第一話 一緒の馬車1
小さな馬車がガタゴト揺れます。目の前には光を受け波打つ金髪と、知性を感じさせる青い瞳が。完璧なパーツを麗しく配置したお顔の持ち主は勿論ルシアン様です。
ルシアン様は正面のわたしをうっとりとしてしまうような甘い笑みで見つめます。
……どうしてこんな事になったのでしょう。
わたしはもともとイリア達と同じ使用人用の馬車でアスルート帝国に行く予定でした。
なのに! 蓋を開けてみればなんとルシアン様と同じ馬車に乗っているではありませんか。いえ、はじめは使用人用の馬車に乗ったのです。ですが、麗しい笑みのルシアン様がいらっしゃってあれよあれよとこの馬車まで誘導されてしまいました。詐欺師もびっくりな誘導っぷりでしたね。
多種多様の才能に溢れたルシアン様は詐欺師の才能までお持ちのようです。
「あの、ルシアン様? そんなに見つめられると少々……」
「す、すまない」
声をかけるとすぐにルシアン様は顔を逸らしてくださいました。
ふぅ、良かったです。狭い馬車でしかもうっとりする笑みを浮かべながらこちらをみられると心臓がですね! うっかり時を刻むのをやめてしまいそうになります。ルシアン様はいい加減自分のお顔の魅力を自覚なさった方がよろしいですね!
襲撃に備えてわたし達は小さな馬車に乗っています。狭いのでルシアン様とわたしだけです。
ルシアン様のすばらしい手腕によって国は安定しておりますがそれでも反乱分子いないというわけではありませんからね。なにせ帝国までの長旅です。ずっと襲撃の警戒をしていては護衛の方は勿論ルシアン様だって精神的に疲れてしまいます。多少ですが、余裕を持てるように豪華な馬車はおとりにしています。
流石に馬車にふたりきりというのは異例な気がしますが、ルシアン様は剣技も素晴らしいですからね。わたし一人程度なら、前衛後衛の騎士さんたちが来るまでは確実に守ってくださるとのことです。格好いいですね!
照れたように頬を染められたルシアン様から視線をはずし、窓を流れる風景に目を向けます。
出立までの日々は実に濃密でした。
アスルート帝国の歴史を学びなおしたり、作法を復習したりと。
一番疲れたのはダンスの練習です。ラーシェ国と微妙にステップが違うのですよ!
ラーシェ国のでしたら幼い頃に叩き込まれたのできちんと出来るのですが、わたし運動神経が驚くほどないのですよね……。必死に取り組んだラーシェ国のダンスだって拙いというには少々言葉が足りないかなといった出来ですね! 練習に付き合って下さった方の足を悉く踏みつけてしまいました。あまりの申し訳なさに窓からの逃亡を真剣に考えた程です。
最終的に踊れなかったのですが先生曰わく、ルシアン様なら完璧にリードして下さるだろうと……。ええ、よく分かっていますとも。社交の場ではいつもルシアン様の素晴らしいリードの恩恵に預かっていますからね! ルシアン様にリードされるとわたしの拙いダンスが優雅なものになるから不思議です。流石ルシアン様としか言いようがありませんね!
ああ、でももう二人で練習できる機会は少ないです。ルシアン様なら上手くリードしてくださると思いますが……やはり。
「なんだかドキドキしますね」
「えっ。あ、ああ確かに二人き、」
「帝国で失敗しないといいのですが!」
「……そうだね」
ルシアン様は頭を押さえてそっちか、と小さく呟きました。
そっちとは何でしょう? ああ! ルシアン様はアスルート帝国のエカチェリーナ様に恋をなさっているので、会うのにドキドキという意味で同意してくださったのですね! ふふふ。大丈夫ですよ、ルシアン様。このリディアナ・コトル! 全力を尽くしてルシアン様の恋が実るようにいたしますからね!
ご安心してお任せください!
「リディー、なんだか楽しそうだね」
「ええ!」
ルシアン様は蒼い瞳を柔らかく細めました。
「覚えてる? 昔はよく、お忍びでこういう馬車に乗ったよね」
「勿論です。一度、わたしがお洋服に大きな穴をあけてしまって、二人で怒られないように必死で直す方法を考えましたよね」
ふふふ。完全にわたしが悪かったのにも関わらずルシアン様も一緒に謝ってくださって、とても心強かったです。
「そんなこともあったね。リディーが細い草で縫おうとしたから慌てて止めたんだっけ」
「……」
あれ……幼い頃のわたしはそれほどまでに馬鹿だったでしょうか?
「い、今でしたら、ルシアン様のお洋服が解れてもきちんと直せますよ! ほら」
幼い頃の印象を打破するべく、荷物に入れていた裁縫道具を掲げます。こういうのを持っていると侍女っぽいですよね!
「そう? じゃあ、もし解れたらリディーに頼むよ。期待しておく」
「えっ、うう……。実は、ルシアン様の服を直せるほどではないです……」
見栄を張りました、ごめんなさいと謝るとルシアン様はくすくす笑いました。
「分かってるよ。リディーは昔から不器用だったから。……懐かしいな。こうして二人で馬車に乗るといろんな事を思い出す」
そうですね。わたしの失敗ですとか、失敗ですとか……。主に失敗の記憶ばかりです。
勿論、今ならしないような失敗ばかりなのですが! なにせ幼かったもので! ルシアン様が国王になられてからは忙しく遠出も出来なくなってしまいましたから挽回の機会がなくなってしまいました。
「あ。そういえば。少し大きくなってから一度だけルシアン様が馬に乗せてくださって遠出した事もありましたよね。馬車も楽しかったですが、あれが一番景色も見えて楽しかったです」
残念ながら一度で終わってしまいましたが。心臓が持たないとおっしゃっていたのでやはり人を乗せて馬を走らせるというのは大変だったようです。
「……帰ってきたら出かけようか。また馬に乗せるよ」
ルシアン様ったら。その時はエカチェリーナ様と結ばれているはずですからそんなことをしてはいけませんよ。いくら貧相なわたしとはいえエカチェリーナ様が嫉妬なさらないとは限らないのですからね! 嫉妬なさらなくても、妙な噂が立つのは本意では無いです。
お気持ちだけ、いただいておきましょう。
―――コン、ココン。
馬車を叩く音がして、わたしたちは会話をやめました。
この音は休憩の為、止まるという合図ですね。ちなみに前に怪しい気配があり止まる場合はしゃらしゃらと鈴がなり、何かが道を塞いでいるために止まる場合はがらがらと木のおもちゃがなります。
ゆっくりと馬車が止まり、扉を開けようとしましたが、
「……わ、あ」
―――立てません。
くっ、地味に蓄積されていたお尻と背中への衝撃が!
クッションをたくさん引き、衝撃を緩和していましたが、これはきついです……!
「リディー?」
「だ、大丈夫、です」
「大丈夫そうには見えないけれど」
「だめです! ルシアン様っ。わたしが、扉を開けますから!」
「うん……?」
これは侍女の仕事ですからね!
立ち上がったルシアン様を制し、よたよたと扉を開けました。……ふぅ、やりきりましたよ。満足感を噛み締めいすに座ります。
「どうぞ、ルシアン様」
「リディー、もしかして立てないのか?」
こくりとうなづきます。
うう、馬車慣れしていないものでご迷惑をおかけします……。基本的に王宮から出ませんからね、わたし。
「気がつかなくてすまないね。馬車になれていないと辛いだろう」
ルシアン様は一段降りるとわたしに向かって手を広げました。ん?
「おいで」
そ、それはルシアン様に抱きつけという事でしょうか!? 滅相もありません! 無理です! 恐れ多いです! ぶんぶん音が鳴るくらい首を横に振ります。
「お気になさらず! どうぞ置いていってください!」
「婚約者を置いておけるわけがないだろう?」
「え、わっ」
ルシアン様は腰を屈めるとわたしを抱き上げてしまいました。
「な、る、るるる!」
ルシアン様という言葉さえ出てきません。
ひゃぁぁあ……!
待ってください。確か足を捻ったときもこうして下さいましたが状況が違います! 人目があります! 特に、侍女仲間の方達が凄くほほえましげな目をしていていたたまれせん。恥ずかしくて死にそうです!
人目から逃れるようにルシアン様の首に顔を埋めて隠します。
なぜだか、少しびくりと震えられたような気がしますが、この際構いません。
ふふふと笑い声が聞こえました。
これ絶対あとで色々と言われますよね!? うわぁぁあん!




