余話
老婆になったラディリアとイリスカの話
本編終了約60年くらい後の話です。こういうのを書くと年老いたキャラを見たくない。せっかく終わったのに台無しじゃないか、と仰る方もいるかと思います。(作者も時々思った作品があります)『自分なりの余韻に浸りたいから、余計な後日談は無用』という方は回避願います。
復活した神々達による新世紀が始まり、六十トゥン(六十年)近い歳月が過ぎようとしている。
そのような中、トリスタ森林王国の直轄領。グランジェリカ領の奥、オーガスタ伯爵家の離宮に久方ぶりに来客が訪れた。
「大奥様、お客様がお着きでございます」
「……おやまあ……息災のようじゃないか」
「貴方も。未だ呆けてはいないみたいね」
二人はホッホッホと笑みを交わす。迎えたのも、訪れたのも同年代の老女であった。
「大奥様、本日は程良い陽気かと存じます。お庭の準備を致しますので……」
「そうね……そうさせていただこうかしら。ねえ」
召使いの勧めに頷いた老女の名はラディリア・オーガスタ。かつてトリスタ森林王国にて、アンジェリカ王女の近衛隊長を務めた元女騎士であった。
「そうねえ。それが良いわね」
同意した老女の名はイリスカ・ヴェローチェ。同じくアンジェリカ王女の近衛隊長を務めた元女騎士である。
二人はゆっくりと庭のテラスに移動。召使い達が手早く動いて茶会の準備を進めていく。
「随分大所帯じゃないの」
イリスカが冷やかした。ラディリアはこの離宮で召使いと二人暮らしだった筈だ。今日のように身の回りの世話をする者が四人もいることに、彼女は少し驚いていた。
「ああ……この前一度、お付きがいない時に倒れてね。心配した娘達が寄こしたのさ」
「なるほどねえ……」
「心配し過ぎだと言ったんだけどねえ。どうせ遠からず向こうに渡ることになるだろうに……」
「だとしても、一人でぽっくり逝かせる訳にはいかないんでしょう。名誉伯様なんだから」
「あんたもそうだろうに……」
苦笑いを交わし合う二人。
トリスタ森林王国に帰還したアンジェリカ王女一行の中で、二人は功績を称えられ、名誉伯の名を授与された。主な理由は王女護衛の功績ではない。表向きは『使徒大戦の折に、偽使徒を直接討ち果たした功績』である。l後年使徒大戦と呼ばれたあの戦いで、二人は敵使徒を直接打ち倒し捕縛を成し遂げたからだ。しかし、本当の理由はそれだけではなかった。
彼女達二人は、使徒の子を懐妊していたのである。
神々を復活させた最後の使徒、オオヤブシンペイ。大陸史に絶大な功績を残した使徒の遺児を得てトリスタ森林王国は沸き立った。そして彼女達二人に名誉伯の称号を与え、国内外への喧伝材料としたのだ。一時は断絶の可能性もあった二家は、こうして一躍国内有数の大貴族へと躍進した。
「今更婆さん一人亡くなったからって、どうだっていうのさ」
「妙な死に方されて風聞にでも乗ったら国威に傷が付くから堪らないのよ」
「やれやれだね……」
穏やかな陽光を浴びながら老女二人による茶会が始まった。
「どれ……それじゃあ、読ませてもらおうかね」
「ええ……」
そう呟いて、ラディリアはイリスカがテーブルに置いた手紙を読み始める。これが本日来訪の要件であった。差出人はルノスポール・プライム。場所は国内の天空商用隊の支店からである。
彼女の母はクリオ・アーデ。あのオラリア王国反乱軍元団長にして使徒大戦の総指揮官、ヴィルダズ・アーデの娘であった。つまり、ルノスポール・プライムはヴィルダズの孫娘にあたる。
使徒大戦の後に各国を放浪したヴィルダズ一行。紆余曲折を経て、彼等は自分達が戦った使徒を掲げていた本拠地、ハヌマール王国へと辿り着いた。彼の地ではオーシャブッチ使徒一軍から逃れたフェリスタ王女が正統王家を掲げ、国政を奪った一党と泥沼の内戦状態にあった。そこに使徒軍の元総指揮官であるヴィルダズが参加し、王女の正統性を補強。近隣ヴィスタ神殿の支援を引き出し見事勝利へと導いた。その結果、ヴィルダズはフェリスタ女王の新王国に於いて勲一等を与えられ、禁軍司令官として迎えられることとなったのだ。
ハヌマール王国にて居を構えるようになったヴィルダズ親子。娘のクリオもヴェゼルと結婚し二男二女を設ける。その末娘がルノスポールである。
彼女は幼少から寝物語で使徒一行の冒険譚を聞いて育ち、何を考えたのか天馬騎士を目指すと宣言した。
普通ならば叶う筈もない願いである。しかし、孫娘を溺愛するヴィルダズは、天馬騎士団顧問であるイリスカの伝手を頼った。渡る世間もコネ次第。結果、彼女の口利きによりトリスタ王国でプライム家の養子となったルノスポール。本人の努力の甲斐もあり選抜試験に見事合格。幸運にも天馬騎士に叙任され、こうして定期的に感謝と近況報告の連絡を送ってくるようになったのだ。
その彼女も年を経て結婚。天馬を降りたが、今でも天空商用隊の役員として働いていた。
「まあ……それなりに息災なようでなによりさね」
「ええ、一緒に送られてきた荷が見事な物ばかりで困ったわ。今更こんな豪勢なのを頂いてもね」
「羽振りもよくて結構じゃないか」
「天馬も扱いが変わったものよね……商用隊とは」
イリスカは呆れたように嘆息する。
天空商用隊とはトリスタ森林王国を東西に横断する交易路を担う商隊の名である。北方ゲルドラ帝国との長き休戦によって天馬騎士隊が縮小。変わって交易路を担う役割が、現在の天馬乗りの主要な役割となっていた。
元はといえば新世紀元年に施行された『国境光』が原因である。使徒オオヤブシンペイの帰還しばらく後、創生神オーヴィスタによって国境の線引きが行われたのだ。
国境線上を横断しようとすると、一キロ程に渡って地上に線状の光が浮き上がる。それが国境光である。この現象が起こると同時に、大神殿から『神オーヴィスタが各国所領地の国境を改めて定められた』と布告がなされた。
お陰で大陸中ほぼ全ての国が大混乱になった。近隣諸国間で一番多い争議が領地争いだからである。それを今更国境が明実化されたのからだ。
人口が増え、神獣が台地の守護者として顕現し国が興る。その中で国境をどこに定めるのか。それは神獣と意思疎通できる王家の強い契約者にしかわからないことだった。故に世代を重ねる毎に国境線はあいまいになり、長年に渡り争議の根幹となっていたのだ。
誰も明言出来なかった国境が神に拠って改めて引かれた。領土が拡大した場合は良いが逆は大損害である。街ごと隣国領地内だと判明したケースも各地で起きた。多くの民が強制移動に辛苦の悲鳴をあげた。
しかし、所属しない民がそのまま居座ることは許されない。籍を変えず違反したまま滞在した場合、その土地では神獣の守護が途絶し収穫が減少、疫病や魔獣が大量に発生。住民達は壊滅に追い込まれるのだ。その為に大陸中で大災害となって多くの民が亡くなることになった。
争っていた各国は当面の休戦協定を結び大神殿を訴えた。折しも大神殿では毎月神臨の間による神オーヴィスタの接見とその報告が行われている。大神殿より各国代表一名のみの同行を許可するとの布告がなされ、各国はこぞって代表者を派遣し我先にと神々との謁見に臨んだ。
そして、徹底的に屈服させられた。
現れた神の圧倒的な威圧感を前に、代表者達は口答え等一切許されず、ただひたすら平伏しかできなかったのだ。廃人となって戻った者も多い。
謁見に臨んだ代表者の殆どが、何一つ功績を得られず帰国。国王や宰相であろうと関係無く、平身低頭し、這いつくばって自国の従属を改めて誓うこととなり、帰国後の対応に追われることとなった。
もちろん反抗する勢力も現れた。一方的な決定による従属を認めず、自立自存を掲げ人間自身だけで生きようとする者達だ。しかし彼等は瞬く間に壊滅した。抵抗を掲げた者達が、その土地一帯ごと消滅するのだ。後には数キロに渡って陥没した台地が残されるのみ。
そこで彼等は改めて知る。自分達を支配している神々が、遥かに上位の存在であることを。自分達は彼等によって存在を許されている卑小な存在に過ぎなかったということを。
こうして絶対的な神が君臨し、各国はその下での覇権を模索するようになった。お陰で大陸各地で発生していた大規模な戦争は起きていない。計らずも平穏な時代が訪れたのだ。
この神の威光そのものと云える『国境光』。おそらく神オーヴィスタへ進言したのは誰あろう、使徒オオヤブシンペイである。
ラディリア達使徒一行の仲間達は覚えていた。彼は道中『神がいるなら、なんで国境を決めないんだ。だから領地問題で戦争が起きるんだろ。奴が決めて説明するべきじゃないか』と、神アウヴィスタの統治について幾度も文句を漏らし周囲を困惑させていたのだ。
おそらく故国へ帰る際、神々と面会した時にでも進言したのであろう。彼自身は良かれと思って軽い気持ちで進言したのかもしれないが、大陸中は大混乱に陥り多くの民が犠牲となった。長期的視野で視た場合、各国間の争いは激減しておりその総犠牲者数は減ったといえるだろう。歴史家が知れば絶賛するかもしれない。しかし現在を生きる者達にとって、それはとても心情的に受け入れられる話ではなかった。
女王より戒厳令が発令され、このことは厳重な禁忌とされた。使徒は英雄として奉られている為、大神殿側がこの件を指摘することはない。トリスタ森林王国としても使徒の風評を下げる要因は厳に秘さねばならなかったのだ。
国境が規定されたことにより、領土問題で紛争となっていたトリスタ森林王国と北国ゲルドラ帝国は休戦状態となった。折しも東の隣国オラリア王国で政変が起こり、ドーマ王国派が敗北。旧王家の遺児であるレイオーネ女王の治世が始まったことにより国交が再開。次代の王、国王アイヤールの提言により交易路が開かれることとなった。
これにより西方諸島のダムラ都市連合からトリスタ森林王国、オラリア王国、レンテマリオ皇国へとつながる長大な東西の交易路が開通された。
トリスタ森林王国は各所に交易都市を設けて事業を推進、莫大な国益を担うことになる。国内で特に発達したのが天馬による輸送だ。陸路より空路の方が早いのは必然。重量制限はあるが書簡や手紙等の軽い荷を中心に高速輸送業が発達。天空商用隊が発足され、今では国内最大規模の天馬を擁する一団となっている。
使徒オオヤブシンペイの発言を契機とし、二バクトゥン(四十年)あまりでのこの変化。ラディリア達は感慨深い時代の変遷を見ることとなった。
もし彼が、今の大陸状況を知ったらなんと言ったであろう。
それは二人が幾度となく交わした会話である。
創生神オーヴィスタの君臨により、明らかに大陸は安定期に入っている。大規模な紛争は納まり、各地で産業や運送手段が発展し多くの国が発展している。領土的には縮小したトリスタ森林王国も、国力としては比べ物もない程発展していた。これは全て彼によって、もたらされたものだ。
そこへ
「え、なに。お客人? 誰!?」
「ちょっと、走らないで!」
「坊ちゃま、お待ちください!」
小さな子供と従者の声が玄関先から駆けてくる。
「おや、まあ……」
聞き覚えのある愛しい声に、イリスカが驚きの声を漏らし、ラディリアが苦笑いを浮かべる。
「銀婆! らっしゃい!!」
「はぁ、はぁ……あんたの、家じゃないでしょ」
現れたのは十歳程の元気な少年と、追い掛けてきて疲れ切った様子の年長の少女。彼女達の愛する曾孫達である。
ラディリアとイリスカはその髪色から、子供達に金婆銀婆と呼ばれていた。
使徒オオヤブシンペイの子としてラディリアは女児、イリスカは男児を儲けた。彼等は多くの注目を浴び、幼少時から各国有力者達の求婚を受ける。
イリスカの一子、イスリージャは使徒オオヤブシンペイの子とは思えない程の繊細な少年であった。武よりも文を好み、多くの楽器を弾きこなす内気な才人として成長。一方、使徒の愛子としての名声に苦しみ、押し寄せる求婚の波を上手くさばけず困り果てる日々を過ごしていた。その状態に業を煮やしたのがラディリアの娘、アリーフィアである。快活で勝ち気で豪胆で高いカリスマを振るう彼女は、事あるごとにイスリージャをかばい、助け、慰め、焚き付け、怒り、最終的に押し倒して……懐妊してしまった。
「仕方ない。全部まとめてあたしが面倒みてあげるっ!」
と宣言したアリーフィア。ラディリア達は自分達が懐妊した経緯も経緯故に、強く怒る事ができず頭を抱えた。恐ろしき血統である。向かうは夢のファンファーレ。
これは大きな醜聞である。しかし、王家を巻き込み大神殿の協力も得て、適当な理由をでっち上げて無理矢理慶事として祭りあげられた。王家としても醜聞にする訳にはいかなかったからだ。お陰でラディリア達は未だに王家に頭が上がらない。
彼等は相性が良かったのか三男二女を儲け、その子達がまた多くの子を成した。乗り込んできた少年少女はその末息子達である。
少女の名はインテグリア・ラーニャ・ヴェローチェ。齢十一歳。そして少年の名はチーベ・フォン・オーガスタ。齢九歳。彼女達の曾孫である。
少年の方は生まれついての問題児であった。
人一倍元気で、明るく、大声で笑い、驚き、叫び、走り回る。金髪碧眼なのだが、その髪は鋼の如く頑丈で四方に逆立ち眉も太く目玉はぎょろりと大きい。髪と瞳の色以外、恐ろしい程『彼』に似た曾孫だった。
この子はとにかく人の話を聞かない。なのに直ぐに走り出す。振り向けばまずその場にいない。そのくせ何か起きた時は必ずその場にいる。性格が真っ直ぐなのもあり理不尽に納得せず大声で訴えて泣き叫ぶ。侍従や召使い達の心労は天井知らずである。
しかし、ラディリア達二人はこの曾孫が可愛くて仕方がなかった。自分達が愛した男の生き写しの成長が、幼少時から見守れるのだ。二人の溺愛を受けてチーベ少年も曾祖母達に懐き。こうして毎度訪れているのである。
もっとも少年の場合、この両曾祖母以外の全方位から毎日説教と小言を貰う日々なので、体よく逃げてきたという面もあった。
今回は体調を壊したラディリアのお見舞いとして数日前に彼等は訪れた。しかし子供達二人が、家内でじっとしていられる筈もない。朝から裏山へ従者達を引き連れて兎狩りに出かけていたのだ。
「見て、見てーっ! 俺が獲ったのっ!」
意気揚々と獲物を掴んで振り回すチーベ。床に血が飛び跳ねて従者達に慌てて取り上げられるが、本人は気にせず得意満面である。
「いや、あんた。追い掛け回してただけじゃない。獲ったのはルーバルでしょう」
「いいじゃん。最後に捕まえたのは俺だもん!」
「それ獲ったって言わないわよ……」
どうやら従者が弓で射ったのを追いかけ回し、力尽きたのを掴まえたというのが真実らしい。
「そうかえ、そうかえ」
「よくやったねえ。凄いねえ」
「うふふーっ!」
しかし婆二人はかまわず曾孫を褒めそやし、チーベは得意満面で浮かれて飛び跳ねる。そのまま二人に駆け寄って隣の席に座ろうとするので従者達が慌てて引き止めた。彼は走り回って泥だらけだ。しかも獲物を掴んで振り回していたので衣類に血もついている。
「早く着替えておいで。オラリアシュルーツ産の甘角煮があるよ!」
「やった!! 先に食べないでよ!」
「食べないわよ!」
食い意地の張った台詞と共にチーベ達が消え、召使も料理を準備する為に下がる。残った少女インテグリアが席に座り、来客であるイリスカに土産話をねだる。彼女は天馬騎士に憧れておりイリスカやルノスポールに懐いていた。
と思ったらもうチーベが戻って来た。
「あ、無い! もう食べちゃったのか! ずるいっ!」
「未だ出来てもいないってば。あんた早過ぎるわよ! ちゃんと綺麗にしたんでしょうね!?」
「ほら、こっち来な。ちゃんと髪も拭いておきな……」
召使いが慌てて料理を作って持ってくると、子供達は嬉々として喰いついた。
満面の笑みで料理に喰いつくチーベ。その口元を嬉しそうに交互に拭く婆二人を少女は不満そうに眺める。
「おいしいかい」
「うん!」
「銀婆さまも、金婆さまもチーベに甘過ぎ」
自覚はあるだけに否定もできない。二人は穏やかに微笑むだけだ。
ふとラディリアは脇に避けていた手紙に気付き、丁寧に折り直して封書に戻す。そして曾孫を見て思いついたように呟いた。
「クリオ嬢にも会わせてあげたいねえ……」
「そうねえ……」
イリスカも深く同意する。新平に懐いていたクリオが、このチーベに会ったらなんと言うだろうか。それはとても見ものであろう。
「……あの娘にも、会わせたかったわ」
「……」
イリスカが呟いた一言にラディリアが黙りこむ。クリオではない誰を指して言ったのかは、二人にとっては自明のことであった。
ラディリアは黙ったまま視線を庭先へと向けた。木漏れ日が差した庭園は手入れが行き届いており、視る者達の心を穏やかに宥めてくれる。
使徒の従者、イェフィルリーダ・アルタ・ルーベンバルグ。通称はリーダ。彼女は永らく消息不明となっていた。
新平の帰還後、彼女には『赤貴神宮巫女』という官職が与えられた。大神殿が神獣と話すことのできる彼女を保護管理する為に設けた名目だけの閑職であったのだが、彼女は就任直後から積極的に行動を起こした。神獣火鳥レンテ分体の背に乗り、各国を渡って王家と所属する神獣達の仲立ちを始めたのだ。相互の要求を調整し実施する毎に彼女は現地の神獣達にも感謝され、国を渡る度に同行する神獣達の分体が増え続けた。
たった数年で彼女は数十の神獣を引き連れ空を駆け巡るようになる。
巨大な威圧感を誇る神獣、第一席の火鳥レンテの背に乗り、数十の神獣を引き連れて各国の空を渡る様は圧巻である。彼女は各国で市民に偶像視され、その幻想的な光景も相まって、『神獣王女』の名で人々に呼ばれることとなった。
トリスタ森林王国にも一度だけ彼女は訪れた。天馬王トリスと女王フォーセリカとの間を取り持ち、幾つかの条約を結ばせ、離宮を整備し、新たな天馬達を招いて双方から感謝の意を向けられている。
ラディリアとイリスカは互いの子供を連れて王宮に招かれ、彼女と面会を果たした。美しく成長していたリーダ嬢は、目を細めて幼児二人を抱き上げ、昔の仲間達としばし談笑を楽しんだものだった。
そこでラディリア達は、彼女が諸国を巡る真相を聞かされた。
帰還した使徒である彼の故国へ渡る方法の研究。諸国を巡りそのすべを探していると告白されたのだ。
ラディリア達は新平とリーダの最後の別れの場に同席していたので、彼女がそう発言したことは覚えていた。しかし、実際に研究していることも、諸国を歴訪し神獣達と交流することがその一旦だとは考えもしていなかった。
武辺に偏った二人の常識からすれば、彼女がしようとしていることは荒唐無稽な話であった。かと言って一概に否定することも憚られる。彼女の様子は真剣で、本気で取り組んでいるようだった。二人は彼女を応援し、お互いの息災を願い合って別れた。
その後、彼女は北方のゲルドラ帝国を訪れ、そのまま西方諸国へ向かった。そして数ウィル(年)後に音信不通となる。
元より便りを交わし合う間柄でもない。いつ、どこでいなくなったかも分からない。大神殿からこちらに消息を尋ねてくる連絡もなかった。おそらく管理責任を問い詰められることを避けた為だろう。
大神殿には諸国から突然消息不明になった『赤貴神宮巫女』の現状について、多くの問い合わせが寄せられたようだ。しかし彼等は一切の情報を明かさず。
――そして、未だ彼女の消息は判明していない。
「ご馳走様!」
間食を終えて、チーベは満足げに叫ぶ。
「チーベは本当に美味しそうに食べるねえ……」
「……」
微笑みながらチーベの口元を手布で拭うイリスカ。その表情は少し憂いを帯びている。その様子を見つめるラディリアの瞳も哀惜に揺れている。
彼女達は同じ男を愛した女として、罪悪感のようなものを感じていた。彼女はあそこまで身を粉にして彼を求め彷徨っていたというのに、自分達だけがこうして幸福を甘受している。そのことに負い目を感じていた。
それ故に、彼女の行方を追い求め、この曾孫と会わせたいと願った。もしこの子に会えば彼女はどれ程喜ぶことだろうか。どれ程、心の慰めになるだろうかと。
「あんた、せわしないのよ。そんなにガツガツ食べなくても、誰も取らないってのに……」
「んー……あっ!」
少女インテグリアの小言を聞き流し、突然思い出したかのように奇声を上げた少年に、周囲の視線が集まる。
「そうだ! 銀婆に聞こうと思ってたんだ!」
「なんだい」
「ミモザ様と会えない?」
「……そりゃまた、どうしてだい」
ミモザ様とはこのトリスタ森林王国宮廷魔導士ミモザのことである。六十トゥン(六十年)近い歳月が過ぎたというのに彼女は未だ現役で筆頭宮廷魔導士を務めている。驚くべきことに外見は全く変わっておらず、既に彼女の実年齢を知る者はいない。一部では存在が怪異扱いされている。
「……なんかこの頃、おっかしな夢を見るんだ。普通の夢じゃないの。なんかおかしーの。ミモザ様って確か『夢判断』ってのできるんだよね。聞けないかなあー……」
「おやおや……」
確かに彼女はそのような案件も請け負ったことがある。寝物語に彼に教えたのは自分達だ。だがそれは余程の高位貴族を対象とし、かつ当事者に予知等の素養があった場合だけである。こんな元気だけが取りえの子供の夢等で引き受けてくれる筈もないし、逆に叱責を受けるのは明白。曾孫馬鹿として自分達は有名だ。こんなことで自分達が請願すれば、王宮内で笑いものになること請け合いである。
「どうだろうね……お忙しい方だから、難しいかも知れないねぇ……」
「そうだねえ。どうして其処迄調べて貰おうって思ったんだい。そんなに不思議な夢だったのかい」
「……――うん」
迷いながらもしっかり頷いたチーベを見て、老婆達は興味を持つ。彼にとっては随分と奇異な体験をしたらしい。
「そりゃ……一体どんな夢だったんだい」
「婆達にも教えてくれるかい」
老婆達に聞かれ、チーベはその夢の内容を語りだした。
「うん、なんか。なんかね。見たこともない変な部屋で起きるんだ。全然感じが違うの。壁も模様も全然違うの! で、すっごく狭いの。ベッドも違うの! 絨毯に寝布敷いてその上で寝てたの! 変!」
どうも見知らぬ建屋にいたということらしい。壁材や寝具も違うという事はおそらく異国なのだろう。狭いというのは庶民の家庭ではないだろうか。
「で、ちっちゃい子が二人、叫びながら飛び掛かって来て朝起こされるの! ひどいの!」
「あんたがお婆様達にやっていることじゃないの……」
少女インテグリアの突っ込みにチーベはムキになって言い返す。
「ちがうよ! 俺、飛び乗っても上に乗って歩いたりしないもん! それが二人もいるんだぜ! 吐いちゃうよ!」
二人は苦笑いする。随分と豪快な起こされ方をしたようだ。
「で、顔を洗いに行ったんだけどさ。俺の顔が違うの! 鏡見ると確かに俺なんだけど違うんだよ。おじさんになってんの! 背も高くて髪が黒いの! 歳を取ると黒くなるの? 俺の髪、黒くなるの?」
「「……」」
ラデリィアとイリスカが顔を見合わせる。この子の同じ顔を持つ大人で、黒髪と云えばそれは……。
いや、ただの夢だろう。いくらこの子が彼とそっくりな外見だといっても、成長した彼の姿を知るなんてことが。
「そんでめっちゃ綺麗な人が朝ご飯作ってたんだけど、子供達が「母親」って呼ぶの。んで俺のことは「父親」って呼ぶんだ。俺、結婚してんだよ。びっくり!」
確かに。こんな子供が自分が妻帯した姿を夢に見るのはちょっと難しい。
「でも変だよね。なんで母親の人が朝ご飯作ってんの。それも赤ちゃん背中に背負いながら作ってんの。すごい大変! 召使の人いないの?」
その一家は庶民だということだろう。チーベは高位貴族だ。市井の子供達と触れ合ったことが殆どない。故に市井の家庭に召使等がいないということ知らないのだ。……彼が故国では平民で、庶民だということも知らない。
「朝ごはん小さいテーブルで皆で食べるの。皆うるさいの。もう全員しゃべってんの。背中で赤ちゃん泣いているのに、あやす暇もないの「母親」大変!」
随分と騒がしい食卓なようだ。それにしても妙に具体的である。まるでその光景を実際に体験したかのように細かく話している。大雑把な夢ばかり見るこの子にしては、かなり珍しい。
「随分と奥さんを庇うじゃない。あんたの奥さんそんなに良い人だったの?」
「おお俺の奥さんじゃないも!」
少女インテグリアにからかわれて、チーベは真っ赤になって否定する。興味が湧いてラディリアも聞く。
「その奥さんは綺麗だったかい?」
「え……うん。綺麗だったけどさ。でもなんか見たことない変な服を来てんの。うっすい地味な服。模様が無いの。なんか似合ってないの。俺だったらもっと良い服を着せてあげるのに……」
どうも、随分と奥さんに感情移入しているようだ。イリスカも重ねて聞く。
「どんな女性だったんだい」
「んーと……長い赤毛の人で、綺麗なの。あ、なんかアリーリャに似てた」
「え、あんたアリーリャが好きだったの?」
「ちっがうよ! 似てたってだけだよ!」
「「……」」
騒ぐ二人を他所に、ラディリア達は顔を見合わせる。赤毛の女性と聞いて二人が連想するのは一人だ。リーダ嬢である。
アリーリャとはチーベの叔父にあたるフライレム・フォン・オーガスタの家にいる侍女のことだ。彼女は隣国オラリア王国出身で長髪赤毛の女性であった。……リーダ嬢に、特徴だけなら似ているといえなくもない。この子には彼女の外見を教えた事などなかった筈だが。
まさか、ただの偶然だろう。特徴が類似したので、自分達が勝手に連想しただけに過ぎない。妄想だ。彼女に負い目があるから、そんな発想が浮かんだ。
「えっと……その奥さんだけどね。他になにか、特徴はなかったかい……黒子、とか」
「黒子……あ! ここ。首元に一個あった」
「…………あったね」
首をかしげて思い出そうするイリスカを他所に、ラディリアが即断言する。彼女は元近衛騎士だ。主が面会した者達を記憶しておくことは職務で、出会った人物の特徴を覚えることに長けている。
二人は無言で険しい視線を交わし合う。様子の変わった婆二人を、子供達は不思議そうに見上げた。
「どしたの?」
「いやね……」
これは一体どういうことだろう。もしかしてこの子の前世が彼で、その記憶が呼び起こされたとか。いや、単純に向こうの世界にいる彼の中に、この子の意識がつながったという可能性もあるのだろうか。
そんなことがあり得るのか。でも、確かにこの子は本当に彼にそっくりなのだ。彼と何かつながりがあると言われても納得してしまうくらいに……。
「その夢で、他には何かあったかい。周りにとか……」
「うーん……。あ、玄関の方にちっちゃな鳥籠があって、真っ赤な鳥がいて、ずーっと騒いでた。鳥迄うるさかった!」
真っ赤な鳥……。真っ赤……。彼女は常に神獣、火鳥レンテに騎乗していた。……いや、流石にそんな筈は。考え過ぎだろう。
確信を得ようとチーベ(彼)が奥さんをなんと呼んでいたかを聞く。だか特定の名称ではなく『おい』とか。『ちょっと』と呼んでいるだけで、確証は得られない。そこで少し気負いが抜ける。やっぱりただの不思議な偶然なのではないだろうか。
「ううん……あ、壁に杖が掛かってた! すっごい奴! 司祭さまが持ってそうな奴!」
すっごい。というのことは凝った意匠の杖だということだろう。立場上、高位の司祭とも会う機会があるチーベ少年は、目が肥えている。
「杖なんてどこにでもあるでしょう」
「違うよ。あれ知っている奴だよ。セラルーベ様の紋章が入ってたもん」
「「!!っ……」」
ガチャリ と茶器を持つ手が揺れて不快な音を鳴らした。
ラディリアとイリスカは愕然として顔を見合わせた。
「ちょっと……これは」
「……まいったわね」
リーダ嬢はルーベ神殿の元司祭だ。彼女が所持する杖は地母神セラルーベの紋章が入っている。そんな家庭はこの世界でもほんのごく少数の筈だ。もう誤魔化せない。偶然が重なり過ぎるにも程がある。これは……。まさか彼女は、彼女は本当に向こうの世界へ……。
「どうしたの。御婆様達」
「なんか知ってんの?」
「いや……どうだろうね……ふふ」
「そうね……わからないねぇ……ふふふ」
驚きが治まると、次第に喜びが湧いてきた。老婆達は薄く笑みを浮かべる。
「なんだろ。俺の将来あんななのかな。あんな知らないとこに行くのかな……ねえ。ミモザ様に聞けないかな」
「……どうかね、難しいだろうねえ」
「ちょっと不思議な夢をみたってだけで聞くんじゃ、逆に凄く怒られちまうかもしれないねぇ……」
「そ、そっか……」
チーベ少年はぶるりと震える。彼にとって宮廷魔導士ミモザは頼りになる偉い人であると同時に、恐怖の対象でもあるようだ。いろいろやらかしてトラウマがあるらしい。
ラディリアが曾孫を頭を撫でながら、おっとりと問いかける。
「チーベはその未来が嫌なのかい?」
「いや、じゃないけど……。だって、知ってる人が誰もいなかったし……。知らないとこだったし」
それは未知への恐怖だ。知古の者が誰もいない光景に、不安を感じたのだろう。
「嫌なところだったかい。誰かが泣いてたり、怖い思いでもしたかい?」
「ううん。みんな笑ってた」
答えた後で夢の内容を思い出したのか、チーベは笑みをこぼす。
「壁に動く絵巻みたいなのがあってさ。変な動物が出てきて踊りだしたら、一緒にちっちゃい子達も歌って踊りだすの。つられて俺も踊っちゃうの。そしたら奥さんに怒られるの!」
いひひと照れ笑いするチーベを見て、老婆二人は感慨深げに声を震わせた。
「そうかい……」
「そう……」
ああ……それは是非見てみたい光景だ。
二人は目頭が熱くなるのを自覚する。
そうであって欲しい。それが現実であれば本当に嬉しいことだ。彼は……彼はもう、踊りを普通に楽しめるようになっているのだ。
長い間知らずに背負っていたものが、少し軽くなった気がする。
「これは……祝うべきかね」
「そうね……今、凄く良い気分だわ」
ラディリアが召使いを呼び、とっておきの高級酒を持ってくるよう指示を出した。彼女達が昼日中から飲酒する等、めったにないことである。周囲の者達は目を丸くした。
無理にでも頼み込めば、ミモザ様に調査を依頼することは可能だろう。でも二人にその意思はなかった。無理に確かめる必要はない。それは無粋というものだ。
テーブルにグラスが用意され、召使いが瓶の封を切る。二人の老婆は嬉しそうにグラスに注がれる光景を見守る。
こんなのはただの子供の夢かもしれない。偶然かもしれない。それでもかまわなかった。
差し出されたグラスを手に取って、ラディリアとイリスカは顔を見合わせる。
もう自分達は彼に会うことはない。だけど祈ることは出来る。願いを託すことは出来る。
それは祈りであり、願いであった。
今はもう会えぬ彼女への、自分達には叶わなぬ夢を叶えたかもしれない彼女への賛辞であり、感謝であり、祝いであり、声援であった。
二人は少しテーブルに身を乗り出して、グラスを掲げて祝杯をあげる。
「世界を飛び越えた彼女に」
「我等が想い人の幸せを託して、ね」
「「乾杯」」
チンと合わさったグラスが、小粋な音色を奏でた。
余話 END