第七話 3
運んで下さったアルフさんにお礼を言って、執務室の扉を叩きました。
「入ってくれ」
もう大分聞き慣れた、陛下の柔らかなお声。
「失礼します」
この前は作法が出来ていなく陛下を不機嫌にしてしまいましたが、今回は前回のわたしとは違うのです! イリアに頼まれた鬼のような書類を片づけた後きっちりと作法の復習をしましたからね。カートを押すと足首が僅かに痛みました。
しかし、女は度胸!
陛下にお茶を入れるまでは完璧にしてみせます!
「待って」
気合いを入れてカートを押していく途中で陛下に腕を掴まれました。そして、すっとわたしの手前でしゃがみます。
「あ、あのっ、陛下?」
いきなりこんな事されたら困惑します。陛下はわたしの問いには答えずにそっとわたしの足首に触れました。
「ここ、どうしたんだい?」
「う」
な、何故バレているのですか!
……いえ、ここは流石陛下と言うべきでしょう。一臣下として陛下の観察眼の素晴らしさを賞賛しましょう。
「捻っているよ」
「す、すみません。さっき少し転びかけて」
「……今後すぐ医務室に行くように」
陛下を呆れさせてしまいました。だ、だって。わたしの優先順位の一番上は陛下の事なのですから仕方ないと思うのです。あ、いえ決して陛下の所為にしているわけではなく!
「痛みは?」
「ないです!」
「本当は?」
「痛いです!」
くっ、陛下の見透かすような瞳の前では嘘なんて付けませんでした。流石陛下です! 素直に痛いと主張すると陛下が腰をかがめ、急に景色が変わりました。
……陛下の綺麗なお顔がすぐ近くにあります。
ふぅ。近くから見てもシミ一つないきめ細かい綺麗なお肌です。
って、ん?
陛下の手がわたしの肩と膝に……。こ、これは所謂お姫様だっこではないですか!?
そう認識した瞬間にはわたしはソファーにそっとおろされていました。い、今更ながら顔が熱くなります。そんなわたしをみて陛下は嬉しそうに微笑みました。人が恥ずかしがっているのをみて喜ぶなんて……もしや、陛下は嗜虐趣味が?
わたしが現実逃避している間に真面目なお顔になった陛下が、どこからか救急箱を持ってきました。
「靴下を脱いで」
言われたとおり靴下を脱ぎました。わたしの足を陛下がじっと見つめます。……なんといいますか、恥ずかしいですね。陛下はなれた仕草でひんやりとする薬を塗って下さいました。
「取りあえずこれは応急処置だ。とりあえず医務室に、私が連れて行きたい所だが……」
これ以上陛下のお手を煩わせるわけには行きません! 全力で首を横に振ります。
「そうだな。噂になったら君が困るだろうからね」
何故か悲しそうに微笑んで陛下は鈴をならしました。えっと、別にわたしは困りませんが……。やけに寂しそうなご様子。どうなさったのでしょうか。
「今日はもう休みなさい」
「あの……陛下。お茶は……?」
せっかく持ってきたのですから入れていきたいです。
「他の人を呼ぶから心配しないでくれ。君は医務室に行きなさい」
「でも……」
それじゃあ、わたしの仕事がなくなります
「これは命令だよ」
渋るわたしに陛下がやや強い口調で仰いました。命令、と言っておきながらやや困ったようなお顔をなさいます。くっ! これでは断るに断れません。卑怯ですよ陛下!
しばらくすると、ハンスが緊張した面もちでやってきました。
「悪いが、彼女を医務室まで運んでくれ」
「は、はい!」
有り難い気遣いです。この優しさが陛下が民に愛される所以なのでしょうね。ハンスの手を取って立ち上がると陛下がわたしの頭をぽんっと撫でました。
「今度から怪我をしたらすぐに医務室に行くように」
う……陛下が心配性のお父さんみたいなことをいいます。といってもわたしは父に心配されたことはありませんが。
頷くと安心されたようです。わたしはハンスに腕を借りながら、よたよたと医務室を後にしました。
***
ハンスとたわいもない会話をしながら執務室のすぐそばの医務室に行きましたが、
「あれ……? 居ませんね」
医務室は無人でした。近づくと扉に貼り紙があります。
なんでも、訓練所で大怪我があり出払っているそうです。訓練所での怪我は本来ここの管轄外なはずですが……、余程の怪我なのでしょう。怪我された方が心配ですね。
しかし、第一医務室が無人ということは第二医務室も第三医務室も出払っている可能性が高いですね。ハンスもその可能性に行きついたようで困った顔をしています。
「うーん。ハンス……申し訳有りませんが侍女塔まで連れていって下さいませんか?」
「え、で、でも。陛下に医務室に連れて行くようにと」
わたしはあくまでも陛下の命を守ろうとするハンスにふふっと大人の笑みを見せました。
「良いですかハンス。陛下は医務室に連れて行くようにと仰ったのです。そう。医務室で治療を受けさせろではなく!」
ハンスは今、わたしを医務室に連れてきてくれました。つまりこれでいいのです!
「でも、意味を考えたらそういうことになるのでは……?」
「良いですかハンス。陛下はあくまでも医務室に連れて行くようにとしか仰っていません」
「えっ……。あ、でも……」
「お願いしますね」
しばらく躊躇った様子を見せていましたが、わたしが部屋で大人しくしていることと、イリアにちゃんと処置してもらうことを約束すると渋々連れてきてくれました。
良い子ですね、ハンスは。
ころーんとベッドで横たわり目を閉じます。
生憎イリアは忙しくて部屋に帰ってこなかったので処置は受けられませんでした。まぁ、陛下に塗っていただいた薬のお陰でほとんど痛みはないですし充分でしょう。
しかし、わたしは二日後この選択を激しく後悔することになるのです。