初めてなの」
メリーはそう言って私の手を取り、朝靄の中へ塵となって風とともに去っていった。
さらさらと流れる塵は、ゆっくりと食堂の窓から出て行き、空へと上っていく。
誰も居なくなった館で、私は塵が見えなくなるまで見送った。
これで、私の仕事は終わりだ。
安堵の溜め息を吐く。すると。
「次は、あなたの番」
不意に背後から、少女の嬉しそうな声がした。