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それは現のイストリア  作者: 御乃咲 司
一章 GOD-残灯のイグジステンス
10/55

08.桃の花は散らずして誇る


 ――観光遊郭街特区・夢見桜ゆめみざくら


 遊郭という名称がついてはいるものの、所謂内界にあるような通常業態の店舗は見受けられない。立ち並ぶ建物は地国で見たものと近似しているが、目的の違いもあり、あちらよりも煌びやかさと統一感のある色彩の造形となっている。

 そして、さらにこの街の美しさを支えている要因として忘れてはならないのが町の中央に咲き誇る桜の木と、計算されて造られた街全体の建物の配置と通りや筋の在り方だ。

 

 見張りのいる立派な楼門を潜れば町の中を小さな川が横切り、その川沿いには美しい桃の花と梅の花。道筋に等間隔で並ぶ街灯は灯篭が使われている。

 中でも中央の広く真っすぐな道の突き当りにある、一際目を引くほどに大きな建物は旅館、桃幻鏡とうげんきょうだ。中央通りから右手側は夜に賑わう遊郭が建ち並び、左手側には昼間の観光客向けのお土産屋や甘味処といった様々な店が並んでいる。


 ロの字になった桃幻鏡の中央には雅な庭園があり、裏手には広い訓練場。それを囲うように左右には夢見桜に住む女性たちの居住区があり、訓練場を挟んだ桃幻鏡の向かいには桜桃おうとうと呼ばれる自警団の施設がある。


 昼は桃や梅、桜の優美な景色や、様々な効能のあると言われる温泉を求めた観光客が、夜は一際美しい女たちへの癒しを求めた男たちがこの夢見桜に訪れる。

 

「……絶景って言葉はこの街の為にあるんじゃないかしら」


 度々夢見桜について話には聞いていたシンカが、実物の街を見渡して漏らした言葉は決して大袈裟なものではない。此処を初めて訪れた者のほとんどがそういった感想を抱き、残りの者は興奮のあまり言葉を失うからだ。


「そう言ってもらえると俺も嬉しい」


 シンカの隣に立つ黒衣の帰還者は、再び訪れることができた懐かしい光景に微笑んでいた。

 この絢爛豪華で趣きのあるこの街は、ロウにとってはもう一つの故郷ともいえる場所だ。それほどまでに思い入れのある場所であり、様々な感傷に浸ってしまうような、本当にいろいろなものが詰まった場所でもあった。


「そんな甘い言葉はあちきにも聞かせてほしいでありんすよ! あちきに会えて俺も嬉しい、みないな感じの」

「ここ、騒がしい? ……わちきの部屋、行くです?」


 突然、シンカにとって聞きなれない声がしたかと思うと、その声の主たちはロウに文字通り貼り付き、寂し気な青漆色の瞳でロウの返答を待っているようだ。


 先に声を発したのは短い桃花色の髪を右側に括り、薄桃色を主に薄紫の混じった着物を身に纏っている活発な印象を受ける少女。

 次に声を発したのは肩付近まである桃花色の髪を左側に括り、薄紫色を主に薄桃の混じった着物を着たおっとりした印象を受ける少女。

 瓜二つの彼女たちの名はコモモとスモモ。夢見桜で暮らしている双子である。


 しかし、返答を待つ二人に口を開いたのはロウではなく、その後方の少し離れたところにいたツキノ、シラユキ、モミジの三人だった。


「あぁーっ、何をしているんですか! 兄さんから今すぐ離れて私と代わってください!」

「まったく……油断も隙もないかな。早く場所を譲るといいかな」

「油断も隙もないのはシラユキも変わらないと思うんすけどね」


 それぞれに警戒心と対抗意識の籠った視線を向けながら、ロウの傍から離れようとしない同じ容姿をしている二人組の少女に言葉を叩き付けるも、コモモは不敵に口角を上げるだけで、スモモも動じることなくロウから離れようとしない。


 そんな戦場とはまた違った一触即発の空気が一帯に広がり、互いに動く時機を見計らっていたその時、新たな声がその場に響き渡った。


「おまんさんたちは何をしてるでありんすか。出迎えに行って、無駄口を叩かず戻るように言ったでありんしょう?」

「だって、あの小娘たちがあちきのお館様を!」

「わちきは悪くない、ですよ? ただ傍にいただけ……です」


 地国の優美さと海国特有の煌びやかさが見事に融和した装束。そしてその上には、それに比べれば簡素な梅の描かれた羽織を身に付け、細い手には番傘。

 艶やかな桃染色の髪を揺らしながら、遊郭に住む者たち特有の化粧をした人の目を集めるほど艶美な女性が、下駄の音と共に優雅に一歩づつ近づいてきた。


「本日はお忙しい中、わっちらの依頼のために遠路遥々とようこそおいでくださいんした。準備に入るまで少し時間がありんすゆえ、街を案内させていただきんす」

「今日はこの街の為にも精一杯やらせてもらうつもりだ。よろしく頼む。シンカ、この人が――」

「桃幻鏡が桜桃筆頭、トウカと申しんす。本日はどうぞ、よろしくお願いしんす……雛姫様」


 ロウと挨拶交わしていたトウカがシンカに向き直り自己紹介をすると、容姿もそうなのだが、その所作一つ一つでさえも美しく、同性であるシンカでさえ見惚れてしまうほどだった。


「ご、ご丁寧にどうもありがとうございます。シンカ、です。こういったことは初めてなので……そのっ、迷惑にならないようにがんばります」


 目の前の女性が今まで自分が関わる事のあまりないタイプの人だった為に、シンカは緊張と混乱のせいでどこか挙動不審だった。

 そんな彼女を見ていられなくなり、一仕事終えた(・・・・・・)ブリジットが呆れたような声で、後ろから助け舟を出した。


「とりあえず、早く案内しておくれよ。それに時間的な余裕があるって言っても、今回参加する連中はクセが強すぎて、お前さんの考えてる予定通りに事が運ぶとも限らないからね」

「それはそれでまた一興……でありんすが、今回の流し雛は夢見桜の伝統行事。問題が起きてはいけんせん。それではどうぞこちらへ」


 そう言って身を翻した彼女の小気味良い下駄の音を先頭に、ロウたち一同は日常において知ることのない遊郭内の雰囲気と甘い香りに包まれながら足を進めた。


「うきゅ~……」

「ぁ、ぁ……ぁ」


 魔女の躾(げんこつ)を受けた、瓜二つの少女たちをその場に残して。





 そんなロウたちの後を追うように、街道を駆け抜けていく六つの影があった。

 まだ肌寒さの残る気候だが、懸命に足を動かし続ける彼らの体温は下がることを知らない。……つまりはそれだけ必死だった。


「もっと早く走りなさいよ! 遅れたらどうするつもり!?」


 戦闘時と同じく先頭を征くリンは、長い薔薇色の髪をなびかせながら後続の者に苛立った声をかけた。


「そのときは、遅れた連中だけ何かしらの責任を取らせればいいだけだろう」


 冷静に言葉を返すリアンも僅かに疲労の色が見えるが、まだまだ余裕はありそうだ。


「そうは言っても、この件に関しては連帯責任という事になりますよ? ……誰かさんたちの所為で」


 穏やかな表情とは裏腹に、アフティは的確にこの状況の原因に言の刃を突き刺した。


 そんな三人に言葉を返すのは、遅れて走る問題児三人組。


「し、しょうがねぇだろ! うめぇ屋も美味い軒も今朝に限って混んでたんだからよ! なぁ、オトネ!?」

「お腹が減ってはなんとやらだよ!」

「はぁ、はぁっ! そこまで言うなら背負ってくれよ~!」


 前を走る三人からの鋭い視線を受け言い訳を放つスキア。

 自らの正当性を主張するオトネ。

 側腹部を片手で押さえながら弱音を吐くセリス。


 この問題児三人は今日予定があるとわかっていながら空腹に耐えきれず、店が混んでいたにも関わらず朝食を済ませ、盛大に大遅刻をぶちかましたのだった。

 だが、そんな問題児三人の言い訳など、前を走る三人に対する遅刻の言い訳として機能するはずもなく……


「「「いいから走れ!」」」


「「「り、了解しました!」」」


 魔弾、魔砲、炎弾を放とうと手をかざしたリンたちの明らかな怒りに瞬時に無駄口を辞め、スキアたちは足に力を込めて全力を振り絞った。


「まったく……そういえば、スキア。あと一人は上手く見つけたんですか?」

「ん? あぁ、アイツも一応は納得してくれたし、隊長のためってなれば大丈夫だろ」

「なんだ、まだ五月蠅いのが増えるのか?」


 顔を顰めながら、後ろか聞えるアフティとスキアの会話に反応するリアンに、苦笑しながらスキアは昨日のやり取りを思い出した。



 ……――――――――――――


「な、なんでなんだよ~っ!」


 空で輝いていた太陽がその色を茜に変え、世界を美しく照らしながら月と入れ替わろうとしていた頃、一人の男の嘆きが月光殿の一室に響き渡った。

 そこにいたのは申し訳なさそうに微苦笑を浮かべるオルカと、元々厳つく仏頂面のルカン。そして、ツキノと同じ隊に所属していた少女のような少年ティミド。


「すいません。任務が前倒しになったので、早朝には行かないといけないので」

「俺の部隊もオルカと同行だからな。それにコイツは……まぁ、な?」

「ル、ルカンさん!? オ、オルカさんも目を逸らさないで、くださいよ」

「だったら、あの御一行に混じって行進できる度胸があんのか?」

「そ、それは……ない、です……無理、あぅ」


 桃幻鏡からの依頼を受けたロウから人員の確保を頼まれていたスキアは、前日にもなってもいまだ後一人が決まらずにいた。

 そして迫り過ぎた期限の為、片っ端から知り合いに声をかけてはいるのだが、ロウの名前を出すと途端に萎縮され、そうでなかったとしても翌日であることを伝えると予定があると断られてしまう。そういった理由で、断る可能性の低そうな彼らに話を持って行ったのだが、残念なことに御覧の結果である。


 断られた以上、すぐさま他の者を当たるしかないと思考を切り換え、スキアは三人に軽く声を掛けると急いで部屋を飛び出した。

 すると、丁度仕事を終えて通路を歩いていた少女と衝突しそうになるのを、スキアは持ち前の身軽さで体を反らしてなんとか回避。スキアが謝ろうと視線を向けた瞬間、先に声を荒げてきたのは彼のよく知る少女だった。


「もう! いきなり飛び、だ……スキアさん!? あ、危ないじゃないですか!」

「わりぃわりぃ。っと、そうだアミザ、明日は暇か? ちょっと夢見桜まで付き合ってほしんだけどよ」

「あ、明日は暇ですけど……って、え? ……夢見桜?」


 夕陽に照らされて茜に染まるアミザの表情は、心情と同じくなんとも複雑に混ざり合い、何かがせめぎ合っている様に見える。

 しかし、スキアはまったくそれに気づくことなく事情の説明を行い、返ってきたのは声ではなく、乾いたよく響く音だった。


「痛ってぇっ! どうして女ってやつはこうも気難しいんだ!」


「そんなことを言っている男は三流だと、前に母が言ってましたね」


 不機嫌さを隠す様子もなく大きな歩幅で遠のいて行くアミザの背を眺めていると、スキアの後方から聞こえたのは珍しい男の声だった。振り返ってみると、そこにいたのは自由人であるスキアとは対極ともいえる真面目な人物だ。


「シュネルか、こんなところで何してんだよ。ってか、明日暇だったら――」

「暇な筈無いでしょう。それなりに響く声でしたので話は聞こえていましたよ。相手の立場を考えずにそんなことを言うのであれば、深域アヴィスに配属されている私の代わりとなる人物を先に探して来てください。それでは、定期報告も終わりましたので失礼します」


「…………」


 淡々と突き立てられる言葉の数々に悪意は無く、そこには正しさしかなかった。

 何も言い返せず、遠ざかる規則的な堅い音を聴きながら、スキアは頬に残る手形の熱を感じながら思考を巡らせる。

 諦めるわけにはいかない、まだ何か手は残されているはずだ。

 

「とはいえ……どうすっかな」


 腕を組みながら頭を悩ませ、頼れそうな者たちの顔を思い浮かべていく中、鋭さの中に呆れを含んだような声が彼の耳に届いた。


「おい、通路の真ん中で呆けるな。通れんだろうが」

「っ、その声は!? 頼む! 明日、夢見桜に来てくれないか!?」


 最後の望みを賭け、スキアは心の底から懇願したのだった。


 ……――――――――――――



 ルナリス隊の面々は今までも任務などで何度か来たことのある場所であり、内界から来た二人は初めて来る場所である、月国フェガリアルとはまったく異なった光景が六人の視界に入ってくると、彼らは駆ける脚にさらなる力を込めた。


「話を聞く限り、スキアの知り合いにしてはまともな性格の様だな」

「リアンさん、一つ言っておきますが……隊長が絡んだときの彼女は俺たちでは理解できない思考を持つタイプの人間です。そして、魔憑としても強いです」

「話を聞く限り、スキアの知り合いとしては納得できる人物だな」

「おい、リアン。そんなに褒めるなよ、照れるじゃねぇか」


 わざわざ言い直したリアンの言葉に、何故か照れ笑いを浮かべるスキア。

 冷たい沈黙に包まれた一行は、なんとか予定時刻に遅れることなく目的地に到着し、急いで準備に取りかかるのだった。



 …………

 ……



 この夢見桜で古くから行われている伝統行事の一つ―――流し雛。

 それは役を充てられた者たちが、それぞれに異なった衣装で祭囃子まつりばやしと共に街中を練り歩き、邪気を祓って無病息災、子孫繁栄を願うというものだ。

 これは元々内界にもあった風習で、紙やわらで作った”ひとがた”で体を撫でることで厄をそこに移し、それを川に流すというものだった。つまり、雛人形は生まれた子の厄を背負わせるお守りの意味を持つ”身代わり人形”だったのだ。


 しかし、降魔との戦が絶えない外界の中でも、女性のみが住む町ここ夢見桜では、雛人形の役を生きた者がこなす。

 それは夢見桜が造られた起源に深く関係しているのだ。

 身寄りの無い少女たちを保護することが目的で造られたこの町は、元々過去に起きた降魔との大戦による犠牲者の集まりだった。

 二度とそのような悲しみを生まないようにと、二度と力無き少女たちに厄災が降りかからないようにと、そんな祈りを込めたのがこの流し雛であり、つまり厄を降魔、代わりに背負い祓う者を魔憑に見立てているというわけだ。


 ひとがたや雛人形では背負いきれぬ厄を、戦いに身を置きそれを打ち祓えるだけの力を有した強者が背負い、厄災を討ち滅ぼすという誓いに変える。

 そして、新しく生まれた命と少女たちの安寧を祈るのだ。


 代々、ここ夢見桜の自警団桜桃の筆頭が桃の名を付けられることもそこに起因している。魔憑の力が意志の力である以上、初代モモからトウコ、モモコ、トウカと能力が継承されていることも、そんな祈りから来たものなのかもしれない。


 夢見桜の大門、そして桃幻鏡の大門に刻印されし桃の印。

 その紋を見つめながら、トウカは代々受け継がれてきた言葉を思い返した。


”戦場に桃の華を咲かすは、大恩ある主の勅命ありし時と心得よ”


(桃の印は誓いの印。桜桃はかかる火の粉を払う者。そして、天下無敵を掲げる者)


 トウカは音無き誓いを胸に宿し、皆の待つ部屋へと歩を進めた。



 …………

 ……



「兄さん、兄さん! どうでしょうか?」

「似合ってるっすか?」

「初めてはお兄さんがいいかな」


 お揃いの奉装束に着替えを済ませたツキノたちがそれぞれにロウの前へと並び立ち、その装いへの感想を急かしていた。


「あぁ、可愛いな。三人ともよく似合っているよ」


 短く飾り気のない言葉ではあるが、ロウが真に思っている事だというのを理解している三人は、満面の笑みを浮かべながら歓喜の声を上げて抱き合っている。

 だがそれはいつも通り、本当に毎度お馴染みである悲劇の始まりだった。

 そう、彼女たちは失念していたのだ……自分たちが普段と違う服装である事を。


「あわわわっ!」

「きゃっ!?」

「やばいっす!」


 体勢を崩したツキノがシラユキにもたれ掛かり、突然の事に反応できなかったシラユキはモミジに身体をあずける形となり、まるでドミノ倒しのようにモミジを下敷きにして三人は床に倒れ込んだ。

 

 すると、まるで鏡餅のようになって小さな呻き声を漏らす三人を見下ろし、呆れたように言葉を浴びせたのは、ロウたちよりも先に到着していたこの二人。


「まったく……貴様らは何をしているんだ」

「リン、この子たちは屋敷でも?」

「え? はい、まぁ……概ね」


 ツキノたちと配色や造形デザインの異なる奉装束を纏い部屋に入って来た者たちの視界に飛び込んできたのは、屋敷で暮らす面々からすると見慣れた光景。

 そんな光景を前に怪訝な表情で言葉を発したのはクローフィとリコス、そして苦笑いを浮かべて対応するリンだった。


「三人とも少しは私のこと待ってよ~!」

「少しくらい手伝ってくれてもよかったし」


 遅れてやって来たオトネとムメイもリンたちと同様の物を身に纏っているが、彼女たちに比べて小柄なオトネの方にもよく合わせられたものだ。おそらく、手慣れているムメイがオトネの着付けをしていたのだろう。


 五人は何かを期待するようにロウの前に立つも、それぞれ視線を向ける者、背ける者、俯く者や毛先を弄る者と様々だったが、感想を求めているに違いない。


「いいんじゃないか。普段と違う雰囲気で新鮮だが、みんなとてもよく似合っていて綺麗だ。クローフィとリコスが同じ色なのもいいと思うぞ」


「ありがとうございます」

「勿体なきお言葉」

「そんなんじゃ足りないし。もっと褒めるし」

「そーだそーだ!」

「はいはい、もう十分でしょ」


 冷静な表情ながらも、ある部分が喜びを隠し切れていないクローフィとリコス。恨めしそうにロウに視線を向けながらも、一礼した彼女たちに引っ張られていくムメイ。素っ気ない言葉を吐きながらも頬を朱に染めたリンに、子供のように手を引かれていくオトネ。


 そんな彼女たちを微笑ましく思いながら見送ると、入れ替わるように部屋に入ってきたのは、ロウが内界で再会を果たした友たちだった。


「相変わらず五月蠅い連中に囲まれているな、ロウ」

「うぉっ!? あぶねぇ~、途中で転びそうだなこのハカマってやつは」


「二人ともよく来てくれた、ありがとう。セリス、袴で歩く時にはコツがあるんだ」


 ロウに声を掛けてきたのはいつものように手厳しいリアンと、慣れない服装に戸惑っているセリスだ。

 二人の奉装束の造形デザインはまったく同じではあるが、配色が異なっている。なにより女性陣の衣装にはなかった刀を二人は腰に差しており、その見えている鞘と柄には豪奢な装飾が施されていた。


「おぉ、なるほど! さすがロウだな、これで転ばずにすみそうだぜ」

「……だといいが。ロウ、また後でな」


 足元に気を付けて歩いていくセリスとは対照的に、着慣れていないにもかかわらず、淀みなく足を進めるリアンの後ろ姿を眺めながら……


「二人ともなかなか様になっているじゃないか」


 ロウは胸に残る懐かしさに浸っていた。


 すると、誰に言う訳でもなく小さく呟いたその言葉は、横の襖から現れた二人には聞こえていたようで……


「それって俺たちのことか?」

「スキアとアフティか。あぁ、二人も様になっている」

「だろ? なんか偉くなった気がするしな!」

「そうですね。身が引き締まる思いというんでしょうか」


 無邪気な少年のような笑みを浮かべたスキアと、やや緊張した面持ちのアフティがロウの傍へと歩み寄っていた。

 スキアの手には竹箒、アフティは塵取を持っているが、ロウの記憶が正しければあと一人熊手を持つ役がいるはずだ。その事を二人に聞こうと口を動かす同時に部屋の襖が勢いよく開かれ、その答えたる人物が現れた。


「スキア、貴様! これは一体どういうことだッ!」


 スキアとアフティの二人と同じ男性用の奉装束を身に纏い、熊手を携え、空気が痺れるほどの怒号と共に姿を見せたのはロディア隊の隊長であるシャオクだ。


「そんなに怒ることねぇだ――」

「怒るに決まっているだろうッ!」


 響いた怒声がスキアの声を遮った。

 いくら戦いの中では女らしさを二の次にしているとはいえ、こういった行事で男扱いされるのは不服なのだろう。自他共に厳しく、部隊でも威厳を保ち、その強さも皆が認めている彼女とて、うら若き乙女なのだから。


「……スキア、どういう説明をしたのか俺にも聞かせてもらえますか?」


 明らかな怒りを示しているシャオクと、どこか怒りを押し留めているように見えるアフティが事の詳細を問いた出すも……スキアから返ってきた言葉に二人は閉口してしまう。


「”頼む、明日桃幻鏡にきてくれないか? ロウから頼まれた事なんだ”って言った瞬間、嬉しそうに目を輝かせながら機嫌よく返事して、そのまま詳しい話も聞かずに行っちまっただろ!」


「あ……いや、それは……その、だな……」

「すいません。これはフォローのしようがありませんね」


 自身の軽率な行動を暴露されたことによってシャオクは二の句が継げず、スキアにまったく非がないことが明らかになったことで、アフティも困ったように苦笑することしかできない。

 そして、怒涛の展開に蚊帳の外となっていたロウは、三人が静かになるとようやくその口を開くことができた。


「シャオク、その衣装は確かに男用のデザインだが、本来であればこの祭りは桜桃の者たちだけで行うものなんだ。つまりみんな女性だ。だから、シャオクがその恰好をしていて可笑しいということはない。むしろ、普段と違う凛々しさがあっていいと思うぞ」


 微笑みと共に優しい声音がシャオクの耳に届くと、瞬く間に彼女の体温は上昇し、体の内から高揚感が湧き上がってきた。俯いたシャオクの表情をロウは確認できないでいるが、その顔は夕陽よりも朱く染まっている。


「―――っ……そ、それでは確認事項が幾つか残っていますので、これで失礼いたしまする!」

「ちょっ、そんなのあとでいいじゃねぇか! ってあぁもう、まするってなんだよ……しかたねぇな。そんじゃな、ロウ」

「私も行きます、隊長もお役目頑張って下さい。それではまた後ほど」

「あぁ、すまないがあとは頼む」


 嬉しさと恥ずかしさの入り混じった表情を背けたまま、疾風の如くその場を離脱するシャオクとそれを追うスキアを前に、困ったような表情をしたアフティがロウの意図を汲み取ると、彼女の事後擁護アフターフォローへと向かって行った。


 そんな賑やかなやり取りが続く中、ロウはいまだに姿を見せない少女のことを思いながら、手持ち無沙汰に控室内の様子を見渡していた。

 すると視界の外から話しかけてきたのは、独特の口調をする彼女。


「誰かをお探しでありんすか? 王雛様」

「トウカか。もう準備は終わったのか? まだこっちには来てないみたいだが」

「ふふっ、雛姫様の準備はずぅっと前に終わっているのでありんすが、複雑な乙女心というものでありんすよ」


 流れるような動作でロウの眼前へと回り込んだトウカは、口許を袂で隠したまま悪戯な笑みを浮かべている。どこか色香を宿した視線は僅かに開かれている襖に向けられているが、そちらへ声をかける気は無いようにみえた。


「だが、もうそろそろ雛流しが始まる時刻だ。なんとかできないか?」

「……仕方ない御内裏様でありんすね。コモモ、スモモ」


「「はーい! ……せーのっ!」」


 トウカの呼びかけに対し、重なって聞こえてきた二つの声。それと共に勢いよく開け放たれる襖の向こうにいたのは、誰もが息を飲む程に美しき雛姫だ。

 人形のように着飾り、奉装束に合わせた化粧で普段とは異なる魅力を纏った、女雛役たるシンカが固まったように存在していた。


 響いた双子の声と大きな音に、大広間の隅々にいた皆の視線が集中すると、漏れるのは感嘆の声や息を飲む音、音すら出せず恍惚とする者と様々だった。


「綺麗です……」

「本当によく似合ってるわね」

「……おぉ」

「まるで本物の御姫様みたいだな」


 皆は口々に着替えを終えたシンカの姿に感想の述べているが、当の本人の思考はいまだ追いついておらず、両側からコモモとスモモの二人に引っ張られる形でロウの近くへと連れてこられた。


「どうです? あちき、精一杯がんばらせてもらいんした」

「わちきも頑張った……です? うん、頑張ったです」


「あ、あぁ……本当に綺麗だ。よく似合っているよ、シンカ」


 自らの名を呼ばれてようやく意識を取り戻した様子のシンカの顔は、白粉を塗られているはずなのに薄紅に染まり、視線は大海原を横断するかのように泳いぎ始めた。両手は何もない宙で何かを掴もうするかのように彷徨い、誰がどう見ても挙動不審過ぎる。先の壮麗であり、楚々とした姿はどこへやら……だが、こういった姿も実に彼女らしい。可憐な雛姫の姿がそこにはあった。


「も、もう! 私にも心の準備っていうものが必要なのに、ロウの周りの人たちはどうしていつも突然こういうことをするのよ! 穴があったら入りたい気分なんだけど! お願いだから、誰か私の姿を見えないようにして!」


 抑えきれない恥ずかしさのあまり混乱しているシンカを、トウカや状況を察したリンがなんとか宥めることに成功し、シンカがいつものように振る舞えるようになったのは流し雛が開始される十分前の事だった。

 それでも、顔の火照りはいまだに残り、薄紅の頬は今のシンカの姿をより一層美しいものにしていることを、誰も言葉にはしていない。



 …………

 ……



「さて、皆様方。本日は夢見桜の此の風物詩、流し雛のお役目を引き受けてくださり誠に有難う御座いんす。改めて、御礼申し上げんす」


 夢見桜の代表たるトウカからの挨拶と練り歩きの最終確認が行われ、後は開始の合図である大太鼓の音が鳴り響くの待つばかり。

 まずは中央の広い通りを真っ直ぐに進み、そして夢見桜を大きく一周すると、再び同じ中央通りを戻ってくる。最後に桃の花が咲き誇る川を沿って歩くと、川の水で身体の穢れを流すことで練り歩きは終了だ。


 その僅かの待ち時間の間に、練り歩きの最後尾であり流し雛の主役でもある二人は、先程までとは違い穏やかな水面……或いは凪いだ風のように佇んでいた。


「……ねぇ、ロウ。この奉装束、本当に似合ってるかしら?」

「さっきも言ったが、よく似合ってる。君が雛姫でよかった」

「ロウがそう言ってくれて嬉しいわ……ありがとう」


 男雛と女雛……二人合わせて御内裏様。

 互いの顔は真っ直ぐに前を向いたまま言葉だけが交わされ、想いが寄り添う。

 その視界に在るのはこれまでを共に歩んできた、そしてこれからも共に歩み続けて行く大切で頼りがいのある仲間たちだ。

 

 

 そうして、流し雛は始まった。

 鳴り響く大太鼓の音は、鼓膜だけでなく体の奥にまで響く力強いものだ。

 桃幻鏡の大門中央にある桃の刻印が徐々に割れ、祝詞と共に少しずつ開いていく。


高天原たかあまはら神留坐かむづまります 神漏岐かむろぎ神漏美かむろみみこともち

 皇親神伊邪那岐乃大神すめみおやかむいざなぎのおおかみ 筑紫つくし日向ひむかたちばなの 小門おど阿波岐原あはぎはら

 禊祓みそぎはらたまときに 生坐あれませる 祓戸はらへど大神等おほかみたち

 諸々(もろもろ)禍事罪穢まがことつみけがれを はらたまひ きよたまふと まをことよし

 天津神あまつかみ 地津神くにつかみ 八百万神等共やおよろずのかみたちともに こしせと かしこかしこみもまをす」

 

 堂々たる歩みで先頭を征くのは夢見桜、桜桃筆頭であるトウカ。

 美しくも気高さのあるその姿に、どれ程の想いを受け止め背負っているのかは当人にしかわからないことだが、それが彼女たらしめているものなのだろう。

 桃の花が宿し言葉は天下無敵……その歩みと姿に迷いは無い。



「懸念。でも、頑張る」

「あぁ、此処は父様にとって大切な場所だからな」


 その両側では犬張子役であるフォルティスとロザリーが、トウカに遅れることも追い抜かすことなく付いていた。


 別の場所で準備していたフォルティスの背中には、竹ざるが落ちないように麻紐で括り付けられている。麻はまっすぐ伸びるので”すくすく育つように”という意味を持ち、ざるは空気を通すので赤ん坊の鼻の通りをよくする、つまりは”風邪を引かないよう”にという願いが込められている。

 そして、竹と犬の字を合わせると”笑”という字に似ることから、赤ん坊がいつも笑顔で竹の如く成長するように、という想いが込められているのだ。

 白い犬を模した着ぐるみのような服を纏ったロザリーは、雛あられを入れた麻布袋を首からぶら下げ、手にはでんでん太鼓を持っている。

 

 その後ろに続くのは草餅や白酒、甘酒、桃花酒を積んだ御所車ごしょぐるまと、小さく作られたお嫁入り道具を積んだ御駕籠おかごだ。台には淡く綺麗に灯る雪洞ぼんぼり

 この草餅は流し雛が終着点に到着した時に、健やかな成長を願う縁起物として成人していない子供たちに配られ、成人している者たちには酒が振る舞われる。

 


「せっかくの祭りなんだ。気楽にいこうぜ」

「黙れ、喋るな、気が散る」

「ははっ……(真逆の性格ですからね……はぁ)」


 続いて道を進むのはスキア、アフティ、シャオクの三人。

 立傘を手に笑顔のまま足を踏み出したスキアの姿はなんともいつもの彼らしい。

 祭りだというのに厳しい眼差しを揺るがすことのないシャオクは、真面目な性格が特に出ているのだろう。ロウの頼みである以上失敗は許されないと、丸笠を長竿の先にのせて歩いている彼女は足元の注意を怠りはしない。

 すでにどこか疲れた様にも見えるアフティは、沓台を持って歩いていた。きっと履物を落とさないように、いつも以上周りに気を使っているのだろう。



「抜かるなよ」

「おう、今だけは信じろ」


 その後ろを静かに、そして堂々と歩いているのは内界から来た二人だった。

 腰に立派な装飾刀を携え、手にしっかりと握られているのは弓と破魔矢だ。

 大衆が見ている中でリアンが堂々としているのは、彼が自分にも他者にも厳しい性分だからだろう。

 一方、セリスがそのような振舞いができているのは、リアンの怒りに触れたくないという事と、友であるロウに迷惑をかけたくないからだ。いつものお調子者な雰囲気はまるでなく、表情もしっかりと引き締められている。

 


「あの御方もどこかで見ているはずです」

「あぁ、いい息抜きになるよう努めよう」

「メイも今日は本気だし」

「……(この笛の音、なんだか落ち着くなぁ)」

「……(あぁ……胃がきりきりしてきたわ)」


 その後ろを華のある五人が歩いてくる。

 其々に異なった楽器を手にしているが流れている音奏は魔石を使用し、実際に演奏しているわけではないようだ。

 小鼓、大鼓を緊張した面持ちで手にしているクローフィとリコスは、楽器を扱うのがあまり得意ではないのかもしれない。

 服装が変わっても、相変わらず口許だけは隠しているムメイは太鼓につけられている長い紐を腰から肩に回し、再び太鼓に結ぶことによって動かないように固定して歩いている。

 しかしそんな中でも、オトネだけは得意の笛を見事に奏でながら躓くことなく足を進めていた。

 五人の中で最も背の高いリンは何も楽器を持っていなかったが、それは彼女の握力の所為……といわけでは決してなく、謡い手の役目を持っているからだ。

 四人の囃子方はやしかたとは違い、うたいの手には扇が握られている。



「後で兄さんに褒めてもらいます」

「後でお兄さんに撫でてもらうかな」 

「後でお兄ぃにはぐしてもらうっす」

「「それはずるい」」


 そんな先輩たちを追うように、流し雛の賑やかな雰囲気を最も楽しんでいる三人組が仲良く歩いていく。

 真ん中を歩くツキノは前と左右に桜の花を象った穴が空いている三方さんぼうを両手で持ち、それに乗った盃を落とさぬよう慎重に。

 その右隣にいるのがひさげ子を手にし、笑みを浮かべているシラユキだ。三人の中では最も奉装束を着こなしているようにも見える。

 その反対側では、時折足元を気にしているモミジが長い柄のついている銚子ちょうしを持ちながら、すでに終わった後のことを考え顔を綻ばせていた。



「うんうん、みんなしっかりしてるじゃないか」


 今回、夢見桜を訪れた者の中で流し雛の役に当たっていないブリジットは記録石の幾つかを使い、これまでの流し雛を映像として記録していた。

 そして今この瞬間、彼女が持ち得る記録石の中で、最も良質なものが使われようとしている。


「いよいよだね……王雛様と雛姫様のお通りだ」


 ブリジットが心待ちにしていた二人が観衆の前に姿を現すと、辺りからは音が消え、幾つかの感嘆の吐息が聞こえるだけとなった。


 通行路の左側を、淡い色でありながらも美しい桜を優しく持ちながら、全体を黒で統一した奉装束で身を包んだロウがゆっくり一歩ずつ進んでいる。造形デザインと各所に使われている色によって、黒色でありながらもどこか柔らかい印象だ。


 そして、この無音の中に零れ落ちる恍惚とした吐息の最大の理由が、ロウの右隣を淑やかに往くシンカの姿だった。

 その手には穢れを知らない白い橘の花が丁寧に持たれている。ロウとは対照的に色鮮やかで、豪華絢爛な刺繍と装飾の施された奉装束と合わせることで、橘と奉装束がそれぞれを引き立たせていた。

 

「さっきみたいになっちゃ駄目でありんすよ?」

「えぇ、もう大丈夫よ。本番で失態を晒すわけにはいかないわ」

「おやかた様も頑張る、です? あちきも頑張る……です」

「あぁ、最後まで油断せずにいこう」


 世界に音が戻り、我に返った者たちの多くの声が満ちる中、シンカの右横から声を掛けてきたのは女雛の付き人であるコモモだ。

 皮肉を口にはしているが、この幼き従者がこの雛流しを大切な行事として考えているのをシンカは理解している。奉装束の着付けや、出発前の着崩れが無いかの確認を、何度も丁寧に丁寧に行ってくれていたのだから。

 そしてコモモがいるということはスモモも勿論流し雛に参加しており、その役は男雛であるロウの付き人だ。コモモのように表情がころころと変わることはないが、ロウの側に居るその表情はどこか恍惚としていた。


「シンカ」


 それほど距離は離れていないが、この音が溢れている空間では掻き消されてしまいそうなロウの小さな声も、シンカにはしっかりと届いてくれたようだ。


「美しくて優しい君が隣にいてくれて……本当によかった」

「ぁ――っ」


 続いた言葉を聞いたシンカは再び取り乱しそうになるが、そんな不意打ちにもコモモが傍にいたおかげで失態を晒すことにはならなかったのは、前方で練り歩いている者たちの知らないことであった。


 ………… 

 ……


 そうして中央通りを抜けて夢見桜を一周し、再び同じ中央通りから引き返すだけとなった頃、誰も予期していなかった出来事が発生した。

 後はこの道を戻って川で穢れを落とすだけだというのに、どうして今なのか。

 幸い、今いる場所は夢見桜の大門前。つまりは……そういうことだろう。


「ふふっ、このタイミングで魔扉リムが開き、降魔という粋な演出まであるとは想定外。皆々様に依頼して正解だったということでありんすな」


 冗談めかして言ったトウカではあるが、無論そんな演出などできるはずがない。

 たまたま魔門が開き、たまたま降魔が現れたというだけの話だ。

 だがそんな偶然も、この場にいる面子を思えばただの盛り上げ役にしか成り得ず、御内裏の重臣たちは各々ただ指示を待つばかり……


「この規模なら俺が……」「この規模なら私が……」


「わかった、わかったからそう睨まないでくれ」

「わかったわ、わったからそう睨まないで」


 声を揃えて”自分が行く”と言おうとした男雛と女雛に集中する視線は、どれも有り得ないものを見るかのような冷ややかなものだったが、それも当然だろう。

 今この瞬間、ロウとシンカは御内裏様であり、そんな彼らを動かしたとあっては重臣たる者たちの恥にしかならない。故に――


随臣ずいじんだけで十分だとは思うけど……」

仕丁じちょうも一緒に頼む。一体たりとも逃すことなく、穢れを祓って来てくれ」


 雛姫と王雛からの勅命に、選ばれた五人は”当然だ”と言わんばかりに口角を持ち上げ、短い返事をしながら小さく頭を下げた。そして――

 

「セリス、まだ流し雛は終わっていないんだ。装束を汚すなよ」

「へへっ、任せとけって。刀の錆にしてやるぜ」

「そう心配してやるなよ、リアン。この程度なら本気出すまでもねぇだろ。あとセリス、その刀の刃は落としてるから斬れねぇぞ?」

「そうやって油断している奴ほど転んで汚しそうだがな。もし汚したら、私が貴様らごと川に落として清めてやる」

「いつもの慣れた服とは勝手が違いますからね。ですがまぁ、近寄らせなければ大丈夫でしょう」


 そう軽口を叩きながら、五人は大門から外へと瞬く間に走り去って行った。


 そんな頼もしい背中を見送り残された者たちは、選ばれなかったことを若干不満に思いつつも、ここにいる周囲の皆を不安にさせまいと、取り乱すこと無く静かに彼らの帰りを待ち……そうして待つことたった十数分。


 纏った奉装束を一切乱すことなく帰還した五人の姿は、まさに邪を祓う者に相違なく、威風堂々としたものだった。


 

 桃の節句に行われる流し雛。

 厄を背負い、祓う役目を背負った者たちは無言のまま静かに告げる。

 たとえこの世が穢れや不条理に満ち、冷酷かつ残酷であろうとも、子供たちの未来は奪わせない……決して、奪わせてなどなるものか。

 最後に勝つのは我々だと、練り歩く者たちの双眸は強き意志を秘めていた。


 そうして流し雛も大詰めとなり……

 

「ねぇ、ロウ」


 幾多に並ぶ桃の木と梅の木に挟まれた川沿いを歩き、大きな一本の桜が見えてくると、シンカは小さな声を零した。


「素敵で優しい貴方が隣にいてくれて……本当によかった」


 それは本当に素直な想いであり――

 

 それは本当に些細な願いであり――

 

 それはこれからも傍に居て欲しいという――純粋な祈りだった。




 ……………

 ……




 流し雛が無事に終わり、川の水で体を清めた御一行が縁起物の草餅が配っている最中、少し離れた場所からそれを見つめる一つの人影。


「…………」


 近寄るわけでもなく、草餅が欲しいわけでもなく、ただただその光景を自らの瞳に映し出している。


「…………」


 それはただ、そこの居るだけの存在。


「…………?」


 突然、その人影は何かを思い出したかのように、誰に気付かれる事なくその場から姿を消した。

 何かやましいことがあるわけでもなく、身体に染み付いた当たり前の行動。


 ただ一つ、やましさがあるとするならば……それは――


















       自分の存在意義がわからないこと         



















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