25. 大薮新平 処刑場の奇跡
新平は更に足を打ち下ろし、上空に向かって叫ぶ。
「きやがれええっ!」
ガガガンッ、ガン! ガン! ガンッ!!
両手を大きく広げ、力強く床石を叩くと同時に、新平の脳裏には先程とは違う、更に新しい踊りの言葉が響き渡った。
【伝えよ焦土のシギリージャ】
上空に浮かぶ処刑場の雲海が、一瞬輝いて膨れ上がる。
「ぎゃああああっ!」
処刑場で突然悲鳴が響き渡った。
ぎょっとして重臣達を始め観衆達は悲鳴を上げた男を注目する。その男は執行人だった。ヴィルダズの手を木柱に打ち付けた執行人の一人が悲鳴を上げて倒れたのだ。観衆達は何が起きたのかと一斉にざわめきだす。
しかし、事態はそれだけに納まらなかった。
ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッッ!
ジャン、ジャン、ジャン、ジャン! ジャン!
「うわああっ!」「痛いっ!」「熱いっ!」
処刑場のあちこちから悲鳴が上がった。新たに執行人達が、重臣が、観衆達までもが次々と痛みを訴えてうずくまる。足に、胸に、喉に耐えられない痛みが走ったのだ。
「な、なにを……」
「なんだ」
「あ、熱い……っ!」
「熱い!」『熱いいっ!』「痛い」「苦しい」「痛いいっ!」
皆が足を、胸を押さえてうずくまる。そして気づくのだ。自分達に何が起きているか。バチリと火花が散って処刑台上の男が跳ねる。その瞬間に観衆等自身にも激痛が走った。
「ぎゃあ!」「うわあっ!」「ひいっ!」
間違いない。火炙りを受けている男の痛みが自分達に伝わって来ている。彼が感じる痛みが自分達に流れ込んでいるのだ。
「なんで!」「なんだよこりゃあ!」「痛みが伝わってきてるんだ」「痛いっ!」「息がっ!」「苦し……っ!」
実際には何分の一かに押さえられているのだろうが、それでも耐え難い痛みと熱に観衆達はのたうち回る。王都街の方からも悲鳴が聞こえている。上空の映像を見上げる王都中の人々にもこの現象が起きているのだ。
我慢強い者には激痛が、弱い者には軽度な痛みが。その人物が耐えれるギリギリの苦痛が襲っているのだ。
起こしたのは誰か。当然処刑場前で踊っている男だ。
ガガガッ、ガガガッ!!
「やっ……やめろ!」「やめてえ!」「やめさせろ!」
先程までとうって変わり、原因に気づいた男達から怒声が上がる。アンジェリカ王女を問い詰めた官吏が、激痛に足を引き摺りながら抗議する。痛みの影響を殆ど受けていない少女達二人は、一度躊躇したが顔を上げて毅然と言い返す。主の援護をするのだ。
「申しました様に執行の妨害はしておりません!」
「これは公開刑です。ならばそれの実態を王都に知らしめようとしている今の行為のどこに問題がありましょうか!」
「……こっ、このっ……があ!」
怒りに震える官吏が、更に耐え切れない痛みが襲われうずくまる。見れば酷く苦しんでいる者達は観衆ではなく、執行人や重臣や官吏。今回の行為を支持する側の者達がより激しく苦しんでいた。失神しようにも、絶え間なく襲う激痛がそれを許さない。
段上に居る国王ギブスン・ジラードは、怒りと激痛に顔を真っ赤にして台座の手摺を握り締めている。王妃レイオーネは心臓を押さえて痛みに涙を流していた。
ガッガ、ガガガツッ、ガガガガッ! ガッガ、ガガガツッ、ガガガガッ!
ドン、ドン、ドン、ドンッ! ドン、ドン、ドン、ドンッ!
タップ音に合わせて、小銅鑼や鈴だけでなく大銅鑼までが鳴りだした。押し寄せる銅鑼の音と、新平の掻き鳴らす硬質なタップ音が、一音毎に観衆の心臓を急き立てる。そして、伝播するものはそれだけに留まらない。
「いや、いやあっ」「なんだあっ!」「やっ、うわあっ!」
耳の奥から声がするのだ。
(熱い。苦しい。痛い。苦しい)
痛みだけでなく、火炙りを受けている男の心の声が伝わって来たのだ。自分の胸の中から苦痛が、痛みが湧き上がる。それが耐え難く心を騒がせる。
「やだっ、止めて!」「ああっ、なんでっ!」「うああっ!」「いやああ!」
ガッガ、ガッガガガツッ、ガガガガッ!
(熱い。痛い。痛い。死にたくない――)
それは強制的な精神同調であった。
痛みと嘆きが。死に瀕した男の本音が怒涛の如く自分達に中へと押し寄せる。
「「うわあああああ!」」
ガッガ、ガッガガガツッ、ガガガガッ!
(死にたくない。痛い。死にたくない。死にたくない。熱い、痛い。痛い。死にたくない。死にたくない。死にたくない。痛痛痛痛痛痛痛――)
「うあああっ!」「やめろ! やめてくれ!」「助けてえ!」
恐怖と痛みと絶望が自分の中を駆け巡る。観客達は泣き叫び、目を覆い転がって助けを求める。しかし助けてくれる者はいない。この処刑を支持しているのは自分達全員だった。加害者全員が今や被害者になっていた。
それは永劫続く、地獄の様な責め苦であった。熱と痛みと苦しみ、そして死への恐怖に心を乱されて涙を流す。足腰から力が抜け、痛みと絶望に涙を流し、声を限りに鳴き叫ぶ。今にも気が狂いそうだ。それなのに、抗議の声を上げるどころではなく、失神さえも許されない。
今や王都中の人々が倒れ伏し、呻き、震え、痛みと熱さと苦しみに悲鳴を上げていた。何分か、何時間か分からない責め苦の時間が延々と続き、そして唐突に止む。
必死に息を整える観衆達は、何が起きたのかと顔を上げる。そこに一言、男の声が届く。
(空だ――)
観衆達の呻きが一瞬止まり、火刑場で火炙りに遭っている男に視線が向けられる。
台座には既に全身が火に包まれ、焼け爛れた男が縛られているだけだった。火刑台の罪人は熱と煙に巻かれ、上体は真っ黒に炭化しながら、顎を上げて顔を空に向けていた。
(ああ――………………青いな……)
染みるような男の声が胸に届く。火炙りにあっている男の意識が、光景が改めて自分の中に流れてくる。それは一人の男の過去だった。今まさに死の間際に居る男の最後。走馬灯と呼べる光景が見えてきた。
◇
ヴィルダズ・アーデは、北部の騎士団に勤める騎士の家に次男として生まれた。
体格に恵まれ若い頃は無茶もしていたが、外敵や魔獣から懸命に領民を守る父や兄に感化され自らも騎士を目指す。そして王都に上がり中央の騎士学校で多くの友人を作るも上級騎士達と対立。仲間達に惜しまれながらも退学となる。
北部に戻ったヴィルダズは騎士見習いとして父や兄の下働きとなって励んだ。持ち前の器量と統率力により、あっという間に一隊を任される程に成長する。
そこへ南方ドーマ王国との戦争が起きた。戦争は激化し、父と兄を含む多くの騎士達が参加したが王国軍は敗退。アーデ家に父の訃報と兄の負傷が届く。しかし増援に赴こうにも、ヴィルダズは人数の減った北方騎士団の中核を任されており、身動きが取れなかった。そしてオラリアはついに敗戦。アーデ家は新国王ギブスン・ジラードに忠誠を誓わされる。
敗戦後、国は一変した。
何より神獣ラリアが倒れたのが大きかった。神獣の加護を失ったことにより、大地の収穫は激減し、天候は荒れ魔獣が活性化を始めた。どれだけ奔走し魔獣を駆逐しても作物は実らず民達の嘆きは止まらない。
そのうえ法外な税と労役が課せられる。国民は困窮し、耐え切れない者は家族を売り、逃亡し賊に身を落とす。違反者には重罪が架せられた。残酷な刑罰と仕打ちに地方領主、名主からの嘆願が相次ぐがこれを新国王は次々と粛清。連日多くの者が捕らえられ断頭台へと登った。治安維持との名目でドーマの部隊が横行し領主や騎士団の拠点に居座り、家族を人質に圧政の取り締まりが始まる。ヴィルダズは耐え切れなくなった。今迄必死に守ってきた者達を自分の手で弾圧するのだ。助けたい者、助けてきた者に法外な要求を強制し、抵抗した者達を捕らえ切り殺すのだ。数年の葛藤の末にヴィルダズは自分の部隊毎反乱軍に身を投じる。
王国内を転戦し『新生オラリア解放軍』に合流。部隊長を任される。そんな中で妻に出会う。彼女は反乱軍を支援する町長の娘だった。衛視に立ち向かい啖呵を切って追い出した後、部屋に戻って恐怖で震えるような気丈で弱い娘であった。見ていられず何かと世話を焼くうちに結ばれ娘のクリオが生まれた。家族を得て初めて幸福を実感する。子の親になって初めて家族を守ることの喜びを知ったのだ。
しかし、国の窮状は刻一刻と悪化していく。一時は妻と子をつれ国外への逃亡も考えた。しかし自分は部隊長にまでなっており、仲間と責任がある。何より目の前で倒れていく民達を見捨てて逃げることができなかった。
絶え間ない魔獣の脅威と、討伐部隊からの逃亡と転戦を続けるなかで、産後に体調を崩した妻が病気に倒れる。国土が荒れておらず十分な栄養を得られていれば悪化しない筈の病だった。最愛の女を失って知ったのは自分自身でも信じられない程の喪失感だった。愛しい者を不条理で失くす苦しみ。それがこの国では蔓延していることを知る。追い打ちの様に大規模な掃討戦が始まり、ヴィルダズの犯したミスが原因で解放軍は団長を失う。それなのに、生き残った仲間達は自分を次期団長に推してくれたのだ。
半数以上を失った反乱軍は壊滅の危機に追い詰められた。ヴィルダズは必死に仲間を守ることだけを考えた。娘を遠くに預け、地下に潜り力を蓄えようとした。しかし、国状は自分達の予想を上回る速度で悪化する。
税が更に上がる。飢えて身を売る者が激増する。賊に身を落とした者達が横行する。村々が焼け落ちる。魔獣が活性化する。それでも民と仲間を守ろうと転戦を続けた。戦った。戦った。無骨な自分は剣を奮うことでしか人を助ける術を知らない。だから戦った。
しかし、死んでいく。みな死んでいく。絶望の声を上げて死んでいくのだ。掴んだ掌から砂が零れるように殆どが残らない。
助けてくれと叫ぶ者を抱き上げる。死にたくないと言いながら息絶える者を見取る。これ以上失いたくなかった。助けたかった。どうしてこうなってしまったのか。この国は、どうなってしまうのか。どれだけ叫ぼうとも答える者はいない。
皆を守りたかった。不条理に嘆く人々を見ていられなかった。
ただ、それだけだったのだ。
◇
「あああああああ!!!」「いやああああああ!」
罪人の心情に強制的に同調させられた群集達は、激情に心を引き裂かれ、のたうち回って涙する。悲鳴が上がる。嗚咽が漏れる。もう見ていられない。もう聞きたくない。知りたくない。思い出したくない。耐えられない。
忘れよう、諦めようとした自分達の心の扉が開いてしまったのが分かる。男の悲痛は自分達の悲痛だった。国民の誰もが思っている痛みだった。敗戦後で身内を失わなかった者等この国にはいない。それだけに耐えられない。
これは反逆者等とは呼べない。ただ民を守ろうとした男の、助けようと戦った『勇者』の叫びだった。
伝播する肉体の痛みより、それ以上の心痛が体の奥底をかき乱す。目を瞑ろうが耳を塞ごうが見えるのだ。聞こえるのだ。自分達が大切な者達を失ったあの時の喪失感が、絶望が再び押し寄せるのだ。
「いやああああ、もう止めてえええ!」
「聞きたくないっ! 見たくないっ!」
「中止、中止を!」
「やめて、もうやめて! 陛下、もうおやめください!」
王妃と側近達が懸命に泣き叫び、国王に処刑の中止を嘆願する。しかし国王は顔を怒色に染め、歯をくいしばって処刑場を睨みつけるのみだ。
頭の中には途切れず慟哭が聞こえている。ヴィルダズの心の叫びが。彼の痛みの。苦しみの。絶望の。
◇
辛い日々だった。苦しいばかりの人生だった。
自分達はただ普通に生きたかっただけなのだ。身の程を越えることを望んだ訳じゃない。家族と一緒にささやかに生きたかっただけなのだ。しかし、そんな望みさえこの国では掴むとこができなかった。
この国は悪意に覆われている。
足掻いても、足掻いても、巨大な手によって直ぐに崩された。
だから、せめて大事な人には幸せになって欲しいと、身を削って痛みを堪えて生きてきたのだ。しかし、その願いは最後まで叶うことはなかった。
しかし、それももう終わる。ようやく終わる時が来た。
女房よ、いま行くぞ。
娘よ、生きてくれ。
皆よ、すまない。
理不尽への恨みがある。怒りがある。痛みがある。苦しみがある。悲しみがある。
みな燃えていく。自分の身体と共に燃えて空に昇っていく。
そして、最後に希望だけが残った。
娘の笑顔だけが残った。
愛しさに胸が締め付けられる。
ひもじい思いをしないように。
重い病を患わないように。
たくさん笑えることがあるように。
辛いことがないように
祈りだけが残る。
幸せになってくれ。
ただ、幸せになっておくれ。
娘よ。
愛している。
どうか幸せになってくれ。
苦しみと、嘆きと、怒りと、後悔の果てに
最後に愛情だけが残った。
愛している。
愛していると。
娘への愛を唱えて―――――――――――――――男は天に召された。
◇
「うわああああっ!」「あああああっ!」
処刑場では群集達が泣き崩れていた。号泣する者が後を絶たない。悲鳴と怒声と慟哭が沸き起こる。
国王ギブスン・ジラードが鬼の様な形相で立ち上がり叫んだ。
「もういい! 処刑はこれで終わりだ! そいつを早く引き摺り降ろせ!」
執行の中止を懇願する声と自身の痛みに、ついに彼も耐え切れなくなったのだ。これは罪人の公開処刑だ。悲劇の美談等にする訳にはいかなかった。
国王の怒声が届くと共に、執行人だけではなく周囲の男達が一斉に駆け寄ってヴィルダズを解放し始める。彼等は燃え盛る火を叩き、その身に火傷を負おうとも構わず消火し、罪人を地面に引き摺り下ろした。釘で木柱に打ち付けられた掌は、肉が焼け溶け抵抗なく引き抜け落ちる。
引き降ろされた黒焦げの罪人が国王達の正面に引き出される。全身から黒煙が立ち上がり、肉が焼け焦げ悪臭が漂よっている。
処刑は終わった。
しかし、執行官の男は呆然と遺骸を眺め、終了の声を上げられずにいる。
「ああ……」
誰かが哀惜の声を漏らす。
遅かった。
既に男の心の声は聞こえない。
石畳に降ろされた罪人は、既に全身の皮膚が爛れ落ち、黒く焼け焦げており、一目で事切れていることが判る。
そこかしこで嗚咽とすすり泣きが溢れだす。
何時もの公開処刑とは違い、高揚感も興奮も無い処刑となった。罪悪感とやるせなさに皆が顔を俯かせている。
助けられなかった……。
なんと酷い処刑だったのだろうか。
なんと愚かで悲しい処刑だったのだろうか。
罪人の筈だった。唾棄すべき男の筈だった。血に酔い、余計な血を強いる暴虐な反逆者の筈だった。
正体は普通の男だった。どこにでもいる平和を求める男だったのだ。仲間を助け、弱者を守ろうとした勇敢な男だ。最後まで娘の幸せを望んでいた。そんな男が何故このような目に会わねばならないのか。
これが、この国の現実なのだ。
重臣や官吏、騎士達も青い顔をしている。今迄自分達がしていることの意味を受ける立場で体感したのだ。大義名分を掲げ相手の状況に耳を塞ぎ、仕方ないからと心を閉ざして現王政を支持した結果、どのような境遇を負うのかを体感してしまったのだ。彼等は明日から同じ様に反乱軍に対応できるのかと自分を省みて青ざめている。
現王政の正当性を示すために反乱軍代表者を公開処刑することは、逆にこの国の非道を露呈することとなってしまったのだ。
王都街で上空を見上げる都民達も同様に打ちひしがれている。
追い詰められた末の反乱。そして仲間への謝罪と娘への愛情。
反乱軍である限り罰せられる事は当然だったかもしれない。しかしと、やるせなさに苦い思いが疼く。そこかしこで都民がうずくまり嗚咽を漏らしている。何と痛ましく酷い処刑だったろうか。
上空に浮かぶ火刑場の光景は、次第に薄く霞んでいこうとしていた。
刑場では皆が黙り込み、すすり泣き、痛んだ身体と心を慰めていた。アンジェリカ王女達も力なくうな垂れ、悄然としていた。
しかし、一人だけ動く者がいる。
新平である。
彼は右足を引き摺りながら遺体に向かって歩いていく。あの伝播する痛みは踊り手本人にも返っていたのだ。
「んぐっ……」
鼻をすする音が辺りに響いた。彼も泣いているのだ。泣きながら新平は石畳に置かれた男の遺骸へと歩いていく。職務を思い出した執行人達が立ちはだかろうとしたが、新平の泣きはらした顔を見て思わず動きを止め、そのまま通してしまう。
「はぁ……ぐすっ……うぁああっ……」
周囲の観衆達は黙り込み新平の動向をじっと見守る。何をするつもりかと注目しているのだ。
遺体の前に立った新平は、焼け焦げた真っ黒な遺体を見て震える。嗚咽を懸命に堪えた後、大きく呼吸して息を整える。そのまま両手を大きく広げ――――新たな踊りを始めた。
【快癒する女神のムスタッシュダンス】を
踊りの意味を知るアンジェリカ王女達が仰天した。
まさかとラディリアが立ち上がった。
治せるのかとイリスカも立ち上がる。
アンジェリカ王女とリーダは顔を見合わせ、互いに真相を知らないと知ると、自分達の主に視線を戻す。
そんな事が出来るのか。あんな状態から治るのか。どう見てもアレはこと切れた死体だ。全身が焼け焦げ、足の先などは炭化して削げ落ちてしまっている。新平本人もあの踊りは治療なので死者は治せないと言っていた。ならば治る筈が無い。治るというなら、それは既に治療ではない。それは……
「フッ、フッハッ、フッ!」
新たな踊りを始めた新平を見て、観衆達にざわめきが広がっていく。
何をしようとしているのだ。終わっていなかったのか。まだ何が起きるのか。期待と不安を持って、観衆達どころか執行人や重臣達までもが息を呑んで注目している。
それは上空の映像を見上げる王都の民衆達も同じであった。王都の各所でうな垂れた人々が引かれる様に上空を見上げて、何が起きるのかを見守っている。
浮かぶ映像では新平の顔が見えない。ただ遺骸を前にして誰かが踊りを踊っているのが分かるだけだ。しかし、何故かそれに目が離せない。心がざわめき、目が引き寄せられるのだ。
何かが起きようとしていた。
「光っている……」
誰かが呟く。
新平の全身が淡く光っていた。
魔道の素養のある者達だけでなく、普通の人々までもが新平から溢れる力を感じて驚きの声を上げる。神気が物理的な光となって、周知出来る程に高まっていた。
光が強まると同時に、それを見守る人々の胸も熱く高まってきた。分かるのだ。何かが起きる。自分達が驚く、自分達が望む何かを彼が起こそうとしていると。自分達の希望を、彼が叶えようとしていると。
人々は期待と祈りをもって、その踊りに見入る。
「ハッ! ハッ!」
起きる。
「ヒッ! ハッ!」
来い。
「ヒッ! ハッ! ヒッ! ハッ!」
来い。
「あああああっ!」
頼む!
「ハチュ! ハチュ!! ハチュ!! おおおおっ!!!」
叶ってくれ!
「来いいいいいいっ!」
新平の絶叫と共に、彼の脳裏に言葉が響きわたる。
【癒す女神のムスタッシュダンス】
カツッッ!!
突然、男の遺体が輝きだした。
「うわああっっ!」「まぶしいっ!」「なんだああっ!」
遺体の真っ黒な消し炭の外皮が剥がれ、その下から光が溢れ出す。手足が激しく跳ね上がった。内部から肉が盛り上がり、黒炭が弾け飛び、その下から火傷の痕一つ無い肌が現われる。再生した肉体だ。
現れた男の裸体が辺りを眩く照らす。その光は王都上空の映像からも差し込み、王都街を明るく照らす。見上げていた観衆達はたまらず悲鳴を上げる。
「「うわああっ!!」」
蘇った男の身体が、がくんと跳ね上がる。同時に見守る観衆の心臓も跳ね上がる!
「がっ……がはっ!」
男の顎が跳ね上がり、口が開かれた。息を吹き返した! 呼吸だ! 呼吸が始まったのだ!
そして――大きく息が吐きだされ、ついにはその眼が開かれる。
「「「!!!!」」」
生き返った!
「おお……おおおおおおおおおおっ!!」
どよめきが歓声に変わる。
死んだ筈の男。治る筈が無い。治るというなら、それは既に治療ではない。それは――奇跡だ。
奇跡が起きたのだ!!
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
処刑場に歓声が沸き上がる。大きな歓声が。大気が震える程、地響きかと疑う程の歓声だ。処刑場だけではなく上空の映像を見た王都中で民衆が歓声を上げているのだ。
絶叫する者、両手を振り上げる者、泣き崩れる者。身の回りの物を投げ飛ばす者。先程まで罪人と蔑み罵声を浴びせていた者達までもが歓喜の涙を流していた。国王ギブスン・ジラードは唖然として声もなく、王妃と重臣達もが倒れ伏し涙している。
オラリア王都民達は今、奇跡を目にしたのだ。
――死刑囚ヴィルダズが目を開けた。
途端に巨大な歓声が彼を包む。ヴィルダズは呆然と周囲を見回す。自分は死んだ筈だった。でも熱が、痛みが無い。無事な身体が、手足がある。これは夢なのだろうか。違う。周囲が生き返ったと歓声を上げているのだ。
「やった!」「すごい!」「生き返った!」「奇跡よ!」「奇跡だ!!」「万歳!」「万歳!!」「万歳!!!」
反逆者として、罪人として処刑されたというのに、何故か自分が生きてることに皆が歓声を上げている。何をが起きたのかは分からないが、一度死んで生き返ったのは間違えないようだ。
正面には目を真っ赤にして、泣きはらした新平が立っていた。
「……間に合ったぁ……ったよ」
この男が何かを成したのだと理解する。
それは奇跡を起こした男とはとても思えない顔だった。顔中を真っ赤に染め、鼻をすすり、涙でくしゃくしゃになっている。新平が泣きじゃくりながら手を差し出す。ヴィルダズは無意識に腕を上げ
――その手を握った。
周囲の歓声が爆発した。
次回タイトル 《二章 最終話》大薮新平 仲間達と大神殿を目指す




