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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
一章 GOD-残灯のイグジステンス
15/55

13.咲き誇る意志は桜花と共に


 ――陽国ソールアウラ神都ヘメラ領内


 陽国に於いて、そして他国にも同様に存在している特別な区域。

 群青色をした空の下、彼は一本の樹の前で静かに佇みながら、そのときが来るのを今か今かと待ち侘びていた。


「……そろそろか」


 身の丈は高く、鍛え抜かれた肉体も相まって、その巨漢の男の存在感は遠くからでも十二分に感じれるほどだ。


 陽神イグニス・アポロン。

 カーネリアンのような瞳は未だ太陽が姿を見せていないというのに、熱き輝きを放っている様にも見える。

 冷たい外気に晒されている猩々緋色をした髪もその寒さを感じさせないほどだ。


「ずっとそんな寒いとこおったら風邪ひくで?」


 この特別な場所に立ち入り、神に対してこれ程まで砕けた口調(フランク)に話しかけることができる彼もまた、特別な存在だ。


「そういう貴公こそ、少しは体を休めてはどうなのだ。アトラス」

「程々に息抜きは――っと、咲くで」


 七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片であるアトラスの声が合図になったかのように、僅かに白んでいた空がその明るさを広げて日輪の端から光が届き始めた。

 すると一輪、また一輪と蕾がその秘めていた姿を顕していく。

 この一年もの間ずっと秘めていた想いを、伝えることができなかった想いを余すことなく届けるかのように、咲いた花は楚楚として可憐なものだった。

 町々から一日の始まりの音が聞こえる頃には満開になっていることだろう。


「さて、これから忙しくなるからな。儂は先に戻っているが貴公はどうする?」

「せやな~……そや、他の奴らも誘って朝食でも一緒に食べにいかへん?」


 特別な存在同士、明かせぬ想いは確かにあった。

 しかし、今までは異なる部分が多かった二人も、これからは同じ何かを見つけていくのだろう。……国の為に、そして世界の為に。


「……そういえば、調理場の一部が壊れたのだったな」

「うちの英雄はほんま困ったちゃんやからなぁ」


 彼らの背にはこれから咲き誇り続ける特別な花が風に揺れ、その秘めたる美しさを示していた。


 ――――大島桜、開花す






 ――海国エデルメーア神都ポントス領内


 嗅ぎなれた潮風の香りに混じりながら宙を舞う花片。

 新たなる時代への幕開けを、一人の女性は静かに感じていた。


 海神ヴィアベル・ポセイドン。

 立場ある者である所以か、元来の彼女の性格によるものなのか、背筋を真っ直ぐ伸ばし色付いた樹を見つめる姿は溜息が零れ落ちるほどに美しい。

 陽の光に照らされ艶めく碧瑠璃色の髪、元々の鋭さは残しながらも燐灰石の眼差しからは、以前のような焦燥感や怒りは消え去っていた。


「長い……本当に永い日々だった」


 今日、逢刻節あこくせつ四十八日は彼女にとって、いや、多くの者にとって特別な日だ。

 ヴィアベルの視線の先でで色付いている花の開花日であり、同時に他国にあるこの花と同じ分類の花が開花する日でもある。


「何か珍しいものでも見えたのかしら?」

「新しい時代への……ハッ! メロウ、貴殿はいつからそこにいた!?」


 ヴィアベルが振り返ると、そこには不敵に微笑む一人の少女の姿があった。

 瑠璃色の輝きを見せる、七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片であるメロウ。


 突然声を掛けられたことと、無意識に口にしていた言葉に取り乱してしまうが、すぐさま自らを落ち着かせて普段通りに振舞おうとするヴィアベル。しかし、その頬は熱を持ったまま少し紅潮していた。


 そんな表情を作れるようになったヴィアベルを嬉しく思いながらも、これ以上からかうと後々の事に響くような気がしたメロウは、弄りたい衝動をなんとか抑えながら思考を切り換えて本来の目的を果たす。


「そんなことどうでもいいわ。それより、貴女が召集をかけた会議がそろそろ始まるから呼びにきたのよ」

「もうそんな時間だったか、直ぐに向かおう」

「なにも今日やらなくてもよかったんじゃない? そうすれば、少しはゆっくり見ることもできたでしょうに」


 そう肩を竦めてみせるメロウに対し、ヴィアベルは小さく笑みを浮かべながら先程まで眺めていた木に背を向けた。


「今日だからこそ、だ。他国の神々とて同じ気持ちだろう。一応言っておくが……先程の事は他言無用だぞ」


 メロウにかけた言葉の最後は弱気なものに聞えたが、一歩一歩を踏み出していくその姿は凛々しく、上に立つ者に相応しい風格を宿していた。

 その後ろ姿を感慨深く見つめるメロウの姿はどこか子を思う母のように、今朝から色付き始めていた花たちには見えているのかもしれない。


 二人を見守るように優しさと愛情を含んだ桜色は、これからも枯れること無し。


 ――――庭桜、色付く






 ――地国テールフォレ神都ウーレア領内


 姉妹の様に仲睦まじい二人の少女は目的のものが見えてくると、湧き上がる温かい感情に気分を高揚させていた。


「見事じゃ! 見事に咲いておるのじゃ!」


 地神ミコト・デメテル。

 一見すれば妹に見える少女は紺青色をした髪を揺らしながら瞳を菫青石のように輝かせ、花の美しさに感情を昂ぶらせては無邪気にはしゃいでいる。


「まったく、相変わらず元気な子さね」


 そう困り顔で微笑んだのは姉の様にミコトを気遣い、支え、時には悪戯に彼女を愛でる存在、七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片、イズナ・アウリティアだ。


 自らの持つ立場のしがらみや責任を今ばかりは頭の片隅に追いやって、これからの糧になるようにと時間を取ってミコトを連れてきたのだが、やはり効果は覿面だったようだ。

 国の事やその他多くの事を思うあまり自らを追いつめていた少女が、今では自分の目の前で昔のような笑顔でいることがイズナとしても喜ばしい限りだった。


「イズナ! ロウやシンカたちにもこの光景をみせたいのじゃ!」

「はいはい、そうさね。心配しなくても、きっとみんな見てるよ。今日という日はそれだけ特別な日なんだからね」


 それ程長い時間ではなかったものの、動き回っていたせいで衣服が僅かに乱れていることに気付いたイズナは、ミコトに近づきその身なりを丁寧に整えていく。

 その最中に漏らしたミコトの言葉は、イズナの心に打つには十分だった。


「……他の国、他の種族の者たちとも、もっと仲良くしていきたいのじゃ。誰かを嫌い、啀み合うのはもう嫌なのじゃ」

「そうかい、そうかい。なら、食べ物の好き嫌いも直さないといけないさね」


 ずっと幼いままだと心の何処かで思っていたことを打ち砕かれ、ミコトの成長に何とか声が震えるのを抑え込み、イズナはいつもの調子で言葉を発した。

 すると、その言葉を聞いたミコトは体が強張ってしまってしまい、やはり苦手なものを克服するのはまだ先のようだと思いながら、子供らしい一面にイズナは頬を緩めてしまう。

 それと同時に、その先に辿り着いたミコトはさぞ優美な女性になっているのだろうと思いながら、彼女たちを温かく見下ろす花に視線を向け想いを馳せた。


 ――――山桜、綻んだ






 ――天国チエロレスレ神都ウラノス領内


 見上げれば広がる蒼大な大空キャンバスにはいくつかの白い雲たちが漂い、舞う桜色をした花弁がその景色を彩っている。

 湿度は高くなく、爽やかな心地良い風が白銅色の髪を揺らし頬を撫でていく場所で、長身の男は普段と変わらぬ不機嫌そうな表情で空を眺めていた。


「何故、我がこのようなことを……」

「そう言いながらも、なかなか順調じゃないですかね」


 隣から掛けられた声に煩わしさを感じ、多くの者が萎縮してしまいそうな荘厳を宿した藍玉色の様な双眸を向けるが、その男に気にした様子はまるでない。


 天神ブフェーラ・ゼウス

 イグニスとはまた異なった威厳と力強さを持ち、普段は理性的な男だ。  

 彼も今日という日は玉座から離れ、役目を負って此処には来られない竈壇神ファロ・ヘスティアの要望に応える為に、手に筆を持ちながら帆布キャンバスと向かい合っていた。


 そんなブフェーラの隣で鼻歌混じりに筆を縦横無尽に走らせているのが、国内に於いて神と同等の立場を有する七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片、ベンヌ。

 服装からは真面目さが窺えるが、性格は自由人以外の何者でもなく、度々とある人物の頭皮に多大なる精神的苦痛(ストレス)与えてしまっている。

 本人としては悪意はなく、寧ろ討滅せし者(ネメシスランカー)である魔憑部隊筆頭のとある人物以外からは、好意的な声の方が圧倒的に多いのが実情だ。


「それに、貴君の描いているそれはなんなのだ。理解できん」

「さぁ? それは俺にもわかりませんとも。ただ……」


 ベンヌは一度言葉を切り、筆を持ったままブフェーラの方へと向き直ると、神妙な表情を浮かべながら再度口を開いた。


「型に嵌り過ぎるのがしょうにあわないだけですよ、はははっ!」

「貴君に問うたのが間違いだったな」


 言い終える前にベンヌの表情は先程までと同様に明るいものに戻り、真剣に聞いていたブフェーラは大きな溜息を漏らすと、筆を一旦置いて立ち上がった。

 そしてそのまま帆布キャンバスに背を向けると、険しい表情のまま一言だけベンヌに残し、その場から離れていった。


「昼食から戻るまで見張っていろ、か。さぁて、それまでにこっちは描きあげるとしますか。ファロ様にも早く見せて差し上げたいからな」


 更に軽快になった鼻歌と共に描かれているそれは題材(モチーフ)としては、眼前で爽やかな風に揺れる花が使われているのだろう。

 しかし、あまりにも前衛的なものに仕上がりつつあるそれを見て、共感できる者は果たしてどれだけいるのだろうか。


 ―――枝垂桜、咲き乱れる






 ――元星国ガラクーチカ神都アイテール領内


 この剥き出しの大地には、生き物の姿も元気な植物の姿も何一つ無い。

 そんな荒れ果て枯れ果てたこの土地に、一人の人物が目的地に向かって迷うことなく進んでいた。道標は何も無く、いつまで立っても変わらない景色。

 だが、寂しさと悲しさしか残っていないこの地に、その人物が目的とするものは確かに存在している。


「……」


 どれほどの距離を歩いたのか、どれほどの時間が経ったのかも気にすることなく進み続けると、見えてきたのは儚さだけを残した一本の樹だった。


「……一年振り、ですね」


 背は高く、枝も広げてはいるものの、あまりに貧相な姿だ。

 誰が見ても枯れている老樹。

 だがそれは折れることなく、朽ち果てることなく此処に存在している。


「やはり、咲いていませんね」


 そう呟き、この地には似合わぬ学生服のようなものに身を包み、金銀の付け毛(エクステ)をした黒紅色の髪を持つ自称忠犬のベルは、悲しげに目を伏せた。

 すると、閑寂とした大地に吹く風が何かを揺らす音を奏でる。

 

「あれ? これは……先客、ですか」


 音のした方を見上げてみると、その樹の枝には手のひらに乗るほどの大きさをした細長い紙が一枚、括り付けられていた。


「あはっ」


 そして、その細紙に綴られている文字と、括り付けられている枝に見つけた小さな緑を見たベルは、思わず笑顔と控えめな歓喜の声を零した。


「近いうちにお会いしましょう。そのときはきっと、人々も世界も、頑張ったあなたと一緒に爛漫ですね」


 死んでいたはずの樹に言葉を掛けると、ベルは未来へ馳せる想いを残しながらその場から離れ、今在る住処へと帰って行った。


”元気になって下さい”


 彼女の想いがきっと、小さな緑を桜色に変えてくれると信じて。


 ―――御衣黄桜、咲くことなく。されど……






 ――冥国オスクロイア神都エレボス領内


 寒天の下、悶えるように自身を抱きしめながら、この寒冷地にすら咲き誇る不思議なそれを見上げる彼女は間延びした色艶のある声を漏らした。


「太くてぇ、大きくてぇ、硬いのにしなやかだわぁ~」


 大地に根付き、其処から空に向かって伸びる樹は大きく、幹は七深裂の花冠(セブンスクライム)が一片たるリリスの腰回りよりも太く逞しい。

 そしてその樹皮や枝は硬く、それでいて冥国での日常的な吹雪や積もった雪の重さにすら耐え、枝の真ん中で折れることない程にしなやかな強さを持っている。


「そういったことは人前で言わないようにと、誰かに教わらなかったのですかねぇ」


 リリスに対して意見するものの、まったく見向きもされていない高貴な装いの男、冥神アルバ・ハデスは呆れたように苦笑していた。


 陽は既に沈み、それと共に外気の低下が著しいにも拘わらず、リリスは衣服を特段着こむことなくその妖艶な体型スタイルをより良く魅せる服装のまま、特に寒がる様子も無くうっとりとしていた。

 隣に立つアルバも外套コートなどの類を着ることなく、此の地に咲いた満開の花を見に来ている。


「本当にいつ見ても美しい花だわぁ~。誰かさんにも見習ってほしいわねぇ~」


「えぇ、確かに美しいものですねぇ。貴女の美貌も負けてはいませんが」


 二人の間に流れるのは凍えるほどの空気。

 それは空気中の水分だけでなく、人間関係ですら凍てつかせることができそうなほどだった。


「純白の雪と汚れのない花弁、どちらも誰かさんとは縁遠いものよねぇ~」


「そうですねぇ。白く美しい肌をした華やかな貴女とは、近くにいてもどこか距離を感じますし」


 妖艶な美人による皮肉と、それに対するにこやかな表情の男の気障な台詞の撃ち合いはこの後も暫く続いたが、それはそれでどこか楽しげに見えたのは気のせいでもないだろう。

 寒風にびくともしない大樹でさえも、吹く風に揺れる枝先と花の音は、まるで二人の会話の中に入ってきているようにさえ思えた。


 そうして程好い時間が過ぎた頃、垂雪しずりゆきの音が耳に届いたところで二人は共に踵を返し、掴み取らねばならない未来を思い描くのだった。


 ――――小葉桜、咲き揺れる






 ――月国ケラスメリザ神都ニュクス領内


 静かな空に浮かぶ月に照らされる中、頭部の両側を輪状に結わえた艶やかな髪を、今の心情を表しているように揺らしている少女がいた。少女は夢見桜の街中を、周りの音を気にすることなく目的地である桜に向かって歩いている。


 特別な場所、特別な花、特別な日。

 そんなことを考えていると自然とその歩みは早くなり、今にも走り出したくなるほどに気分は高揚していた。


「こらこら、走り出そうとするんじゃない。もてなしてくれている者に失礼だろ」


 そう少女を諫めたのは、彼女の良き理解者であるメリュジーナだった。

 彼女の出で立ちは立場ある者とは思えないほどに身軽(ラフ)なものだが、少女に向ける穏やかな双眸とは裏腹に、周囲への警戒を怠ることはない。


「窮屈かもしれんせんが、今日ばかりはどうかわっちのことも立てていただきたいでありんす」


 そうメリュジーナに続いたのは、夢見桜が誇る自警団”桜桃”筆頭トウカ。

 艶やかな姿とその所作一つ一つさえなんとも色香溢れる女性であり、今は芯に刃を仕込んだ番傘を開いて肩にかけ、小気味よい足音を奏でている。


「……わかってるわ。私も少し冷静ではいれないみたい、ごめんなさいね」


 脚に力をこめようとする直前で、それを予期していたように両隣から小声で諫められた少女は、熱くなった思考になんとか冷静さを取り戻し、早くなっていた鼓動もその速度を落としていった。


 上に立つ者として、その言動には常に責任がつきまとう。特に今は月光殿の外であり、大衆の目に晒されるような場所では特に気を付けなければならない。

 彼女の両隣を歩くメリュジーナとトウカの言葉は立場の自覚を促すとともに、彼女を守るためのものでもあった。


 そうしてそのまま、ほんの僅かに歩みを早めながら賑やかな街中を通り抜けると、ようやくその場所に辿り着いた。そこには三人以外誰の姿も無く、少女が人目を気にする必要のないようにというトウカの計らいが感じられた。

 

 夜天から降り注ぐ白い光と映し出された水鏡の纏う淡い光が、優しく咲く花の美しさをより一層引き立たせ、その存在感や魅力を周囲へと存分に放っている。


「やっと……やっと見に、来たわ」


 雨など降っていないというのに、目尻の濡れた感触と共に雫が霞ませる視界。


「あぁ、とても……綺、麗」


 肌寒い月夜だというのに、身は太陽の光に当たってるように熱く感じられる。


(あなたと、観に来たいほどに……)


 身体の奥から湧き上がってくる感情に歯止めは利かず、彼女はそのまま力無く座り込み、嗚咽を漏らし続ける。

 舞う桜の花びらに包まれる少女の姿はとても儚げで、夜明けと共に消え去ってしまいそうなほどに朧げなものだった。



「さぁて、せっかく来たんだ。一杯呑んでいくとしようか」

「もちろんでありんす。ささ、どうぞでありんす」


 しばらくして、感情的になっていた少女が落ち着くと、最初から此方が目的だったのではないかというほどに敢えて明るい声を上げるメリュジーナとトウカ。

 いつの間にか広げていた敷物に腰をおろし、二人は成人した者のみが飲むことを許される透明な液体を互いの猪口に注ぎ合っていた。


「まったく。明日に響かないようにしなさいよ」


 雫の跡、僅かに充血した瞳を見せないよう二人に背を向けたまま忠告する少女だが、返ってきた言葉はどこか楽し気なもので……


「月と桜に宵の酒。少しくらいいいだろう?」

「時には弦を緩めることも必要でありんす」

「あと、顔を見られたくないからってそっぽを向くのはどうかと思うし」


 先程までいなかったはずの三人目の声が耳に入り、少女が驚いた様子で振り返ると、そこには口の中で飴玉でも入れているのだろうか……右の頬が丸く出っ張っているムメイがいつの間にか座っていた。

 そしてその発言から想像するに、ムメイは三人がこの場所に到着した時から姿を見せず此処にいたということでもある。


「~っ!?」


 自らの立場と性分から、自身の弱い部分を見られることを人一倍嫌う少女にとって、この事態は乾きかけていた筈の雫の跡を再び潤し声にならない叫び声を上げてしまうほどによくないものだった。


 ――――彼岸桜、枯れること無く




 …………

 ……




 ――遠く離れた深く深い場所、誰も見られぬ■■■■


 真っ白い雪が深深しんしんと降り続ける夜に広がる雪景色。

 薄い雲の掛かった朧月の淡い光をその身に纏い、ゆっくりと落ちる柔らかな雪。

 そんな世界の片側には桜色の花をつけた木々に囲われた小さな泉。

 そこに在る細い灯籠台。


 真っ黒い雪が沈沈しんしんと降り続ける闇に広がる雪景色。

 薄い雲の掛かった朧月の淡い光も届かぬそこで、ゆっくりと落ちる不気味な雪。

 そんな世界の片側には黒を頭に乗せた花々に囲われた小さな場所。

 そこに在る一つのほこら


 祠から出でる何かの影は黒と白の境界にて立ち止まり、まっすぐに向こう側に在る桜色のそれを見つめていた。 

 

「…………」 


 表情も、姿形すらも分からぬ影であるにも関わらず、纏い漂わせるものは紛れもない儚さで……その心はきっと切なく泣いていた。


 ――――朧桜、宿る言の葉を込めた花弁は人知れず散り逝き始める



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