第九話 5*
三人称での会談の様子です。
「……ふっ。ふふふふふ、あはははははははっ!」
リディアナの出て行った応接間にエカチェリーナの笑い声が響く。
お腹をかかえて笑うのは淑女としてマナーに反するが、どれだけ笑っても変わらない美貌と雰囲気がそれを容認させてしまう。
「……くっ! あはははっ、やだ。面白っ、あはははっ」
エカチェリーナは必死に笑いを抑え、目尻に浮かんだ涙を拭う。そんな様子の端々にさえ気品がにじみ出ていて、美しい。ようやく笑いを抑えたエカチェリーナはうっすらと笑みを浮かべてルシアンの顔を覗き込んだ。
「いいでしょう。譲歩してさしあげますわ。愛しい彼女を守るなんて素敵ですのね。完璧な国王陛下より好感が持てますわ」
その台詞に汗が滲み出る。一気に身体から体温が抜け落ちた。
(ああ、くそっ、気が付かれた……!)
エカチェリーナにバレないようにわざとリディアナに冷たく接したというのに。歯噛みしたい心を抑え、冷静に振る舞う。これはあくまで、ただの会話。
「そうか? 完璧な国王陛下の方がいいと思うが」
「だって、ほら。国を守るための理由が明確になるでしょう? 愛する彼女の国を守りたいって」
くすりと笑うエカチェリーナの笑みが悪魔の笑みに見えてならない。
「……では私も好きな相手がいると言った方がいいのだろうか?」
「あら、とぼけるんですのね?」
全て分かっているという様子のエカチェリーナは鷹揚に頷く。わざとらしく紅茶に流し目をやり、瞳を閉じた。
「まぁ、いいでしょう。そろそろ本題に入りましょうか」
瞳を開いたエカチェリーナはそれまで保っていた淑女の雰囲気、物腰を霧散させ、鋭い刃物のような空気を纏う。
「単刀直入に言おう。ラーシェ国、アスルート帝国の傘下に入れ」
ぶわりと空気を変える、王の威圧。
否定は許されない。息も吸えないような絶対的存在感とともに紡がれたのはラーシェにとっての死刑宣告。
「傘下、か」
真正面から威圧を受けたルシアンは反射的に笑みを浮かべていた。
「それのどこが譲歩だと?」
エカチェリーナも微笑み返す。
「本当は問答無用で宣戦布告しに来たのですわよ?」
二人の間に流れる冷気はまさに氷点下。
バチリと雷が爆ぜるかのような瞳とは反対にどちらも口元には笑みを浮かべている。
「ラーシェでその言葉を言う危険性を理解しているか?」
「そちらこそ アスルート帝国宰相を害する危険性は理解してまして?」
お互いに艶やかで色気すら漂う笑みを刻み、見つめ合う。その言葉だけを抜き取ればまるで恋人のようだが、流れるのは甘い空気などではなく、氷点下どころか最早絶対零度まで冷め切った切り裂くような空気だ。
そんな雰囲気でエカチェリーナは畳みかける。
「ラーシェはヒスティアの難民を受け付けているそうですわね? そろそろ資源が足りなくなってきません?」
ヒスティアはラーシェの隣国だ。少し前に暴動により、王家が倒された。今は暫定政府が国を運行しているが仲間間の衝突が多く、情勢にはかなりの乱れがあり難民がラーシェに流れてきている。
「確かにそうだ。だがそれは近隣国に協力を要請している。問題はない」
「そうかしら? だって難民のほとんどは治安の安定したラーシェを望むはずよ。協力を頼んでも時期限界がくるわ」
詰まったルシアンにエカチェリーナはさらに言葉紡ぐ。
「こちらの傘下にさえ入れば支援は惜しみませんわ」
「―――はっ」
ルシアンは嘲笑した。そして、リディアナの前では絶対みせないような威圧感のある冷ややかな表情をする。
「まるで、好意でやっているような言い方だな。アスルートはヒスティアを手に入れたいのだろう? そのためにヒスティアの民が信頼を寄せるこちらの協力が必要、違うか?」
「……っ」
容赦のない鋭い切り込み。エカチェリーナは舌打ちを漏らしたい気分になった。
「同盟、というのなら受け付けよう」
先ほどは自分が空気を変えた。
しかし、今度空気を変えたのはルシアンだ。その眼差しには冷たい色しか浮かんでいない。こんな表情も出来たのかと驚きが表情に出てしまいそうになる。
だが、そこは腐っても大陸を占める帝国アスルートの宰相にして、未来の王妃。余裕をみせて微笑む。
「あら鋭いこと。けれど、ねぇ、こちらとしては別に力で押し切っても構わなくってよ?」
「どこの国へ属するかは最終的にその国の民が決める、それは大陸法で決められたことだろう? 力で押し切れば反発が起こる。しかも、今動力源が不足しがちなアスルートに果たして抑えきれるだろうか」
初めて、一瞬だがエカチェリーナの表情から余裕が消えた。
「……忌々しい。動力源が不足しているなんて何処から漏れたんだか」
「それは失礼した」
エカチェリーナは眉間を押え俯くと、次の瞬間にはいつも通りの笑みを浮かべる。
「同盟時の条件は?」
「こちらはアスルートの領土争いに巻き込まないこと、あくまでラーシェは傍観させて貰う。そして、絹の新しい貿易のルートを展開したい」
「戦争に協力しないことと絹ね。いいわ。ラーシェの絹は上質ですもの。こちらは……そうね。ヒスティアへの介入の協力、そしてこちらから技術者を受け入れを要請しますわ」
ラーシェには資源が少ない。だからこそラーシェは技術を発展させてきた。アスルートにもない独自の高い技術にあふれている。だからこそ他国に攻められなかったのだ。技術力はラーシェの最後の砦。そのあまりにも高い技術力は戦争の勝敗を司る。うかつに他国に流出させるわけには行かないので技術者は受け入れてこなかった。
簡単に受け入れられるような要求ではない。
だが。
ルシアンは暫く悩み、首肯した。この流れはラーシェにとって良いものだ。下手にここで渋ってアスルートに手を打たれてはかなわない。
「いいだろう。五つまで受け付ける」
「六人」
「五人だ」
「いいえ。六、人、よ」
エカチェリーナの静かな威圧がかかる。
射殺すかの如く鋭く尖った眼孔がこれ以上譲歩するつもりはないと告げていた。
「……分かった。六人受け付ける」
「では、同盟成立ね。文章はあとで使者に持たせますわ。調印式は私と王子の結婚式の四日後、つまりは二ヶ月後で構わないかしら?」
「あぁ」
―――同盟成立。
これから細かなすりあわせをしていかなくてはならないがひとまずはルシアンの、ラーシェ国の勝利だ。さらにラーシェの宰相も呼び、ヒスティア介入の協力の報酬について取りまとめていく。
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「では、この内容で送らせますわ」
「ああ」
ヒスティア介入の報酬はあげた国益の一割を三年間払うという好条件に決まった。エカチェリーナと直接交渉はこれで終わり。次は使者間でのやりとりになるだろう。
(……リディーは、大丈夫だろうか)
心の余裕がうまれ、ルシアンはそんな事を考えた。先ほど仕方なかったとはいえ冷たく接してしまった。怪我もやはりちゃんと医務室に行っていなかったようだし、悪化していないか心配だ。リディアナ会いたさにルシアンは高速で会議のまとめにかかった。
「では、これにて、」
「ああ、ちょっとお待ちになって」
紅茶を飲んだエカチェリーナが不意に手を合わせた。進行を止められてルシアンはやや眉をひそめる。エカチェリーナはそんな様子をものともせずカップを持ち上げた。
「この紅茶、友好の証に関所で売り出しません? お茶の貿易ルートももっと広げたいわ。そうね、彼女が作ったものは王家御用達にしてもいいわ」
とても美味しいもの。
その言葉に思わず笑みが浮かぶ。それは先ほど冷たい空気を纏ったものではなく酷く誇らしげで優しいものだった。
これは紛れもないリディアナの成果だ。
これで今回のリディアナの失態をとやかく言うことは出来なくなった。早くリディアナに伝えて安心させてやりたい。だが、さらなる成果を目指して、ルシアンは再び上げかけていた腰を下ろした。
さぁ、後少し。
(―――待っていてくれ。最高の結果を君に捧げよう)