プロローグ 夏、昼間のカフェにて
あまり目立たない場所にある一軒のカフェ。
場所が場所なので、客はあまりいない。
だがここのココアは絶品で、一度この味を覚えてしまうと普通のココアでは物足りなくなる。
だからこの店には常連客がほとんどで私もその一人だ。
「いっらしゃい。」
ガランと音を立てドアを開けると、マスターが声をかける。
私はいつものようにマスターの前に座りココアを注文した。
マスターがココアを入れる姿をただ眺める。
どんなに観察したところで、マスターのようなココアは入れられない。
そんな事は解りきっているのだが、見ずに入られない。
コトっと目の前にココアの入ったカップが置かれる。
「お待たせしました。」
そう言うとマスターはふわりと笑った。
マスターはもう30過ぎらしいが、そんな風には見えない。
まるで高校生のまま時が止まっているかのようだ。
でもマスターが纏っている雰囲気のようなものが、この人は大人だという事を教えてくれる。
「やっぱり、おいしいですね。」
私がそう言うとマスターは笑いながら言った。
「先代のマスターほどではありませんよ。でも、ありがとうございます。」
「先代のマスターって確か、マスターの旦那さんですよね?」
「はい。私は彼が淹れてくれるココアが大好きでした。」
そう言ってマスターは昔を思い出しているのか、懐かしそうに呟いた。
先代マスターは何年か前に事故死したそうだ。
マスターは随分長い間悲しんでいたそうだが、常連客の励ましにより元気を取り戻し新しいマスターとしてカフェを継いだらしい。
「先代はどんな方だったんですか?」
「そうですねぇ。寡黙で優しい人でした。」
マスターがそう言ってから自然と会話はなくなった。
沈黙は何故かそんなに苦痛なものではなかった。
マスターがカチャカチャと、カップを洗う音と何匹いるのか判らないほどの蝉の鳴き声だけが響いていて、逆に心地よいとさえ思った。
『..市の少女〜さんが行方不明になりました。〜さんの特徴は..』
不意に静寂に満たされていた店内にニュースのアナウンサーの声が響いた。
「行方不明ですか。もしかして誘拐されたとかですかねぇ。本当怖いですね。」
私がそう言うとマスターは手を止め、こっちを向いた。
「誘拐..ですか。あの子は、本当に怖い目にあっているのでしょうか?」
「どうゆう事ですか?誘拐されたんだし怖いんじゃないですか?」
マスターはまたふわりと笑っていった。
「私実は昔誘拐されたことがあるんです。」
「えっ!?本当ですか?」
コクリとマスターは頷いた。
「でも、全然怖くありませんでしたよ。とっても優しい誘拐犯でしたから。」
「誘拐犯が、優しいんですか?だったら、どうしてマスターを誘拐したんですか?」
私がそう聞くと、マスターは懐かしそうに微笑んだ。
「優しいから私を誘拐したんです。そうですね..少し長くなりますがいいですか?」
私が頷くと、マスターはゆっくりと話し始めた。