消された初恋
※ふたなり娘×人間(男)です。
リオネルは辺境伯領で悪夢を見る。翌日、彼は初恋の相手ローリーを思い出す。彼女と出会ったことも愛し合っていた記憶もローリーの家族によってリオネルはすべて消されていた。
『王太子妃になれなかった婚約者 【連載版】』で王太子がデボラの隠れ家を探しだした頃の話です。
その日の目覚めは気怠いと言えるレベルものではなかった。
重労働――泥のように眠れるほど鍛錬を行ったか、無理な日程で強行軍を行った翌日のように体が重い。
従兄弟である王太子のコーネリアスのおかげでは私――リザルフォント公爵令息リオネル・ユーグ・マチェドニアはよく後者を経験する。
20代も半分は過ぎたいい歳して妻帯どころか婚約者もいない身なので、コーネリアスの代わりに遠方に出かけることが多い。
今回の辺境伯領訪問もそうだ。
疲れた。
それにしても体が重い。
ローリーの顔が見たい。
ローリーの顔を見れば、こんな疲れは吹き飛ぶに違いない。
・・・。
ローリー?
ローリーとは誰だ?
脳裏に浮かぶのは蜂蜜のような色の髪をした一人の少女。
空のような薄い水色の目をした王宮の侍女だった私の恋人。
何故、忘れていたのだろう。
彼女を忘れることなんてできる筈がないのに。
胸を締め付ける苦しさと熱くなる眼の奥を耐えるように私は目を閉じる。
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ローリーと初めて身体を重ねたのは彼女と出会った次に巡って来た春だった。
様子の落ち着かないローリーを心配して声をかけると、彼女の”体質”では身体が大人になると春は性欲が増して辛いらしい。
彼女の”体質”は母親譲りの母系遺伝だ。では、彼女の母親はと言うとローリーの父親が鎮めてくれるとか。そのおかげで成人した子どもたちはただでさえ身体が辛いのに精神的にも参りたくないと春には実家に近寄らないらしい。
私は婚約者のいる身だったから、それを何とかしてローリーと暮らせるようになるまで待ちたかった。
しかし、彼女の辛そうな様子に我慢できず、私は婚約者のいる身でローリーと婚約者、二人を軽んじる行為をしてしまった。その上、私はそれに溺れてしまう始末。
私もローリーも経験がなかったが、二人で一緒に学んでいくのが楽しくて仕方がなかった。
婚約が解消されるまではと避妊にも気を遣った。
数年かけて婚約者と相手の家をどうにか説き伏せて婚約を解消した後に巡ってきた春。
その頃には、私はローリーとの仲を両親を説得して、後継を妹のウィルミナ夫婦(まだ妹の相手は未定だが)にしてもらえるところまで話を進めることができていた。
この春が終われば、ローリーと私は一緒に暮らし始める。つまり、この春から家族を作っていくことがようやくできるようになったのだ。
この春の後、ローリーは王宮勤めを辞めて、私と暮らし始める。春にできた子どもたちと共に死ぬことになった家で。
生まれてこられなかった子どもたちには悪いが、子どもたちさえできていなければローリーが死ぬことはなかった。子どもが一人なら無事に産めただろう。
しかし、子どもは一人ではなかった。
不老長寿な、私が死んだらその後を追って死ぬと言ってくれたローリーが、先に死んでしまった。
そんなローリーと過ごした記憶を消したことはとても罪深い。
そして、ローリーへの想いを従兄弟の婚約者で妹のように思っていたデボラとすり替えたことは万死に値する。
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ローリーのことを思い出したきっかけはあの最悪な悪夢が原因に違いない。あの悪夢もローリーに関する記憶が消されていたことと同様に干渉された結果ならば、それが消されていたローリーとの記憶を呼び起こしてしまったのだろう。
人の記憶というものはとても曖昧なものだ。
例えば青リンゴを見て、十人全員が『青林檎』だと思うとは限らない。『赤くなる前の林檎』だと勘違いする者もいれば、『林檎』としか認識していないかもしれない。逆に『林檎』に関する思い出まで思い出してしまう者もいるだろう。そうなると、一時間前に見たモノについて訊かれた場合、『林檎』を憶えていない者以外でも言うことが異なってきてしまう。明らかに『林檎』のあった場所で別の物を見たと主張することもあるかもしれない。
しかし、『林檎』に関する思い出まで思い出してしまった者はそちらの記憶のほうが強く印象に残っているだろう。普段は忘れてしまっているような記憶であっても、一度思い出してしまえば、気持ちを引き摺ってしまうような記憶であれば。
それが私にとってローリーとの記憶に相当する。
問題は、私がローリーの存在自体を忘れていたということだ。
ローリーが死んだ当日さえ、まるでローリーがいなかったかのように私は生活を続けていた。
ローリーが死に、子どもたちも死産だった。
それから・・・、ローリーの出産の手伝いに来ていたローリーの親族の女性たちが私に向かって何かをして、私はただぼんやりと彼女らがローリーのいた痕跡を消していくのを見ていた。
様々な色の金髪の女性たちが立ち去ると、私は何事もなかったかのように一人暮らしをし始めた。
悪夢に出てきた女性たちも金髪をしていた。彼女らの身体はローリーと同じで、男でもあり、女でもあった。
わかっていることは、彼女たちの一人とは辺境伯に案内されている時に辺境伯と顔見知りらしく、挨拶していたということ。
彼女らはローリーの親族の女性たちと同じように私の記憶を操作したに違いない。
ローリーの親族はローリーの記憶を消し、彼女らは自分たちが行ったことを夢だと思い込ませる形で。
この国は他国のように魔物の被害はない。他国では当たり前のことでも、この国では魔物や魔法はお伽噺だと思われている。
人間が決めた境界線で魔物が出現しないなどということは、お伽噺ですら聞いたこともない。
王家に魔物を寄せ付けない力があるという話も王女だった母から聞いたことがない。
だとすれば、魔物がこの国に現れない理由を知っていそうなのは、王家と同様に騎士団を持つ辺境伯くらいだ。
辺境伯ならばその答えを知っているだろう。
辺境伯であるキリル・アレル・ストラットンなら魔法のような力を持つ彼女たちの正体も知っているのではないのだろうか?
私は与えられた部屋を出ると辺境伯を探して館の中を彷徨った。こういう館には使用人用の通路や階段もあるので、使用人と出くわすことすら少ない。
ようやく出会った使用人を捕まえて、辺境伯の居場所に案内してもらう。
こうして、執務室で仕事をしている辺境伯を強襲した。
代々の辺境伯が使っていただろう執務机の向こうにキリル・アレル・ストラットン辺境伯がいた。その側の机には恋人と噂されているダークブロンドの従者がいて、私の突然の登場に音を立てて席を立つ。
辺境伯は人形のように整った顔を無表情なまま、私にその青い目を向けてきた。
「リザルフォント卿?」
辺境伯は訝しげではあるものの、その口調には先触れもなく現れた親しくもない私への批難の色がある。
従者は辺境伯の横に立って警戒する様子を隠さない。
「昨日、辺境伯が挨拶をしていた金髪の女性は何なんだ?」
「何と言われても、ただの知り合いだが」
知り合いとは都合の良い言葉だ。
言い逃れをしようと辺境伯を簡単に逃がすわけにはいかない。
「そういう意味ではない。アレは、人間ではないだろう? この国では目にすることもない生物だろう?」
他国の大使や使節団は魔物が出ないことを褒め称えてくれる反面、他国では当たり前のことがこの国では異常なことであることもわかってきている。
他国では冒険者という名の傭兵と各家が抱える騎士団が魔物の討伐をするというのに、この国では騎士団は王家と辺境伯だけ。
そして、魔物が出ないということ。
「何のことを言われているのかわからないが、彼女は人間だ。人間以外の何者だと言うんだ?」
「魔物。二角獣、とでも言おうか」
辺境伯の片眉が僅かに動く。辺境伯の従者は辺境伯の様子を窺っている。
反応を引き出せたということは、辺境伯は二角獣という名前を知っている立場の人物、ということになる。
辺境伯がこの国に魔物が出ない秘密を知っているという、私の読みは当たっていたという訳だ。
「どこでその名を?」
二角獣の名はお伽噺でも、伝承でも、他国の客人の話でも聞いたことはない。
いくつかの魔物の名前はそれらで見かけることができる。
一角獣のようにその角が万病に効くということで知られている魔物もいる。
一角獣は用心深い性格の為、その姿を見られると姿を消してしまう。だから、一角獣の噂は立ってもすぐに消えてしまうのだ。
勿論、この国でも一角獣の噂は流れる。
それは他国から流れてきた冒険者たちの魔物話の一つである与太話としてか、勘違いによって起きた割の良い仕事としか見られていない。
だから、二角獣の名前は人狼や一角獣のようにこの国で知られている存在ではない。
「どこでもいい。アレは人間ではない。魔法を使って人の記憶を操るモノが人間である筈がないだろう?」
「魔法を使える人間ではないのか?」
辺境伯はアレを魔物だと認めたくないらしい。
もし、辺境伯がこの国に魔物を表さないようにしているなら、認めたくないのかもしれない。
「そもそも、魔法を使える人間など存在しない。だが、それ以外の種族――魔物は違う」
「生憎、私はその魔法が使える人間を手足として使っている。魔物などこの国にはいないのだよ、リザルフォント卿」
「私は辺境伯の知り合いである金髪女性に魔法を使われて記憶の改竄を受けている。貴方が手足として使っているその人物に」
辺境伯は不機嫌そうな表情で舌打ちする自分の従者を一瞥してから、溜め息を吐いた。
辺境伯の従者とあの金髪の女性たちは仲が良くないらしい。辺境伯を取り合っているのだろうか?
「・・・。リザルフォント卿は王太子ではなく、自分が辺境伯領に遣わされた理由を知っていたか」
「・・・」
国の秘密を担う辺境伯領に次代の王ではなく、私が遣わされた理由?
結婚したてのコーネリアスの仕事が世継ぎを設けることだからじゃないのか?
私の王位継承権はそれほど高くはない。何人もその上にいる。
「リザルフォント卿。貴方は王太子の元婚約者マールボロ侯爵令嬢と親しいと聞く。侯爵令嬢の侍女サリー・ホーンビーとも面識があると思ったが、サリーの姉妹とも面識があったようだな」
「侯爵令嬢の侍女?」
確かにデボラに献身的に仕える侍女とは顔見知りだ。
だが、その姉妹とも面識がある?
いや、面識はない。
デボラの侍女の家名すら、今、知ったばかりだ。
どうして、デボラの侍女の名前がここで出てくるのか?
「ジュリー、メアリー、シャーリー」
複数の女性の名前を出される。
デボラの侍女の姉妹の名前、なのだろうか?
・・・。
サリーの姉妹がジュリー、メアリー、シャーリー。
この姉妹はリーで終わる名前になっているのか?
ローリーにもその規則が当て嵌まっている。
彼女らはローリーの親族の女性たちなのだろうか?
デボラの侍女はローリーが死んだ時に家に来ていなかったが・・・。
「・・・?」
「彼女らではないか。となると、リザルフォント卿、貴方はどこで二角獣の名を知ったのか、教えて頂けるか?」
「・・・」
「リザルフォント卿?」
「それは言えない」
ローリーは人間ではなかった。
母系遺伝で引き継いだ二角獣という馬の姿を持つ両性具有の種族だった。
だが、ローリーのことを口にする訳にはいかない。
私からローリーの記憶を消したのは、ローリーの親族たちが身を守る為にした必要不可欠な処置だとわかっている。
私のローリーへの想いが強すぎてなかったことにはできず、すり替えるしかなかったとしても。
それを私が許せなくても。
それでも彼女ら、人間としてその中に隠れて生きる魔物――二角獣の存在を暴露する訳にはいかない。
ローリーが私に種族のことまで教えてくれたのは、私を愛し、信頼していたから。私がローリーがどのような存在であったとしても受け入れてくれると思ってくれていた証でもある。
「言えない、か。もしや、王家から派遣された理由に心当たりがないのか?」
王家から遣わされた理由?
何故、そこに戻ってくるのか?
今回の辺境伯領訪問は国王に命じられてのことだった。
王家と辺境伯との連絡役はいたが、何故か私が選ばれた。
それは私が王族の一員だから、なのだろうか。
だとしても、どうしてこの時期に?
コーネリアスの正妃オーガスタの不貞が噂されるようになったこの時期に何故?
国王夫妻は民衆にすら不人気のコーネリアスたちを切り捨てる気になったということか?
これはコーネリアスがデボラと婚約破棄をしたことで、コーネリアスにはこの国を背負いきれないと気付いてしまった私への罰なのだろうか?
ただでさえ、国というものを守らなければいけないのが王だ。ただ家族さえ守っていられれば良いのは平民だけ。
平民の夫婦も夫婦が支え合って初めて一緒に暮らしていけるのだ。それをコーネリアスはデボラを支えられないと自らの無能さを表明した。
デボラができないのなら、誰ができるというのだろうか?
デボラはただの婚約者だからと何もしていなかったわけではない。婚約してから王妃としてふさわしくあれるように教育を受け、実際にここ数年は王妃の補佐を務めていた。それなのに、コーネリアスはデボラでは駄目だと判断した。
オーガスタのほうが余程、正妃にするには支えが必要で相応しくないというのに。
万が一にでもコーネリアスが王位を継いで、途中で放り出すことになれば大惨事だ。王位を継ぐ前に何とかしなければいけない。
王位継承者は何人もいる。
今までは国王夫妻の意志を尊重してコーネリアスだったが、それではこの国の為にはならない。
コーネリアスが王位を継いで国を放り出す前に何とかしなければならないと、私は民衆の間でのコーネリアスの評判を落としていくしかなかった。その一因として、オーガスタの噂も積極的に流していった。
コーネリアスがオーガスタを支える必要があると気付かず、オーガスタが取り巻きに慰めを見出すのは時間の問題だったから上手くいった。その取り巻きに他国の人間が入り込んでいたのも予想通りだった。
王家は私の動きを知っていて、辺境伯に始末させる気で?
いや、それなら辺境伯もこんなことを呑気に話してはいないだろう。
なら、何故?
「・・・」
埒が明かないとばかりに辺境伯は従者に目を遣る。
「アベル。席を外してくれ」
「ここにおります、キリル様」
肩まで垂らした長い髪をした従者は黄褐色の切れ長の目をしているが、その睫毛は長く、顔立ちは中性的で辺境伯に縋り付く美女のように見える。
「心配は無用だ」
「わかりました、キリル様」
不承不承と言った体で、アベルと呼ばれた従者は一礼をして退室していく。
「さて、リザルフォント卿。貴方が派遣された理由は一つしかない。それは貴方に魔法がかけられているからだ」
「魔法が?」
「ここに来る前から貴方は魔法をかけられていた。久方振りに王都に出掛けて出席した社交の場で、私はそれを確認したから王家に派遣を要請したのだよ。その魔法の使い手が私の把握しているものでなければそれを処分する為に」
「!!」
ローリーの親族が処分される?!
ローリーへの想いをデボラへとすり替えたのは許せないが、ローリーの親族だ。
そんなことになればローリーが悲しむ。
魔物を処分するのも辺境伯の仕事だというのなら、それは私の推測通りだったということか。
推測が当たって嬉しい半面、ローリーの親族が心配でならない。
「魔法と言われてもピンと来ないかもしれないが、それを使う人物は辺境伯領以外では限られている。リザルフォント卿は二角獣のことを知っているようだしな」
「それがデボラの侍女とその姉妹、なのか」
辺境伯は何の感慨もなく頷く。
「そういうことだ」
「それなら、貴方の知り合いの金髪女性はどうなんだ?! 春だからと人を襲っておいて、都合の悪いからと記憶を操って夢だと思い込ませるのは?!」
辺境伯の顔が歪み、舌打ちする。
「貴方に魔法と使ったというのか?! 申し訳ない。こちらの不手際だ」
「いや、いい。貴方にはその苦情が言いたかっただけだ。それに、貴方の言っていた魔法は彼女にかけられた魔法で解けてしまった。そのおかげで忘れていた大事なことを思い出せたから構わない」
「・・・。ローリーのことか?」
「?! 何故、それを?!」
苦虫を潰したような顔で辺境伯は溜め息を吐いた。
「ローリーの番は貴方だったのか。お祖父様もとんでもないことをしでかしてくれたものだ。アニーに公爵家の令息を誑かさせて、今度はローリーにも公爵家の令息を誑かさせるとは・・・。サリーは侯爵家の令嬢を籠絡しようとしているし、本当に頭が痛い」
番とはとんでもない言い方だが、ローリーとなら、まるで互いの為に互いがあるように聞こえるから良しとしよう。
それにしても、二角獣はどれだけ高位貴族の傍にいるのやら・・・。
「デボラはあの侍女に狙われているということなのか?」
「ああ」
王都を追放されてから行方のわからないデボラ。
今、彼女がどうしているのか、心配せずにはいられない。彼女を狙う二角獣が傍にいるから余計に。
ローリーを亡くした今、私はローリーと暮らしたこの国を支える王族としての役目を果たすことに躊躇はない。
私がローリー以外の誰にも心を渡すことはもうない。
私はこの国に殉じよう。
作者としては辺境伯領での出来事は未遂で、リオネルが追い払ったと思って書いています。
それ以外の場合はあなたのドSな心の中で展開して下さい。