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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
一章 GOD-残灯のイグジステンス
17/55

15.希望を託した神の篝火


 ――新緑節しんりょくせつ二十五日


 多くの命が失われた悲劇、運命の枝(クライシスデイ)の舞台となった中立国アイリスオウスにある大都市ミソロギア。

 あの激動の一日からそれなりの月日が経過しても尚、この町は未だ元の姿に戻れないでいる。

 瓦礫の山、抉られた大地、人のいない住居……爪痕の一部は整えられ新しく生まれ変わろうとしてはいるものの、住んでいた人々が再び不自由なく暮らせるようになるにはまだ先が見えないというのが現状だった。


「どうにか元の活気あるミソロギアに戻って欲しいんだがな」

「そう思うなら少しは妙案を出してみせい」

「それはお前も変わらんぞ」


 とある個室では三人の男たちが、遠くに盛り上がりを感じさせる歓声を聞きながらこの町のこれからを憂いていた。

 軍の者や民間人も憂いや不安を抱える者が数多くいるが、この男たちが考えていることはそれらとはまた違っている。


「俺の妙案を端から端まで否定している人間がそれを言うのか? 言ってしまうのか?」


 不満げな表情でそう言ったのは、三人の中で中心となり物事を推し進める存在であり、紳士的な身形と快活な印象を受けるカルディア氏。

 エヴァの父親であり、孤児だったリアンとセリス、そして記憶を失っていたロウに生活の場を与えるという行動を当たり前の様に行った男だ。


「当然だろう。はっ、河川上で花火を打ち上げる? 屋台を出し、その売り上げの何割かを復興資金に回してくれと商人に交渉するのも、花火を上げる為の船を無償で用意してもらうのも、そう簡単な話じゃないだろうが」


 それに対して挑発的に言葉を返したのが、アイリスオウス軍を辣腕と人望によって纏め上げるタキア、その父親であるリュニオン氏。

 この三人の中では一番若く、いかにも昔は悪ガキだったと思わせるような風貌をしている。


「お前のとこの娘に頼めば軍艦の一隻や二隻、簡単に用意できるだろうに」

「それをいうなら、各町の商人への交渉はお前んとこの娘が得意だろ」

「うちの可憐なエヴァに金の亡者たちの相手をさせろというのか?」

「お前こそうちの麗しいタキアに職権乱用を強いているだろうが」


 そんな、熱を帯びた会話が左右から聞こえてくる中、 


「はぁ、いつものように勝手に事を進めて……またしばらく帰宅禁止にされたいのか? 今度ばかりはもう居候はさせてやらんぞ」


 いつものように言い争いを始めようとする二人に言葉を放ったのが、努力の男であるカルフの父親であり、年長者のエスペレンサ氏だ。

 子煩悩(親馬鹿)な二人を諫める為の彼の言葉も当人たちにとっては余計なお世話というものであるが、前回に家族から言い渡された一週間の帰宅禁止令の恐ろしさを思い出した二人は渋々ながら口を閉ざした。


「やれやれ、御三家と呼ばれるほどの家柄の者が情けない。代々引き継いできたお役目と責任があるというのにお前たちとくれば……」

「神が創り、神が眠りし聖なる地を護り――」

「アイリスオウスひいては世界の平穏と発展に貢献すべし。耳にタコどころかイカが住み着くぞ、ジジイ」


 それは昔から事あるごとに自らの先代、先々代からも聞かされてきた家訓以上の意味を持つ文言だ。


 御三家とは、アイリスオウスに存在する者の中でも富豪と呼ばれるほどの財を有し、無償での奉仕活動や社会貢献を行っている有名な家柄である。

 その初代はアイリスオウス建国に尽力したといわれ、今に至るまでその意志は世代が変わっても変わることなく続いてきた。


 そんな由緒正しき家系に名を連ねるはずなのだが、何とも手の掛かる大人(おじさん)たちなのである。


「――聖炎は人々の営みの礎となり、篝火は消えることなく世界を照らす。御伽噺の真相もいつかは知りたいもんだな」


 幼き日に両親から毎日のように聞かされていた御伽噺がある。


 人の住まうことのない草木だけの大地。

 そこに足を踏み入れたるは、遥か遠くの隣人であり聖炎を司りし神だった。

 人の嘆きや悲しみを憂いては案じ、人の笑顔を見ては喜ぶ優しき神だ。

 そんな神は其の地に自らの全てを捧げた。

 全ては世界の為、全ては未来の為、全ては大切な者たちの為に。

 魂の一片を残すことなく、余すことなく、命そのものを焔へ変えて。

 聖炎の魂を最期まで煌々と輝かせ続けたのだ。

 そして、その輝きが消え去ると共に堅牢な城壁や路が整えられており、この街が姿を現したという。その城壁に記されていた名は――ミソロギア。


 幼き頃から三人は、目を輝かせながらその幻想に胸を躍らせ成長していった。

 そうして大人になっていくにつれ、現実に向き合っていく中で幻想は過去の思い出話となり、御三家としての責務を果たす日々が続いた。

 御三家として在り方に不満はない。むしろ、自分たちの行いが人の助けになっているということに、誇りに思っているのは胸を張っていえることだ。

 外界の住人との関りもそうだ。

 内界にいるだけでは得られない知識や思考を自らの糧としている。


 そんな中、自らの代で思い出話が再び呼び起こされる出来事が起きた。

 それこそがまだ記憶に新しい運命の枝(クライシスデイ)だ。

 魔憑という異能を扱う者たちが奮闘し、アイリスオウスの軍人と共に降魔と呼ばれる数多の異形を多くの犠牲を伴いながらも討ち倒した戦い。

 その日を境に、御伽噺は幻想でなく事実だったのではないのかと、彼らは直感的にそう感じていた。


 それからの日々はまさしく光陰矢の如し、東奔西走、疲労困憊の日々が続いた。

 ようやく仕事が落ち着きを見せたかと思えば、今回の行事の打ち出しをする時期に入っており、再び仕事に追われ今日に至るという訳である。


「そういえばせがれに聞いた話だと、今日は()が来ているらしいがどうなんだ?」

「数年前にカルディア家で面倒見てた男か? なかなかない機会だ。少しでいいから話くらいさせろよ」

「……それはできない」


 子供のように言い合っていた先程までの様子はそこに無く、どこか残念さの入り混じった険しい表情でカルディア氏は答えた。

 そして、その言葉に二人が反論の声を上げそうになる前に、溜息と共に力無い台詞が零れ落ちる。


「あいつは重度のどうしようもない方向音痴だから、事前に連絡を取れていても一人じゃ待ち合わせ場所に来れないんだ」


「「……そうか」」


 その後しばらくの間、三人とも沈黙したまま個室での用事を済ませ、再び賑やかな声のする場所へと足を向けた。


 今日は記念すべきアイリスオウス建国の日。

 午後からは軍部施設内の訓練場の一つを開放しての剣刀尚武試合が行われ、陽が落ちる頃には建国式典が予定されている。

 三人は未だに忙しい御三家当主代理としてそれらに出席しなければならないのだ。そう、御三家当主の夫である彼らは、世間一般的な家庭に漏れることなく家族内での立場が弱い、少し可哀想な御仁たちなのである。


 肩を落とした哀愁漂う三つの背中が去ると、先程まで三人がいた個室に新たなる男たちが駆けこんでいった。

 その部屋、いや、小さめの建物の出入り口に記されていたのは男性用便所。

 そこが、当主たちが集まる会談場所(お喋りの場)にいづらい肩身の狭き御仁たちの、いつもの会談場所(避難所)なのであった。



 …………

 ……



「今年もやってまいりました、剣刀尚武試合ッ! アイリスオウス最強を決定する熱い戦いが始まろうとしています! 司会、実況は魔憑であるため参加できなかった、漢レシドが! そして、可憐で麗し――」

「解説と円滑な進行をする為に私、タキア・リュニオンが担当します。……レシド、余計なことは言わないように。後、そんなに大声を出さなくても拡声石がありますから」


 緊張した面持ちをしたレシドの声が響き渡る中、蒼空の頂上へと後少しで到達する日輪の下で、毎年一番の盛り上がりと熱狂に包まれる行事(イベント)が行われようとしていた。


 今日は季節の節目である端午の節句、または菖蒲あやめの節句と呼ばれる日だ。

 その昔、アイリスオウスが建国される以前のこの時期は、薬草をとって悪い気を祓うといった行事があり、香りの強い葵や菖蒲には魔除けの力があると信じられていた。そしてこの頃はちょうど田植えの季節にあたり、田植えが昔は女性の仕事だったことからこの日は女性が大切にされ、女性だけが菖蒲をふいた屋根のある小屋に集まり過ごすといった風習があったのだ。

 そういったことから”菖蒲の節句”は”女の人の節句”とも呼ばれていたのだが、アイリスオウス建国以降は菖蒲しょうぶ尚武しょうぶ、つまりは武を重んじることの意味に変わり、男の子の節句となっていった。


 そしてこの建国の日に行われるようになった行事が――剣刀尚武試合。


 これは建国して間もない頃、元々はアイリスオウスの発展を願い、一定の基準を満たし選ばれた者が菖蒲あやめを用いて演武を披露し、邪を祓うというものだった。

 菖蒲と尚武の読みが同じである事と、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから端午が”男の子の節句”とされるようになったのがことのときだ。

 菖蒲をふいた屋根のある小屋に女性を集め、悪い気から守るといった風習が、菖蒲の剣を用いた男が邪を祓い、女性を守るという意味に変わっていったこの国は多くの強き男を育み、後に軍事国家と言われるほどに発展することとなる。


 そういった背景から、いつしか剣刀尚武試合は刀剣の扱いに秀でた者を決める試合形式となり、アイリスオウス最強を決めるための行事となっていった。

 実際の試合で全参加者が手にする得物は毎年変わっているものの、どれも木刀や竹刀といった刃の無いものだ。それはこの剣刀尚武試合が軍属の者だけでなく、一般人も多く参加するため、安全性を第一に考えられた故の形式だった。



「――鍛錬の成果が出るようお祈りし、私の開会のご挨拶に変えさせて頂きます」


 開会式の挨拶が終わり、司会であるタキアの父が壇上から下りていく最中……


「来賓代表のリュニオン氏、どうもありがとうございました。暫く間、家の敷地には入らないようにお願い致します」


 丁寧な物言いではあるが、タキアの口から零れた言葉は辛辣なものだった。

 観客や参加者たちからすれば堅苦しい挨拶は聞き流してしまうものだが、タキアは解説と進行を任されている以上、そんなことができるはずもない。

 そして、挨拶の端々に子煩悩(親馬鹿)発言を織り交ぜてきた人物の行動を当然として看過できるわけもなく、再び帰宅禁止令を発令するという惨事となった。


 そうして開会式は進み……


「それでは皆さんお待ちかね、使用武器発表だぁぁぁっ!」


 緊張した様子で司会を務めるレシドの言葉に会場は沸き、続く彼の言葉を聞き逃すまいと一人、また一人と口を閉じていく。

 彼には失礼かもしれないが、観客がこれ程までに盛り上がっているのはレシドの実力によるものではなく、今年は例年にない武器を用いて試合が行われるということが事前に公表されていたからである。

 公表されたその日から今日に至るまで、各所では様々な憶測、推測、考察が飛び交い、出場者も観客側もその話題でもちきりだった


「それでは発表します! 勝負を決するに相応しき武器! その名も……」


 呼吸を整え、手元にある司会台本に挟んでいた一枚の紙に視線を落とすと、


菖蒲しょうぶ剣!」


 レシドは書かれているその文字を高らかに会場に響かせながら、机の下に隠していた何かを右手に掴みそれを天に掲げた。

 彼の手にあったのは青々とした数本の菖蒲だ。


「……」


 そうして訪れる静寂と、レシドに向けられる鋭く冷たい数々の視線。

 呆れ、落胆し、期待を裏切られたという微かな怒りが込みあがってくる観客たち。誰が見てもそれは到底武器として扱えるものではなく、ただの植物でしかないのだから当然の反応だろう。


「俺じゃねぇって! 考えたのは俺じゃねぇんだって!」


 緊張したまま打合せ通りに進行していたレシドは予想以上に良くない反応に戸惑い、上手く頭を働かせないでいた。

 それでもなんとか皆を落ち着かせようと声を上げるが、それは誰の耳にも届いてはいないようで、野次や批判の声が広がっていく。

 このまま暴動が始まるのではないかとレシドが顔を蒼く染めたそのとき、大きくはないが静かなる音が辺りを支配した。


「今回使用する武器選定についてその詳細をお話し致しますので、お静かにお聴き願えますでしょうか。今日という日を迎えることのできた喜びを皆様ならおわかり頂けると思いますので……ね?」


 その言葉を発したタキアの笑顔に口を挟める者は誰一人いなかった。

 全員が本能的に悟ったのである、逆らえばただでは済まない、と。


「ご存知の方も多いとは思いますが、この剣刀尚武試合は菖蒲の葉を剣に見立て、演武を行ったのが始まりとされています。それがいつしか武勇を競うものとなり、今では一定の参加資格は設けていますが誰でも参加することが可能な試合形式となっております。そして今回は、皆様も忘れることのできないクライシスデイがあったことを踏まえまして……ここから、今日この日から新たなアイリスオウスの歴史を始めようという思いの元、古き良き習わしの原点と現在の時代に合った変化の結果を融合させた末に生み出されたのが……」


 一度を言葉を切り、タキアは今回の試合で用いられる武器を掲げた。


「菖蒲の葉に見立てて形作り、色を着け、木刀よりも軽くしなやかさを持つ菖蒲あやめの剣……隣にいるレシド君が菖蒲しょうぶ剣と命名した軟棒ゴム剣なのです」


 そうして、彼女が今回使われる武器、菖蒲に酷似した軟棒(ゴム)剣が採用されるに至った経緯を剣刀尚武試合の由来と共に丁寧に説明すると、会場に漂っていた居心地の良くない空気は霧散し、熱気へと変わっていった。


「最後までのご静聴ありがとうございました。それでは、詳しいルール説明の後に早速ではありますが、第一試合を始めさせていただきますので、選手の皆様は準備の方をお願い致します。……レシド、貴方の担当ですよ」

「は、はい、了解です。それでは、今回のルールですが――」


 憧れの存在であるタキアの隣にいることでいつまでも経っても緊張が解けないものの、彼女と共に司会を務めている以上、決して失敗は許されない。

 レシドは己が役目を必死に果たそうと司会台本に視線を落とした。


 そんな二人の姿を遠くから見守る大きな影と小さな影。

 レシドの友人である、弁当売りの任に精を出しているブルンと会場内での緊急事態に対応するため観客に混じって待機しているキースだ。


「一時はどうなることかと思ったけど、流石はタキアさんって感じだったね」

「そうでありますな。焼きそば食べるでありますか?」


 普段と異なる衣服に身を包んだブルンを見ながらしみじみとそう思うキースはそれと同時に、レシドがこのまま何事もなく実況の仕事をこなせるとは思えない妙な胸騒ぎというか長年の勘のようなものを感じていた。


「ま、今回はレシドに何かあっても僕の責任にはならないからいいけど。って、ブルン! なんで紅しょうが入ってないの!?」


 そうしてキースは真面目に司会の仕事をこなしている友人よりも、大して美味しくなくとも場の雰囲気で美味しく感じてしまう定番食の引立役アクセントが欠落していることに意識を持って行かれ、先程感じていた不安感は霧散して消えていった、



 一方その頃、同じ会場内の一角では……


「なかなか始まらんな……これなら、試合直前に来るべきだったか」

「そんなこと言うなって。今朝だって、陽が昇る前に叩き起こしてきたのはリアンじゃねぇかよ」

「……知らんな、そんなこと」

「なにぃ!?」


 久方ぶりの内界、此処ミソロギアの地に帰ってきていたことで浮かれ気味のセリスの言葉を、彼と同郷のリアンは涼しげな表情で聞き流している。

 そんな彼らは、レシドのいる実況席とは対面側の最前列を陣取っていた。

 その場所は早朝から配布される整理券を手に入れた者たちだけが到達できる聖域といえるだろう。

 それの理由は、事前に試合会場の外に大きく張り出されていた全出場者の名前が書かれている一覧だ。そこに記されている名前のほとんどがリアンの知らない者だったのだが、一人だけ興味を惹かれる名前があった。

 それは戦いから離れ政に身を置いていた男であり、数年前の準優勝者でもある。


「そんなことより、出場者の一覧を見てどう思った?」

「ん? あぁ、気になる名前が書いてあった気がするんだけどな~……誰だっけ」

「……はぁ、貴様に聞いた俺が馬鹿だった」

「ま、そんなに落ち込むなよ、ッてぇ!?」


 セリスが何故かリアンを哀れむように言葉を返すと、間髪入れずに彼の顔面へと裏拳の返礼が届いた。

 


 そうして、今年の剣刀尚武試合が幕を開けた。

 この日の為の鍛錬すべてとはいわないが、意味を為さなくなった者も中にはいたのだろう。初めて扱う武器の重さや間合いに戸惑い、無念のまま敗れた者たちは悔しかったはずだ。

 十分な実力を有する者、冷静に思考を切り換えられた者、様々な武器の扱いに秀でた者、軍人もいる中で幸運にも勝ち残ることができた名も知らぬどこかの村の青年など……近年稀に見るほどの熱戦を終えた四名が出揃った。



 そんな中、会場の外では二人組の男女が、聞こえてくる声援と拡声石越しのレシドの声に足を止めていた。


「俺がカルディア家でお世話になっていた頃、リアンとセリスが出場した年にエヴァたちと見に来たことがあったが……今年は一段と盛り上がっているようだな」

「結果はどうだったの? やっぱり、リアンが優勝したの?」


 黒を基調とした服装に漆黒の髪、黒曜の色の瞳をした男は微笑みながら数年前の事を思い出し、その隣りでは薄い金髪の少女が仲間たちの過去の出来事について彼が口を開くのを興味津々といった様子の待っている。

 そんな端から見れば恋仲に思えるような距離感で佇むロウとシンカは、復旧し始めた街並みを見て回っている最中だった。

 あの日、守ることのできなかった多くの者たちの居場所であったのこの町が、再び立ち上がろうとしているこの景色を。


「いや、リアンは初戦敗退だった。セリスは朝食を食べ過ぎた所為で気分が悪くなって棄権したんだ」


 試合の勝敗が決まったのだろうか、一際大きな歓声と共に聞える拍手の音を耳にしながら、ロウは苦笑交じりに口を開いた。


「セリスは昔からセリスなのね。でも、リアンが初戦で負けるなんて以外だわ。相手はどんな人だったの?」

「フィデリタス・ジェールトバー。そのときの優勝者でもある」


 その名を口にしたロウ、その名を聞いたシンカの胸中は恐らくどちらも同じようなものなのだろうと、互いに言葉にせずとも二人は察し合っていた。


 運命の枝(クライシスデイ)の功労者の一人であり、犠牲者の一人でもある男。内界の人間である彼が魔憑への覚醒を果たしたからこそ、大量の降魔を殲滅させることができた。

 それがたとえ、暴走に陥った彼の命と引き換えだったとしてもだ。

 そして、ミソロギアに残る戦いの傷跡は、フィデリタスがこの町を救った証であるともいえるだろう。


「リアンが勝てなかったのも納得ね……フィデリタスさんは強かったもの」

「あぁ……だが、彼の想いは確かに――」


 ロウの声を遮るように再び聞こえてきたのは、観客たちの熱の入った声援だ。

 それには当然として実況の男の声も混ざってはいるのだが、さっきから同じ言葉を繰り返しているようにしか聞こえない。


『これはすごい!』


 そんな、普段であれば取るに足らないようなことがどうにも可笑しくて、ついさっきまで二人の間にあった悲壮感や感傷はどこかに消え去っていた。


「ふふっ、さっきから”すごい”しか聞こえないんだけど」

「時々、タキアさんの名も呼んでいるな」


『すごいですね、タキアさん!』


「……ほら」


 タイミング良く聞えた声に顔を見合わせると、二人の間に微笑みが零れ落ちた。

 それはフィデリタスが守った平和な時間を過ごせている事を誇らしく思うと同時に、二度とこの地で悲劇は起こさせないという想いの表れでもあった。


 抉られた大地や崩れた建物が完全に無くなるまでまだまだ時間は掛かるだろうが、それに負けないだけの活力がこの町、この国には確かに溢れている。

 日輪の恩恵を受けた萌ゆる草木の匂いを頬を撫でる風から感じ、二人は今在る此のミソロギアの景色を脳裏に焼き付けるため、会場の前を後にした。



 …………

 ……



 暖かな陽射しを燦々と降り注いでいた太陽が、蒼から茜に纏う色を変えたかと思うと静かにその姿を隠し、群青の色がゆっくりと世界に広がっていく。

 日中程の賑やかさは無くなったものの、訪れていた多くの人々は未だ家に帰る様子もなく、議会堂の前に集まって何かを待っているようだ。

 その場所以外、街中の広場や店先にいる人々も、騒ぐことなくこの後に控えた行事イベントを心待ちにしながら過ごしていた。


「ねぇ、ロウ。この後はいったい何があるの?」

「もうすぐわかるさ」

「さっきの店員さんと同じことを言うのね。ここまで焦らされたんだから、期待してるわ」


 ロウに連れられて来た今いるこの議会堂は、二人にとって懐かしく思い出深い場所の一つでもあった。当初、シンカの旅の目的地であった筈の場所であり、旅の始まりともなった場所でもある。

 薄暗い中、感慨深く建物の全体を眺めていると、一人の男が金属製の檀上へと向かい、硬い音を響かせながらその上へと立った。


「あれは……議長さん?」


 遠くからでもわかるその立ち姿(シルエット)は、アイリスオウスの代表であるゲヴィセンだ。

 その場に集まった人々を見渡して一呼吸置き、拡声石を使うことなく語り始めたその声は年齢を感じさせないほどに力強く、それでいて温かみの感じられるものだった。


「本日はお忙しい中お集まり頂き、誠にありがとうございます。今年も無事にこの時を迎えることができ、大変嬉しく思います」


 一旦言葉を切りながらゲヴィセンが深く頭を下げると、周りからは拍手が広がり幾つかの声が飛び交った。

 何気ない感謝の言葉。挨拶の出だしとしてはよく聞くありきたりな言い回しだがこの町、この国の者たちからすればそれは大きな意味を持つ言葉となる。

 それは平和を終わらせた運命の枝(クライシスデイ)という出来事がそれほどの惨劇であり、それでも多くの人の支えによってここまで復興できたことへの想いが含まれているからに他ならない。


「これはみなさん一人一人の尽力によるものであり、未来を望む想いが積み重なった結果だといえるでしょう。一度は立ち止まり地を見つめても、再び顔を上げて前を向き、時には周りを見渡し俯く者に手を差し伸べ、手を取り合いながら皆で歩き出したからこそ、今日という日を迎えることができたのです」


 再び紡がれた言葉に、周囲の一部からは嗚咽が漏れ出てきている。

 当時の事を思い出した者、話に聞いていた惨劇の爪痕を間近で目にした者、その惨劇で近しい者を失った者と、その胸に宿す想いは様々だ。

 そんな者のたちを見渡し、ゲヴィセンはゆっくりと言葉を重ねていく。


「クライシスデイという暗闇に包まれていたミソロギアを照らし、日常という温もりを再び広げていって下さったのは、ここにいるみなさんなのです」


 群青の下で発せられた言葉には少しづつ涙の湿り気が混ざり始めていたものの、彼の言葉は大衆の胸に響き染み渡っていった。


「そんなみなさんの一つ一つの灯りを以て、この国だけでなく他の国。そして、外界という遠くにある心の隣国を照らし、未来を照らそうではありませんか!」


 白熱した剣刀尚武試合と同じかそれ以上の歓声が一帯を包み、それはゲヴィセンの想いを受け止め応えるには十分なものだった。

 胸を熱くし、感極まっている者たちの姿を目にしながら、シンカはこの国の強さ、人間の強さというものを改めて実感していた。


 世界を救うというあまりにも大きすぎる使命を、彼女は小さな背中に一人で背負い、誰に頼ることもなく、並んで歩む者すらいない旅をしてきた。しかし今では、喜びも悲しみも分かち合うことのできる仲間がシンカの周りには大勢いる。

 そしてすぐ隣には誰よりも信頼でき、強さの意味や仲間の意味を教えてくれた大切な男がいる。


「……ありがとう、ロウ」

「ん?」


 辺りに満ちる声に隠れるようなシンカの小さな呟きをロウが見つけることはなかったが、壇上に向けていた彼の視線は微笑みと共にシンカの方へと向けられている。白い光の当たっているその表情はいつもと変わらず優し気で、少し悲し気にシンカには映っていた。


「どうかしたか?」

「ううん、なんでもないわ」


 そう言って再び視線を前に向けると、丁度カルフが火の灯った長い松明を手に壇上へ向かって歩いているところだった。

 暗がりの中、松明の灯で見える姿は普段の軍装とは異なり、装飾の凝った長い外套を羽織っている。照らされている胸元にある幾つかの勲章は、彼の今までの努力が形を成していたことを示していた。

 表情は堅く、昂る感情を懸命に抑えているように見えるのは決して気のせいではないのだろう。上官として、人として憧れていた男が担っていたその役割を、今年は自らが担う事となっているのだから。


「カルフ・エスペランサ……只今、創国の灯をお持ちしました」


 壇上から降りていたゲヴィセンに手にしていた松明を渡し、カルフは一歩後ろへと下がった。それを確認したゲヴィセンは、手に持つ灯りの重さを感じながら気を引き締めると、壇上の後方へとゆっくりと足を進めていく。

 その先には頑丈な石造りの台が設置されており、上には底が浅く、成人男性が寝ころべる程の大きさをした椀のようなものが鎮座していた。

 さらにそこにはたくさんの薪が、空気を通しやすいように高く組まれている。


「何が始まるの?」

「この後の光景はなかなかのものだからな……見逃すなよ」


 シンカの問い掛けに軽く微笑を浮かべたロウは、何かを期待させるような言葉を掛けて彼女に視線を戻すよう促した。


 集まっていた人々の皆が松明の灯りの行く先、ゲヴィセンの動作に意識を集中させている。

 そんな中、壇上に辿り着いたゲヴィセンが松明をゆっくりと傾け、その先で揺らめく炎を積み上げられた薪へと近づけた。


 その瞬間――松明の先の炎が一本の薪に移ると、それは瞬く間に組み上げられたすべての薪に伝わり、大きな焔が壇上にその姿を顕した。


 群青の世界で猛き存在を示すかの様に燃盛る朱色。

 それは恐怖の象徴などではなく、人々の生活を豊かなものへと導く天上より授かりし恩恵。寒さを凌ぐ暖となり、食物を調理する利器となる神からの贈物だ。


 巻き起こるのは数多の拍手、天にまで届くほどの歓喜の声。

 それぞれに己が感情や湧き出る感動を、誰もが自然に表現していた。


「確かにこれはなんていうか……言葉が見つからないわね」

「そのまま後ろを振りむいてくれないか?」

「え、えぇ……わかったわ」


 唾を飲み、シンカが振り返った先に広がっていたのは無数の小さな灯りだった。

 それは街中の通りに沿って等間隔で設置されている松明だ。いつの間にかすべての建物から明かりが消えていて、松明の灯りだけがこの街を照らしている。

 先程までの歓喜の声は次第に収まり、感情の熱を優しく吹き流す風の音だけが聞えるだけとなっていた。


「創国の灯は再びこの街、この国を照らし導く篝火として此処に留まられました。しかし、私たちはその先へと進まねばなりません。護られるだけでなく、自らの手で運命を切り開く為にも! 未来へと神の篝火を絶やさぬ為にも!」


 普段は物腰の柔らかいゲヴィセンの熱の籠った演説を聴いた人々は一人、また一人と手を叩き、広がっていった拍手は万雷のものとなり、それは街中すべてに行き渡るほどの音だった。



 暫くしてから、建国を記念した伝統の行事――創国の篝火は終了し、集まっていた多くの人たちは興奮冷めやらぬままそれぞれの家へと帰っていった。

 議会堂前には音を立てて燃盛る篝火とその見張り番の者が二人。

 一人は時折周囲の様子、篝火の勢いを気にしながら役目を真っ当しようとしているのだが、もう一人にそんな様子はないようで、真面目に仕事をこなす相方にひたすら話しかけ続けている。


「ホーネス、ローニー……」


 何処か見覚えのある光景に、ロウは勇敢なる友人たちの名を小さく呟いた。

 無意識に出たそれは隣にいるシンカに聞こえていたようで、彼女も会って間もない自身の話を疑うことなく聞いてくれた彼らの人柄を思い出していた。


「私は短い間だったけど、本当にいい人たちだったわね」

「あぁ……」


 過去を忘れようとするわけではないが、過去に囚われすぎないように頭を振ると、シンカは短く息を吐き、ロウと共に皆と落ち合う予定の場所へ向けてゆっくりと歩きだした。


 静かな月明かりと身の丈ほどの高さにある街中の篝火のおかげで、それほど足元を気にすることなく目的地へと近づけている。

 その道中で、シンカは今回の”創国の篝火”についてロウに話を聞いていた。


「文字通り、創国の篝火はアイリスオウス建国を祝うためのものなんだ。議会堂前に設置されていた大きさのものは他にないだろうな」

「創国って呼ばれるくらいの火だものね。なんだか、不思議な力を感じたような気がするわ」

「……」

 

 少しばかりの沈黙が流れ、次の言葉を吐き出したロウの表情は硬く、何かを後悔しているようにシンカには見えた。


「篝火そのものが、アイリスオウス建国に由来するものだと国中では伝えられているからな」

「火が建国に由来ってどういうこと?」

「そのままだよ。神の灯がこの街を、この国を創ったんだ」

「……え?」


 シンカにはロウの言った言葉の意味がよく理解できなかった。

 火が街どころか国を創ったというのだから、シンカでなくても理解できない。いや、あり得るはずがないと思うだろう。

 だが、ロウがそう言葉にしている以上、きっとそれは嘘ではないのだ。


「神は自らの全てを奉げ、命の焔をこの地に落とし、この何もなかった大地にアイリスオウスという国を創ったんだよ」

「その神様にとって、この国を創ることはそんなにも大切な事だったの?」

「そうだったんだと思う。未来を守るために……」


 寂し気に軽く伏せられた宵闇に似たロウの瞳からは、彼が今何を思っているのかシンカには想像もつかないものだった。

 そして、今の話のどこまでがアイリスオウスに伝わっている話で、どこまでがロウ自身の知っている事実なのかもわからない。

 ただシンカが想うのは、ロウが頼ってくれたことには全身全霊を以て応えたいという事と、悲しい決断をこれ以上ロウにはしてほしく無いという事だけだ。


「未来、か……議長さんも言ってたわね。私たちも未来のために頑張らないと」


 海底に沈み、埋もれてしまいそうになっていた空気を引き上げるかのようにシンカは口を開くと、ロウはいつもの微笑みを彼女へと向けた。

 それを確認したシンカの胸に安堵感が広がると共に、何故か小さな痛みも感じられたが、それはすぐさま霧散し消えていった。

 そしてその痕跡はどこにもなく、痛みを感じた理由も今の彼女にはわからない。


 だがその痛みは、紛れもなく薄氷を踏んだ音に他ならず――


「お~い! ロウ、シンカちゃん! もう始めちまうぞ~! 優勝者のロギ副議長からの差し入れもあるぞ~!」

「大声を出すな、近所迷惑だろうが」


 いつの間にか目的地である喫茶店NAGI(ナギ)の近くまで来ていたようで、店先ではセリスが大声でロウたちに呼びかけ、リアンがいつも通りの鋭い蹴りをセリスの背中に見舞っていた。

 相変わらずな仲間の姿に二人して微笑むと、少し脚に力を入れて店の方へと急いだ。


 変わらないもの、変わっていくことはどちらも大切なことだ。

 しかし、停滞し続ける事や急激な変化は危険なことでもある。

 自身や周囲がそれらに耐えることができず、壊れてしまうかもしれないからだ。

 だから、今は少しずつでいい。


「……この国ができた事に感謝しないといけないわね」

「突然どうしたんだ?」

「ううん、なんでもないの。それより急ぎましょ。セリスがまた大声を出しちゃうわ」

「ならいいが……リアンの蹴りでまだ倒れてるんじゃないか?」


 他愛もなく何気ない、平和な会話。

 彼らはこの先、このような時間をどれだけ過ごすことができるのだろうか。

 一年……十年……百年……それとも、一月……一週間……一日……。


 未来を知る者がいれば、それを知らせてくれるのだろうか。

 そして、その運命をもし許容することができなければ……それを変えることは果たしてできるのだろうか。


 しかし、たとえ未来が暗き闇に閉ざされていても、ゲヴィセンは声高らかにこう言っていた。


”私たちはその先へと進まねばなりません。護られるだけでなく、自らの手で運命を切り開く為にも! 未来へと神の篝火を絶やさぬ為にも!”


 もしかしたら、この地に自らの全てを奉げた神は、この言葉に人が辿り着くことを期待していたのかもしれない。

 時に変化せず、時に変化し、猛る意志()を燃やすことのできる人という可能性に、願いや希望を託したのかもしれない。

 

 刻まれた名は――菖蒲の誓約(アイリスオウス)神々の説話(ミソロギア)


 そこに灯る篝火は夜が明けるまで街を照らし続け、陽に照らされながら昇る白煙と共に、静かにその役割を終えていった。






 …………

 ……






 ――火、灯、篝火


 それは恐怖の象徴ではなく、人々の生活を豊かなものへと導くもの。


 火は自然界の猛威や寒さに怯える人類を救った。

 火があれば暖をとることもでき、食事を豊かにもできる。

 人は火を基盤とした文明や技術など多くの未来を作り出した。


 故にそれは天上より授かりし恩恵。




 ――否、否、否!



『アハッ、反逆の狼煙は上がらない……それは死地の残煙なの……』




 ――業火、灼熱、獄炎


 それは恐怖そのもであり、呑み込んだ生命の悉くを滅するもの。


 人は火を使うことで武器を作り、戦争を始めるに至った。

 火は作物を燃やし、家を焼き、簡単に命を奪い去る人の狂気だ。

 火があることで多くの者が死に、多くの自然が失われた。


 故にそれは天上から降り注ぐ罰。




『立ち上がっても、立ち向かっても、逃げても無駄』


 火も起こせぬ凍える大地で混沌は謳う。


『愚かな命がすべて無くなれば争いはなくなるの』


 全てが止まった世界で混沌は憂う。


『だから早く……私を温めに来て……』


 凍えた身体を抱きしめながら、混沌は願った。


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