22. 大薮新平 王都で女騎士と再会す
敵国ゲルドラ帝国の飛竜の一団が、北天騎士団との戦いの末、国境を突破し王都へ向かっている。この事態に対応すべく、宮廷魔道士ミモザは強行軍で進むのを指示。馬車は速度を上げ、宿場町でも宿に泊まらずに馬を替えて昼夜走りづめ、二日後に王都に辿り付いた。状況が状況なので新平は断る事もできずそのまま同行、疲労と馬車酔いになり、ぐったりしたまま王都に到着。王都の街並を見る事もないまま王城に連行され、王宮の一室に放り込まれた。
次々来ていた伝令とミモザとの会話を盗み聞いた話をまとめると、北方の国境を守る北天騎士団がゲルドラの猛攻に耐え切れず突破を許してしまった。一部を守備隊に残し、突破した飛竜一団を追ったが追いつけなかった。内陸深く侵入を許してしまい、王都周辺の北の町ラングラ周辺にて交戦になったとの事だった。連絡を受けたフォーセリカ王女率いる皇天騎士団が、これに対抗すべく、急ぎ援軍に向った。自分達が見たのはコレだったようだ。現在は逃がした、撃退した、いや王都に潜入を許したと情報が錯綜しているらしい。
「すまぬが、坊の調査はこの一件が済むまで待っていてくれぬか」と云われ、ミモザは王宮内に駆けて行った。流石に文句を言う訳にもいかず頷いた新平は、与えられた王宮の客間で馬車酔いを治すべく寝込んでいた。
与えられた部屋は賓客用の客室らしく、ランドリク城での部屋よりも調度品や装飾に凝っているが窓はない人物画が何枚か飾れれているのだが、何故か皆左向きで揃って頬に指を添えているポーズなのが気色悪い。そして身の回りの世話役を置くと言って半日交代で侍女が部屋に控える事にされてしまった。気を使いたくないので断りたかったのだが、馬車酔い中で体調が悪く押し切られてしまった。一応侍女用の控えの小部屋は部屋の奥にあるのだが、基本は即応対できるように傍の椅子に座ってこちらを見て控えている。これは非常に居心地が悪い。流石に若い娘ではないがそれなりに美しい。王宮の侍女だけあって格式ばった礼儀で対応され、新平は体調が戻った後も彼女達への対応に困っていた。
「あーゲルドラと、どうなったか聞いてない?」
「申し訳ありません。存じません」
彼女達は自分の事を賓客とのみ聞いており、侍女として接してくる。敬語で話したら恐れ多いと懇願され、なんとか命令口調で話そうとするのだが、年長者に命令口調をするのに抵抗のあって凄くやりずらい。内心何様だろう自分という意識が何時までも拭えない。
彼女達にゲルドラの飛竜襲来の件を何度か聞いてみたが、新しい情報は入ってこなかった。侍女だから戦況等判らないと云われればそうなのだが、何も情報が入ってこないのには困った。
結局、場所を変えて再び軟禁状態になってしまった。基本考えるより先に動く気性の自分には辛い状況だ。王都街に出てみたいと言ってみたが、部屋前に衛兵が二名立っており、やはり外出を許してくれない。ミモザからも最初に「案内も無しで一人で出るのは危険じゃ。共を手配するまで待っておくれ」と伝言されており、事情が判るだけに強くも出れなくなった。仕方なく部屋の中でニートしながら今後の展開を予想し対応策を考える。
一番ありそうなのが当分放置されるという悲しい仕打ちだが、これはある程度待って状況が変わらなければ、踊りで強行突破して外に出て状況確認しに行こう。できればミモザ婆ちゃんを捜して直談判に行こう。今はランドリク城での脱走の経験から、城外へ抜け出せる目処は立ってるから閉塞感が薄い。少し気持ちに余裕がある。
次にありそうなのがラディリアに云われた医療協力だ。ラディリアやエルダから情報を得ていれば、自分がこの国には居ない四肢の欠損まで治療できる人間である事が知られている筈だ。今回のゲルドラとの戦いで負傷者は必ず出てるだろうし、その治療を頼まれる可能性は高いと思う。
どうするべきか。もちろん後先を考えれば、治癒の踊りに使用回数が限られている以上断るしかない。どんな怪我も治る強力な踊り。この先どこで必要になるのか判らないかた無駄使いは厳禁だ。でも自分にちゃんと断れるだろうか。正直自信が無い。有無を言わさず重症患者の部屋に放り込まれたら、患者を放置してるのが嫌になって泣きながら踊ってしまう自分が目に浮かぶようだ。とりあえずは断る前提で考えよう。断れなさそうになったら、せめて何か情報を得られるように対価を要求しよう。
次は可能性は低いが一緒に戦ってくれという依頼だ。現在は内乱中。敵国の飛竜も国内迄攻めてきている。君は魔法が使えるのだから一緒に戦ってくれというのは物語でもよくある展開だ。何人居るかはしらないが、一国に魔道士がそう多く存在するとは思えない。少しでも戦力を強化したいだろう。詐欺同然だったが一応翼竜と対峙して追い払った実績もある。もし戦況が悪ければ借り出される可能性はゼロでは無い。自分は戦うつもりも殺し合いに巻き込まれるつもりも無いんだが、召喚者についての調査をたてに要求されたら困った事になる。
どれもあまり歓迎できない展開で頭が痛い。
◇
翌朝、ランドリク城で会った皇天騎士団の副長トルディアが官吏を引き連れて現われた。目が合った瞬間、苦い表情をされたが何だろう。『またこいつに関わるのか』みたいな目を一瞬向けられた。ランドリクで城から逃げ出した事をまだ根にもっているのだろうか。
用件は案の定、医療協力だった。予想していた展開で内心ほっとする。
「お聞きなっていると思いますが、ゲルドラとの交戦によって天馬騎士の数名が重症を負いました。聞けばオヤベ殿はラディリアとエルダの怪我を瞬く間に治した程、高度な医療魔術を扱うとか。どうかご協力をお願いできませんか」
「……すいませんが。お断りします。あの踊りは回数制限がありまして多用できないのです。今後の事を考えると、申し訳ないですが現状では協力はできないです」
トルディアの眼光が少し強くなる。断るとは意外だったのかピクリと眉を上げた。知的美人顔なので絵になるな。回数について続けて聞いて来ないのは事前に知っていたんだろう。
「もちろん報酬でしたら検討させて頂きますが」
「こっちの要求は金額ではなく情報です。既にミモザさんには召喚について王都の記録を調べて貰えるよう協力は約束してもらってますが、まだ何も新しい手掛かりが得られてないです。ですから現状ではこれ以上の協力はできないんです」
「……協力はできぬと?」
「……条件が違うと言ってます」
言い返されたのに、気の所為か少し見直したような表情をされた。やだなあ腹の探り合い。
「召喚の件は前例が無いだけに時間が掛かります。こちらでも調査する事はお約束しますが、兵達の病状は急を要する者が多く一刻も早い対処が必要です。ここは…」
「わかっています! でもこっちとしては約束じゃ駄目です。実際に価値のある情報を先に貰いたい。そうすれば協力を考えます」
「……現在の調査結果を確認したうえで協力お願いできませんか。調査には時間がかかります。その間にも我が国の兵が倒れていくのです」
嫌な事を言ってくる。俺も酷い事を言っている。深呼吸ひとつ。言いたくは無いが、ここまでいったなら言わなくてはならない。
「……怒るかもしれませんが、それでも情報が先です。俺にとってはこの国の人達が何人倒れても関係ないんです。一刻も早く自分の国に帰りたい。その手掛かりが最優先です」
トルディアの目が据わった。視線が凄く痛い。後ろのおっさん達も睨んでる。凄い形相で歯軋りしてる人もいる。死んでも構わないと言われればそりゃ怒るだろう。もっと上手く直接的な表現を避けて話す事ができればいいんだけど、生憎そんな話術はない。自分にはこんな風にしか言えない。でもここで折れちゃ駄目だ。下手に頷いたらずっと良い様にこき使われてしまう。嫌だな交渉って。
受身になったら駄目だ。こっちから話を進めなくては。
「ミモザさんには協力を承知して貰えましたけど、現在の状況は聞かれていますか。こちらからも何度か伺いを立てているのですが、全然連絡が来なくて困っています」
ちらりと侍女さんを見ると、俯いてこちらと視線を合わせない。何度か伝言を頼んだのだが、この様子ではミモザさんへ連絡自体が行ってるかさえも怪しいところだ。
「申し訳ありません。こちらは戦後処理をしており、まだミモザ導師とは話が出来ておりません。すぐにでも確認しましょう」
段々分かってきた。これはミモザさんと話はしていないな。俺の踊りを思い出して個別に依頼しに来たような感じだ。管轄が違うと横の情報連携が取れないって奴かも。直ぐにでも確認すると言ってるが怪しい話だ。
「王都に飛竜が攻めてきた件はどうなったのですか? 結局私は知らないんですが」
「もちろん王都前の村付近にて全て撃退しました。現在は戦後処理をしております」
答えてはくれたが、どこまで本当の事を話してくれてるか分からない。街に出て情報収集できない自分には真偽の判断が難しい。一応撃退したのは本当みたいだが。
その後も言い方を変え繰り返し協力を求められたが、何度もまず価値のある情報が先と言い返す。後ろのおっさん達から「では兵達に死ねと言うのか!」とか恫喝されたが、開き直って「そうだ」と答えたらかなり雰囲気が悪くなった。刑事ドラマとかで見る恫喝役となだめ役の連携かと穿っていたのだけど、本心から怒っているようで内心凄く申し訳ない。言い返しているうちにこっちも興奮してきて、脅えか怒りか自分の膝が震えだしたので、上から掴んで押さえつける。それを何故かトルディアさんは微笑を浮かべて面白そうに眺める。最後はミモザ婆ちゃんに確認して明日また来ますと言い残して彼女達は帰っていた。
本当に急いでいるなら、直ぐに確認してくるとか言って、誰かを走って行かすとか思うのだけど、違うのだろうか。一刻を争うと言った割には真剣味が足りてない様に思える。自分と常識が違う人達なので、本気度が読めないのが辛い。
「はあぁー……」
疲れた。慣れない交渉で精神的にもぐったりだ。悪者になったようで凄く胃がムカムカする。視線を感じたので顔を向けると、侍女さんが軽蔑したような目でこっちを見ていた。客に対して不敬だと気づいたのか慌てて茶の湯を交換してくると言って出て行く。畜生、そりゃあ俺だって協力できるならしてえよ。
明日もまた来るだろうな。今度は断りきれるだろうか。交渉能力の低い自分でも断りきれたのだから、まだトルディアさんは本気を出していないように見えた。今回は受けてくれれば儲けもんくらいに思っていたのかもしれない。その分明日も来たとしたら、今度は本気だという事になる。気が重いな。こっちはは日本に帰りたいだけなのに、なんでこんな目に合っているんだろう。今日は夕飯貰ったら直ぐに寝てしまおう。
しかし、夜に状況は動いた。
◇
その夜、部屋に一人の綺麗な女騎士が訪ねてきた。最初は誰だか全然判らなかった。王宮に入るまでは見た事の無かった儀礼用みたいな煌びやかな青い鎧装。整った容姿。艶のある金髪を括り、青い宝石を埋め込んだ銀細工の髪飾りでまとめている。天馬騎士の女性達よりも白い肌には傷ひとつない。凄い場違いな人で、部屋を間違えられたのかと思った。何故か顔色が悪い。思いつめているような青白い顔で扉口に立ち尽くしてこちらを見ている。何だこの人。
「……チンペー殿。お邪魔してよろしいだろうか」
この呼び方で自分を呼ぶのは、一人しか心当たりが無い。
「……もしかして、ラディリアなのか」
彼女はこくりと頷いた。
「はい。ご無沙汰しております」
「おお……ひ、久しぶり……ですね」
これが近衛騎士の正装なのか。髪も綺麗に手入れされて括ってある所為か見違えた。こんなに綺麗な人だったんだ。やばい。格好良い。ちょっとびびって言葉使いを改めてしまった。汚れた貫頭衣一枚に剣を佩いて走り回っていた時とは完全に別人だ。あの土色だった金髪がランプの光を反射してキラキラしてるぞ。唇もつやつやだ。やだ、ちょっと色っぽい。
「チンペー殿……頼みがあるのだ」
こちらの動揺に気づく余裕もなく、彼女はうな垂れている。こっちもチンペー呼ばわりされて我に返った。声を大にして言いたいが、俺は落語家じゃない。
「……どしたの?」
こんなに暗い表情をする人ではなかった。何かあったのだろうか。とりあえず席を促す。しかし座ると黙ったまま俯いてしまった。侍女さんが気を利かせてお茶を出してくれる。関係ないけど紅茶ってはどこの世界も同じなのかね。自分に味の違いが分からないだけかもしれないけど。
わたくし大薮新平。ファミレスで寿司をソースで食べて、最後まで気づかなかった前科があります。婆ちゃんが凄く嘆いていた。
一口飲んだ後でラディリアがポツリと呟く。
「……実は、先の戦いで重症を負った者がいるのだ」
「ああ……ゲルドラ帝国の飛竜が来たって話だろ。トルディアさん達が来て少し話は聞いたよ」
展開が見えた気がする。嫌だな、当たらないでくれ。
「その一人が、私の……友人なのだが」
「え、いやでも……」
下手に病人を助けると、後で困る事になると教えてくれたのは、あんたじゃないか。
「分かっている。勝手な言い分だとは承知しているつもりだ。トルディア様との話も聞いている。貴方なりの考えで、治療を拒否した事も理解しているつもりだ。しかし……」
ラディリアが唇を噛んだまま見つめてくる。端整な顔が歪み悲壮な表情になる。どきりと心臓が掴まれた気がした。
(うわっ……)
「もし助けてくれるのなら……私にできる事なら何でもする。何でもするからお願いだ。頼む。彼女を救ってやって、くれないだろうか」
膝の上で握った手が白くなっている。女の人が何でもするなんて云々と突っ込みたいが、とてもそんな雰囲気じゃない。
「おそらく……彼女はもう、長くない。とても…とても見ていられない……」
「……う……」
「うちの司祭達はもう諦めてしまった。貴方でなければ……もう貴方でないと、助けられないのだ」
「う、うーん……」
困った。凄く悲壮でシリアスな状況なんだが、珍しく予想した通りの展開が起きてしまった。
戦友が死の淵に立っているのを知って、知り合った女性騎士がなりふり構わず頼みに来たという話だ。ありそうな話だ。そしてそれは罠なのだ。
昨日考えてみたのだ。もし自分に病人を治させようとしたら連中はどうするか。散々言い返しているので今更金銭は言わないだろう。ミモザさんの調査結果はまだ先だろう。ならば情に訴えるか。逃走劇に一緒だった姫さんかこのラディリアを交渉役にするんじゃないかというのが結論だった。いかにもな話をでっち上げ、情に訴えて一人を治させる。そして逃げ道を塞いで演技できる家族達に治療を訴えさせるのだ。そして俺は断りきれず踊り出すという訳だ。
怖い予想だ。しかし実際に彼女が頼みに来て、ソレが現実になろうとしている。
彼女は演技しているように見えない。一緒に逃亡してて思ったけど、この人は堅物で嘘をつけるタイプじゃない。でも彼女が気づかずに誘導されている可能性はある。嫌な思考に反吐が出る。でも考えなくちゃならない。ここで引き受けたら次から次へと病人が運び込まれて、踊って治すお医者さんにされてしまう可能性が高い。いずれ召喚について情報を与えるという口約束を盾に、軟禁されて良い様にこき使われてしまうかもしれない。
【癒す女神のムスタッシュダンス】はあと二十五回くらいしか出来ない。
切れたらどうなる。今度は用済みとして捨てられるかもしれない。そうしたら金策の手段がなくなったまま街に一人放り出されるのだ。
日本に帰る方法は、まだ何一つとして判っていないのに。
「あなたに事情がある事も承知している。私が今更どの口で頼むのかとも自覚している。しかし、一度でいい。一度でいいから力を貸して頂けないだろうか」
「………」
切羽詰った表情でラディリアが頼み込んでくる。顔は別人みたいに綺麗なのに、瞳には力が全然無い。いつもの精彩は欠け、今にも土下座して頼みそうだ。その顔は見たくない。胸の奥がざわざわしてくる。勘弁してくれ。こんな切迫した雰囲気は苦手なんだ。
頭を抱え身悶えし、歩き回って壁に頭をぶつけて唸ってしまう。ラディリアが奇行に驚いて近づいてくる。脇で侍女さんも困惑している。
「……チンペー殿?」
「うう~……」
どうしようか、どうするべきかと首を振って――ラディリアと目が合う。泣き出すのを我慢しているような悲壮な表情だ。無意識だろうか、乙女みたいに両手を胸元で握って自分に祈るようにしている。そんな顔しないでくれ。頼むよ。
……溜め息ををつく。
駄目だ。
もう心の中では答えが出てる。格好つけて考えたポーズをしても無駄だ。世話になった彼女にこんな風に頼まれりゃ、最後には協力するに決まってるんだ。俺は馬鹿だ。
もう一度大きく溜め息をつく。
嘘かも知れない。罠かもしれない。これが原因で次々と頼まれるかもしれない。しかし、とてもこれは断れない。罠と知っててもこりゃあ駄目だ。突き放す事ができそうにない。こんな風に言われては黙っていられない。騙されていても大薮新平はそんな人間じゃないと言い返したいのだ。
もう、自分は彼女の力になりたいと思ってしまっている。
「畜生め…………場所は何処?」
ラディリアが近寄って来る。両手を握って祈る様に期待を込めた顔を向けられる。
「……チンペー殿」
そんな顔されると目を合わせられない。馬鹿な自分に苦笑いしかない。
「いいから。もう、そういうのいいから。早く行こう」
結局、自分は小市民なんだ。自分しか助けられないと目先に押し出されたら行わずにはいられない。良いと思う事を後先考えて理屈で我慢する事ができない。後で馬鹿を見ると知っていても止められない。長期的な視野で物事を判断して我慢したりできない。
これはただの馬鹿者だ。
「……感謝するっ」
顔を背け手を振って先を促す。昼あんなに頑張って断ったのにな。気恥ずかしさよりも簡単に前言を撤回している自分が情けない。
◇
あれだけ外出を止められていたのに、ラディリアと一緒に部屋を出たら衛兵には止められなかった。どこに行くかも聞かず敬礼のみ返してくる。近衛騎士って凄え。それともこの一連の行動はやっぱり誰かに誘導されているのだろうか。予想していた罠と同じ展開だけについ疑ってしまう。周囲を見回すが監視している人は見当たらない。もっとも監視していたとして自分なんかに見つけられる筈も無いか。
正門の方へは向わず何故か東へ進み外へ出て、大きな神殿のような建物に入っていく。どうやら王宮内の一棟が病棟として使用されているようだ。中へ案内される。各部屋にベッドが置かれ患者が治療を受けている。あれから二日も経ったというのに医者みたいな人が声を荒げ看護婦みたいな女性達が走り回ってる。まるで戦地病院だ。消毒液っぽい臭いがきつい。
「うわあ……」
やばいな。トルディアは軽く撃退しましたと言っていたが、激戦だったんじゃないだろうか。重傷者があちこちに寝込んでいる。見慣れない格好の自分に不審の表情を向ける人はいるが皆自分達の看病に懸命ですぐに顔を反らす。それでもラディリアに気づくと苦い顔で頷きを返す人がいる。彼女は天馬騎士じゃないのに何でそんなに知り合いが多いのだろう。近衛騎士って顔が広いのかな。
ラディリアの後をついて行き一番奥の部屋へ入る。中は四人部屋だ。重傷者用の部屋なのか患者全員が包帯だらけだ。その奥に一人の女性が伏せている。その傍に立ってようやくラディリアが青白い顔で振り返った。
「……イリスカ……彼女だ」
「う……こりゃ……」
見せられた患者は、予想してたよりもかなり酷い状態だった。ラディリアの時も酷かったが、この人も酷い。あの時と違い室内がより明るい為が悲惨な部分が目に見えて分かる。全身は包帯だらけだが右肩、右腿から先が無く、背骨も首も曲がったまま、全身包帯だらけで顔も片目と口しか出ていない。特に背骨と首の曲がり方が怖い。ヒューヒューと危ない呼吸音が聞こえる。既に目の焦点は合っていない。正視してるのが辛い。悪いがずっと見ていると吐き気をもよおしそうだ。消毒液の匂いがきつくて分からないが、確実に死臭を漂わせているだろう。じいちゃんとばあちゃんを病院で亡くした自分は、病人がゆっくり死に向う際、亡くなる数日前あたりから、死臭を漂わせる事を知っている。
「ゲルドラの飛竜に噛みつかれ負傷したのだ。右の手足は喰われ、内臓も火傷を負った後、地上に叩きつけられ全身に打撲も負っている。司祭が骨を離れないようにし、火傷と内臓の裂傷のみ防いだが……そこまでだった」
ラディリアが必死になったのも分かる。戦友のこんな姿を見れば自分だって必死になる。これは長くないだろう。もう、どうするかなんて悩むまでもない。
踊りを周囲に見せない為か、ラディリアが気を利かせて三方にカーテンを立て周囲から自分達を見えなくする。周囲の医師や付き添いから怪訝な表情を向けられた。
「……」
「チンペー殿……」
大きく深呼吸し息を吐く。ここまで来たんだ。もう決めた事。ぐだぐだ悩むな。これが自分だ。駆け引きのできない馬鹿。もうそれで良いじゃねえか。後の事は後で後悔しよう。
無理してでもニヤリと人相の悪振った笑みをする。
「やるよ。……どいてろ」
「……頼む」
ダダダダ、ダン!
「ヒッ! ハッ! ヒッ! ハッ!」
何度踊っても場違いなふざけた踊りだ。どこまでシリアスに入っていても、ここで全部台無しになる。他人がやっていたら大笑いした後に場所を考えろと殴るのは必死。それでも今はこれしかない。両手を上下させながら足を踏み鳴らす。
カーテンの外側から奇声を上げて騒ぐ自分を怪しむ声がする。しかしもう気にならない。笑顔が必須だ。くるりと一回転。お尻もピンと突き出すのも忘れない。ラディリアがカーテンの外で看護婦から静かにして下さいと怒られているのだが、繰り返すが聞こえない。ラディリア、これで治るんだから、そこは毅然と言い返すべきだろう。何故申し訳なさそうに謝ってんだお前。
脳内で反論しながら、新平は身体をくねらせ、両手でパンツの紐を肩まであげる様に引っ張り上げて、ステップを踏む。
「ヒッ! ハッ! ヒッ! ハッ! ハチュ! ハチュ! ハチュ! ハチュ!」
(お、おおおおっ! 来た、来た、来たぜ!)
「ハウッ!」
バンバンバン! ドン!!
大きく足を踏みしめ、両手で大きくハートマークを作って心臓に当てて決めポーズ! そして脳裏にあの言葉が響く。
【癒しの女神のムスタッシュダンス】
「!っ……がはっ!」
イリスカが強い光に包まれる。全身に巻かれた包帯が千切れ飛ぶ。変化に気づいたラディリアが慌てて飛び込んでくる。そして光が治まった後には――
――散らばった包帯の下で、両手を組み両足を折り曲げてうな垂れる、傷一つ無い全裸の女性が。
「ああっ! ……イリスカ!」
ラディリアが歓喜の声を上げて駆け寄って行く。
「……がはっ……はっ、はーっ……え……?」
泣きながら再生したイリスカの両手を握るラディリア。そうだ。これでいいじゃねえか。良い光景だ。和むぜ。
「よくぞ……よくぞ……っ!」
「……何? ……ここは……ラディリア?」
「ああ、そうだ。私だ。ラディリア・オーガスタだ」
この踊りの凄いところは、どんなに瀕死でも通常の走り回れる健康状態に一瞬で治療されるところだ。混濁していた意識も一瞬で正常に戻り、即時頭が動き出し状況把握しようと始める。まさに魔法だ。
周囲がざわめく。ここは大部屋なんだから当然だ。カーテンが立てられているが、光が溢れ、伏せていた重傷者が普通に喋っている声がするのだ。何か異常が起きた事は明白だ。こちらを注目している気配を感じる。
「……っ」
自分からカーテンを開けると、やはり周囲の患者や医師達がこちらに注目していた。ラディリアの歓喜の声が聞こえたのだろう。そして良く見れば、ベッドにはすっかり完治しているイリスカがいるのだ。
皆が唖然としている。看護婦が自分の見たものが信じられないように首を振っている。
(……やっぱりこうなるよな)
一瞬走って逃げるかと惰弱な考えがよぎる。無理に決まってる。
右側には右手を失った女性が呆然とした顔をこちらに向けている。右前方のベッドではどう見ても自分より年下の少女が、一部陥没した顔半分に包帯を巻かれたまま、今も痛みに呻いている。向かいで呻いている女性は両足が無い。つきそいの家族の人らしい婦人は縋りついてきそうな表情を向けてくるのだ。
「……っ!」
思わず歯を食いしばる。泣き崩れていたラディリアが周囲の喧騒に気づいて起き上がる。
「あ、す、すまない。チンペー殿。こっちへ」
部屋の外で出ようと勧められる。状況が理解されて、騒がれ囲まれる前に逃がそうとしてくれるのだろう。問いかけて来そうな周囲の視線を全て無視して、ラディリアが部屋の外へ自分を促す。
逃げるのか。ここから。この状況から。予想していた事だけど足が動かない。腹に力を入れて深呼吸。せめて自分から言おう。
「ラディリア!」
「え? は、はい?」
「重傷者を集めろ! 全員一辺に治す!」
「……いいのか?」
「今更だ。でも出来れば一回で終わらせたいから一箇所に集めて欲しい。天馬もいるならそいつ等も全部連れて来てくれ。後は例の筋力が戻っちゃう事も説明してくれるとありがたい。重症じゃない人は受けない方がいいとかも説明してくれ」
面倒な説明は全部丸投げてやる。それくらい良いだろう。あの踊り一回での対象限界人数は判らないが、複数でも一回で出来るのは判ってる。駄目なら諦めて治るまで回数を重ねるだけだ。もう開き直ったわ、こん畜生。罠だろうが何だろうがやってやる。
「わ、わかった。バルミー殿。こちらに高位の医療魔法を扱う導師様が方がいらっしゃる。責任者に会いたい」
「何と! わ、わかりました」
「おおっ!」
この重症が治る。生き残れる。奇跡の様な話に周囲が歓喜の声を上げる。
「お願いします! 娘を、娘を!」「どうか彼女を!」「頼みます! 何でも礼はしますから」
「わかってるよ! 今、準備するから全部あいつに聞いてくれ!」
その日、存命を諦められていたイリスカを始め、負傷して原隊復帰を危ぶまれていた北天騎士団の重症者十三名と、皇天騎士団の二名が新平に治療を受け、一夜にして怪我の跡さえ残らない健康な状態に快癒した。
大きな光に包まれたと思ったら一瞬で怪我が治り、立ち上がって即時動ける状態にまで回復したというのだ。ここまでの高位医療魔術を行える司祭はこのトリスタ森林王国には過去現在も存在しない。まるで奇跡だ。奇跡が起きたのだ。
奇跡の癒し手が現れたと、王宮内外の関係者一同は大騒ぎとなった。
次回タイトル:大薮新平 第二王女にもセクハラす




