18.大薮新平 召喚した神との邂逅を果たす
では本格再開です。
大薮新平は踊ると魔法が掛かるという、ふしぎなスキルを得て異世界に召喚された。彼は日本へ帰る方法を探し、多くの事態に遭いながらも遂に皇都に辿り着く。そして自分を召喚したと思われる神アウヴィスタへ謁見を果たそうとした……が、彼等が導かれたのは異なる扉。遥か昔に眠りについたとされる母神セラルーベへと続く扉だった。
(……なんだ。ここ?)
大扉を開けて室内に入り、数歩分を歩いただけで、俺達は鈍く光る霧に包まれた。
(……?、霧か。あれ、ここ違う場所?)
なんか床の感触が違うぞと足元を見れば、先程迄あった石床が見えない。既に違う場所にいるようだ。どうやら神と謁見する部屋というのは、神様がやって来る部屋ではなく、神様の居る場所へ転送される部屋だったようだ。振り返ると一緒にいた筈の大司祭ソゴスの姿も見えない。はぐれたのか。それとも違う場所に呼ばれたのだろうか。
(……そうだ。この景色覚えてるぞ。ここは俺が召喚された時、あの神と出会った場所だ)
警戒ポーズを決めたまま気配を探ってみるが、濃い霧の中ではさっぱり分からない。悲しい一人上手をしている気がしてきた。
(……漫画の主人公みたいに格好をつけても駄目か。似合わないことは止めよう)
俺はしゃがんで両耳に手を添え、目をつぶって音を探る。……でも何も聞こえない。ううん、困った。
(もしもーし。何処にいるんすかー……)
『……ようやく邂逅を果たせるか……我が使徒よ』
「おひゃあっ?」
耳元で声が響き、慌てて転がって逃げた。恥ずかしい。醜態を晒した俺は、焦りながらも先程までいた場所を見上げる。其処に一人の女性が立っていた。
「ちょっ、びっ、びっくりした! びっくりしたよ! 驚かすなよ、びっくりしたでしょ!」
『……』
立っていたのは白衣を着た白髪長髪の女性だった。なんとも顔に特徴が無く、のっぺりとした無表情が俺を見下ろしている。
神様というからには凄い美人で神々しい存在なのかと思いきや、それ程でもなかった。威圧感も神獣達と同じくらいで十分耐えられそう。しかし、それ以上に感じたのは得体の知れなさだ。突然現れたことといい、発した言葉と表情が合っていないことといい気味が悪い女だった。
「お前が……神、なのか?」
『……其れさえも忘却したか』
また耳元で声がした。いや違う。声が頭に響いているんだ。俗に云うテレパシーとかいう奴なんだろう。凄えな、流石神獣達とは格が違う。まぁ、アレはアレで凄いんだけどな。気味が悪いという意味で。馬やライオンが流暢に日本語を話す姿は非常に違和感があるものだ。
彼女は俺を見下ろしたまま動かない。無表情なので呆れているのか怒っているのか判断もつかない。
「あんたが、ここの神、アウヴィスタなのか?」
『否、我はこの地の母神、ルートブライマリー・ヤシュキン・セラルーベ為る』
あ、そうか。セラルーベへ続く扉に入ったんだから、居るのはセラルーベか。馬鹿は俺だった。つか本名長い。
「えっと、いや。あんた数千年前に死んだんじゃなかったのか。なんで俺がここに呼ばれんだ。俺を召んだのはアウヴィスタなんだろ。どうい……」
セラルーベは思いつくまま問い掛ける俺に手をかざし、勢いを制する。
『忘却が多い……これでは先に進められぬか、詮無きこと』
「いや、順に答えてくれよ。あん……」
『先ず、事態を想起するが善し』
(っ!?)
その言葉を聞いた途端、俺は殴られたかの様なショックを受けて膝をつく。視界が真っ暗になった。世界が暗転していく。眩暈か、違う。こいつに何かされたんだ。そうだ。俺、俺は――
不意に迫って来た光と共に――最初に召喚された時の記憶が、鮮明に思い出されてきた。
◇
「何、言ってんだよ! 俺は大薮新平、オオヤブシンペイだっ! なんだそいつは。外人かよ!」
今居た場所と同じ、霧の濃い場所で俺は怒鳴っていた。
突然見知らぬ場所に拉致されたと思ったら、神と名乗る得体の知れない女が現れて、偉そうに『使命を授ける』『我が使徒と為り、世界を破滅から救え』と命令してきたのだ。
これだけならよくある異世界物語の冒頭部分だ。あまりに没個性な展開に、夢を見ているのに違いないと考えた。そうだ。俺はあの時コレを夢だと受け取っていたのだ。
普通の物語ならここで会話を進め、この場が夢の世界ではないと気付いて、物語が先に進むのだろう。しかし、それ以前の展開が起きた。よりにもよってこの自称神様、俺を全然違う名前で呼びやがったのだ。それは間違えて俺を召喚したってことだ。我ながら間抜けな夢だ。恥ずかしさを誤魔化すかのように俺は憤った。
「なんだそのオーシャベッチってのは!」
『否、オーシャブッチ・シペット・アレクサンドル』
「知らねえよ! どうやったら大薮新平とオーシャブッチ間違えんだ。俺の名前のどこにアレクサンドルあんだよ!」
『ム、……有無。為るほど…………違えた様だ』
神アウヴィスタは顎に手を当て少し考え込んでいたようだったが、考えるのに飽きた様子で俺に告げた。なんだそれ。
「いやいや、顔見たら判るだろ! 一発だろ! そいつ絶対外人だろ、俺完全に日本人だろ!」
『汝でも良い可』
「……は、ぁ?」
『此方に訪じ得た者ならば、使徒を担う資格在ろう也。汝、我が命を果たすが良い』
「は……あ、アホかああっ!!」
『……』
「なんで間違えられたのに、言うこと聞かないといけねえんだ! アホぬかせ!」
『其れは理に成らぬ。我が此の場にて資格在りと定めた。命を受けよ』
「する訳ねえだろうが!」
『……』
怒鳴り返した俺を、理解出来ないという風に見下ろす神アウヴィスタ。こいつ、命令する自分が正しくて断る俺がおかしいと思ってやがるぞと気付き、俺は更に怒った。
「待てよ! お前の常識がおかしいんだよ! 間違ってたくせに謝りもしねえで、命令してくるなんてどんな馬鹿だお前は! 人に物を頼むってのに礼儀もしらねえのか!」
『ヌ……』
神と名乗った女は、首をかしげて奇異な物を見るような目で俺を見つめ続ける。
『汝は異界為れど、僅かψスリーの知性種。Ðプライ足る我等の命を拒否する権は、汝には無き……』
「何言ってるか、全然分かんねえよ! 分かるように話せよ!』
お前には断る資格が無いみたいなことを言いだしたので、被せる様に怒鳴り返す。難しい言葉で言い負かされては堪らない。馬鹿なりの自衛手段だった。
『……』
(?……っ?)
突然視界が揺れた。ふらふらしてきたので頭を振って気を取り直すと、相変わらず神アウヴィスタは無表情で俺を見下ろしている。
『成るほど。知性足りぬ低級種…………か、解するは困難。で在れば、去ぬを許そう』
「はあ? おま……っ!」
文句を言う前に、俺は吹き飛ばされた。
「ちょっ、あーっ!」
勝手に召んだくせに間違いを謝りもせず命令する。断られるとふて腐れて相手を吹き飛ばす。とんでもない神様もいたものだ。
宙を舞いそのまま霧を抜けて、視界が真っ暗になった。遠くで喧騒が聞こえる。ああ、もうすぐ目が覚めるのかな。本当におかしな夢だった。
そうだ。ここで夢は終った筈だったんだ。その後自宅で起きて、ああ変な夢を見た、と呆れてはすぐに忘れる筈だった。
しかし、この夢には続きがあったのだ。
暗くなった世界が一瞬で元に戻る。そこは先程と同じ場所だった。
(……え、あれ?)
霧の中で寝転がっていたようだ。起き上がって周囲を見渡した俺は首をかしげる。
(なんだ。終ったんじゃなかったのか。まだ続きあんの?)
さっきの展開がダメダメで終ったので、やり直すのだろうか。テイク2……だと。なんとしつこい夢だ。
俺はテイク2と書かれているだろうカチンコが何処かに立ってないかと見回す。何故か見当たらない。妙だな。俺の夢なら絶対あると思ったんだが。
『……良く来訪した。異界の小人』
「おわちゃあっ!?」
また耳元で声が響いた。
転がって逃げ回り、起き上がってウルトラ〇ンよろしく身構える。思った通り、自分がいたと思わしき場所に女が立っていた。
「だから、驚かすなよ! びっくりするじゃねえか!」
精一杯怒鳴り返すが、やっぱりこちらの怒りになど気にもせず、黙って俺を見下ろす女。もう一度文句を言おうと立ち上がったところで違和感に気付く。
(……あれ?)
姿形はさっきの女と同じみたいだ。顔も同じ筈だが(平凡な顔だったので、なんとも区別がつかない)なにかおかしい。あえて言うならば、身にまとっている雰囲気が違う。そうだ。この感じは。
(母親?)
『是。我は汝をこの場に召んだ管理官モル・アウヴィスタの上位母性体。母神、ルートブライマリー・ヤシュキン・セラルーベ為る』
「うわっ、だからいきなり耳元で返事すんなって! びっくりすんじゃねえか!」
って、なんだ。こいつ。今、母親って言ったのか。神様にも母親って居るのか。
咄嗟に神話とかの設定を思い出せなかった俺は、つまらないことを考える。確かに言われてみれば少し老けているようにも見える。なんだおい。娘が駄目だったから今度は母親が登場してきたのか。
『……良く来訪した。異界の小人よ』
女はまったく動じず、さっきと同じ台詞を言う。俺の言葉はスルーしたようだ。図太い奴である。
(勝手に召んどいて、何が『良く来た』だ)
『汝に新たなる使命を授けよう』
(いや、それさっき断ったじゃん)
『否に在らず。此れ汝のみが叶う使命に在る』
(知らねえって。それさっき断っただろ。またやんのかよ、このやりとり)
『否に在らず。汝のみが叶う使命に在る』
考えが読まれてる。夢だからだろうか。そしてやっぱり言っている事が命令口調で偉そうだ。こっちには拒否権なんか無いというこの言い方。これでは母親に代わった意味がないだろう。
ムカついたのだが、ここでふと俺は嫌な想像を思いついた。
(まさか、コレって断ると次は婆さん、ひい婆さんと、俺がOKするまで何人も代わる代わる出てきて話が終らないんじゃないだろな……冗談じゃないぞ)
『……』
嫌な想像が当たっているかのように、母神は俺の返事をずっと待っている。ロボットみたいに全然動かない。
「……」
『……』
「もー……わかったよ。一体何しろっていうんだよ」
俺はここで――相手の要求を呑んでしまった。これを夢の中の話だと思い込んでいたし、相手がゲームのNPCみたいに見えて、こちらがOKを出すまでずーっと同じ要求を言い続けそうだと考えたからだ。そんなのに付き合ってはいられない。少しだけ次の展開に興味もあった。
『汝の使命。其れは――娘神アウヴィスタが召んだ使徒の行動を阻止することに在る』
「…………はい?」
母神はさっきの娘神と違うことを言っている。世界を破滅じゃないだと。詳しく聞いて眉をひそめる。
なんでもこの母神セラルーベは、俺がさっき会った娘神のアウヴィスタに騙され現在封印されているそうだ。そこで、なんとか地上へ復活しようと計画。大地を管理する神獣の一つと連絡がとれたので、力を集めて受け渡してもらおうとしている。上手くいけばその力で封印を破り、地上に復活が出来るらしい。
しかし、この事態に気付いた娘神アウヴィスタが、母親復活を阻止する為に異界から使徒を召喚。その神獣を封じようと動き出したとか。
目の前の母神は封印されているので、対抗できる者を召ぶ程の力を出せない。しかし今回、偶然にも娘神アウヴィスタが使徒をもう一人召んでしまい、返還しようとしているのを察知。なんとか俺を引っ掴んで、自分の元に引き寄せるのに成功した。それで俺に復活を手伝えと迫っているのが今の状況らしい。
つまり俺の『使命』とやらは、目の前の神様が復活する為に、邪魔をする使徒を倒せという話であった。
えっと……なんだこれ。
一気にやる気がなくなった。
異世界召喚されて『(勇者よ)使命を果たすのじゃ!』と云われるかと少しだけワクワクしたのに、詳しく聞いてみれば母娘喧嘩の代理抗争なのだ。しかも倒すのは悪者じゃなく、同じような理由で召ばれた恨みもない地球人。こういうのは普通、魔王や竜が出てきてドカーンとか、ズカーンってやるもんじゃないだろうか。それがなんだろう、このしょぼい話は。まんまヤクザの代理抗争である。俺にドス持ってヤクザの子分よろしく相手の実行犯に突撃してこいってのか。相手が銃でも持ってたら返り討ちに会うだろが。その人だって神獣を倒す為に武器くらい持っているんだろ。
『否、彼の者は『踊り』を選んだ。『踊り』に因って、我が眷属を封じる策で在る』
(…………)
目が点に。
(踊り? なにそれ。なんの関係があんの?)
……なんでも向こうの召喚された人(仮)勇者様は、『踊り』で神獣を倒すことになったらしい。……全然想像つかないぞ。どんな話になったらそんな展開になるんだ。
(え、なんだ。踊りってことは、相手は女性なのか。俺にドス持って踊ってる女性刺して来いって言ってんのかこいつ)
『否、彼の者の性別は成体の雄である』
(……おっさんが踊り……)
『故に紐付きて降臨する汝も、『踊り』にて力を顕現し、彼の者と対峙することになるであろう』
(踊って戦う……俺も? 俺も踊んなきゃならないの?)
怪しい飾り物を付けた半裸のおっさんと俺が、対面で変な踊りをやり合う情景が頭に浮かんだ。想像力が欠しい所為か、未開の土人達が怪しい装束と仮面で飛び跳ねる面妖な光景になった。おぅふ。
(……酷え絵面)
ドン引きだ。斬新な勇者対決過ぎる。
(えー……確かに俺、こういう話に詳しくないけどさあ……)
これが夢だと思い込んでいた俺は、自分の創作能力のしょぼさを悲んだ。ファンタジーの知識が少ないばっかりに、せっかく創造した異世界召喚物語が、混沌とした話になっている。映画だったら爆死決定だろう。
自然こう結論付けた。
(アホらし。もういいや。目を覚まそうか)
だいたいなんでこっちが封印を壊して復活する側なんだよ。まんま悪役じゃないか。やってられるか。
「やっぱヤメた。もう帰る。目を覚ますわ」
『為らぬ。命は授けられた』
「いや、もうそういうの良いから。悪いが付き合ってらんないから」
俺はごろんと寝転がって目を瞑る。夢なら諦めて寝れば目覚めるだろうと思ったのだ。
『……』『……』『……』
なにやら母神が言っているが、眠りモードに入った俺にはもう聞こえない。だんだん意識が遠ざかっていって……
『何故我の! 言を聞かぬかかかか!!』
「おうわああっ!?」
大音量で母神セラルーベの声が頭に響き、俺は飛び上がった。
「ちょっ、え、あれ、なに?」
目の前には母神セラルーベが仁王立ちしている。表情は変わっていないが、明らかにイラついているのが分かった。
『汝、何故我が言を聞か然る也!』
「……あれ、なんで覚めないんだこれ」
神様は激オコみたいだが、夢でいくら怒られても怖くはない。夢が覚めない原因を究明する方が先だ。
ちょっと待ってとセラルーベに手をかざし、首を振ってみたり、倒れこんでみたり、地面にダイブしてみたりと夢が覚めないか試してみる。傍目にはただの奇行だが夢の中だし気にしない。
(あれ、おかしいな。目が覚めないぞ)
『汝、何をしておる也』
(いや、だからちょっと待って。変だな。側転宙返りとかしてみるか。膝壊してから危なくてしてなかったけど、夢ん中なら大丈夫かもな)
『汝よ』
(うーむ……)
渾身の側転宙返りも効果なく、途方に暮れていたらセラルーベが苛立った様に迫ってきた。俺は打つ手がなくなってきたので仕方なく顔を向ける。
「なに?」
『汝よ。時が少ない』
「はあ……そうなんだ」
『汝を留める時が限界と為る』
「ちょっと待て! 夢から覚めないの、お前の所為?」
『向こうの使徒が下界に降りる。期を合わせねば汝を降ろすこと叶わズ。直ぐさま我が使命を果たす時が来たり』
「何言ってんだよ、それさっき断ったろ! 早くこの夢、覚ませよ!」
『為らぬ。汝はこれより下界に降り使命を果たすのだ』
「ならぬじゃねえよ! 知らねえって言ってんだろが! 母子喧嘩なんて余所でやれよ!」
『是より我が使命の仔細を伝え……ヌ』
「うわっ、なんだこれ!? 浮かんだ。うわ、うわあっ!」
ぶわりと体が浮き上がった。足場が無い状態に俺はパニックになった。
『意識を静めよ。仔細を送れぬ』
「おわっ、なんだ。ちょ、なんだ!?」
今迄立っていた場所の霧が晴れ、生い茂る山々の光景が見えてきた。
夢だけに嫌な予想はあっさり当たった。俺はその山々に向かって落ち始めた。
「おぅわあああああっ!」
遥か遠くに白く光る建物の存在を感じ、其処が俺の行き着く場所だと直感する。しかし、同時に既に落ちている自分は其処には届かずに真下の山々に激突するだろうということも分かった。
「うそおおおおおおっ!」
『待…状態……。仔細を……』
胃が浮かぶ浮遊感。体中に感じる風圧。夢だというのに迫真に迫っている。俺はすっかりびびって泣き叫んだ。
「死ぬ、死ぬ! 死ぬうううっ! うひゃあああああっ! いやだあああああっ!」
『命を……果……』
「うおわぁあああぁああああああっ!!」
こうして俺は――この世界に無理矢理落とされた。
細かい説明も聞かされないまま。夢だと思い込んでいた所為か、神セラルーベに命じられたことどころか、会ったことさえも起きたら忘れ。
強引に降ろされた所為か、神殿に降臨することも出来ず。途中の山々の丘に放り出され。
この世界を彷徨う羽目になったのだ。
◇
戻って来た。
ここは過去の記憶じゃなくって現在だ。
俺はウラリュス大神殿の最奥、神臨の間にあるセラルーベへ通じる扉を抜けて母神セラルーベに対峙している。
ようやくこの世界に来た経緯を思い出した俺は、両手で頭を抱えていた。
(うおお、なんてこった……ずっとアウヴィスタの所為だと思ってたのに、元凶はこいつだったのか)
俺は承諾もなしにこの世界に召喚したらしい神アウヴィスタをずっと憎んでいた。しかし実際には神アウヴィスタは謝りはしなかったが、俺を日本に返そうとはしてくれていた。それを引き止めこの世界に落としたのは、目の前にいる母神セラルーベだったのだ。通りで覚えていた神アウヴィスタとの会話と、現実が噛み合わなかった訳だ。
(ずっと俺は違う奴を恨みながら彷徨っていたのか)
マヌケな話だ。
(それで最初、この召喚を夢だと思い込んだのか。だから違和感があったのか)
自分らしいといえば、らしいマヌケな話だ。完全に夢だと思い込んでいたなら、丘の上で目が覚めた時に細かい部分を忘れていたというのも理解できる。まあ揉めている内に時間がなくなって、ろくな説明も受けられないまま山中に落ちたってのが本当のところみたいだが。
さて、元凶がこいつだと分かった今、まず殴り掛かりたいところなのだが、マズイことにも気が付いた。
――もー……わかったよ。一体何しろっていうんだよ――
(俺、うっかり一度、了解しちまっているぞ)
これを以って『引き受けただろ』と強弁されると弱い。勘違いしてたとはいえ、一応一度引き受けている。
これは俺が悪かった。ということになるのか。ああ云わないと話が進まないと勘違いしたんだと云って通じるだろうか。畜生、これから帰る為に交渉するってのに、とんだマイナス要因が見つかってしまったぞ。
とにかく召喚された状況は判った。
でも、だからどうしたというのだ。交渉すべき相手が違っていたと分かっただけで、俺の目的もやる事も全然変わってはいない。
はーっ……
深呼吸して立ち上がる。正面に神セラルーベ。
「……とりあえず、思い出したよ。全部」
『ウム』
問題はこれからだ。今度はしっかり話そう、そして改めて要求を断わり日本に帰るのだ。
『無理ある召還であった為、汝に仔細な説明なく下界へ降ろすことになった』
普通少しは悪びれたり謝ろうとすると思うのだが、そんな素振りは一切ない。俺がここまでどれ程苦労したのかなどは関心がないんだろう。根本的に俺を見下している証拠だ。
『軌道を正そうと試みたが為らず。幼き徒と才無き信徒では汝を導くことは出来なかった』
なんだそれ。いや、もしかしてアンジェリカ姫さんと司祭長ファーミィに天啓を降ろしたのはこいつか。アレってアウヴィスタじゃなかったのか。お前がやったのかよ。
『多くの無為な時が経ってしまった。残された時は少ない』
会ったことさえ忘れてたからな。こいつが望むようなことを何もしてないんだから当然だろう。
『改めて命じよう。時が無い。急く使徒を排除せよ』
「改めて答えるよ。まっぴら御免だ。無理矢理こんなところに召んだお前の命令を聞く筋合いなんか無い。さっさと日本へ帰せ」
『其の様な権は汝に在らず』
「言った筈だ。そんなことは知ったことじゃない。あんたに権限云々を云われる覚えなんかない」
『否は無い』
「断ると言ってる」
『否は無い』
「知らないな! 断る!」
平行線だ。でも欠片も引く気はない。その為に俺はここへやって来たのだ。
言い方がマズイという自覚は一応ある。
こいつ相手には既に一度やらかしている。引き受けるようなことを口走った結果、この世界に放り出されることになった。もう二度と、言質を取られるようなヘマはする訳にはいかないのだ。なのでどうしても全否定みたいな答え方になってしまう。
『汝、何故我が命を背くか』
「アホか! 俺がお前の言うことを聞く理由が一個でもあんのか! 勝手に攫って、こんな世界に放り出して、何度も死に掛けたんだぞ! それを謝りもしない! ふっざけんなよ! こっちは怒ってんだよ!」
すぐ口調が荒くなった。
本当は冷静に、下手に出て日本に帰れるように話を持っていくのが正解だと分かっている。でも、こいつの言い方は本当に腹が立つ。俺の気持ちも怒りにも、まったく関心をもってないのが伝わってくるのだ。
『このままでは我の復活が頓挫す』
「だから、お前の事情なんて知ったことかって、言ってんだよっ! なんで人に物を頼むってのに、こっちの気持ちを少しも考えないんだお前は!」
『……』
「……」
『汝はどうすれば我が命を受ける可』
「だ、か、らっ! なんで、どうかすれば俺が受ける前提で話すんだよ! 俺は何を言おうが断るって言ってんだろが!」
瞬間、胸から頭に違和感が走った。
(なんだ、怖気? 気持ち悪っ……)
『……為る程、其の様に問えば命を聞く可』
「!?っ」
ぞくっ、と大きな怖気が走る。思わず飛び退って膝をついた。なんだ。今、なにをされた。頭を覗かれたのか。
『ウム。汝は帰還し、血族の元で暮らすことを望むカ』
「……なんで、知って……」
『では、それが叶わぬとなれば我が命を聞く可』
「!?っ」
『確かに、我等の異界への影響は術が限られる。異界に存在する固体を、直接害するのは困難を伴う。しかし――』
待て。おい、待て。
『しかし、其の者の周囲に因子を送ることは可能』
おい、なにを言っている。
『負性因子を大量に送り、其の者に影響させることは可能。彼の小人達は大量の苦痛を受け、存在を滅することに為るで在ろう』
「ふっ……ざっけ……っ!」
怒りで頭が真っ白になる。
要は悪い運気か何かを大量に送りつけて、不幸にすると言ってるんだろう。セラルーベが俺の視界を弄ったのか、幾つかのイメージ映像が眼の前に浮かぶ。
(ひぃっ!?)
重病を発症し倒れる母が、大怪我をして動けなくなった姉の光景が眼前に浮かんだ。
土気色で全身に管を通された母が、顔や全身に包帯に巻かれた姉が、病室で苦痛に呻いていた。足が、足がない。姉ちゃんに足がない。
それだけじゃない。違う場面では不幸という不幸が二人を襲っていた。冤罪を着せられていた。脅迫をされていた。玄関のドアに罵声が落書きされ汚されていた。優しい言葉を囁く奴は詐欺師だった。泣いて、喚いて、泣き崩れて壁にすがりついて咽び泣く細い背中。見も心もボロ屑にされていく二人の姿があった。俺は其処にいない。何処にもいない。何もできない。
(あ、あぁ……)
知らず腰が抜けていた。手で必死に前を払うが、一向に映像は消えてくれない。
俺が一番見たくなかった光景だ。一番恐れていた光景だ。
祖母が、祖父が、親父が死んで何度も泣きながら励ましあった二人だった。だからこそ、その分も幸せにならなくちゃおかしい。幸せにならなくちゃいけないんだ。
俺は子供だった。今迄何にも出来なかった。足を引っ張ることしか出来なかった。気遣ってあげることさえ出来なかった。だからこそ頑張りたかった。助けたかったのだ。喜んで欲しかったのだ。褒めて欲しかったのだ。感謝の言葉を貰いたかったのだ。
それを。
それを、それを。
「おおまぁええええっ!!」
怒りが恐怖に打ち勝った。
飛び掛った。居ない。殴りたい。逃がすな。
「ふざけんな! ふざけるなあああっ!」
『此れは幻覚に在らず。我が命を背けば、確実に訪れる現実で在る』
「どこだあっ! 逃げるなああっ!」
絶対に逃がすな。あいつを許すな。殴らずにはいられるか。一発でいい。一発でいいんだ。奴をぶん殴れ。ぶっとばせ。早く、早くしろ。でないと。でないと。
『さて……答せよ。如何にするか』
返事をしなきゃいけなくなる。
「く、う。うあああああああああああっ!!!」
飛び掛かる。いない。無様に転がる俺。即座に立ち上がってもう一度。いない。見えない。声だけが響く。
『汝……』
「あああああっ、うわあああああっ!!」
届かない。俺のちっぱけな拳は届かない。
『答える時為り』
「ああああああああああっ!!!」
地面を踏みつけ、殴りつける。ちくしょう、畜生。くそ、くそ、くそお、くそったれ! くそったれが!!
「……わかったよ! 受けてやる! 言ってみろ! やってやるぞ! 何でもやってやろうじゃねえか!」
倫理も法律も関係ない。絶対にあんなことを現実にさせる訳にはいかない。それは絶対だ。何があろうと。誰に何と言われようと俺は迷わず選ぶ。
――こうして俺は、改めて神セラルーベによる要求を引き受けざるを得なくなった。
神セラルーベの使徒としてあの世界へ戻り、使命を果たす。
本来の使徒、オーシャブッチ・シペット・アレクサンドルを殺害するのだ。




