不良少女(ガール)と病弱少年(ボーイ)
初めて一と会ったのは病院だった。
親との折り合いが悪く、寂しさや将来の目標が無いことへの焦りなんかでとても荒れている時で、苛立ちをぶつけるように乱暴な運転をしてオートバイで事故を起こし通院していた。
パサパサの金髪にピアスだらけの体。
傷つく度に増えていくそれは、今では両手では足りない程だった。
そんな自分に酔っているんだろうと言われても、否定は出来ないと思う。抗おうとしていない自分がいることも確かではあるから。
けど、どこにも居場所が見つからないのもまた事実なのだ。心無い連中に、この気持ちは分からない。
テストで良い点を取ったり、面白いことがあったりして家に帰った時の家の静寂の寂しさは、体験しなければ分からない。
ほとんど治療も終わり、経過観察の為の診察で病院に来ていて、トイレを探している時だった。廊下の手すりに掴まる少年が、微かに呻きながらしゃがみこんだのだ。歩いていく先だったので行ってしまえば無視は出来ない。病人の相手なぞごめんだった。
(ごめんよ、少年)
踵を返して元来た道を歩き始めた。
面倒ごとは回避したのに、感情に反して足は重くなっていく。
あの時と同じ、胸が締め付けられるような苦しさが体を沈ませる。
(……ああくそっ)
そのままいってはいけないと、心が叫んでいる。どうでもいいと見過ごせない自分がいた。
(不良やっても中途半端かよ)
意を決して傍を通りかかった看護師を呼び止め、
「あっちで子どもがうずくまってた」
道の先を指差してぶっきらぼうに言い放つと、
「本当に!?ありがとう、行ってみるわね」
笑顔を見せて足早に去って行った。
久々に向けられる笑顔に背中がむず痒くなって、舌打ちをして耳のピアスに触れた。
一月程経ち、最後の診察に訪れた。
「マキちゃん。もう大丈夫だよ。傷は残ってしまうけど…」
「あーあーいい。自分でやったことだし。」
「耳の調子は、どう?」
「左は全然だめだわ、きゃははっ、やっばー」
「聞こえない?」
「んー、くぐもってる。」
「そっか」
「せんせーわたしに気があんの?何でせんせーがそんな顔する訳?」
「…もっとさ、体、大事にしてあげろよ。」
「何、せんせーまで説教?ちょっと勘弁してよー生活指導にもこっ酷く叱られたばっかなんだからさー」
「マキちゃん、これは真面目な話だよ。健康に産んでもらった体をこれ以上傷つけるのはよしなさい。耳だって、一回壊すと元に戻らないのに。」
「……それだけ?もういい?」
「…うん。いいよ、終わり。お疲れ様」
「はいはーい。じゃね、せんせ。」
「あ!待ってマキちゃん」
「何」
「聞いたよ。この前来たとき人助けしたんだって?」
「してね…ぁ」
「105病室の一くん」
「別に、ウチは」
「大事なことだよ。一刻を争うような発作を起こす子はそれが一番大事なんだ。」
「……」
「お礼がしたいってさ。寄って行ってあげてね。」
「…ふん、誰が。今日予定あるし無理」
「そうか、それは残念だなぁ。今日来るって言っちゃったのに。すごく楽しみにしてたんだよ?」
「はっ、知らねー。」
「マキちゃん、お願い。一くんは長いこと入院してて、友達もいないんだ。マキちゃんがなってくれると僕も嬉しいんだけどな」
「長いこと?」
「外にいる時間の方が短いくらいだ」
「そんなに…?」
「すごく重篤な病を患ってる。今日会わなかったら次会えるか分からない。だから“今日”、会って行ってくれるかい?」
口を真一文字に結んでせんせーの顔を睨んだが、まっすぐで真剣な眼差しには勝てない。渋々、
「わーったわーった!行くよ、じゃあ!」
「良かった。もう患者として来るなよ。」
せんせーの言葉に右手でOKマークを作って、診察室を出た。
入院病棟に行き、廊下をぶらついていると“105”とあるプレートが見えて、途端に緊張し、落ち着かない気分になる。
本当に行くのか。
自問自答が始まる。
扉の前で立ち尽くし、どれ程経った頃だっただろうか、
「あの…?うちの子に何か?」
大量の本を抱えた女性が、マキの頭の先から足の先まで眺め回して眉をひそめた。
「いや、別に」
気持ちの悪い視線に耐えきれなくなり帰ろうと向きを変えたとき。
「…あっ!もしかしてあなたこの前助けてくれたっていう方?」
せんせーからそう聞かされていて、否定するのも違う気がして曖昧に頷くような素振りを見せた途端、
「私ったら恩人に何て事を!見慣れない服装だったからつい。本当にごめんなさいね。」
「お、恩人なんて、そんな大層なもんじゃ…」
否定して首を振ると、
「あなたには分かりづらいことかも知れないのだけど、近くの人に伝える、それが命をつなぐ大切なことなの。あれがなかったら今頃どうなっていたか。本当にありがとう。」
見るからに不良のマキにここまで深々と頭を下げる人は今まで会ったことがなく、対応に困ったマキは不機嫌な声で、
「ほんとやめてってば。重いから。」
そっぽを向いて乱暴に言った。
「ああ、ごめんなさいね。」
気弱そうに眉を下げる動作が妙に気に障る。
「ウザイのよ。そーゆーのほんとやめて」
「ご、ごめんなさい。」
「はあっ!もういいから。帰る。」
気づかないうちに声が少し大きくなっていたらしい。病室の中から、
「母さん、どうしたの?」
心配そうな少年の声が聞こえ、
「何でもないわ。ごめんね、声が大きかったかしら。」
母親がやけに明るい声で返した。扉を隔てているからかもしれない。
と。
ガラッと音がして扉が開かれた。
「一!」
「あんた?母さんをいじめないでよ。」
開口一番、マキの見た目にも動じず怒りに溢れた低い声でマキを真っ直ぐ睨みつけ言った。マキより少し低いくらいの身長だが気迫に溢れて凛として、真っ直ぐで揺らぎがなかった。
「一!いいの。」
「良くないよ」
「助けてくだすった方なの!」
一の動きが止まった。
「この人が?」
不信そのものの顔で母親とマキの顔を交互に見る。
「そうよ。せんせーが会いに行けって言うから来たの。とんだとばっちりだわ。来るんじゃなかった。」
マキが髪をかきあげつつ言うと、
「僕も、来て欲しいなんて言わなきゃ良かった」
一も同じように挑戦的に言った。
マキは「ふんっ」と捨て台詞のように荒く鼻息を吐いて一と一の母親に背中を向けて、足音高く歩き去った。
回診に訪れた小野先生が、不機嫌な顔を見て微かに笑いながら
「どうしたの?」
と尋ねてきた。
それで昼の話をすると、小野先生は少しも顔色を変えないで、最後まで口を挟まずに聞いてくれた。
「そっか。マキちゃん、ちゃんと来たんだ。」
「やな奴でした。あんななら、来なくて良かったです。優しい人かと思ったのに。友達に、なれるかなって、思ったのに…」
小野先生が黙ったので、怖くなって、名前を呼ぶと、小野先生は真面目な目でこう言った。
「一、一はマキちゃんの何を知っているのかな?」
「え…」
言葉がない。
確かに自分は彼女を知らない。
名前だって今聞いたばかりだ。
「見た目あんなだけど、すごくいい子だよ。」
「でも、だって、母さんのこと悪く言ったから」
「それは確かにマキちゃんが悪い。でも、嫌ってしまうにはまだ早いんじゃないか?」
小野先生が優しくそう言う。
「僕からはあまり言いたくないんだけど、マキちゃんは、家に事情があってね、いつも一人で、誰かに見て欲しくて、体を傷つける癖がついてしまった子でね。あの日もそれの治療で来ていたんだ。」
「健康なのに、どうしてそんなことを…」
悲しそうな目をして小野先生が続ける。
「勘違いしないで欲しいことなんだけど、決して命を軽く見ているとかじゃない。体に傷をつけないと、痛みを感じないと、心の痛みに耐えきれなくなって壊れてしまうからなんだ。彼女なりの防御策なんだよ。だから、許してなんて言うと偉そうだけど、あまり言ってあげないでくれるかい?」
何も知らずに酷いことを言ってしまったととても後悔した。「覆水盆に返らず」。もうどうしようもない。彼女はきっともう、顔も見たくないだろう。
暗く沈んだ気分でいると、
「そうあまり気に病んじゃいけないよ。体に障るからね。」
小野先生が髪をくしゃりと撫でて笑った。
こんな時まで人に気を遣わせてしまう自分が情けなく、検査が終わってすぐに布団に潜り込んで溢れそうになった涙を飲み込んだ。
他校の生徒と小競り合いになってまたたくさん傷を作った。縫うほど深いものもいくつかあってせんせーに渋い顔をされた。
「患者として来るなって言うの何回目?いい加減約束守ってよね。心配して言ってるのに。」
ぷりぷり怒る顔を笑いながら眺めていた。せんせーといると一番落ち着く。
「一がさ」
「!」
頭にクソ生意気な少年の顔が浮かぶ。
チクったのかと、顔が苦虫を噛み潰したように歪むのがわかった。
「あいつがなにさ」
苛立ちを前面に押し出して言うと、意外にも
「申し訳なかったって」
謝罪の言葉が出るから驚いてしまう。
「謝りたいから会いたいってさ。」
「はあ?やめてよ、いい加減にして。そういうのもういいから。」
「来てくれないなら会いに行くって」
「はあ…。」
「どうする?」
「わ、か、り、ま、し、た!!行くよ!!行きゃーいーんでしよ!!」
半ばやけくそで返すと、せんせーは笑いながら、
「良かった。行くって信じてた。」
冗談めかしてそう言った。
本心が含まれているんじゃないか、そう思わせる言い方だった。
コンコン、と控えめなノックの音がして、許可するとあの派手な見た目の少女(と言っても年上だが)が、決まり悪そうに立っていた。
「……よ」
「こんにちは」
小野先生に言われて注意して見ると、確かにピアスの数が半端ではない。耳や鼻や唇で鈍い光を放っている。まるで「ここにいるよ」と、自分の存在を主張するように。
「この前はごめんなさい。僕酷いことを言っちゃって、後悔したから」
「ふーん、いい子ぶっちゃって。どうせ親が言ったんでしょ。」
ゆるりと横に首を振る。少女は半眼で肩をすくめた。
「ま、どっちでもいいけど。用が済んだなら帰っていい?」
「その傷どうしたの?」
「ちょっと聞いてんの?…何でそんなことをあんたに言わなきゃなんないの」
「せっかく綺麗なのにもったいないよ」
「は、はあっ!?おちょくるのもいい加減にしなさいよ?」
「ほんとほんと」
「世辞が上手い子どもなんて可愛がられないわよ。これ以上馬鹿なこと言うんだったら帰るから。言わなくても帰るけど。」
「ねぇ」
「……」
「僕とさ」
「……」
「友達になって」
「あごめん無理じゃあ帰るからばいびー」
「ちょ、ちょっと!馬鹿にしないでよ!真剣なんだから!」
「馬鹿にしてんのはどっちよ!?あたしと友達になりたいとか冗談でも言わないで!!」
「冗談じゃない」
「うそ!!あたしがこんなだからほんとは馬鹿にしてる癖に!!」
「してない。するわけないよ。僕はまだあなたを知らない。」
「っ…!?」
「小野先生に言われて気がついた。知らないのに悪く言えない。だからごめんなさい。僕はもっとあなたが知りたい。」
不良少女は気味の悪いものを見る顔で一を凝視して、それからぽつりと、
「あたしも…悪かった」
言って乱暴に髪をかき上げ、ピアスを摘んで親指と人差し指を擦り合わせた。
そしてその指を。
ぷつっ
「いっ…!」
「な、何してんだよ!」
驚いて、ベッドから飛び降りる。
縦に裂けた耳たぶから血がぷくりと浮き出て赤いピアスのように見えた。
不良少女は苦しそうに顔を歪めている。
一は耳を直視出来ず、とっさに少女の頭を引き寄せて抱き込んだ。
少女は抵抗せず、さっきまでの勢いを失って一のされるがままに頭を委ねた。
「もう止めようよ。そんなことしたって痛みが増えるだけじゃない。」
「……」
「苦しいのは僕も同じ。薬で治るか治らないかの違いだけ。ね、一人は僕だって寂しい。だから仲良くしよう。二人ならきっと苦しくなくなるよ、多分。」
「いあ」
「え?」
腕を解いて少女が一の顔を見て、
「ギザ」
と言われた時の恥ずかしさはご想像にお任せするが、兎にも角にも、こうして不良少女と友達になった。
一の元に通うようになって、言う通り胸のつかえは無くなり傷を作ることが少なくなった。ピアスも増えていない。高校の生活指導にも、
「最近素行がなおってきて大変よろしい」
とお墨付きをもらうほどだ。
仲間に、
「カタギの彼氏でもできたか?」
と言われたことには全力で否定をした。
季節はあっという間に巡り、一と出会った時と同じ季節がやってきた。
もう習慣になっている一のお見舞いへ、制服のまま行く。
しかしその日は会えなかった。
105と書かれた病室が見えてきたときいつもよりも人の声が多く聞こえ、
「ごめんねーちょっと通らしてー」
後ろからストレッチャーが運ばれて来た。そしてそれは105病室に消える。
心臓がばくばくとうるさくなった。
中に入る勇気がなく扉のところで立ち尽くす。
「移しまーすいちにさんっ」
「交代します」
「分かった」
「一くん、聞こえるー?」
がらがらとキャスターの転がる音がして、目をつむって横たわる一と、一に跨って心臓マッサージをする医者が出てきた。続いてせんせーも出てくる。せんせーはマキに気がついて立ち止まった。
「マキちゃん」
「あ…え……の…」
口を開いても言葉が出てこない。
酸素の足りない金魚のように口をパクパクさせる。せんせーが頭を撫でて、
「必ず助ける」
力強く、きっぱりと言った。そして一の後を追って廊下を曲がって行った。
目を覚ますと、そばにいる母親に僕は開口一番、
「今……いつ?」
聞くのが怖いような質問をした。
「は、一!良かった…ああ…良かった…よく目を覚ましたね。良かった。」
良かった良かったと連呼して頭を撫でられ、疲れているだろうに笑顔で、
「ごめん…心配…かけて…」
それしか言えなくなる。比喩ではなく実際それしか息が持たない。
「一週間眠ってたの」
「良かった…それだけか…」
めくられていないカレンダーに安堵する。何ヶ月も眠ったような状態になることはざらにあったからまだましだと思ったのだ。
「ねえ、マキちゃん…は…来たの?」
「一度ね、二日前かしら。」
「そっか…マキちゃんにも…謝らないと…」
優しいから怒るだろうか。
泣くことは無いにしても、思い切り睨まれることは覚悟しなくてはならない。
(あんたが謝ることじゃない!)
前に一度そう怒鳴られたから。
後で小野先生に叱られていたが。
(来て…くれるかな)
わくわくして、顔が緩みにこりと笑った。
一週間経っても、二週間経っても、マキちゃんは現れなかった。そこまで長く来ないことは今までないことで、心配で、昼間はいつも扉を眺めて、がらりと開くともしかしてと思い、そうやって過ごすうちに食欲が落ちて小野先生や母親に心配をかけ、体が弱り、横になる日が多くなった。
酸素マスクをして日がな一日天井を眺める日々。
また以前の生活に戻ってしまった。
間隔が短くなってきた発作に怯えながら意味もなく過ごす苦痛。
「か…さん…」
「ん?一…!?」
「痛…くるし…い…」
「一!一!」
一枚、二枚とカレンダーがめくられていく。最後の一枚になり、取り替えられ、病室に新しいカレンダーが掛けられた。
それでもマキちゃんは現れなかった。
「引っ越すって、どういうこと?」
「どうもこうも、そのままの意味よ。新しい家に移るの。」
「あ、新しい家?何それ。聞いてないんだけど。」
「だってあんたほとんど家に居ないじゃない!」
「そ、そうだけど」
引っ越す前日に母親から通告された。
それはないよ。
一に、さよならが言えない。
慌ただしく荷物をまとめ、あらかた終わってから病院へ行った。
あれからずっと眠り続けている。
本当に、死んでしまったみたいに。
酸素マスクが曇るので息をしていることは分かる。
「一」
もちろん、何の反応も示さない。
「ウチ、引っ越すんだって。明日飛行機乗ってここを発つみたい。言われたの前日なんですけど。」
前髪と額をごちゃ混ぜに撫でる。
ひとしきり撫でて。
「じゃあね」
おでこにキスをした。
もう会えないかもしれない、たった一人の友人を。
「忘れないから」
“忘れないで”
目をこすりながら歩いていたせいで、すれ違った一の母親に気がつかなかった。
病院を出て、お店に寄り、ピアッサーを手に取る。
右耳の耳たぶはもうピアスは出来ない。
「じゃ、いらないか」
手に取ったピアッサーを元の場所に戻して踵を返した。
「一!見てごらん!」
母親が興奮して持ってきたのは今朝の新聞だった。
「今政権失策か、トラブル相次ぐ。がどうしたの?」
「そこじゃない、ここ、ここ!」
「……あっ!」
それは、新薬の開発に成功し特許を取得したという内容の記事だった。
「これ俺が飲んでるやつか!へぇー、すごいのかな?よく分かんないけどすごいね。」
新薬が出たおかげで今も生きている。
病院に居るのに変わりはないが、生きてさえいれば。
生きていればまた会えると信じて、頑張ってきた。
彼女に。
「ほら、ここ。」
開発したチームのメンバーの名前の中に“相田マキ”とあり、一緒に載っている写真に見慣れた姿があった。
大人びてさらに綺麗になった、
「マキ、ちゃんだ。」
『この薬を、病気で苦しむ全ての人に捧げます。どうかこの薬があなたに効きますように。』
(20**年 5月**日 ○○新聞6954号より抜粋)
ちゃんとまとまっておりますでしょうか。拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。