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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
三章 GOD-双咎のエンゲージメント
42/55

36.彼の残した白き頁

 

 ――聖域レイオルデン、虹の塔(イリスコート)


 かの英雄が失われ、この世界は恐怖と絶望に塗り潰されようとしていた。

 魔扉(リム)の多発、深域(アヴィス)は侵食度を増し、降魔は圧倒的速度で増え続けるばかり。

 多くの者たちの故郷が塵と化し、勇敢に戦う者たちは灰へと変わっていく。

 ひとつの悲しみを乗り越える暇もないまま、次々と悲しみは重なり続け、血と涙の濁流が心の防波堤を酷く軋ませる。

 葬送が終わることはなく、伸ばす手の先では容赦なく命が零れ落ち、染まる手の赤と共に心は暗く黒い沼へと落ちていくばかりだ。

 英雄は死に、救世主は現われず、この絶望に希望が生まれ落ちることはない。

 

 そんな中、まるで知人の家を訪ねるが如く、当然のように現われた者がいた。

 審秤神サラ・テミスの絶対領域であるはずの虹の塔(イリスコート)に。

 

 それから数日後――七国を統べる神々が一堂に会していた。


「事前にお願いしていた人数の過半数にも達していないようですが」


 そう口を開いたのは、周囲の視線をある意味独り占めしている男だった。

 この会議の進行役を買って出た、あろうことか神を自称する燕尾服に身を包んだこの男から感じるものは、怪しさ以外にないだろう。

 

「だからそれは無理って、あらかじめ言っとったはずなんやけどなぁ。あんさんが指名したのはこの世界の要ばっかりや。各々やらなあかんこともあるし、それに……(心が死でもうた子らは、もうどうにもできんしな……)」


 サラはそう言って困ったような表情を浮かべるものの、男の無茶振りに応じることは不可能であると、頼まれたときにきちんと断っている。

 なにせ、男がこの場に集めるよう言った一覧に連なる名前は、見る者からすればどうかんがえても異常としか言い様のないものだった。

 七国の神々に加え、七深裂の花冠(セブンスクライム)、救医神アスクレピオス、智導神ヘルメス、創美神アフロディーテ、楯戦神アテナ、軍荒神アレス、天命神モイラ、鍛鋼神ヘパイストス、竈壇神ヘスティア、執戮神エリニュス……と、そんな場所に誰かが迷い込んだなら卒倒してしまうほどの面子だろう。

 

 結果として、集まったのは七国の神々と救医神であるコルの八人だけだ。

 しかしそれでもサラからすれば、魔石を使った遠距離通信でなく国を離れてまで直に召集させたのだから、世界の現状を考えると頑張った方なのだと理解してほしいところではある。

 召集に応じなかった者の中には、諦めず己が役目に徹する者よりも、心が死んでしまった者や戦えない理由のある者が大半ではあるのだが。


「はぁ……仕方ありませんね。それではこれからの世界の行く末と、私たちが取るべき行動についての会議を始めていきましょうか」


 僅かな溜息と共に、男がそう宣言すると、


「貴様、先程から黙って聞いていれば……なんだその覇気のない態度は! 世界の命運のかかった重要な話をするのではないのか!」


 全員が囲っている大円机(テーブル)がなければ、胸ぐらを掴みかかっていてもおかしくないほどに、感情的に言葉を叩きつける海神ヴィアベル。


「まったくだ。今この時ですら、戦火は広がり続けている。貴君はそれを理解しているのか」


 声を荒げているわけではないが、仮面の男に向けられた天神ブフェーラの気迫(プレッシャー)は並みの者であれば委縮し、場合によっては立っていることすらままならないだろう。


「まぁまぁ、お二人ともそんなに気を立てなくてもいいじゃないですか。この男が本当に僕たちを惑わすだけの道化であれば、その時は縛り上げて深域(アヴィス)の中に放り込みましょう」


 口調こそ穏やかではあるが、冥神アルバの心中の殆どを占めているのは疑いであり、薄く開かれた両眼は鋭く、男の一挙一動を見据えている。


「し、しかし、本当にこの者が世界を救うための手立てを知っているやもしれぬのじゃから、まだそこまで言わずともよいのではないか?」


 この中で最も幼い容姿の地神ミコトは、剣呑な空気に呑まれる事なく自身の意見を述べた。しかし、仮面の男を完全に信用している訳でもないのも事実だ。


「うむ。少し落ち着かねば、冷静な判断もできまい」


 その巨躯から漏れた言葉は、どこか力なく寂し気なものだった。

 陽神イグニスが溜息と共に視線を向けた先には、口を噤んだままの女神の姿。


「っ……どいつもこいつもなんなのよ」


 誰に言っているわけでもなく、月神アルテミスは俯いたまま不機嫌は想いを小さく吐き出している。他の神々と同じく、その傍に控える者はいない。


 各国の神々がそれぞれに口を開くだけの時間が暫く続く中、仮面の男や連れの三人がそれらに応えようとする様子はなかった。

 サラが一先ずこの場を収めることは容易だが、それでは数年前と同じで意味がないと、彼女を含めコルまでもが口を閉ざしている。

 しかし数年前、本当の意味で各国が手を取り合うことのなかった時と同じでないのは、なにより彼女の存在が一番大きいだろう。

 神殺しと呼ばれていた男と神々とのわだかまりがとけるきっかけとなった女神。

 彼女はこの混沌とした話し合いの中、その場で静かに立ち上がった。

 が、すぐさま何かを言うわけでもなく、顔を上げることなく、微動だにしない。

 それから、周りの者たちすべての視線が自身に向けられている事を感じると、俯けていた顔をあげ、一人一人の瞳を見つめながら真っ直ぐな言葉を紡いでいく。


「焦り、疲弊し、惑っているのは分かります。今在る地獄に、もしあのときこうしていたらという理想を何度も重ね、それでも逃げられない地獄(現実)が毎夜毎夜理想()までもを侵していく。彼をもっと信じていたら、もっと早く彼の気持ちに寄り添えていたら……そんな自責の念が、苛立ちを募らせる。そして、彼がいてくれたら……と、そんな甘いこを考えてしまう不甲斐ない自分に、更なる苛立ちが込み上げてくる」


 誰もが後悔していた。誰もがやり直しを願った。

 だが、彼はもうここにはいない。

 何度奇跡を祈っても、たとえ命を捧げても、誰が何処で何を成しても、死者が蘇ることはない。それだけは、決して二度と変えることのできない現実だ。

 だからこそ、前に進まなくてはならない。

 彼の死を受け入れ、彼の願った未来へ辿り着くために、

 

「貴方たちだけではありません。私もそうです。皆、同じです。それでも、諦めないのは何故ですか? この場に集った理由を、今一度よく考えてみなさい。今のように疑い、不満の声を上げながらも、一縷の望みにかけてここに訪れたのでしょう? もうこれ以上、彼の想いを裏切りたくはないと。でしたら、まずは最後まで話を伺いましょう。あの人ならきっと、相手がどれだけ怪し……どのような相手でも、頭から否定したりはしないはずです」


 荒み、淀んでいたように感じられていた場の空気は、星神ステラの言葉によって澄みきり、冷静さを取り戻した神々はその居住まいを正していた。

 周りを見渡し、ひとまず自身の役目は果たしたかのように、穏やかに目を細めた満足気な表情で再び椅子に腰を下ろそうとするステラ、なのだが……


「わきゃ!?」


 才色兼備を体現した一見非の打ち所のない女神ではあるのだが、常に隙の無い女性というわけではない。周知の事実ではあるが、特定の条件下(・・・・・・)やいまの様に気が緩んでいると失態(ドジ)を晒すこととなる。

 立ち上がった際、椅子を引きすぎていたのだろう。そのまま椅子に座ろうと腰を下ろした途端、体勢を崩し、床にお尻を盛大に打ち付けてしまう……はずだった。


「おっと。この世界の女神に、このようなところで怪我をされるわけにはいかないのだがな」

「怪しいあの人の仮面が彼のものと似てるからね。仕方ないのだよ」


 まるでこうなることを事前に分かっていたかのように、いつの間にかステラの背後に移動していた二人の女性に支えられ、ステラは痴態を晒さずに済んだ。


「あ、ありがとうございます?」


 それぞれに黒と白の軽鎧を身に着けた彼女たちは、きょとんとした表情を浮かべるステラを座らせると、規則的な足音を鳴らしながら元いた位置に戻った。

 すると、自分の後ろに彼女たちが戻ったことを確認した男は、相変わらず表情の読めない仮面をつけたまま、仕切り直すように会議の進行を促していく。


「少しは落ち着いたところで、改めて始めるとしましょうか。望んだ未来を得るために」


 仮面の男の言葉には、先ほどまでの胡散臭さや軽薄さは無く、彼は大円机(テーブル)の一角から全員の表情を見渡した。

 そこで口を開いたのは、これまで傍観を決め込んでいたサラだ。


「この人らに何度も同じことを話してもらうんは、なんや申し訳ないからなぁ。こっから先は、うちの方から話をさせてもらうとしよか」


 そうして、サラは各国の神々に自称神たちから伝え聞いたことを、自身の中で再確認するように、その一言一言を丁寧に口にしていく。

 

 一つ、自称”神”を名乗る仮面の男は、この世界とは異なる世界からの来訪者である。


 一つ、仮面の男と共にいる三人の女性たちも男と同じ世界の出身であり、女神に極めて近い存在である。


 一つ、仮面の男たちの世界は既に滅びており、この世界が完全な終焉を迎えることが確定したことにより、この世界へと訪れることができた。


 一つ、この世界が完全に滅ぶまで、まだ七年の猶予が残されている。


 一つ、この世界の滅亡は絶対であり、断絶した未来を変えることは不可能である。


 一つ、世界の滅亡を回避する可能性は存在している。


 要点をまとめれば簡潔(シンプル)な内容ではあるのだが、それはあくまで文言としてであって、そこに人の想いなどは考慮されていない。

 これらの事をサラが語っている間、誰一人として口を挟むことなく、一言一句を聞き逃すまいと真剣に向き合っていた。

 ある者は表情を硬くし、ある者は瞑目したまま、ある者は何かを堪えるように。


「ふぅ……ひとまずこんな感じやけど、何かわからんことはあった?」」

「お前さんたち、今のうちに共通の認識ってやつをきちんとしておかねぇと、後々揉めることになるからな。少しでも疑問に思ったことがあれば、今のうちに……」


 サラが一通りの説明を終わらせ、コルが神妙な面持ちの七人に声を掛けると、その中でもミコトだけが精一杯に小さな手を高く上げていた。

 その表情は焦燥と悲愴が顕れており、人に見せる女神としてのものではなく、この世界に生きる一人の少女としての顔だった。


「そんな顔で俺を見なくてもいいだろうに。俺が悪者みてぇじゃねぇか」


 大方予想できていた少女の姿に、コルはやりきれない溜息を漏らしながら頭を掻くと、ミコトに発言を促した。

 この場にいる全員が彼女の一挙手一投足に注目しているが、それらを気にする事無く……いや、ミコトからすれば、周りの視線(そんなこと)を気にしていられるほど余裕のある精神状態ではないのだろう。


「先程、サラ殿が言っていたことは、本当の本当に事実なのじゃな? 嘘では、ないのじゃな? 冗談でも大袈裟なものでもなく、この世界は……仮面の者よ、そなたの口から聞かせてほしい」


 それは誰もの思考の中にあり、誰もが口にすることを躊躇っていたことだ。

 それを認めてしまえば、それを理解してしまえば……

 自分たちの足掻きが、死んだ彼の想いが、この世界の未来のために積み重なった数々の犠牲が、それらの何もかもが、徒花と散ることになってしまうのだから。

 

 だが、ここで嘘偽りを述べたところで、何一つ状況が好転するわけでもない。

 暫しの沈黙の後、男ははっきりとした口調で肯定した。

 

「はい。事実であり、それは確定事項です。皆さんの心中を掻き乱す真似はしたくないのですが、必ず現実となります」


 この場にいる者と同じく、多くを失った男の言葉が部屋の中に静かに響く。

 振り返るには余りにも遠く、永きに渡り一度として忘れることなどなかった刻の果てでの出来事は、今でも彼の心に深い影を落としている。

 それでもなお、未来を見失なわずに可能性を信じ続けた仮面の男の覚悟など、とうの昔に決まっていた。

 この世界の滅びは避けられない。その事実を受け止めることがどれだけ難しく、辛く残酷であるのか、故郷を失った男とて理解していないはずもない。

 それでも必要なことなのだ。

 この世界は決して助からないと、それを強く自覚することは。


 何故なら、世界を救うことのできる唯一の可能性は――


「な、ならば、世界の滅亡を回避する可能性とは、いったいどういうことなのじゃ?」

「そうです。世界の滅亡を回避する可能性は、未だ潰えてはいません」


 その言葉は矛盾しているだけに聞こえるが、異邦人たちの様子を察するに、彼らにとっては唯一無二の一縷の望みなのだろう。

 だがそれだけで信用し、理解し、納得することなど到底できるものではない。


「少し、私の方からその事について話をさせてもらえないだろうか」


 一触即発とはいかないまでも、暗雲が広がりつつある会議室内に、一陣の風の如く発言を求める一人の女性。

 仮面の男の後ろに控えるように佇んでいる黒き軽鎧を身に着けた彼女の瞳は、力強さはあるものの威圧的な印象は受けない。

 それはきっと、彼女が、そして他の二人にもまた、仮面の男が今は亡き英雄の面影を宿しているように、不思議と似たものを宿しているからだろう。

 常に英雄に寄り添い続けた、彼の意志を色濃く受け継ぐ彼女の面影を。


「そうですね、確かにこのことに関しては貴女が話すのが良いでしょう。よろしいですか?」

「うちはかまへんよ。この子らを納得させるには骨が折れるかもしれへんけど、頑張ってな」

「ありがとうございます。それでは私、戦女神(ヴァルキリー)が一柱ラーズグリーズのお話に少々お付き合い願おう」


 この場の招集をかけたサラに確認をとると、ラーズグリーズは先程の仮面の男の言葉の意味することを語り始めた。


「まずは、そうだな。私たちが居た世界を林檎(α)、あなた方のこの世界を(β)としましょう」


 そう言って、ラーズグリーズは大丸机(テーブル)の上に一枚の皿を置き、その上に林檎と梨を乗せて見せた。

 そもそもの話にはなってくるが、異なる世界から訪れたなどという突拍子もない事を言われても、それを信じることなど到底できない。

 しかし、審秤神サラ・テミスがそれを認識し、認めているのであれば、それはこの世界の者からすれば十分に信用に値するものとなる。

 いったい何をもってして、サラを信じさせることができたのかは気になるものの、今はただ誰もがラーズの話に耳を傾けていた。


「ここまでは、皆も一応は納得していることだと思う。本題はここからだ。ある存在によって、林檎(α)(β)を含んだ(大世界)は滅亡することになっているのだが……」


 一度話を切ると、ラーズグリーズは皿に乗った林檎を掴んで容易く握り潰して無残な姿に変え、滅びの形を分かりやすく示した。次いで、梨には短刀(ナイフ)を深く突き刺し、滅んではいないが確実な滅びに向かう事を示す。

 それは正に、滅亡した世界と危機に瀕している世界を模した箱庭だ。

 ラーズはそのまま何事も無かったかのように、手拭(ハンカチ)で手を拭いながら話を続けていく。


「私はまだ、世界が完全に滅ぶとは思っていない。これは証明のしようがない事なのだが、主神の加護……皆で言うところの神力に相当するモノを、私たちも有している」


 その言葉に七国の神々には衝撃が走ったが、確かに神を自称する男の言葉が真実であれば、女神に極めて近しい存在であるという彼女たちにも、神力に酷似した力があっても不思議ではない。

 しかしすぐさま、それ以上の衝撃を彼らは受けることとなる。


「私の有している力に”戦いを終わらせる”と言うものがある。これは直接戦いに関与するものではなく、終わらせる為の鍵を感じ取れるというものであり、私自身が根拠のない確信(・・・・・・・)として意識できるものだ」


 気を落ち着かせて聞いていた最中に、そんな眉唾物の話を信用し、滅亡の危機を打破できるといったい誰が考えられるだろうか。

 世界の命運をそのような感覚的な、それも本人が根拠はないと言い張る程度のものに委ねることなどできるはずもない。

 よって、それは再び疑いと暗雲を呼び寄せることなった。

 そんな中にあっても、ラーズグリーズは神々一人一人の顔を見渡し、その姿にこの世界に存在するその可能性をさらに強く感じていた。


「ふざけているのはその男だけでなく、貴殿らも同じのようだな。我らがあの男(希望)を失って、まだ僅かな時間だ。だが、そんな本当に僅かな時間でさえ、今この瞬間に至るまでの間にどれ程の者たちに苦労を掛け、どれ程の被害が出ているか……貴殿らは微塵も理解できていないようだ。いつからこの場は賭場へと変わったのだ? あの男が必死に守ったものが、貴殿らにとってはただの掛け金(チップ)とでも言うつもりか?」


 最初のように声を荒げているわけではないが、凪のようなヴィアベルの心中に、今にも噴火しそうなほどの怒りがあるのは明白だ。

 それでも、仮面の男は臆することなく横から口を挟んだ。


「言い得て妙ですね。そうです、この世界一人一人が掛け金(チップ)であることは否定しません」

「――っ、貴様ッ!」

「ヴィアベル! ……まだ、最後まで話は終わってへんよ?」


 怒りが臨界点に達したヴィアベルが、今にも踊り掛かろうとするほどの怒気を放った瞬間、それを制したのは珍しく大きな声を張り上げたサラだった。

 それほど危険な空気だったと誰もが感じていたが、男にあのような言い方をされては、この世界に住む者にとって屈辱でしかない。

 

「すみません。少し言い方が意地悪でしたね。ですが、まだ理解しきれていないのは皆さんの方です。手持ちのすべてを失って、完全敗北を喫した中で、そのまま再戦できるとでも? 仮にできたとして、何も賭けずに勝利しても、得るものはないただのお遊びです」

「――くっ」


 歯を鳴らし、ぎゅっと握った拳は小さく震えている。

 そんな彼女に声を掛けたのは、男の言葉に何かを感じ取った陽神だった。


「海神、気持ちは分かる。だが、少し落ち着け。ここまで啖呵を切ったのだ。それだけすべてを賭けろというからには、当然勝つ見込みは大きいのだろうな?」

「えぇ、もちろんです」


 自国全体の疲弊、世界全体の疲弊に気を揉み、以前に比べて生気が失われていた陽神であったが、この会議中に彼は本来の活力を取り戻していったように見える。

 それが何を起因とするものなのかはイグニスにしかわかっていないが、次第にそれは他の神々にも伝わっていくのだろう。


「しかしですねぇ、陽神。可能性があるからただ信じて欲しいというのは無理があるのでは? 彼にとって勝つ見込みがいくら大きくとも、僕たちにとってそうとは限りません。ルーレットの黒か赤、確率は二分の一ですが、それは果たして勝算が高いと言えるのでしょうか? 銅貨、銀貨、金貨、黒貨……賭けるものによって、その感じ方は変わるものでしょう。となれば……いやいや、これはなかなか面白い話なのかもしれませんねぇ。どうです、天神?」

「ふん、貴公らに説かれて同意するわけではない。これは我の意思によるものだ」

「これは失礼しました。それで?」

「我らは何度敗北した? 連続で黒、もしくは赤が出た回数は何回だ? 数回、数十回、数百回……それだけ続けばイカサマであることは明白だろう。そんな相手に対し、賭ける掛け金(チップ)に命を差し出せと言うのだ。であれば、ルーレットを回す者を欺き、確実に狙った目を出させることくらいはしてくれるのであろう」


 アルバとブフェーラにも思い当たる節、感じ取るものなどががあったのだろう。

 そのやり取りを見て、薄ら笑いの仮面の奥で、男は歓喜に打ち震えていた。

 それに続いて声を上げたのは、この会議の先陣を切ったともいえるミコトだ。


「信じるというのは大切な事なのじゃ。言い方には余も思うところがないわけではないが、滅びた世界から来たというのであれば、余らの気持ちも誰よりも深く理解しておると信じたい。だから、さっきはすまなかったのじゃ」


 頭を下げ、疑った事への謝罪の言葉をラーズグリーズたちに向けると、彼女たちは少し驚いた表情を浮かべていた。

 そして、ミコトがその視線を、穏やかな表情を浮かべている者に向けると、


「ふふっ、もちろん私はこの人たちの事を信じています」

「貴殿まで……」

「だって、仮面だけじゃなくて、本当にあの人に似ていると思いませんか? 何もできなかった自分が許せなくて、自分の正義を赦せなくて、敢えて突き放すような言葉を言いつつも、誰よりも多くのものを守ろうとしてくれていた、あの人に。ね? ヴィアベルもそう思うでしょう?

「はぁ……皆が、ステラ殿がそこまで言うのであれば、今は話を円滑に進めるためにそういうことにしておこう。だが、何か不穏な行動を取ってみろヘラヘラ仮面。その時は決して許さんからな」

「ははっ、これは参りましたね」


 信じる以外の選択肢は無いとばかりに答えたステラと、完全に信用はしないが、すぐさま排斥するきは無い様子のヴィアベル。

 話し合いの場が再び穏やかになり、これからの議題も円滑に進むだろうと、サラとコル、そして、仮面の男たちも一安心していたのだが、これまで発言をしていなかった月神アルテミスがその沈黙を破った。


「能天気に過ごすなら他でしてくませんか? それとも、私が出て行った方がいいのでしょうか」

「それは困りますね。私たちにとって、貴女の存在は必要不可欠ですので」

「貴方が私をどう評価しているのかは関係ありません。重要なのは、私にとって貴方が使えるかどうかです」

「なら、ご心配には及びません。貴女も、私を必要とするはずです」


 男のその言葉は、アルテミスの琴線に見事に触れるものだった。

 彼女が必要とする男は失われた。もう戻っては来ないのだ。


「だったら、世界が滅ぶ原因っていうその存在の場所を教えなさいよ! それを叩くのが一番確実でしょ! さっきから回りくどい言い回しばかりで、この世界がどう滅ぶかも曖昧なままじゃない! 私がこの手で殺してあげるわ!」


 日頃の蓄積された苛立ちも相まって、怒号に似た声を突き付けるアルテミス。 その表情には怒りだけでなく、焦燥や寂しさが混じっていた。


「えぇ、確かにそれができれば一番です。ですが、何事にも順序があるのですよ。それを経て、貴女は真の願いに近づくことになります。根源を潰すことが、貴女の本当の願いなのですか?」

「――っ、わかったようなことを言わないで。だいたい、手を取り合おうっていうなら、いい加減名乗ったらどうなのよ! この冥神モドキ!」


 まるで心を見透かしたような発言に、アルテミスは一瞬言葉を詰まらせるものの、一度行き場を見失った怒りは別の方向へと放たれた。


「それは心外ですねぇ。その方の仮面の様に、ヘラヘラしてないんですが」

「そういうところがだ、冥神」


 まさかのところで飛び火被害を受けたアルバは不満の声を漏らすが、すぐさまブフェーラによって窘められた。


「確かにそのご指摘は御尤もですね。でしたら、私の事はヨウキとお呼びください。えぇ、そうです。陽気に楽しくのヨウキと覚えていただければよいかと」


 その言い方から察するに、本名でないのは明白だが、それも何か理由があるのだろうと、皆はじっとりとした視線を向けるだけに留めた。

 そんな視線を受け流すように、ヨウキと名乗った男はあくまで自分の調子(ペース)を崩すことなく、この場の空気を変えようと試みる。


「あ、そうそう皆さん。喉は乾いていませんか? こう見えて気遣いのできる男でして……丁度、梨とナイフもありますし、こちらを頂きましょう。私を入れて十等分ですね」


 そう言って、ヨウキはラーズグリーズが大丸机(テーブル)の上に置いたままにしている梨から短刀(ナイフ)を引き抜き、慣れた手つきで梨の皮を剥いて器用に切り分けると、それらを神々に配った。


「ま、せっかく切ってくれたんやから、きちんといただかんとね。林檎はええとしても、梨まで握り潰されてもかなわんしなぁ」


 ヨウキの神経の図太さに呆れながらも、皆は配られた一切れの梨の甘さ、瑞々しさを味わっていった。

 そして、ミコトが小さな口に、惜しみながらの最後の一片を放り込んだのを確認すると、ヨウキは梨を持ったまま神々を見渡す。そして――


「では、私もこの梨を頂くとしましょうか。ん~、これは美味しいですね」


 仮面の顎の部分を少し持ちあげ、その隙間から口に梨を入れて堪能し終えると、彼は他愛のない会話をしているような調子でこう言い放った。


「はい。この瞬間をもって、この世界は滅亡しました」


 口調と発言内容がかけ離れ過ぎて、直ぐにその意図を読み取れず、サラたちがどういった言葉を出せば良いのか思案している最中、ヨウキはそれに構うことなく言葉を続けていく。


林檎(α)砕けていました(滅亡していました)。これは救えません。そして、(β)完食しました(滅亡しました)。これも救えません」


 確かに、砕けた林檎は元の形には戻らず、切り分けて食べてしまった梨も元の形に戻ることは出来ないのだろう。

 しかし、仮面の男たちには世界を滅亡から回避する可能性があると言っているが、アルテミスの指摘があったようにそれについて一切触れられてはない。


「何度も言っていますが、今私たちがいるこの世界の滅亡は不可避であり、絶対的なものです。そして、ラーズグリーズの感じている可能性というのが……」


 そう一度言葉を切ると、どこから持って来たのか、地国の紋章の入った一つの木箱をラーズグリーズによって手渡された。

 そして、木箱の蓋をとり中の物を取り出すと、皆にそれを確認させるが、サラだけが酷く動揺している。

 それもそのはずだ。地国から入手したその木箱に入っているものは、サラにとっての秘蔵であり、決して誰も見つけられない空間にしまい込んでいたのだから。

 それはこの虹の塔においてサラだからできることであり、他の者が気付くなど、それも取り出すことなど到底できるはずがないのだ。


「この梨……いえ、(β’)としましょうか」


 木箱に収められていたのは一つの梨だった。

 ヨウキが(β)を剥き終わった後も手にしていた短刀(ナイフ)を何の躊躇もなく(β’)に突き刺し、無残な姿をした林檎(α)と同じ皿に乗せると、それはヨウキが(β)を切り分ける前と同じ状態のように見える。

 途中でサラが声にならない声を上げ、何かを堪えるように俯いているが、ヨウキにそれを気にした様子はない。

 様々な想いが各人の中で渦巻いている中で、視線を集めていた仮面の男は仰々しく芝居がかった振る舞いで一礼すると口を開き、再びこの場にいる神々に衝撃と混乱を与えることを言い放った。


「ここまで言えばおわかりでしょう。救える可能性があるのは、完食した梨(この世界、β)ではなく、まだ食されていない梨(こちらの世界、β’)です」


 ざっくりと、ヨウキの言いたいことは皆が理解した。だが、それは……


「この博打(勝負)はルーレットの黒と赤よりも複雑です。それでも敢えて分かりやすく例えるなら、誰が敵となるか、どこに何人の敵がいるかもわからない、相手の顔すら見えないババ抜きのようなものでしょうか。そして、私たちが最終的に討たねばならないその者だけは、移りゆく死神の札(ジョーカー)が見えるという巫山戯た勝負です。ならば、どうすればそのイカサマ勝負に勝てるのか、というわけですが……えぇ、その勝負に勝つ必要はありません。ただ、負けなければ良い。この滅亡(敗北)の決まった八百長試合にね」


 そう言って、ヨウキは何もないところから手品のように一枚の愚者札を取り出すと、それを(β’)に突き刺した。


「であれば簡単です。最終的に死神札(ジョーカー)を持つ側が敗者となるのなら、相手に悟られないよう、こちらもこちらだけがわかる愚者札(ジョーカー)をまぜれいいのです」


 常識や理屈を飛び越えた数々の言葉を前に、神々は言葉を失い思考が停止した。

 それでも僅かではあるが、この仮面の男――ヨウキが戯言を宣っているわけではないということも感じている。


「つまり、この世界という掛け金を払ってまで得るものは、何一つありません。ちゃぶ台を引っ繰り返す。ただそれだけす。これが私どもの提示する計画(プラン)であり、そこに如何なる価値を見出すのか……伸るか反るか、それらはすべてあなた方の意志に委ねたい」


 確かに、この世界の物語は幕を下ろした。

 これは最終公演が終わり、館が閉まるまでのただの猶予時間でしかない。

 追加の公演はなく、後味の悪い物語に継ぎ足されるサプライズ的な演目もない。

 

 ~fin~


 その文字の先には何も無い。

 あるのは、ただ余った一頁分の白紙だけだ。

 

 それが示すのは無か、それとも世界の掲げた白旗か。


 それとも……――――――


  

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