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ピグマリオンは夢をみる  作者: ポン太郎
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第2話  三島舟平

 今日は4月最後の日曜日。朝凪高校1年の谷崎優子は朝から朝凪作品展に来ていた。といっても、絵を見るためではなく、作品展の運営である岡野園子に用事を頼まれたからだ。

 町内の小学校では毎月各学年の児童たちが順番に作品展に絵を出品するのが恒例になっている。4月の担当は1年生だ。3月担当だった元6年生の作品とその1年生の作品を総入れ替えするのは、運営である園子の仕事だ。しかし今日は業者が納品に来るため忙しいのだという。そこで、丁度いいところに居合わせた優子が文具店の商品券と引き換えにそれを手伝うことになったのだ。

 

 「小学生の絵ってなんていうか独創的よね。大人には真似しても描けないだろうな、こういうの。純真無垢な幼い子供にしか描けない絵っていうのは、それだけでとっても貴重なのよね」


 岡野園子の娘・岡野美央は小学生の絵を見ながらそう呟いた。美術に関して疎い優子には、小学生の描いた絵なんてただの下手な落書きにしか見えなかったが、そういう見方もあるのかと感心した。

 その美央もまた母親に言われて作品展の手伝いに来ている。


 「てか、昨日優子が拾ったっていう絵の具、やっぱりあの絵の作者のらしいよ」


 あの絵、と言いながら少し離れた場所にある絵画を指差す。数日前に朝凪作品展に出品されてから優子と美央の周辺で何かと話題になっている絵だ。

 優子は昨日、その絵を見ていた男性が落とした絵の具を拾っていた。園子に尋ねると、その絵の具はあの絵の作者が昨日文具店で買ったものだという。油絵の具という種類の絵の具だというが、そんなの売ってたっけ、と優子は首をかしげた。岡野文具店は朝凪町唯一の文具店で、一応画材も取り扱ってはいたが学校の美術の授業で使う程度の一般的なものしかなかったはずだ。


 「なんでも、あの絵の作者が油絵の具も取り扱って欲しいって注文してきたらしいよ。今日は先日の納品に間に合わなかった分の絵の具の納品なんだってさ」

 「そうなんだ。てか美央、なんか嬉しそう?」

 「だってさ、もしかして今日また絵の具買いに来るかもしれないじゃん」


 なるほど、と優子はため息を吐いた。最近の美央はクールでイケメンだというあの絵の作者に興味津々なのだ。美央は自他共に認めるイケメン好きだ。毎日学校で彼がいかにかっこよかったか力説される優子としては、その話題にはすこしうんざりしている。


 「あ〜あ、私も彼に絵のモデルになってくださいとか言われてみた〜い!」

 「はいはい、わかったから手を動かして。これじゃお昼までに終わらないよ」

 「はーい。……ねえ、前から優子ってあんまり恋バナに興味ない感じ?」


 この話題は恋バナだったのか……。

 確か母親と彼が話をしているのを見ただけで話したことはないはずだ。いや、面食いの美央からしてみればイケメンというだけで恋に落ちる条件は満たしてるということか。


 「うーん、私そういうのよくわかんないや」

 「言われてみれば、男子のことかっこいいとか好きとか言ってるの見たことないかも」


 単に美央のように惚れっぽい性格ではないだけだ。優子も年頃の女の子なので、人並みに恋愛に憧れてはいる。でも、幼稚園から高校まで顔ぶれがほとんど変わらない環境で恋が生まれるとも思えなかった。


 それからは二人とも黙って作業に集中した。時計の針が正午を指す頃には、作品の入れ替えは大体終わった。新一年生の愉快な絵達に彩られた朝凪小学校専用展示スペースはとても賑やかだった。

 美央が作業が終わったことを母親に知らせに行く。一人残された優子は、あの女性の絵の前に立っていた。あの時、あの男性もこうしてこの位置からこの絵を見ていた。絵から2メートルほど離れた、この位置から。

 その時優子は、まるでその女性が本当にそこにいるかのような不思議な錯覚に囚われた。窓から差し込む朝日に照らされたその女性は、ベッドから少し離れたところにいる優子に微笑みを向けている。いかにも優しそうな女性の微笑み、しかしその絵はどこか悲しみに包まれているような気がした。あの男性は、何を思ってこの絵を描いたのだろう。この人は、誰なんだろう。美術のことなんて分からないし興味がない優子だったが、この絵の作者には話を聞いてみたいと思った。


 「優子ちゃん、お疲れ様! お昼ご飯食べてってね。今美央が準備してるから」


 いつの間にか展示スペースの入り口に園子が立っていた。

 優子は慌てて荷物をまとめて、園子と共に文具店に戻る。その道中、園子が思い出したように言った。


 「あ、そうだ。今店に三島さんが来ててね、優子ちゃんにお礼が言いたいって」

 「三島さん?」


 知らない名前だった。少なくとも知り合いではない。


 「あれ、名前知らないんだっけ。三島さんは、さっき優子ちゃんが見てた絵を描いた人よ」


 作者と話してみたいというささやかな願いは、思っていたより早く叶うこととなった。






 岡野文具店の前には沢山のダンボールが積まれていた。納品は30分ほど前に終わったらしい。

 商品が入荷した事を三島に知らせたら早速買いにきたのだという。

 油絵の具なんてこんなに入荷して大丈夫なのか、と思ったがその三島がどうしても欲しいというので、これからも絵を作品展に出品してくれるならという条件付きで入荷した。落し物である絵の具は園子に預けていたので、その場で返したとのことだった。

 園子は店の奥を指差して言った。


 「三島さん、応接スペースで待ってるから」


 園子は美央に昼食の準備を任せっきりにしてるから、と隣にある岡野宅に戻って行ってしまった。

 お礼なんて、別にいいのに。優子は変に緊張していた。昨日、三島の静かな鑑賞時間を邪魔してしまった気がしていた優子は、いたずらをして職員室に呼ばれたような気分だった。

 文具店の奥には、応接スペースと呼ばれる商品の陳列棚がない開けたスペースにテーブルとソファーが置いてあるだけの場所がある。店の外から遠目に見ると、そこに誰かが座っているのが見えた。

 ドアが開けっ放してあった上に、緊張から忍び足で近づく優子に三島は気がつかないのか、コーヒーの飲みながらスマホを見ている。


 「あの…」


 三島は振り返って優子を見た。優子は名乗らなかったが、三島は昨日落し物を拾った少女だとすぐに気づいたらしくコーヒーとスマホをテーブルに置いて姿勢を正した。


 「谷崎優子さん、かな。三島舟平です。昨日はどうもありがとう」

 「は、はい」


 落ち着いた低い声だった。優子は三島に促されて向かいのソファーに腰掛ける。あまりに緊張しているためか、優子の動きはぎこちない。それを見た三島は、ふふ、と笑った。


 「ごめんね、急に呼び出して。びっくりしたよね」


 なんだ、普通に笑うし優しい人じゃないか。美央から笑わないクールな人物だったと散々聞かされてきた優子は、彼に対して怖い人物だという印象を持っていた。変に緊張していたのは、そのせいでもあった。

 拍子抜けしたと同時に恥ずかしくなった優子はすみません、と謝った。


 「昨日家に帰ってから中身を確認したら、買ったばかりの絵の具が1本なくて焦ってたんだ。買い直す羽目になるところだったから、本当に助かりました」

 「い、いえ……」

 「さっき園子さんから注文していたものが入荷したっていう電話もらって、ついでに買い直そうかと思ってたら、僕の落とし物を拾って預けてくれた子がいるって聞いたんだ」

 「は、はぁ」

 「それで、もしかして昨日作品展見に来てた子かなって思ってたんだよね」


 存外、よく喋る人だった。ますますイメージと違う。


 「園子さんに聞いたけど、よくあの作品展を見に来るの?」


 何故かどきっとした。やましい事をしているわけではないのに、優子は返事に躓いた。


 「絵が好きなの?」

 「い、いえ……」


 正直に言えば好きな方ではない。絵を描くのは昔から苦手で、自分のヘンテコな絵を人に見られるのが恥ずかしかった。隣の街に有名な企画展がやってきたときに母親と一緒に見に行った事があったが、いくら有名な絵ですと言われても、丸や三角や四角で描かれた小学生でも描けそうなその絵の何がすごいのか、優子には理解できなかった。なので、絵画鑑賞という行為自体もすこし苦手だったのだ。

 しかし、そんなことを絵を描くことを得意としている人に直接言うのも如何なものかと思う。


 「嫌い、とかじゃないんですけど、その、あんまり……」

 「そうなんだ。でも、よくあの作品展見に行ってるんだよね。」


 あなたの絵を見に行ってるんです、なんてとてもではないが言えなかった。三島の作品を見るために毎日作品展に通っているなんて知られたら恥ずかしい。優子は俯いた。


 「僕はこの町に引っ越してきて間もないけど、ああいう作品展をやってるのってすごくいいと思うんだ。本業が描いた絵とは又違う良さがあるよね」


 今朝美央から似たような話を聞いたような気がした。

 明るい表情で話す三島は、どこまでも絵が好きな人なんだと思った。変に気を使わずに気楽に喋る三島に、優子は安心した。それに感化されたように、優子の緊張もほぐれていった。


 「三島さんのあの絵、すごいなって思ってました」


 優子は単純にあの絵について思ったことを口にしたのだったが、その言葉に三島の表情から笑顔が消えた。

 それまでの穏やかな空気が、突然止まってしまったような気がした。言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。

 三島はコーヒーを一口飲んだ。


 「まあね。園子さんに無理言って画材を仕入れてもらったし、これからもたまに出品はしようと思ってるよ」


 三島は笑顔でそう言った。

 彼はあの絵について触れなかった。優子も、それ以上は何も言えなかった。きっと何か深い事情があるのだろう。

 昨日見た、あの絵を見つめる三島の後ろ姿を思い出す。明るい好青年とはかけ離れた、寂しそうな小さな背中だった。


 「三島さんは画家をされてるんですか?」


 話題と空気を変えようと、優子のほうから話を振った。三島はすこし考えた後、首を横に振った。


 「半分正解、半分不正解かな。今年から隣街の画塾で講師をすることになってね、生徒はほとんど学生さんだから、平日昼間はほとんど開いてるからそういう時間を使って絵を描いてるんだ。大学時代から絵を描いては出品してお金をもらってるから、半分画家かな」

 「賞をもらってるんですか?」

 「ううん、絵を見に来た人が作品を買ってくれるんだよ」


 見に来た人が作品を買う。美術館や町主催の作品展しかしらない優子には初耳だった。

 三島は腕時計を見て、そろそろ行かなきゃ、と立ち上がった。


 「長話してごめんね、改めて、昨日はありがとう。作品展、また見に来てね」


 歩き出す三島の背中に、優子は疑問を投げかけた。


 「三島さんは、なんで朝凪町に引っ越してきたんですか?」


 三島は歩みを止めて振り返って言った。




 「この町の海が見たかったんだ」

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