人からのお誘い
頭の微熱が冷めると、私は恥ずかしさで顔を伏せた。
(まるで子供みたいじゃない)
規則的だった歩調が乱れる。立ち止まりそうになり、二人(?)の距離が開きそうになる。すると猫は振り向いて、私をその蒼い双眸で引っ張ってきた。
(余計なお世話よ)
猫の方が年長のような構図に、私はやや拗ねた。数歩で歩調が安定する。深く息を吐いて心を落ち着けると、私は猫をぼんやりと眺めた。こちらを気遣うような素振りは、犬ならともかく、とても猫らしくはない。先程の態度といい、今のといい、つくづく不自然な猫である。そうして歩いていると、自宅の近くにも関わらず、見知らぬ景色が現れた。普段は使わない脇道を、てくてく進んでいく。何度目かの曲がり角の先。ようやく、目的地らしきものを見つけた。思わず立ち止まり、見上げる。猫もそんな私に寄り添い、同じ様に歩みを止めた。私の目線が捉えるもの。それは、僅かに朱を残すも、その殆どに土気色が露出した───鳥居。
「ここは……」
自宅からここは、二百メートルぐらいしか離れてない。そんな範囲にある鳥居───というか神社なんて、私は一つしか知らない。
───康命神社。
少なくとも私以外のご近所さん達に愛される、ここ西林町の守り神を祀る社だ。私はあまり神様とかは興味がないので、ここには普段近寄らない。私は足元でちょこんと座る三毛猫を見た。
(何でこんなところに連れてきたの?)
餌でも貰えるのだろうか。にしても、何で私まで?疑問を籠めた眼差しを向けるも、猫は取り合わずに立ち上がり、歩き出した。
「んぅ……」
私も、猫が話してくれるわけないか、と思考を切り上げて、その焦げ茶色の背中を見つつ鳥居をくぐった。砂利道をざくざくと鳴らして歩く。僅かに傾斜しているようで、振り返った鳥居が先程見たよりも低く感じる。猫はやや歩きにくそうで、足をひょこひょこと動かしては軽く跳ねたりしていた。点々と苔の浮いた石燈籠が等間隔で並んでいる。鳥居を見ても思ったが、人が出入りする割には、あまり手入れされてる感じがしない。脇に植えられた木々は野放図に枝を伸ばし、初夏の陽射しを欠片程しか私達に寄越さない。今は大して暑さは感じないが、もう二週間もすれば、陽の届かないここは、居心地の好い空間となるだろう。そうしてきょろきょろしながら足を動かすこと二分。枝葉の光の隙間に、本殿らしき古めかしい木造建築が覗いた。再び鳥居も見えてくる。鳥居の向こうは石畳のようだ。ざくざくという何処か心をくすぐる音ともお別れ。鳥居をくぐる。足音はこつりへと変わった。今まで木々に邪魔されていた本殿前の景色が開かれる。
「ふぅ~ん」
どんなもんかと思っていたが、御神木が本殿前にでんと聳えているだけで、それ以外には特に何もない。
(随分と殺風景な……)
ここで祭りや何かが開催されているというのは聞いたことないし、年中こんな状態なのだろうか。他の神社がどうなってるのかは知らないが、それにしても物寂しい雰囲気の場所だと感じた。
(ホント、こんなところに誰が好き好んで来るんだろう)
ただ広いだけの石畳。子供が遊ぶにしても、安全とかを考えれば、家からこことは反対側にある大見公園の方が断然良い。遊具もあるし。石畳だけ見ていても仕方無いので、本殿の方に目を向ける。古き日本建築だけあって、ちゃんと瓦が敷き詰められている。年老いた材木が、しぶとくそれらを支えていた。流石に本殿には手入れが行き届いてるようで、年若い材木が点々と散見される。全体的に造りはしっかりしているようだ。閉め切られた襖と、階段を奥に隠す鳴り鈴。老けた賽銭箱が、ここが神社だと主張している。そういえば───
(神主さんとかいるのかな)
テレビなんかでは、よく神主さんが芸能人にあれこれと説明しているが、実際に神主というものを見たことは一度もなかった。そう思うと、少し興味がわいた。神主さんに会ってみたい。
(本殿の中にいるのかな)
とりあえず近づいてみよう。やや軽くなった足取りで、賽銭箱の前まで近寄る。
「あら?」
すると本殿襖の前に、先程まで一緒にいた三毛猫を発見した。いつの間に……。
「なぁ~っ、にぁ~っ」
と思ったら、鳴き声と共に襖をばんばんと二回、前足で叩いた。引っ掻くような感じじゃなくて、まるでノックのようだ───いや、それは正しくノックだったのだ。猫が前足を下ろし、座って待つこと五秒。本殿の襖は、呆気なく開かれた。
「あっ……」
暗がりの向こうが、不意に色鮮やかになる。私は反射的に目を細めた。狭まった視界の中央を緋色が彩る。
「はぁん、見たことない顔だなぁ」
鼓膜を擽るは、曇りのない落ち着いたアルトボイス。
「アオイが連れてきたのか?そうだよなぁ。こんな若い女が好き好んで来るわきゃない」
気怠げな口調と声音は釣り合わず、紅白で構成された巫女服(!?)が違和感を増幅させる。彼女は呆けて立ち竦む私を見下ろして、呆れたような息を吐いた。
「おいおいお嬢ちゃん。ナニ固まってんだよ。こんなの文化祭のコスプレと大して変わらんだろうに」
「あっ、えっと……」
そのざっくばらんな台詞に、私はどう対応していいか判らずに口ごもった。彼女は一歩踏み出して、苦笑を隠しもせずに表した。
「職場体験の中学生かお前は」
いきなりお前呼ばわりですか。
「はぁ……。まぁ、久々の若い客だ。歓迎してやる。ほら、とっとと入りな。茶ぐらいは出してやるよ」
そう言い捨てると、彼女はくるりと踵を返した。肩口で揃えられた黒髪が、しゃらんと揺れる。その綺麗な御髪に目を奪われていると、巫女服の女性は襖の奥へと歩いていってしまった。
「………………」
三毛猫ことアオイも、てくてくと本殿内へ入っていってしまった。
「えっ、えぇ~……」
いや、これ、勝手に歓迎されても困るんですけど。でもまぁ誘われちゃったし……ここで無視して帰るのも人としてどうかと思うし……。私は未だ戸惑いながらも、賽銭箱を回り込んで階段に足をかけた。あまり長居する気はないんだけど、ちゃんと帰してくれるかなぁ~。