挿話.リーダ 独白
久しぶりなんですが、めっちゃ暗い話ですいません。
「兄様……」
「おう、じゃあ行ってくる。……世話になったな……元気でな」
彼はそう言って少しすまなさそうな表情を浮かべ、片手を振って扉の向こうへ消えて行きました。
「……」
私は力なくその場にへたり込み、彼が消えた大扉を呆然と見上げます。衛兵達が気を使って言葉を掛けてくれましたが、言葉を返す余裕等ありません。
(なんてこと……なんてことを私は……)
最低の別れ方をしてしまった。
ようやく故国へ帰れる機会が訪れたというのに、私は自分も連れて行って欲しいと、彼に同道を頼み込んでしまった。当然のように彼の答えは拒否だった。
もう二度と会えないかもしれないという不安を抑えきれなかった私は、従者たる分も弁えず彼を困らせた。そして彼の心をかき乱したまま別れさせてしまったのです。
彼に聞く向こうでの環境と立場から、自分を連れて行ってくれることなど、万に一つもありえる筈がなかったのに。
耐えられなかった。我慢できなかった。彼が去ることが。置いていかれることが。自分がまた一人になることが。
(私はなんて未熟で……愚かなことを……)
「う……くっ……」
漏れる嗚咽を堪えて床に額ずく。
衛兵達が介抱しようと駆け寄る足音を聞きながら、何故このようなことになってしまったのか。その経緯が私の脳裏に浮かんでは消えていく。
私の名はイェフィルリーダ・アルタ・ルーベンバルグ。
オラリア王国王都、ルーベ神殿本殿に務めるルーベンバルグ家に生まれました。ルーベ神殿は千トゥン(千年)前に身隠れになられた慈愛なる神セラルーベを奉じる神殿です。身隠れされた後も、大地をあまねく神威で満たし、豊穣と安寧を与え続ける神、慈母神セラルーベを奉じることを教義としています。本来ヴィスタ教とは奉神が異なる為、独立した宗派のひとつだったのですが、数百トゥンに渡る宗派の統廃合により、現在はヴィスタ教分派の一つとしてオラリア王都を始め国内四拠点が設けられています。
前神殿長である父が南国ドーマ王国との戦争で急逝した中、私はルーベ本殿の次期神殿長候補として育てられました。指導は大変厳しいものでしたが、家庭に戻ると温和になる母と、復任した神殿長の祖父に愛されて育ちました。二人の期待に応えるべく私は日々精進を重ね、十歳で司祭補位を得ます。齢十で司祭補を得た者はここ百トゥン(年)存在しなかったと周囲の方々にありがたい評価をいただきましたが、この頃から叔父ワフィーダ高司祭が祖父達に異論を唱えるようになりました。前例は確かにあるが、古来より女性神官の位階は神官長迄であり、最上位である神殿長は歴代男性というのが慣習である。よって、私を次期神殿長候補として推すのは認められないと異議を申し立てたのです。ただ、対案として彼等が推すワフィーダの息子イワフィルは、司祭補六階位で未だ三位の身であり、彼が司祭位、高司祭位を得るのはかなり難しい状況。その為、彼等の主張も賛同者が少なく受け入れられることはないだろうと云われていました。
私自身は特に神殿長の役職に固執してはいませんでしたが、母と祖父から褒められたい一心で日々精進に励みました。そして私は十二歳で司祭位を得ます。一方、その年イワフィルは昇位試験で不合格に。これに治まらなかった叔父ワフィーダが一派を率い、謂れなき罪状を掲げルーベ神殿にて乱を起こしたのです。
祖父と多くの高司祭が害され、私は母や近侍達と共に神殿を総括する神宮ラ・ヴィスタに調停を求めました。しかし、既にワフィーダ達の手が回っており、母達は逆に罪人として捕らえられます。父がドーマ戦役にて出兵したことから祖父と母は反ドーマ王国派の嫌疑を掛けられており、その点を謀られたのでした。
幸運にも捕縛の手から逃れた私と近侍のスウィージャは各神殿を回り協力を訴えました。しかし、既に大勢は決しており、各神殿長達の協力を得ることは難しいものとなっていました。
私にも罪が着せられ手配書が回されました。私達は各地を転々としながら逃避行を続けます。そして、一トゥン(一年)後に匿われたイルィム神殿で、囚われた母とスウィージャの家族が処罰されたとの報を受けました。以降、気丈に私を助けてくれたスウィージャも次第に私を責めるようになり、二ウィナル(二ケ月)後に私は彼女の密告により虜囚となりました。彼女の別れ際の言葉は『貴方さえ居なければ』というもので、激しく私の心に突き刺さりました。
私は王都ルーベ神殿に連れ戻されワフィーダ達の下に引き出されました。死を覚悟した私に、イワフィルは昔から私に恋情を抱いていたと言い婚姻を迫りました。その邪な目を見て真実を知ります。私が彼の妻となり、代行として神殿長の実務を治めてイワフィルと叔父一派は実権を握る。それが彼等の目的だったのです。
私は母と祖父を殺害したうえ恥知らずな要求をする彼等を責めました。彼等は激怒しましたが、安易に私を殺すことはせずに一室に軟禁しました。おそらく私が未だ子供であることから、時間を掛けて変心を促すつもりだったのでしょう。しかし、囚われたルーベ神殿離宮は私の育った庭。即日神殿から脱出し王都を離れました。
王都を離れた私でしたが、既に目的を失っていました。ワフィーダ達への怒りと復讐心はありましたが、祖父も母も失った今、ルーベ神殿に執着する理由は多くありませんでした。
別れ際に母から聞いた「強く生きるのですよ。幸せにおなりなさい」という言葉を胸に、私は生き延びることを誓いました。
母国オラリア王国は南国ドーマ王国との戦いに敗れ、敗戦国として国内は疲弊し民の心は荒みきっています。身寄りのない子供が簡単に生きられるような状況ではありません。各地の神殿にはワフィーダの手が回っており、頼ることは出来ません。あっという間に私は貧民街に追いやられることになりました。
保身の為に身なりを崩し、男装して紛れこんでいたのですが、神殿育ちにより身についた口調や考えは早々隠せる物ではなかったようです。方々で看破され幾度となく魔術を行使して状況を脱することとなりました。
私は手配書から逃れる様に転々と街を渡りました。目指すは南西の国ワウル共和国。東のレンテマリオ皇国は既に多くの難民が溢れ問題となっている為、国境の警備が大変厳しくなっていると聞いています。西のトリスタ森林王国とは国交断絶となっている為流民は渡れません。南国ドーマは論外です。消去法でワウル共和国しかありませんでした。
国内では貧民に対し頻繁に奴隷狩りが行なわれ、ドーマ王国への輸送が行われていました。私は奴隷狩りを逃れる貧民達の仲間となり、魔術と多少の知恵を提供し生計を立てます。
最初は上手く行きました。いえ、上手く行き過ぎてしまいました。衛兵に賄賂を渡し、情報を集め、捜索網を把握し個別に対策を測り、危険な人物がいる場合は同士討ちをさせて排除する。そのように近隣市街で奴隷狩りを回避し、撃退まで成功したのは私達のグループだけだったのです。
仲間になりたがる希望者が殺到し、その中には密告で自分だけ助かろうという輩もいました。私は注意を促したのですが、首脳部の人員が増えたことから、年少の女子である私の発言は重視して貰えなくなっており、情勢は一気に悪化しました。
領主騎士団が現れ大規模な取締りが行なわれました。内通者の密告、そして圧倒的な権威と組織力を前に我々の小細工は通じません。最終的に組織は壊滅、我々は捕縛され、全員が身体に奴隷の烙印を押されて頑強な牢に閉じ込められました。
進退窮まりました。奴隷紋には魔術効果があります。奴隷管理官の持つ烙印紋から一定距離を離れると身体に激痛が走るのです。おぞましい逃亡避けの鎖でした。男達はドーマの鉱山へ、私と女子数名はドーマの娼館に送られることになりました。私は見目が良く教養があるとのことで高級品として遇されます。毛ほども嬉しくない扱いでしたが、待遇が良くなったことは、体力のない自分にとって非常に助かりました。
私はドーマの地に渡った後に改めて逃亡の機会を計ろうと考えていました。しかし、残っていた仲間達が脱走計画を立てていることを知ります。自制を促したのですが、捕らえられた仲間達は離散することに怯えています。脱走強行すべしの声が大きくなり、私もなし崩しに参加することなりました。その計画は自分が参加しなければ必ず失敗すると見通せてしまったからです。見捨てることも裏切ることも私にはできませんでした。
脱走計画は私が積極的に関わりました。魔術にて各地に放火をおこし、連鎖的に騒ぎを広げました。混乱に乗じて烙印紋の奪取に成功、破壊。ようやく自由の身に。私達は四方に散らばって逃走しました。
しかし、やはり都市内に騎士団が残っていたのが敗因となりました。予想以上に厳重な警戒網が引かれ、私は二つ逃れた合流予定先にて捕らえられました。
私には執拗な拷問が科せられました。どうやら子供らしくない大掛かりな計略を立案した為、私は地下組織に属する反乱軍の一味と疑われたのです。
当初は少しでも抵抗し、無事逃げおおせただろう仲間達への時間を稼ごうと意気込みました。しかし、即座に自分は知恵が回るだけの小娘でしかなかったことに気付かされます。私は拷問というものがどれ程恐ろしいものか、まったく理解していなかったのです。
両目が開かなくなるほど殴られ爪を剥かれました。手足を折られました。なんども謝り泣き叫び、許しを請いました。最後に残っていた抵抗意識は、脱走した仲間達の遺体を眼前に並べられて無くなりました。
自白した私の生い立ちを聞いて彼等は笑います。高い地位にあった娘の凋落振りが楽しくてならないようです。取り寄せた手配書を私の身体に貼り、集団で見比べて嘲笑し辱めます。
ですが、既にもう恥じる気持ちも怒りも湧いてきません。逃亡の果てに得た仲間達も失いました。最初のころにあった叔父の裏切を呪い、運命のを呪い、国内の情勢を呪い、その中でも必死に生きていくと誓った気概はもう残っておりません。
『――強く生きるのですよ。幸せにおなりなさい』
脳裏に母の声が浮かびました。しかし、気力尽きた身では申し訳なさしか浮かびません。
どうしてこんなことになったのでしょうか。私はただ、普通に生きていきたかっただけなのです。神は私を見捨てたのでしょうか。
数日後、私は火炙りを受けることとなりました。敗戦国となった我が国で始まった残虐な刑罰。自国が病み人心が腐敗している証でした。
刑場に引き立てられた時、既に私は精根尽き果てていました。それどころか処刑を待ち望んさえいました。もうこれで、やっと全てが終わる。母と祖父、父に会えるとさえ思っていました。
刑場でどのようなことがおきたのか、実はよく覚えていません。既に意識が殆ど残っていませんでした。
しかしそこで、私は奇跡に救われたのです。
気が付けば暖かな光に包まれていました。痛みが失せ、身体の内部から血肉が盛り上がり活力が湧き上がるさまは、肉体の再生と呼ばれるものでした。
私は最初喜びの平野に辿り着いたのだと思いました。しかし、周囲の様子が目に入るにつれ違和感に気付きます。何処かの建屋に寝かされ、世話焼きと思われる女房達から見下ろされていたのです。死後の世界と呼ぶには現実感があり過ぎる光景でした。
急速に回復する思考の中で、私は刑場から救出され介護されていることを知ります。そして同時に、自分が受けたあの拷問の数々を思い出しました。
私は生き残った事に絶望しました。ここが喜びの平野でないということは、再びあの責め苦を受ける可能性があるのです。おぞましい拷問と罵声の数々。痛みと恐怖が蘇ります。見知らぬ場所で集団に囲まれている状況、私は恐慌状態に陥りました。悲鳴をあげて泣き叫ぶ私を、周囲の者達が懸命に押さえつけます。しかし既に狂気に呑まれていました。
一人の人物が私を抱え込みました。私は必死に抵抗しますが彼も懸命にしがみついたまま離れません。恐怖に怯える私は力尽きるまで暴れ抵抗しました。殴り、叩き、噛み付き、力の限り暴れましたがその人物は頑なに私を離しません。抵抗が叶わないと知るや、私は自分の顔や頭を掻き毟り自傷行為に走ります。もう生きていることは恐怖でしかありません。終わりを。自死を。解放を。救いを求めました。彼はそれにも気付き、私の両手を奪って抑え込みます。恐怖の時間がどのくらい続いたのでしょう。やがて体力が尽き精魂果てた私の耳が、彼の言葉を捕らえました。
「ごめん。ごめんな。気づけなくて、ごめんな、ごめんなあっ!」
何故か彼は、ずっと私に謝罪をしていたのです。朦朧としたまま彼に意識を移します。
私をずっと抱きしめていたのは異国の少年でした。しかし、驚くべきは其処ではありません。彼は見た事のない巨大な魔力をその身に纏っているのです。
神々しい黄金の魔力。初めて見ましたが、これはまさか神気と言うものではないでしょうか。
神の使者。聖者。私の知らない高位の司祭様なのでしょうか。ならば私が蘇ったのは、彼のお陰なのでしょう。信じられない程高度な治癒魔術。噂に聞くウラリュス大神殿大司教の蘇生術でも、ここまでの治癒が出来るとは考えられません。
そして、更に驚くのは、私を救った彼がとても傷ついていることでした。
「すまん、悪かった!」
「大丈夫だ。もう、大丈夫だからな」
「安心していいから」
「怖がらなくていいから」
徐々に私は状況を理解します。彼は私の身体を奇跡で治しただけでなく、恐慌に陥った私を抱きしめ、救いの言葉をずっと掛けてくださっていたのです。
髪を搔き毟られ、暴れ、噛み付かれた私を、ずっと介抱し続けてくれていたのです。
治療された自分の爪に、新たな血が固まっています。おそらく暴れた私が彼の背中を搔き毟ったのでしょう。
それなのに。自分の背を傷だらけにしながらも彼は、私を案じる事を優先し、声を掛け続けているのでした。
私の頬に涙が落ちます。泣いているのです。彼が、私の為に。私の代わりに。
(あ……ぅあ……)
感動に震えました。
なんということでしょう。
家族を、知人を、仲間を全て失って恐怖に暴れる私の為に、この方は泣いてくださっているのです。恐怖で泣けない自分の代わりに。絶望で涙も浮かばない私の代わりに。
「辛かった、怖かったな! もういいから。大丈夫だから!」
懸命に宥めようと、介抱してくれているのです。
なんとありがたいことか。
「もう大丈夫だから!」
このような言葉を掛けてもらったのは何時以来でしょう。仲間達を率いる側になった私に、そんな言葉を掛けてくれた人は長らくいませんでした。
抱きしめられた腕から体温を。掛けてくださった言葉から温もりを感じます。全身から労りと優しさを感じます。胸が熱くなりました。
一心に自分を案じてくれている人がここ在る。それだけで私は肉体だけでなく、心も救われたことを知ったのでした。
(あ、ああ……あ……ふっ……)
枯れ果てていた涙が溢れてきました。
(神よ、慈母神セラルーベよ……感謝いたします!)
私は奇跡の出会いに感謝の涙を流しました。感激の涙を。喜びの涙を。
(お爺様……母様……父上……私は、私はっ……!!)
慈母神セラルーベと亡き両親達に感謝の言葉を捧げながら、私は彼にしがみつき、その夜をずっと泣いて過ごしたのでした。
それが彼、オオヤブ シンペイ様 との出会いでした。
◇
私を救ってくださった少年、オオヤブ シンペイ様。彼は異郷から神アウヴィスタに召ばれた使徒様であらせられました。
使徒とは神アウヴィスタによって、この大陸に招かれた異郷の方々への呼称です。彼らは皆、神アウヴィスタより使命を託されて地上に降臨し、大陸に英知を分け与える存在と言われています。
その新たな歴史的人物となるべき偉人と、私は邂逅し救われたのでした。
なんという奇跡でしょうか。これは全てを失い絶望の果てに喜びの平野へと旅立つ定めであった私への、アウヴィスタ神、いえ慈愛なる母神セラルーベからの導きなのでしょうか。
しかし、彼自身がおかれている状況を知って私は更に驚きました。
何らかの事故に会われたのでしょうか。彼は神アウヴィスタとの邂逅の内容をほとんど覚えておられませんでした。その為、ご自身の使命を確認すべく、隣国レンテマリオ皇国のウラリュス大神殿に向かわれている最中だったのです。
本来使徒は神アウヴィスタの啓示を受け、何処かのヴィスタ神殿に降臨。そこから現地神殿の後援の元、使命を果たされる筈です。しかし、彼が顕現されたのは何処かの山中。辿り着いた砦で虜囚とされていたトリスタ森林王国の王女を助け、反乱軍の首魁を捕縛するという助力を与えたとか。ですが御自身の要求は叶えられず、逆にその御力を利用され続けていたそうです。その為、隣国を脱出し御一人でこの国を横断しようとされているということでした。
この方の不運はドーマでも続きます。奴隷狩りに会い、脱出は叶いましたがこちらの反乱軍と同行することになったそうです。そして現王朝の腐敗振りの説明の一環として私の公開処刑を見せられたとのことでした。そこで私は彼に救われたのです。
異郷より来られたこの方は、我が国の情勢を知らず、また土地勘もなく市井の常識も詳しくない。それ故目的地に向かう術が分からず彷徨われていたのです。ならば、私の役目は彼の案内人となり一助となることでしょう。
私は彼に従者を願い出ました。この方のおかげで私は生を取り戻しました。いえ、彼に拠って新たな生を与えられたのです。その生は当然この方の為に使うべきもの。驚くほど自然にこの考えに至りました。そして、幸運にも私は同道の許可を得たのです。
本来ならば近隣のヴィスタ神殿に接触を図るのが近道なのでしょう。しかし彼はこれ迄何度も自由を束縛された為、単独での行動を望まれていました。ならば、私はその要望に沿って目的を果たさなければなりません。
旅が始まります。私達は道中衆目を避ける為、義兄妹と偽ることになりました。そして、私が「兄様」と呼ぶことを許してくださいました。
「兄様」「お、おう!」
使徒様は妹弟がいなかったらしく、兄と呼ばれることが嬉しい様子でした。自然とこちらにもくすぐったい気持ちが湧き上がります。
これから歴史的英雄となられる方を不遜にも親族呼びすることに、少なからず罪悪感はあります。ですが、親しい親族全てを失い、新たな家族の名を呼ぶことが出来る嬉しさに、私は抗えることが出来ませんでした。
◇
改めて、二人旅が始まりました。
そこで私は知ります。彼、オオヤブ シンペイ様は――
「うお、これすっぱ! すっぱい!」
思ったことを、すぐ言葉にされ。
「ちょっ、逃げろ! 逃げるぞ!」
無用な争いを好まず。
「いや、好きに使ってくれて良いよ。任せる」
気を許した相手を信頼し。
「いや、俺は横で突っ立てただけだし」
無用な虚勢を張られません。
……なんといえば良いか…………とても純粋な方でした。
しかし、それは今の私のとって、嬉しい誤算でもあります。裏切られ、貶められ、裁かれてきた私にとって、裏表のない彼の傍はとても居心地がよく温かいものだったからです。
使徒は聖者ではありません。どのような人格をされていても、その行いとは関係ないことです。なんと異郷での身分は平民であったとか。考えてみれば当たり前のことに私は気付かされました。そして
「そ、そういう事は先に仰って下さい!」
「わりぃ!」
なんというか。
「……に・い・さ・ま。緊張感持っていて下さいっ」
「あうちっ!」
なんというか。
「ぬおおお! ハッチュ! ハッチュ! ハッチュ! ハッチュ!」
なんというか。
「おおっ! 来るんじゃねえっ! スゥリープウウッ!」
彼はその気性からか幾度となく危機に出会い、私も自分の能力を十全に奮う必要に何度となく迫られました。それは従者としての本懐ではありましたが、とても大変で、危険な旅路となりました。
それでも私は――嬉しかった。とても幸せだったのです。
夜半借りた納屋で一緒に寝入る時、急に不安に襲われ、慟哭し暴れたくなる時があります。家族を無くし、居場所を失い、寄る辺のなくなった自分。行く当てもなく。これからどうなるのかと恐怖に怯える夜。それは未熟故の弱さが引寄せる悪夢なのでしょう。
身を寄せ合っていると気付くのでしょうか。先程迄元気にいびきをかいていた彼が目を覚まし、赤子をあやす様に夜泣きする私の背を優しく叩いてくれます。そして『大丈夫だ。大丈夫だぞ。お前は頑張ってるぞ。凄いぞ。俺の十万倍は凄いぞ。かっちょ良いぞ』と温かい声を掛けてくださるのです。
男性であり、大雑把な気性故に細かい気遣いをされることはありません。しかし、温かな真心は伝わってきます。それが何度私を救ってくれたことでしょうか。私を見て、私の為に考え、手を取ってくれる。その温もりと言葉に安堵し、幾度となく私は救われたのです。
「とにかく早く帰りてえ。家族に会いてえよ。また馬鹿やって怒られながら暮らしてえや」
繰り返される家族の下に戻りたいという彼の心境は、とても共感し親しみを覚えるものでした。さらに
「ちっくしょう……なんでこんな……帰りてぇ……」
私と同じように夜半一人で泣き言を漏らす彼に、切なさと愛しさを感じずにはいられませんでした。
賢しくも若輩な自分と、異郷を彷徨う彼。互いに未熟な自分達は、軽度な共依存関係を築きながらも支えながら旅を進めます。その中で私の心境は少しずつ変化していきました。
危機にある使徒に仕える一従者としてではなく。自分を救ってくれた未熟な少年の力となる娘でありたいと望む自分を自覚するのです。
町中で睦まじい家族連れの見た後、頭を掻きながら寂しそうに見送っている彼の姿を見ると胸が詰まります。
「……どした?」
「……いいえ」
旅先で私は訃報を聞きます。ワフィーダと息子イワフィルの一派が処罰されたというのです。
罰したのは国王ギブスンジラード。彼は暴君として多くの国官を罰してます。おそらく何か彼の不興を買う失態を犯したのでしょう。
内乱を起こし多くの苦労と金銭を使ってルーベ神殿を手中に治めた筈が、暴君の一挙足で破滅となったのです。呆気ない話でした。
強引にのし上った一派が粛清され、国内のルーベ神殿は混乱していると考えられます。もし私が帰還すれば、おそらく神殿長として復権することは可能でしょう。失った居場所を取り返すことができるのです。祖父も母も親しい仲間達もいないルーベ神殿に。
そこまで予測して、自分の心がまったく弾まないことに気付きます。彼の地はもう私の居場所ではなくなっていました。
そっと隣の彼を見上げます。いま、ここに私を必要としてくれる人が居ます。何かあった時に一緒に喜び、悲しみ、怒り、隣を駆けてくれる人が居ます。
これは依存なのかも知れません。寄る辺を失った自分は、ただ必要としてくれる方に縋っているのかもしれません。
それでもかまわないと思います。
この方の、この人の力になりたい。
周囲に従者と名乗りながら、誰よりもそれを否定して違う関係にありたいと望む自分がいます。
彼の傍にいたい。ずっと一緒にいたい。
しかし、そんな願いは叶うはずもありませんでした。
従者の分を超える望みを自覚して心乱す自分に、唐突に現実が突き付けられます。
予定より遥かに早く、私達はウラリュス大神殿に到着したのです。
突然迫った別離を前に、私は平静を装うことができなくなりました。大事な大神殿での話し合いでも心を乱し、ろくに役目を果たすことができませんでした。これでは従者失格です。
それでも状況は順調に進み、神アウヴィスタへの謁見予定日が決まります。
自分の足場が突然無くなるような恐怖に、私は連日怯えました。分かっていたことです。分かっていた別れなのです。それでも恐怖が治まりません。彼を失ったらは私は一体どうなるのでしょう。どうすればいいのでしょうか。
実は私は、今回の謁見で彼は故国へ帰ることは叶わないと考えています。おそらくは、改めて使徒の使命を任じられるのではないでしょうか。ハヌマール王国から来た使徒と間違えられた為、自分は故国へ帰れる筈だと彼は考えられていますが、私も同行しているトリスタ森林王国一行の方々も、そのようには考えてはいません。
たとえどのような形でも使徒として力を持たれて降臨されている以上、何らかの使命がある筈なのです。もし使命が重複していたとしても、改めて役目を命じられるものだと私達は考えています。
ですから、今回謁見をなされても、彼はまた戻ってくるでしょう。これが別れとはならない筈。
そう分かっているのです。それなのに、私は彼が居なくなる可能性に怯え、恐怖で震えが止められないのです。
どうすればいいのか。なんと言えばいいのか。どう見送るべきなのか。
従者としては彼の要望か叶うことを……帰還を望まなければいけません。でも私は、彼にいなくなって欲しくないのです。別れたくないのです。
考えはまとまらず、ついに私は考え足らずのまま行動を起こしてしまいました。
自分も彼の故国へ連れて行って欲しいと、同道を願ったのです。
有り得ない要求でした。
事実、自国へ帰りたいと願っている彼は、故国を捨てたいと願いでた私を見て、理解出来ないという表情をされました。
彼は故国では成人していない扶養される少年に過ぎません。身寄りのない娘を養うことは出来ず責任も負えません。一度抱えれば責任を負うことを常識としている彼には大変な負担となるでしょう。私の要求は彼にとっては難しい問題なのです。彼は困り果てています。
それでも私は云わずにはいられませんでした。
そして――当然のように彼は私の要求を拒否し、神臨の間から謁見へと旅立っていったのです。
(あ、ああ……わたし、わたしは……)
扉が閉まると同時に私は力なくへたり込み、呆然と扉を見上げることになりました。
大きな過ちを犯しました。
彼の事情と考えを考慮せず、受け入れられない一方的な要求をして、これから神と対峙される彼の心を乱してしまいました。
使徒の従者たる分を超え、勝手を振い、失望させたまま別れを告げさせてしまったのです。
(う……くっ……ううっ!)
なんと愚かなことをしたのかと、自責で吐き気がします。
最後の最後に自分は従者の分を捨て、ひとりの娘としての我を優先してしまいました。
冷たい大理石に額ずき、血がにじむほど歯を食いしばり、自分の愚かさを責め立てます。自分で自分が許せませんでした。
私は考えなくてはなりませんでした。
ひとりの娘としてもこの別れを受け入れ、それを呑み込まなければいけなかったのです。それが従者としてありうるべき姿の送り方なのに。
――違う
でも。
――違う違う! そうじゃない!
ですが、私の心はそれを否定します。従者としての分を全うできなかった自分を、それを責める自分さえも否定します。気付いています。気付いているのです。
嫌だ! ――離れたくない!! 離れたくないのっ!!
それが私の一番の本心でした。
理屈も使命も役目も、建前の全て放りだして、私はただ彼と離れたくないのです。
ただそれだけなのです。
(どうしよう、どうすれば良かったの)
『――強く生きるのですよ。幸せにおなりなさい』
まるで答えのように、脳裏に母の優しい声が浮かびました。涙が湧き上がります。
(母様! 母様!!)
自問自答が始まります。
私がすべき別れ方とは何だったのか。私は本当はどうしたいのか。どうすべきだったのか。彼が納得し、私が求めるものはなんだったのか。それを果たすには何をすべきだったのか。失敗という経験を踏まえたことにより、私の思考が加速します。
(私は、そうだ、私は――っ!)
顔を上げ、神々へと続く大扉に向かって両手を組み祈りました。ようやく顔をあげた私を、周囲の衛兵方が気にかけてくれています。申し訳ありませんが構っている余裕はありません。私は一心に扉に向かって祈ります。
(神よ、ああ、神々よ。もう一度、もう一度この愚かな私にその機会を……!)
私は失敗しました。こんな別れ方は許せません。できません。
(どうか、今一度、私に機会を!)
不遜な願いです。神々へも、彼に対しても不遜な行為です。
でもそうせずにはいられませんでした。私は一心に彼の帰還を求めました。
(もう一度。もう一度、あの人に会わせてください! そして!)
もう決めました。私は決意しました。耐え、堪え、受け入れる方法はいくつもあったのです。
(もし、もう一度出会えるならば同じ失敗は絶対にしないと誓います。胸を張って彼と、今度こそ!)
そうして私は、彼が消えた大扉に向かって、ひたすら祈りを捧げ続けたのでした。
変な終わり方でした。だから独白なのです(リーダの結論は本編で)
という訳で来週から本格的に再開します。
(既にエピローグまで出来ているので大丈夫です! 安心して! もう大丈夫w)
長らくお待たせしまして、申し訳ありませんでした!




