10. 大薮新平 リーダ邂逅
大薮新平は踊ると魔法が掛かるという、ふしぎな踊り子スキルを得て異世界に召還された。行き倒れた末に騙され、奴隷として売られたところをある傭兵団に救われる。実はこの傭兵団は王国への反乱軍、新平は仲間に勧誘されるも拒否。旅立とうとした矢先、広場にて火炙りの公開処刑に出くわすのだった。
火炙り。中世の絵画や時代劇の映像でした見た事のない光景が、今から目の前で始まろうとしていた。
「そんな……」
広場は異様な雰囲気に包まれていた。押し寄せた人達の諦めるような、しかし興奮を隠せない歪んだ喧騒が満ちている。
非道が行われようとしている。残酷な事が起きようとしている。なのに誰も止めようとはせず、人々は縛られた罪人に見入っている。とても理解できない。なんでこいつ等はこんなおぞましいのを見たがるんだ。
息を呑んだままアルルカさんを見る。彼女は冷めた表情で刑場を見つめていた。こちらの視線を感じて振り返るが、黙って首を振った。ギヤランを見る。彼も表情無く黙ったままだ。イビーサの後ろの鞍に座っているので、彼の顔は分からない。しかし何やらぶつぶつと陰鬱に呟いている。この人達は止めようとしてない。黙ってここで処刑を眺める気なのだ。
なんだよ。お前ら反乱軍なんだろ。こういうのを止めるのがお前らじゃないのか。何の為の反乱軍だ。こんなの見て楽しいのかよ。
勝手な事と分かっていても、思わずにはいられない。
官吏らしい男が前に出て来た。姿が普通じゃない。顔が白い。違う。何か顔に塗っているのだ。あれは何だ。彼は巻物みたいものを広げ罪状を読み上げ始める。
「これより グランデール市衛にて捕らえた罪人の処刑を行う!」
諦めとも興奮ともつかない歓声が市民達から沸き起こる。
待て。どうして誰も抗議しないんだ。なんだ、この雰囲気。おかしい。気持ち悪い。 ……異常だ。
「此度の罪人は二名。右の者、名はビクセン・ブルーフ」
呼ばれた男が鞭を打たれて悲鳴を上げる。
「此の者 昨年末の税を未納の上、逃亡。エンデールにて馬鈴薯一箱の盗みをはたらいたものである」
「はあっ、ぶっ!」
思わず声を上げたら速攻口を塞がれた。見れば団員のギヤランが横に馬を並べ、俺の顔を掴んでいた。
「声を出すな。目をつけられるぞ」
(いや、おい。税未納と泥棒だろ。殺人でもないんだ。なんで死罪になる。税が重いのが悪いんじゃないかよ)
ギヤランを睨みつけるが、彼は無表情のまま自分を見つめ返してくる。
「いま一人、イェフィルリーダ・アルタ・ルーベンバルグ」
一通り罵声と投石が飛び交った後で、隣の罪人にも鞭が打たれた。しかし今度は悲鳴は上がらない。逆に観客の方からどよめきが起きた。慌てて広場を見返す。
どよめきの原因は彼の姿だった。彼は小さい。小さいのだ。子供じゃないのか。子供だよおい。
麻袋みたいな汚い貫頭衣を着せられ。木柱に縛り付けられたのは、未だ幼い子供だった。
悲惨な姿だ。
何度も殴られたのか顔は腫れ上がり輪郭が変わっている。片目は腫れで潰れていた。もう一つの目は虚ろで何も写していない。髪は乱れ、まるで時代劇の乞食みたいな風貌だ。ところどころ赤黒いのは血がこびり付いているのだろう。縛られているのに左足が外に向いている。折れてるのだ。しかし子供は痛みを訴えない。鞭を打たれても反応しない。既に自失し半端な痛み等は感じていないのだろう。
ここまで悲惨な状況に置かれた子供を初めて見た。痛ましさよりも、吐き気よりも、衝撃に呑まれて声が出なかった。震えさえおきない。
「この者はルーベ神殿にて祖父ツヴァイク・アルタ・ルーベンバルクと共に国政に反旗を翻した。市井の子供を集め虚偽の話を植え付け扇動したのである。証人喚問を拒否し神聖統一会の治安協力に抵抗。ついで契約したウバ・シターロ商会から逃亡し損害を与えたものである」
反旗と言ったのに、その内容は子供に嘘を教えただけだという。途中はよく判らなかったが、商会の名前の前に『ウバ』と付くのは奴隷売買を行う商人だと聞いた事がある。おそらく反逆者として捕まり、奴隷に売られたところを逃げ出したのだろう。
……それで、それだけで……火炙りなのか。あんな風にするのか。
ぶるりと身震いする。
「これらは我がオラリア王国に対する反逆であり大罪であるのは明白である。よって神聖統一会の代理、サウール領主プロナード子爵に仕える刑政委員たる審問官、マサド・オーヴェンが国父ギブスン・ジラードの名において刑を執行するものである!」
おい、ふざけんな。
税を未納で大罪、物を盗んで大罪、奴隷から逃げて大罪。
どこが大罪だ。それで火炙りだと。おかしいだろ。
振り返る。周囲を見渡す。誰も反応しない。なんだ。何故誰も止めない。これ程の人がいて何故皆黙る。何故見入る。何が面白いんだ。何が良いんだこんな事。
偶然その子供の顔が少しだけ持ち上がった。まるで引かれる様に、惹かれる様にこちらに首を傾けた。そして、その目が一瞬だけ焦点を結ぶ。
「!」
――目が合った。
かなり距離があるのに判った。あの子は誰でもない自分を見た。息が止まる。足が震えだした。今これから処刑されようとしている子と自分は通じ合ったのだ。
そして、あろうことに、子供は薄く微笑んだ。
「っ!!」
何かが背中を駆け上がった。頭の奥がカッと熱くなる。
「あ! ぶっ……」
身を乗り出して叫ぼうとしたら、ギヤランに口を身体ごと押え込まれた。アルルカさんとイビーサが慌てて顔を寄せてくる。
「落ち着け」「やめるさぁ」
しかし、それは同時にこいつ等があの子供を助ける意思が無い事を示す。更に頭に血が昇った。
「ふざっ……!」
押さえ込もうとしたギヤランに頭突きをかます。掴もうと伸ばしたアルルカの手を叩き返す。イビーザがぎょっとした顔を向けてくる。ギヤランの掴んだ手が離れない。蹴る。蹴りまくる。蹴り飛ばす。馬から転げ落ちた。
「っざけんなよ!」
「――誰だ!」
やっと叫ぶと、まるで待っていたかの様に、審問官の怒声が広場に響いた。観衆が一斉にこちらを振り向く。自分達は関係ないとばかりに人垣が割れた。飛び上がってその中を走り出す。
ふざけんな。ふざけんな。おかしいだろ。
こんな罪で火炙りなんか起こす役人達も。それを黙って見ている市民達も、反乱軍といってるくせに何もしないで眺めてる奴等も全部糞ったれだ。
柵を乗り越え広場に飛び出した。
「なんでこんな事すんだ! お前らもなんで眺めてんだ! おかしいだろうが!」
叫んだが誰も反応しなかった。観客達は目を伏せる事もしない。自分を奇異な珍獣でも見る様に眺め返してくる。
なんだ。なんなんだよお前ら。
先程罪状を読み上げた男が薄笑いをして顎をしゃくれば、半裸のいかつい男達が俺を捕らえようとゆっくり歩いてくる。
飛び退って即効踊りだす。ふざけやがって。ふざけやがって!
「きさまら、どいつもこいつも糞ったれだ! 全員眠りやがれ! スリィィイプ!」
脳裏にあの言葉が響き渡る。
【睡魔の踊り】
「うっ……」「ぉあ……」「あぁ」「……」
一斉に処刑場にいた者達が倒れ始めた。
審問官が、刑人が、官吏が、刑場を囲みこちらを見ていた観衆全員が。こっちに駆け寄ろうとしたアルルカも、見捨てて逃亡しようとしたイビータ達も、全てが地に倒れて昏倒する。
張り付けられた子供の下へ走る。後先は考えていない。審問官や刑人にも見向きもしない。
「待ってろ。待ってろ!」
子供の足元へ辿り付いた。間近で見ると一層凄惨な状態だ。全身に殴られ内出血した痣。肌は所々抉られて火傷を負ってる。火棒か何かで突かれたのだ。折られた手足と腫れ上がった身体。ボロ雑巾の方がまだ綺麗だろう。とても正視できない状態だった。酷過ぎる。涙が溢れてくる。
薪を踏みつけ、萱を駆け上がって縄に手を掛ける。硬い。貰ったナイフを腰から抜いて叩きつける。少ししか切れない。歯軋りして何度も切りつける。時間が掛かる。焦って顔を覗き込むが反応は無い。子供の表情は分からない。もう意識が無いのか。
「うあああっ?」
異様な物を見つけた。手が、両掌が重ねられて、頭の上で木柱に釘で打ち付けられていた。
「あああ! ふざけんなあ! キリストじゃねえんだよ!」
飛び掛って釘を引き抜こうとする。硬い。
(マジック並に太いじゃねえか! こんなもん人の身体に打ち込みやがったのか!)
釘を抜くと痛みが走ったのか、子供が我に返ったかのように奇声を上げだす。
「ぎゃあああっ!」
「すまん!今抜くから! すぐ抜くから!」
「ぁあっ! ああああああああっ!」
「ちくしょう! ちくしょう!」
涙が止まらない。何故か涙が止まらない。
「待ってろ! 待ってろよ!」
悔しくて、悲しくて、泣き喚きながら釘を引き抜く。そのまま勢い余って萱から転がり落ちた。再度駆け上がって今度は縄に切りつける。脇に力無く垂れ下がった子供の両腕は恐ろしく細かった。そして両手の爪は全部剥がされてた。見た瞬間、ぞわりと肌が粟立った。
「ちくしょうが! 今、すぐ助けるからな!」
硬い。縄が硬い。切れない。畜生、切れない。怒声を上げて何度も叩きつける。
「ああっ、あああ!」
視界が涙で霞む。怒っているのか泣いているのか、どうなっているのか良く分からない。ただ一刻も早く助けたい一心でナイフを叩きつける。
気がつけば、誰かが足元で縄を切ろうとしていた。手伝ってくれてる。誰だ、全員眠らせた筈だ。ぎょっとして見れば背後から声を掛けられた。
「オウバヤイ君、急げ」
「なっ?」
それはアウディ団長と市長別邸に居た男達だった。何故ここにいるのか。何故自分に協力するのか。彼等は手際良く縄を切り落とし、子供を木柱から救出した。飛び出して子供を受け取る。軽い。抱えた瞬間、恐ろしく軽くてまた泣きそうになった。
地面に降りると後ろに馬が回されて来た。成り行きで死刑囚を馬に乗せ、一緒に相乗りしてその場を逃げ出すことになった。
◇
「……団長。なんで?」
道すがら新平はアウディに質問するが彼は黙ったまま答えようとしない。一行は助けた死刑囚二人を馬に乗せ市長別宅へ戻るべく走っていた。眠らせてしまったアルルカ達も一緒に引かれてるので新平としては少し気まずかった。暁の傭兵団員だった男が代わりに答えてくれた。
「俺達は指示があって刑場を見張ってたんだ」
「指示……誰から?」
「……」
おかしい。何かおかしい。
「……ミラジーノ副長だよ」
「おい」
「いいじゃねえか。本当の事だ。……俺もこんなの気にいらねえよ」
団員の一人の吐き捨てたの見て、新平の脳裏にイビーサの言葉が蘇った。
『……いえね。ミラジーノ様の指示でしてね』
(どういう事だ。俺にわざとアレを見せて助け出させたって事なのか。俺を使って助けさせたのか。 ……また俺は利用されたのか)
新平のまなじりが上がっていく。
「……くそったれめ」「でも小僧。お前、凄かったぜ」「スカっとしたよ」「やるじゃねえか」
男達の中には新平を褒める者もいた。しかしアルルカが止めた件もあり、素直に気を許せない。誰のどれが本心か判らないのだ。新平は黙ったまま拳を握り締める。
別邸に着いたところ、団長達は不在のようだった。急ぎ死刑囚達を下ろし、手当てすべく中へと運ぶ。すると、奥から当のミラジーノが出てきた。新平達の様子を見渡して彼は鷹揚に溜息をついた。
「成る程……そうなりましたか」
「どういうこったよ、副長……」
突っかかった団員を、アウディ団長が無言で押し止める。新平がすさんだ顔を向けるとミラジーノもこちらを見ていた。彼は肩をすくめて軽く謝罪する。
「試すような事をして、申し訳ありませんでしたね」
新平は飛び掛って、思い切り殴り飛ばした。抵抗しなかったミラジーノは壁際まで吹き飛んだ。
「ふざけんな、てめえ!」
「おおっ!」「ひゅー!」
廻りの男達が気勢を上げてはやし立てる。意味が判っていない者達は腰を浮かし、何事かと驚いていた。
新平はそれらを全て無視して子供の元へ急ぐ。完全に頭に血が昇っていた。必要とあらば、ここの全員と戦ってもいい気分だった。
応接間へ行くと、ソファーに寝かされた死刑囚二人を介抱しようと女達が群がっていた。
「どいてくれ! 俺が治す!」
意味が判らずぽかんとする女達を引き離し、新平は【癒す息吹のムスタッシュダンス】を踊りだす。残回数が少ないのだが思い出しもしない。
応接間でいきなり奇声を上げて踊りだした新平を見て周囲の注目が集まった。何事が起きたのかと邸内の者達が次々と集まってくる。
初めて見る異様な踊りに最初は唖然としていたが、その珍妙な奇声とフリに何人かの男が吹き出した。それでも声に出して笑い出す者はいない。新平が奇妙な魔術の使い手だと知られているからだ。そして何より、今、彼が怒りながら踊ってるのを誰もが雰囲気で察していた。
「ハアアッ! ハチュ! ハチュ! ハチュ! ハチュ!」
新平が両手でハートマークを作り、病人に向かって捧げるという異様なポーズを決めた瞬間、突然二人の身体が光りだす。見ていた者達から一斉に驚きの声が上がった。そして、光が消え去った後には、いつものように怪我一つ無い健康体の姿が現れた。
大きなどよめきが沸いた。アウディ団長やアルルカ、ミラジーノさえも目を丸くする。これ程の重病。治療しても助かるかと思われた重傷があっという間に完治したのだ。打たれた釘の跡さえ残っていない。痩せ細っていた手足には肉が戻り、健常人とまったく変わりが見られない。これはもう、奇跡としか言い様がなかった。
どよめきと賛辞の中、新平は全快した子供を見つめようやく溜息をつく。
(――終わった)
やっと肩が下りた。これで助けられたと新平は思った。
彼等が承知でここに連れてきた以上、預けて大丈夫だろう。もう嫌だ。もうこんなことに関わり合いたくない。こんなとこに居たくない。あの三人には断って一人で出て行こう。
こっそり新平は決意した。
「ここは……」
「あ……」
起き上がった男に誰かが話しかけている。新平はそっちには構わず子供の様子に見入った。肉付きが戻ったので判ったが、子供は少女だった。年は十を少し越えたくらいだろうか。咳き込んで起きた少女はゆっくりと起き上がり、呆然とした顔で辺りを見渡した。気を利かせた女性達が次々話し掛ける。毛布を持ってきて着せようとする。
少女の反応は鈍い。呆然と座り込んだまま、ゆっくりと目の焦点が合い始める。【癒す女神のムスタッシュダンス】は怪我を完治させるだけでなく、意識や思考も一気に正常に引き戻す。急に頭が動き出して、状況の把握が追いつかないのだろう。
「あ……あ……」
そして少女は
「あああ」
意識がはっきりしてきた事によって
「ああああああああ!!!」
恐慌状態に陥った。
「いや、いやいやあああああ!!!!」
見ていた新平は冷水を浴びせられた様に青冷めた。
慌てた女達が宥めようと近づくが彼女は暴れて抵抗する。手で押し、足で蹴り飛ばし、どこにこれ程の力があるのかと思う程の抵抗を示す。長い髪の間から覗く大きな瞳が恐怖に染まっている。周囲の人間全てに怯え、近づく者を全身で拒否した。
アルルカが女性達に毛布を被せて身動き出来なくするよう指示するが、女達は少女の剣幕に躊躇している。
「ぎゃああああ!!」
更に何かを思い出したのか、少女は宙を見上げながら顔や頭を掻き毟り始めた。自傷行為だ。止めようとした女がまた蹴り飛ばされる。見ていられない。吸い込まれるように新平も前に進み出た。目が合ったが少女には新平も危害を加える者としか見えていないようだった。蹴られる。叩かれる。引っ掻かれる。
それでも新平は止まれない。
治療した事で終わったと思っていた。今迄、治した人達は全員戸惑いはしても、すぐに喜んで感謝してくれたのだ。それが違った。今迄とは違った。なんて甘い考えだったのか。あれ程の重症から、どれ程悲惨な目に会ってきたのか想像できる筈だった。こんな小さな子供がそれを思い出して恐慌状態にならない筈が無いのだ。
新平は何度も蹴られながらも、馬鹿正直に正面から挑んで、遂には腕の中に抱きしめた。
「ひいいいっ! やああああっ!」
人と触れた事で少女は更に怯え、泣き叫ぶ。手足で相手を叩き、髪を引っ張る。それでも新平は離せない。離してはいけないと思った。自分は馬鹿だった。甘かったのだ。気に食わない行為に飛び出して暴れ、助け出し治療してハイ終わりじゃなかったのだ。
「ごめん。ごめんな。気づけなくて、ごめんな」
「いや、いやあああああ!!!!」
新平の声はまったく届いていない。少女は完全に恐慌に陥っている。
冷静な男だったなら、ここで精神を安定させる新しい踊りでも模索しただろう。しかし新平は思いつくことが出来なかった。それよりも先に抱きしめなければ、謝らなければならないと思ったのだ。自然に身体が動いていた。
「ごめんな、もう大丈夫だからなっ……」
再び新平に涙が溢れてきた。自分の馬鹿さ加減が悔しかった。この少女が痛ましかった。なんとかしたかった。
「うあああああ! あああああ!」
謝罪の声は少女の耳に届いていない。それでも謝る事止められない。宥める事を止められない。少女は荒れ狂い泣き叫ぶ、新平の顔を引っ掻き、叩き、髪を毟る。隙を見ては拘束から逃れようと何度も蹴り飛ばす。それでも新平は離さない。
周囲の者達があれこれ言ってくるが、聞く余裕は新平には無かった。
数時間が過ぎた。
驚く事に、まだ少女は暴れて泣き叫んでいた。新平もまた、懸命に抱き止めていた。
周囲の者達はどうしたものかという顔を突き合わせている。貰い泣きしていた女達を含め、囲んでいた者達も殆んどいなくなった。
少女の体力が尽きてきたのを見て、アウディが新平に別室に移動するよう促す。新平もロビーでずっと騒ぐのは本意ではない。おとなしくついて歩く。抱き上げたまま移動する際も、少女は変わらず泣き叫ぶのを止めない。移動している事さえ認識できていないのだろう。
案内されたのは奥の一室だった。簡素な机と棚とベッドのみの小さな部屋だ。気を利かせたのか毛布が多く持ち込まれていた。これなら泣き疲れた後に休めるだろう。振り返ったアウディに頷くと彼は頼むと一言だけ告げて出て行った。ベッドに座って少女を宥め直す。
「ああーっ あ~っ、う~っ!」
既に発せられる声は意味の成さないものになっていた。それでも少女は抵抗を止めない。なんとかして拘束から逃げたがる。既に正常な人間の反応とはいえない状態だ。もしかしたら完全に心が壊れてしまったのかもしれない。【癒す息吹のムスタッシュダンス】では外傷も精神もあるべき姿に治せる。しかし、治した後にその過去が辛すぎて心が壊れてしまうことなんか防げないのだ。奇跡だなんだともてはやされても、結局こんな小さな少女一人救えないのか。
自分がうぬぼれていた事を思い知った。心の何処かであの踊りに頼り切っていたのだ。衝動にまかせて飛び出したとしても、最後はなんとか成ると甘い考えでいたのだ。だから激情のままに飛び出した。
「ひあ~っ、はああーっ!」
結果は腕の中にある。
腕の中の少女は理性を失い力の限り暴れ続ける。痛ましい。助けたいのに、自分には抱きしめて宥める事しかできない。背中を優しく叩く。頭を撫でる。即、振り払われた。どうすればいいのか全然分からない。家族内で一番年下だった新平は年下のあやし方を知らない。
「ああ~っ。 ひゃあ~うっ!」
「大丈夫だ。もう、大丈夫だからな」
懸命に掛ける言葉も空回りしてる。まったく聞こえてないように思えた。でもこれしか思いつかない。抱きしめて、宥めて、安心させてやる。
少女自身を掻き毟っていた手が、いつの間にか新平の背中を引っ掻いていた。何度も掻かれたので背中は傷だらけだろう。太腿や腰も蹴られ続けて内出血してるようだ。痛かった。まるで自分の甘さを責め立てられているようだと新平は思った。右耳は既に聞こえなくなってる。ずっと耳元で叫ばれ続け、鼓膜が破れたか馬鹿になってしまっているのだ。
「大丈夫だ。もう、大丈夫だから」
それでも新平は声を掛け続けた。
気が付けば窓の外は真っ暗だった。あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。
「ひゃーっ……かぁーっ……」
暴れていた少女もようやく体力が尽き、手足は力なく下に垂れ下がっている。しかし、治療された喉が枯れ果てても、まだ少女は首を振って呻き続けていた。
「大丈夫。もう、大丈夫だから。安心していいから」
新平はひたすら同じ言葉を掛け続けた。こちらの喉も既に枯れている。何を言っても彼女は首を振り続けるので、助けを拒否しているように思えた。こっちの声はまったく届いていないように思える。対処を失敗してるかもしれない。不安がよぎる。
明日も。明後日もこのままだとしたらどうすれば良いのだろうか。しかし他に方法が思い浮かばない。
「ああ~っ……がはっ……くっ」
声が枯れ果て咳き込むようになってきた。こうまでして現実を拒否したいとはどんな目にあったのだろう。想像するだに胸が締め付けられる。
更に数時間をかけ窓の外が白み始めたころ、ようやく少女は抵抗を止め意識を失うように眠りに付いた。
「大丈夫だ。大丈夫だからな」
それでもまだ、新平は声を掛け続け、背を撫でて宥めていた。喉はしわがれ、ろくに言葉を成していない。止めてはいけない気がしたのだ。こちらの声が続く限りは届け続けなくちゃいけない気がしていた。必要な事だとわかっていたのかもしれない。自分の甘さが引き起こした罰だと思っていたのかも知れない。自分でもはっきり分からないが、体力の続く限り声を掛け続けなくてはならないと彼は思った。
気力を減じた朦朧としている新平は気づいていない。数時間前から少女の髪と背を撫でる掌から光が溢れていることに。神気を見る者がこの場にいたら、少女が神気に包まれていることに。
少女を抱きしめたまま。新平もいつしか意識を失った。
日が完全に昇った頃、新平は涙で目を腫らした少女の膝枕で目を覚ました。
昨日迄の険しさは抜け、少女は穏やかな表情で新平の硬い髪を梳いていた。
目覚めた新平に対し、少女がぽつりと助けて貰った礼を言う。正気を取り戻した事に気づき、喜ぶ前に泣いて謝る新平。そして少女もまた、泣いて礼を返すのだった。
彼女の名はイェフィルリーダ・アルタ・ルーベンバルク。
新平がこの世界で初めて得た完全なる味方であり、以降従者として最後まで旅を共にした少女。通称リーダとの出会いであった。
次回タイトル 大薮新平 従者を得る
なろう異世界召喚物の定番、奴隷ゲット回でした。(いや、これ少し違う)
総話数40話越えにして作者の待ちに待っていたリーダが登場。ここまで本当長かったです。
正ヒロイン? 違います。キーマン? 違います。
解説&対策&フォローしてくれるブレイン。念願の相方の登場です。
これにてきつい展開は一段落。ストレスを感じておられた方がいらっしゃいましたら申し訳ありませんでした。




