エピローグ 大薮新平 家族に笑われる
衝撃が来た。
「ぐはっ!……ったあっ!」
結構高いところから落ちたらしい。しかも立っている障害物に身体をぶつけたて落ちたようだ。転がったので尻だけではなく背中、後頭部までぶつけた。超痛い。
「くう……痛え……」
痛みに唸りながら背中を抑えて起き上がる。幸い骨に異常はないようだ。何にぶつかったんだろう。空が暗い。夜か? しかし周囲が明るい。というか眩しい。ああ、この電柱にぶつかったたのか。痛い訳だ。……え。
「……って…電柱!?」
自分は電柱に頭をぶつけて転げ落ちたのだ。目の前には交差点。ライトを点けて走り抜ける数々の車達。俺はそのライトを浴びている。久しぶりに浴びるその光は異様に眩しかった。
周囲を見渡す。
ここは……いつもの自宅への帰り道だ。近所のコンビニ前の交差点だ。臭い。街並みがめっちゃ臭い。懐かしい匂いだ。
振り返る。コンビニがある。振り返る。車が走っている。振り返る。歩道を歩く人。ジョギングしているおじさん。幼児を乗せた自転車を漕いで家路へ急ぐ母親。
まぎれもない日本の、俺が住んでいた何時もの街の一角の光景だ。
「帰って……きた……」
帰ってきたのだ。見覚えのあるいつもの光景。自分が異世界に召喚される前の日常の世界へ。
「お。おお……おおおおおおあああ!!!!」
拳を握り締め、飛び跳ねて歓声を上げる。通行人が怪訝な表情を寄越すが知った事ではない。
「やったあっ! やったぜ! 戻ってきた! 戻ってきたんだあ!」
奇声を上げて万歳を重ねる。いつの間にか万歳三唱になった、いや止まらない。全然止まらない。何度叫んでも歓喜が一向に治まらない。
「そうだ。時間は! どのくらい経っているんだ」
コンビニの外見は変化が見られない。一年? 二年? 暦が違うのではっきり分からないが、自分はあっちに一年以上はいた筈だ。
コンビニに入る。店員が挨拶をしてくる。
「いらっしゃーま……」
「いらっしゃいましたあああ!」
両手を挙げて大声で叫びながら飛び込む。店員にぎょっとされたが構わない。なんだったら抱き着いても良い。この感謝と喜びを分かち合いたい。だから不審者を見たような顔で、テーブルの下で警報装置の場所を探さないでくれ。
「おお、おおおおおーっ!!」
ああ、なつかしい。懐かしい光景。この匂い。この空気。ああポテチがある。コーラ、コーラ飲みてえ。つい店内を駆けまわってしまい我に返る。
待て待て待て。落ち着け。落ち着くんだ。
大きく振りかぶって深呼吸。
まず日付を確認しなくちゃならない。
(新聞、新聞って何処だ?)
……そして。
数分後、俺は焦燥した表情でコンビニから出てきて、地面に手を付いてへたり込んだ。
「………」
時間は全然経っていなかった……記憶にある限り、今日は召喚された当日だ。いつものバックも身に着けていた。学校帰りで今は夜。という事はおそらく向こうに行って帰ってきたのに数時間も経っていない。
(ニ、三時間……あんだけ向こうに居たのにたったニ、三時間しか経っていないだと……)
いや喜ぶべきだろう。留年は回避された。何年も経過してたら発狂していたとこだ。行方不明一年でも普通の生活に戻れるまで沢山面倒な目にあっただろう。
感謝すべき事なんだが、あんだけ苦労したっていうのに、帰ったら数時間しか経過していなかったという事実に納得がいかない。しかも頼りない俺の記憶では、明日から中間試験の補修があった筈だ。
……勉強。べ、勉強? おい、欠片も頭に残ってないぞ。体感で一年以上も授業なんか受けてないんだからな。
プルルル……
「!?っ」
心臓が跳ねた。
バックの中の携帯が鳴ってる。鳴ってるのだ。一年振りに。
コンビニ前で膝を付きながら慌ててバックをひっくり返す。お手玉しながら携帯を取り出した。
……本当に鳴ってる。鳴っているぞ。
向こうの世界で居た時に、繋がらないかと何度も弄り倒したこの携帯が。ようやく、ついに鳴っている。
震える指で通話ボタンを押す。息を呑んで耳に当てる。
姉からだった。
「新ちゃん今、何処ー?」
「……っ!!」
懐かしい声、懐かしい響きだった。あいかわらず名乗りもせず、要件のみ聞いてくる俺の姉の声だ。
「……っ、ぁ……っ!」
携帯を握りしめる。喉に詰まって言葉が出ない。言いたいのに。叫びたいのに声が出ない。
それでもなんとかコンビニ前とだけ答える。
「丁度良かったー。アイス買ってきてーダッツのー。メロンーでー」
人に頼む時だけ高いアイスを頼むのも相変わらずだ。変わっていない。いつもの姉ちゃんだ。本当に姉ちゃんだ。いるんだ。繋がっているんだ。話せるんだ。
「う……あっ……」
泣きそうになる。
「なにー、どしたの?」
「……なんでもない。……なんでも、ねえよっ!」
走行する車のヘッドライトが顔に当たる。眩しい。何て眩しいんだ。泣けてくるじゃねえか。車のライトってこんなに眩しかったのか。向こうでは信じられない光量だ。おかげで視界がぼやけたじゃないか。もう前が見えないよ。
「……うん……わかった……買ってく」
膝が痛い。硬い。懐かしいコンクリートの感触だ。武骨なこのこの冷たい感触が凄く嬉しい。
ああ……
帰って来た。本当に帰って来たのだ。
俺は。俺は……
「今から……」
やっと。
やっとだ。
やっと、言える。
この言葉を言う為に、ずっと頑張ってきたのだ。必死に生きてきたんだ。
涙が沸き上がる。声が震えるのを我慢する。叫びたいのを必死に堪える。
視界が濡れて見えない。黙るな。言わなくちゃ。言わなくちゃ。言うんだ。
「今から…………………………………………帰るよ」
◇
「本当だって! 俺ずっと異世界に行ってたんだってば!」
「へーっ……」
姉ちゃんの反応が冷たい。間違って要求されたのと違うマンゴーアイスを買ってきた所為だ。しかも味が超不評だった。挙句興奮した俺が今迄ずっと異世界に行っていたと話した結果がこれだ。
最初は呆気に取られていた姉ちゃんだったが、俺の異様な本気ぶりに途中からテーブルに肩ひじをついて一応話には聞き入ってくれた。が、一向に話が終わらないのにすっかり飽きて、もう返答がおざなりになっていた。元々俺は説明が下手だ。一年以上も過ごしたことを疑われては堪らないと必死になって説明するのだが、焦れば焦るほど話は迷走。姉ちゃんはすっかり興味をなくしてしまっていた。
「はいはい。早くどいて、テーブル開けて。ほら、あんたはテーブル拭く」
夕飯の準備を終えた母親が、両手に皿を持って現れる。俺がテーブル上の物をどけると、姉ちゃんが手際よく布巾で拭き始めた。母親も最初は少し一緒に聞いてくれていたのだが、今ではこの通りだ。完全に興味を失っている。
駄目だ。全然信じてくれない。
何か説得できそう材料はないかと見回して、自分の手足を見る。向こうで負った怪我の跡は無くなり、中学時代に負った膝の怪我が残っている。俺は精神のみ召喚されて、向こうの神が作った俺そっくりの身体に乗り移って生活していたからだ。荷物も同様だ。つまり物的証拠は何一つ手に無かった。それは夢だと言われても反論ができない。
精神的に俺は向こうに一年以上いたのに、こちらでは数時間しか経っていない。俺にとっては感動の再会なのに、二人にとってはちょっと遅く帰ってきただけなのだ。感激して涙ぐんだ俺を、ものっそ気持ち悪い表情でどん引きされて俺は大いに傷ついた。酷い、どっかに訴えたい。どこに言えば良いんだ。
「あたしならまだしも、あんたがそんな話を考えるなんてねえ……」
「嘘じゃねえよっ!」
「そんなにテスト悪かったの?」
「誤魔化そうとしてんでもねえよ!」
テスト結果を誤魔化す為の嘘だと思われていた。確かに鞄の中には悲しい点数のテスト回答が埋もれている。
「じゃあ見てろよ! これがその踊りだ!」
もう実演するしかない。身体が違うのに散々やって魂にでも刻まれているのか、なめらかに手足は動いた。
とっさに出たのは一番踊った【睡魔の踊り】だ。
「ハッ! ハッ! フッ! ハッ!」
手を大きく広げ、小刻みにステップを踏み、波打つように腰を突き上げる。
「ぷっ…何それ」「……すっごい適当な踊りじゃん。……真面目にやんなよ」
冒頭から吹き出す母。残念な弟に溜息をつく姉。なにせ俺の頭の中にあるキーワードから適当に設定された踊りなのだ。二人から見ればギャグでしかない。
一瞬、家族の前でむきになってダンスする幼児を浮かべたが、実際その通りだったのを自覚し顔が熱くなる。早くも後悔するがここまできたら最後まで踊るしかない。
足を踏み出し、両指をピンと伸ばし、涙と鼻水顔の笑顔でポーズしアヒル口で俺は叫ぶ。
「シュッシュ、スリィィプ!」
「「あはははははは!」」
二人揃って爆笑された。よく考えなくても当たり前だった。羞恥と絶望で俺の目の前が真っ赤になる。
しかし、その時さんざん慣れ親しんだ、いつものあの声が脳裏に響き渡った。
【睡魔の踊り】
「――って、え?」
爆笑していた母親と姉がぱたりと崩れ落ちた。
「…………………………………………」
動かない二人を見て、呆然と俺は立ち尽くした。
慌ててゆり起こす。が、しっかり眠っている。熟睡状態。ゆすっても叩いても起きやしない。間違いない。これは【睡魔の踊り】で眠った者の症状だ。つまり踊りの効果が発動したのだ。
二人をそっと横たえて、その場をあとずさる。
「うそ…」
恐ろしい事実が発覚した。この世界でも俺の踊りが発動している。
「ちょっ……嘘だろ!」
さあっと血の気が引いた。
証拠を見せろと言われて証拠をだせた。【睡魔の踊り】が成功した。本当は喜ぶべきなのに俺は真っ青になった。
(踊りがここでも使えるって? いやいやいや、嫌だって!)
沸いてきたのは喜びではなく恐怖だ。それは悪の誘惑に溺れる予感。
俺の踊りは犯罪にばかり使える悪辣なものばかりだ。眠らせる。魅了する。姿を隠す。動きを停止させる。もし悪い誘惑に引かれて使ってしまったら。もし味をしめてしまったら。どんどん自分は悪人になってしまう。
俺は堪えられても姉ちゃんや母親はどうだ。便利だと使わせようとしてこないか。俺は断れるか。断り切れるか。段々暴走して気が付けば一家揃って犯罪者になってるとか有り得ないと言えるか。
小市民の俺は自分を律する自信が無い。悪用しないでいられる自信がまったく無い。
他に誰かに知られたらどうする? こんなの誤魔化せるか? 俺が。出来なかったからあんだけ苦労したんじゃねえか。また良いように言いくるめられて、誰かに利用されるのか。こっちの世界でも。秘密を守りきるしかないぞ。俺が。この嘘の下手糞な俺が。一生黙りつくす。無茶言うなよ。
「やべえ……どうする……どうすんだオイ」
へたり込み、這いずって窓を開けて外へ身を乗り出す。
外はもう日が沈む直前の夕焼け空だ。空を見回して、いる筈のないあの世界の神々を探す。届かないのは分かっているのにあてもなく叫ぶ。
「ちょ、消えてない。効果消えてないぞオイ、アベビスタ神!」
なんか名前が違う気がする。もう名前を間違えた。やべぇ、こっちに戻って来た所為か、なんか記憶がぼやけてるぞ。名前が出てこねぇ。
「い、いらねぇ! こんなのいらねえって! ちょっと待て。もう一回話をさせろ。聞こえないか! 出て来いよオーディン!」
こんな怖い力なんて現実にいらん。もしとっさに使ってバレたらどうすりゃいいんだ。俺絶対誤魔化せないぞ。破滅しか見えないぞ。
「止めてくれ! 待って。待ってくれよ!」
窓から身を乗り出す。周囲を見渡す。当然誰もいない。分かっている。連中は向こうから俺を送り返しただけで、こっちの世界にはいないんだろう。話は二度と出来ない。それでも俺は夕闇に向かって叫ぶ。声を限りに叫ぶ。拳を突きあげ、腹から精一杯声を張り上げて叫ぶ。叫ばずにいられない。
「セラルーベでもアウヴィスタでもいい! 誰でもいいからちょっと交信させろ! 応えろ! どうなってんだこれ! いらねえって!! なくせって!!」
どこからも返事は返ってこない。
「ちょっと待てええええいっ!」
それでも叫ぶ。
「神いいいっ!」
俺の叫び声に合わせて、どこかで犬が嬉しそうに遠吠えをあげていた。
END
ようやく完結です。お疲れ様でした。
あと一話分 後日談を書いて本当に終わりです。




