11.頑張る男のホワイトデー
――肌寒さが残る三月の逢魔刻。
太陽はその姿を地平の彼方へと隠し、僅かな残光が群青の空を照らしている。街を行き交う人々は家路につく者、気の置けない仲間と過ごす者、これから労働に励む者と様々だ。
そんな中、賑やかで平穏な日常の音が届かない場所では、集った三人の男たちがとある作戦の準備をしているところだった。
「では、隊長。さっそく始めるとしましょうか」
「あぁ、二人ともよろしく頼む」
「いえ、私の方こそ尽力させてもらいます」
研ぎ澄まされた刃を手にした彼らの前には、瞳の輝きは失っていないが心臓の鼓動を止めてしまったものたち、自然の中から強制的に引き抜かれたものなどが数多く鎮座し、彼らの贄となるのをただ静かに待つのみだった。
その中の一つを掴むと、眉間に皴を寄せたアフティが何かを振り切るかのように身体の内に溜まっていた空気を吐き出し、ロウへと今後の指針を打ち出した。
「時間がないので栄養も有り、一度に多くの量が作れる具沢山のスープとサラダを最初に教えていきます。よろしいですね?」
自然から強制採取されたものたちの中から最初に選ばれたのは、ジャガイモ。
それを手にしたアフティはまるで戦場にいるような……いや、彼の所属する部隊の元隊長からの嘆願があったからには、此の調理場も手の抜くことのできない戦場に相違なく、その表情が少し強張ってしまうのも無理なきことだ。
「あと、重ねて無理を言うようですまないが……デザートも作りたいんだ」
この集まりの原点たるロウの言葉に、もう一人の協力者は特に動揺することもなく、いつもの穏やかな表情を浮かべたまま予期していたかのように口を開く。
「そちらは私の方で……そうですね、プリンやゼリーがやはり食後には適しているかと思います。彼女たちからすれば別腹なので関係ないかもしれませんが、その分少しだけ凝ったものにしましょう」
そう言ったオルカも今でこそ落ち着いた様子ではあるが、この状況となる話を聞いたときは、頭で理解し整理するのに暫しの時間を必要としてしまった。
度々ルカンを通じて関わることはあったし、聖夜の時も小さな相談に乗りもしたが、まさか直接こうして何かを教えるとは思いもしなかったのだ。
そしてその理由というのが、彼からするとなんとも耳を疑ってしまうようなものだったのだから仕方がないのかもしれない。
”料理を教えてくれないか? ホワイトデーの日、家族に振る舞いたいんだ”
月の使徒であれば誰もが知る”名無し”という腕の立つ魔憑きであり、死神という絶対的な災厄を退け、現在に至るまで数多の戦績を残してきた存在が、料理を教えてほしいと頭を垂れたのである。それも、実績も地位もまるでない自分にだ。
ロウが家族思いなのは知っていたし、聖夜の相談というのも家族の為に何か贈り物をしようというものだったが、まさか今回が自らの手料理とは……。
普通に人並みには料理をこなせるはずのロウだが、それでは満足できないのだという、彼の思いの深さを垣間見たような気がしていた。
「それはいいですね。俺も度々オトネにせがまれて大変ですし、一緒に教えて貰えると助かります」
「その、なんだ……オトネがいつもすまないな」
「隊長が気にすることではありませんよ。スキアにはもう少し気にしてほしいところではありますが」
オルカの目の前でアフティに謝罪するロウに歴戦の戦士としての姿はなく、自分と同じように家族の事を思い、友の事を思うその姿に、オルカの困惑と緊張は霧散して消えていった。
「このままでは夜が明けてしまいそうですね。やりましょうか」
ロウが気取ることなく、魔憑としての強さなども関係なく接してくれているのなら、必要以上に気を使い距離を開けることはない。
ただ期待に応えるのみだと、オルカは先を促した。
「そうだな」
「それでは最後に……隊長、創意工夫は認めませんので」
「デザートもレシピ通りでお願いします」
微笑みと共に放たれた言葉は厳しいもので、思いやりと向上心の強い黒衣の男を苦笑させるには十分だった。
とはいえ”人並みに料理のできるロウ”がどうしてそのような、まるで”料理ができない者”へ向けるような忠告をされたのかを思えば、厳しさの中にある”信じてくれ”という思いを感じ取れるというものだ。
その後は世間話をすることもほとんどなく、順調に料理指導は進んでいき、一通りの手順と各工程の注意点をロウが把握した頃には、街の灯りも徐々に少なくなってきていた。
「さて……とりあえずは以上ですが、大丈夫そうですか?」
「十分だ。急な話だったのに、こんな時間まで付き合ってくれてありがとう」
「頭を上げてください。私でもお役に立てたなら何よりです」
少しばかり量の多くなった料理を囲みながら、三人は本番に向けての確認をしながら一口、また一口とそれぞれの胃袋へと納めていった。それでも残った分は保存用容器へと移し替え、アフティとオルカがそれぞれに持ち帰る。
ロウはそんな二人の背中を見送ると、丁寧に包装された二つの小箱を収納石へとしまい込み、もうすぐ見れるであろう家族の笑顔を想像するのであった。
…………
……
そうして迎えた本番当日。
屋敷での昼食を終えたロウはどうしても台所を借りなければならないため、特別感が無くなってしまうのは残念だったが、屋敷の管理者たるブリジットに自らの計画の全容を話して台所の使用許可を求めた。
すると、返ってきた言葉は一部分を除けば思いのほか素っ気ないもので……
”あぁ、大丈夫だよ。パパだけが使うならね”
ブリジットは穏やかな笑みを浮かべていたつもりかもしれないが、その瞳には記憶に新しい、一ヶ月前のあの事件の怒りの熱がぶり返したかのように見えた。
ロウがその姿に気圧されることは無かったが、その身に有している強大な力を持つ魔獣たちが微かに息を詰まらせたのをロウは感じ取っていた。
そうして、ロウの計画を知ったブリジットの助力により、シンカを含めた何も知らない皆が買い出しのために屋敷を空けた昼下がり。
この好機を逃すことなくロウは揃えていた食材を取り出し、二人の協力者から授かった調理秘伝書を広げながら調理を開始した。
静かな屋敷に響く、手慣れたように食材を切る規則的な音。
屋敷に徐々に広がっていく、鍋から漂う出汁の匂い。
己の身体を鍛え、日々強さを積み重ねていくのとはまた異なった充足感が、ロウの心を満たしていく。
そして、できあがった夕食を前にロウは満足そうに頷いた。
ぐっと両腕を伸ばして前掛けを外した頃、澄み切った青色だった空はいつの間にか茜色に変わっている。
その事に気付くと同時に、玄関の方から扉の開く音と賑やかな声が屋敷に響いた。
…………
……
「みんな、バレンタインの時は本当にありがとう。そのお礼になるかはわからないが、俺なりに頑張って夕食を作ってみたんだ。いつも俺たちのために料理を作ってくれているブリジットには遠く及ばないけどな」
広間の長机を囲む面々を見渡しながらロウは自らの思いを告げると、仕上がっている数々の料理を運ぶために台所へと歩いていった。
その後ろ姿を見つめながら、皆はそれぞれに胸の内を吐露していく。
「兄さんの作るオムライスは絶品です、究極です」
「それ以外の料理も、素材本来の美味しさを感じられるっすよね」
「ボクもお兄さんの料理は好きだけど、ほんのちょっと物足りないときもあるかな」
一日中鍛錬をしていたというのにも関わらず、賑やかなツキノ、モミジ、シラユキの言葉はロウを褒め称えているように聞こえる。
僅かながら感じている物足りなさも、まだまだ育ち盛りだからなのだろう。
「幸福。パピィのだしてくれるご飯、楽しみ」
「父様の焼いてくれる厚切りベーコンは何物にも代え難い」
自らの父親を敬っているロザリーとフォルティスの二人は、それぞれに自分の好物を思い浮かべながらその頬を緩めていた。
「ロウが出してくれる料理はわたくしが完食します。全部です」
「はいはい、それで昨日のご飯の後に大変な目にあったでしょ」
女給服に身を包んだ駄天使が得意げに宣言するものの、隣に座っているリンに昨日の悲劇の事を口に出され身体が硬直してしまった。
好物が出てくるとついつい欲張って食べ過ぎてしまい、張り裂けそうなお腹に苦しむことになってしまうのはシエルの悪い癖だ。
「まったく、お前さんたちはもう少し静かにしたらどうだい」
「まぁまぁ、そういうブリジットだって楽しみにしてるんでしょ? さっきからずっと落ち着きがないわよ」
ブリジットは冷静さを装って他の面々を窘めようとするが、外界に来てからというもの、彼女のことをずっと近くで見て来たシンカにはその心情を見抜かれているようだ。
「前のピクニックの時も食べたけど、ロウの作る料理ってどこか控えめよね? 実は栄養面に気を使っているのかしら?」
シンカはこの屋敷に来て間もない頃に屋敷の者たちと共にピクニックに行った日の事を思いだしながら、小さくも純粋な疑問を投げかけてみた。
ロウは昔からこの屋敷の者たちを育ててきたこともあり、一通りの家事はこなせるし、料理も普通から美味しいものまで様々だが不味いというものはない。
普通というのも、ただ味が素朴であるというだけだ。
確かに薄味の料理に好みで調味料などによる味を足すことはできるが、濃味の料理は薄味が好みでもどうしようもない。
健康面に気を使うという意味合いでも、作るなら薄味のほうがいいのだろうが。
そんなことを考えていたシンカの疑問に誰かが答えようとするものの、料理の盛り付けらた器を両手に持ったロウが戻ってきたことにより、誰も言葉を吐くどころか呼吸をすることさえも忘れてしまっているようだった。
「……どうぞ、お待たせしました」
「熱いので気を付けてほしいでありんす」
驚愕のあまり硬直した原因を正確に言えば、ロウに続いて台所から出てきたハクレンとルナティアの姿にある。
「お代わりが欲しかったら遠慮せず言ってくれ。最後にはデザートも用意してるから、良かったら食べて欲しい」
そう言ったロウの後ろにいるのは、紛うことなき彼の魔獣である二人なのだが、その身に纏っているものが女給服なのだからそれも当然だろう。
いつもであれば胸元が開け、戦闘を想定し体の可動域を考慮したような服装をしているハクレンは、シエルが身に着けているそれとは配色の異なる服を着崩すことなく、きっちりと身に纏っている。
それに対してルナティアは、シエルの女給服に地国特有の衣装を思わせる改良が施されているものを着こなしていた。
「……オマエたち、何か言いたいことでもあるならはっきりと言いなさい」
「やはりわっちらには、めいど服というのが似合わないということでありんしょう」
今までの印象とまるで違う可愛らしい二人の姿に、ロウを除く一同は夢か幻を見ている気分だった。そして三人が料理を運び終えるまでの間、上手く言葉を発せないままただ呆然とし続けることしかできなかったが、それも無理からぬことだ。
あのブリジットですら目を丸くし硬直したままだったのだから、それ以外の者たちの受けた衝撃は計り知れないものがあったのだろう。
「……それでは主君」
「わっちらは失礼いたしんす」
「助かったよ、ありがとう」
最後に二人は深々と皆に礼をすると、自らの主の中へと戻っていった。
それにやや遅れて再び皆の時が動き出し、目の前で起きた信じ難い光景への皆の追及や反応が巻き起こる。
「ななな、なんですか今のは!? 愛らしく美しい有能なメイドはこのわたくしだけで十分なはずではないのですか、ロウ!」
「あれは夢よ、そうに違いないわ」
「ま、まさか……そんな……兄さんは妹萌のはず。それがメイド萌でもあったなんて……つまり、妹である私があれを着れば……」
「あの服、可愛いけど窮屈そうだったっす」
「……モミジには一度、鑢をかけないといけないかな?」
「確認。フォル君じっとしてて」
「やへろ、ろはりー! いはいらろう!」
そんな混乱している者たちを落ち着かせるように、ロウは微笑みながら先の光景の理由を説明した。
「確かに驚いてしまうのも無理はないが、これは二人からの謝罪の気持ちなんだ」
その言葉に一同はますます状況を理解できなくなってきている。
そんな中、ブリジットだけは何かを察したような瞳でロウを見つめ、次に紡がれる言葉を待った。
「バレンタインデーの次の日に二人に相談されてな。流石にふざけ過ぎたから、謝罪以外にも何かがしたいって。料理を作ったのは俺だが、盛り付けたのは二人だ。不慣れながらも一生懸命に手伝ってくれたよ」
その言葉に、同じようにチョコまみれになってしまった者たちは気まずそうに苦笑しながら顔を見合わせ、シンカとリンは床や壁に付着したチョコを綺麗にするのに夜中までかかったことを思い出し、可笑しそうに微笑んでいた。
そんな中、ブリジットはというと、ロウを見つめながら……いや、ロウの中にいる彼女たちを、だろうか。怒りなど微塵も感じさせない優しい笑みを浮かべていた。そして……
「さぁて、冷めないうちにそろそろパパお手製の料理をいただこうじゃないか。折角の三人の厚意が台無しにならないうちにね」
浮かべた表情はそのままで、今日の本題へと視線を移しながら、ブリジットはロウの中の二人の想いに言葉を返した。
(よかったな、二人とも)
『『……』』
「それじゃ、どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
皆は声を揃えて食事開始の挨拶をし、まずは様々な具材の旨味が詰め込まれたスープをスプーンで掬い、味わうように口に含み胃の中に落とした。
そして、その旨味に思わず声を上げてしまう。
「ロウ、ロウ! これ凄く美味しいです!」
「あ、ほんとに美味しいわ」
「これはアタシもうかうかしていられないね」
次に口にした野菜と果物が使われた色鮮やかなサラダは食欲をそそるもので、かけられている特製ドレッシングの酸味と塩味が絶妙に具材と混ざり合っている。
「歓喜。こうして食べると、野菜も悪くない」
「ベーコンには劣るが確かに」
他にも、誰かの好物が必ず使われている数々の料理はあまりにも絶品で……
「私たちの好みを把握してくれてるところがさすが兄さんです」
「お兄さんがボクたちのことをよく見てくれてるのは昔からかな」
「はぁ~……しあわせっす」
皆はまるで天にも昇るような気持ちで、ロウの想いを受け止めた。
そうして、何回もスープのお代わりをしているシエルが嫌いな野菜を無理矢理口に入れられたりと賑やかな食卓は続き、食後のデザートまで見事に完食すると、料理を振る舞ったロウを含め全員が満足した表情を浮かべていた。
その後、片付けまで含めて料理だと言ったロウが一人で片付け始めるも、これだけの量を一人で洗うのは大変だと、今日ばかりは皆もそれを手伝った。
しかし台所にこれだけの人数がいても邪魔なだけで、結局いつもと変わらず手慣れたブリジット中心に片付け進められ、ロウとシンカはいつの間にか台所から追い出されてしまっていた。
台所からは賑やかな声が響くものの、広間にはどこか寂しさを纏った料理の残り漂っている。いつもの食事に不満などあるはずも無いはずなのだが、やはり今日の夕飯は皆にとってどこか特別さがあったのは言うまでもない。
「ロウ、今日は本当にありがとう。こんなに美味しいものが作れるなんてずるいじゃない」
「優しい協力者のおかげだ。俺一人だとこんな味は出せなかったからな」
「それに……あれよね、きっと。その……貴方の心が籠ってたから、とか? ッ、い、今のはなし!」
自分で言っておきながらすぐさま吐き出した言葉を否定し、シンカは羞恥に耐えきれず耳まで赤くしながら顔を背けてしまった。
だが、込めた想いが調味料になってくれたというのなら、それはとても隠し味程度で収まるようなものであるはずもなく……
「だとしたら、少し濃い味になってたかもしれないな」
「――っ、そ、そう? そんなことなかったと思うけど」
「だったら、次に作るときはもう少し多めに加えるとしよう。そのときを楽しみにしていて欲しい」
「も、もう、急に何言い出すのよ!」
「最初に言い出したのはシンカだろ?」
「そう、だけど……でも、そうね。その日が楽しみだわ」
「一日でも早くそうした日々を送れるように、これからも傍にいてくれ」
ロウの呟きのような小さな声は、賑やかに片付けを手伝っている者たちの声に掻き消されてしまったが、耳が紅く染まったまま顔を背けているシンカには確かに届いていたのだろう。
そんな彼女の姿を微笑ましく見ていると、いつの間にか片付けを終えた他の面々がロウの近くに集まっていた。そして……
「「「今日は御馳走様でした、ありがとう!」」」
「あぁ、俺からもありがとう」
優しく微笑むロウとそれを囲む家族の温かさは、更に熱く深い絆となり、その眩い光は更なる力や可能性を彼らにもたらしてくれることだろう。
月のように見守る穏やかな男はこの陽だまりのような居場所を作り、気高き少女はその居場所を翳らせることなく陽を放つ。
これまでも、そしてこれからも……貴方の為に。
…………
……
その姿を半分以上隠している寂し気な朧月は、今日一日の公務をうわの空でこなしていた彼女の心情を写し出しているかのようだった。
「まったく、あの古狸にも困ったものね。夫婦仲は自分でなんとかしなさいよ」
反目することもあるが、優秀な人材である男の事を思い出しながら、疲れたような表情を浮かべた彼女は自室の寝台に腰を下ろした。
朝はいつもより長く夢の世界に浸ってしまったせいで朝食を取り損ね、正午は会食兼議論会で何も仕事が進まず、午後は明日の議会で必要になる情報の整理と、言われるであろう嫌味への対策を練り……
「いつもなら疲れなんて感じないはずだけど、どうしてかしらね」
――特別甘いものが欲しいわ
「~~ッ」
自身の口から無意識に出てきた言葉を聞いた瞬間、厳重に蓋をするように慌てて口を押さえ込み、自分以外は誰もいない部屋を見渡した。
数秒の間、廊下にも音がしないことを確認すると、彼女は口に当てていた蓋を外し、深い呼吸を何度か繰り返す。
そして、溜まっている精神的疲労を取り払うかのように、結ってある艶やかな黒髪を解いた。
「…………」
不意に視界の端に見えた小さな箱。
それは世界が光で照らされるより早くに起きて、誰の助力も無しに完成させた、複雑な想いの詰まったものだ。
忠義に厚くやや心配性な臣下たちに贈った物と同じように作り、誰にも渡すことができなかった違う物。
一度思考してしまうと止まらない仮定、仮説……有るはずの無い未来。
行方を失ってしまった小さな箱。
諦め、手放した可能性に自然と手を向け、細い指先が触れそうになった……
その瞬間――
「お休みのところ申し訳ありません。少しよろしいでしょうか?」
「――ッ!? え、えぇ、大丈夫よ。面倒な署名ならお断りだけど」
事務的でありながら思いやりの含まれる聞き慣れた声が鼓膜に届き我に返ると、内心の動揺を悟られないよう、彼女は少量の毒と共に扉の向こうに声を返した。
「そんな野暮なことじゃないさ」
扉を開けて入ってきたのは、忠義に厚くやや心配性な三人の臣下だ。
「今日は色々とお疲れのようですので、用事を済ませたらすぐに戻ります」
「はぁ……理由は公務だけじゃなさそうだがな」
「まぁとりあえず……ほら、受けとってくれ」
三者三様というわけではないが、それぞれから差し出されたのは手のひらに乗るくらいの大きさをした、綺麗に包装された箱だった。
色や模様は異なっており、各人の性格や好みがはっきりと表れている。
「甘さに溶かされたくないと言ったはずだけど。でも、まぁ……その……ありがとう」
視線を逸らしながらも、彼女は小さく感謝の想いを三人に伝えた。
「それでは、私たちはこれで失礼します」
用件も済み、これ以上の会話は不要とばかりに相変わらずの無表情を貼り付けたまま、踵を返して退出していく二人の臣下。しかし、彼女たちの特徴的な部分はその心境を反映するかのように、ゆっくりと動いていた。
そんな彼女たちの数少ない欠点に微笑みを漏らしている内に、もう一人の理解者もいつの間にかこの部屋から姿を消していた。
「まったく、あの律義さは誰に似たのかしら……って、考えるまでもないわね。ん……これは……?」
再び視界に入る小さな箱。
しかしその隣には先程までなかったはずの、紫色の紐織物の付いた見覚えのない箱が置かれていた。
「どう、して? 渡せなかったはずなのに……渡そうとしなかったはずなのに!」
――なぜ、どうして、どうやって、なんのために……
巡り廻る疑問の数々。届けることが出来た想いの数は三つ。
だが、いま彼女のもとに届いた想いの数は……四つ。
これが意味するものを彼女は知っている。
これが誰からのものか彼女は解っている。
これに込められた想いを、彼女は―――
宮殿の外はいまだ冷たい日々が続き、その冷気は宮殿内にすら届いていた。
それでも、四つの想いを大切に抱き締める彼女の胸はとても温かく、安心感に包まれていた。だというのに、俯く彼女の身体は小さく震えている。
艶やかな黒髪の隙間から僅かに見える瞳から、眠りに就くまで流れ続けた小さな小さな輝きは……零れ落ちた彼女の想い、そのものだった。
…………
……
暗き世界を往くものは、大切そうに一つの箱を抱えていた。
その箱は温かい優しさを内包し、冷たい孤独が混じっている。
孤独とは一体なんなのか。
真に孤独を知る者は誰なのか。
民衆に紛れていても、荒野に佇んでいても、光を感じていても……
わたしは独りだ