第二十四話 四角い箱
ぽかぽかの日だまりの中、わたしはルシアン様の散策にお付き合いさせていただいています。春前の麗らかな日差しが心地良く、まぶたが下がりそうになります。
お互いの誤解をといてから、ルシアン様と話す機会も増えました。今までは朝、昼、夜のお食事。そして執務の合間の休憩くらいしか言葉を交わさなかったのですが、こうして散策にも誘っていただけるようになり、すっかり誤解する以前の仲に戻りました。といってもお会いする頻度は幼い頃よりも増えているのですが。
お話ししたときに極稀に漏れる俺という口調が、ルシアン様が本当に心を許して下さったのだと感じられてとても嬉しいです。
今日は昨日とは違い、少し執務室から離れた辺りを散策中です。
庭師によって、整えられた庭は見た目が豪華な正面と違い、素朴ですがセンスの感じさせる作りになっていてほわんと心が癒されます。
「おや、零れ種かな? シェルの花がこんな所に咲いている」
ルシアン様は石造りの道と、芝生の境に咲いたシェルの花をみて、楽しそうに仰いました。
「本当ですね。シェルの花は何処に咲いていましたっけ?」
「確か、執事達の住まいの近くだよ。大分飛んできたようだね」
独り言のようなわたしのつぶやきにもしっかりと返して下さいます。答えは期待していなかったのですが……。どこの花壇にどの花が咲いているかまで覚えていらっしゃるなんて……最早、何者ですか? と尋ねたくなる完璧っぷりですね。流石ルシアン様です。
そよ風に吹かれ、シェルの花が揺れました。
シェルの花はローズの一種で、お茶にもブレンドとして使うことが出来る有能なお花です。シェルの花といくつかの花を組み合わせると爽やかなベリーの風味がついて、美味しいのですよ。
確か……花言葉は「純粋」「幼き頃の思い出」「あなたを見つめる私に気づいて」でしたっけ?
花言葉を覚えるのも淑女の教養の一つと叔母様に叩き込まれたのでよく覚えています。宝石言葉まで完璧ですよ!
「ごめんね」
ルシアン様は側に座ると花を手折りました。
あら、植物にも優しいルシアン様には珍しい事です。不思議そうなわたしに気がついたのかルシアン様は静かに微笑みました。
「ここに生えていると誰かが踏みつけてしまうからね」
なるほど。そこまでは考えが至りませんでした。やはり、聡明なルシアン様はわたしとは目の付け所が違いますね。
「お部屋に飾られますか?」
シェルの花は見た目も可愛らしいので、一輪だけでも生けられますしね。
「それもいいね。けど……」
ルシアン様はわたしをじっと見つめるとおもむろに手を伸ばしました。きょとんとして見守ると、すっと花が耳の上に差し込まれました。
「うん。似合う」
満足げに微笑みます。
……おっと。ルシアン様。ルシアン様の美貌は至近距離で微笑んだら恋に落とされるレベルだと理解していませんね!
勘違いこそしないものの、やはり少し照れます。
花に触れようとした手を柔らかく掴まれました。
「触らないで。崩れてしまう」
「すみません」
そうですね。せっかくルシアン様のさしてくださった花なのですから不器用なわたしが触れて歪ませるわけにはいきませんからね。
取られた手をそのままにゆっくりと庭を歩きます。
ルシアン様の細い指には少しタコが出来ていて、日頃の頑張りが伺え、胸が温かくなりました。
しばらく、歩くと一つだけぽつんと小さなベンチがあるのが見えました。つい、駆け足気味に近づきそうになりましたが抑えます。……ルシアン様と手をつないでいたんでした。
ベンチは素朴な庭に合った白一色のシンプルな物で、蔦の意匠が施されています。大きな木の陰に隠れるように設置されているので普通に歩いていては気が付かなかったでしょう。
「座ろうか」
「はい!」
小さいベンチなので、やや距離が近くなってしまいますが、ルシアン様は全く気にしていないようです。
「ここはたまに通るのですが今まで気が付きませんでした」
「ああ、私もだよ。フィリスに教えて貰って初めて来てみたんだが、なかなか見にくい場所にあるね」
ルシアン様は腰をおってわたしと目を合わせると、囁くように仰いました。
「恋人達専用の場所だそうだよ」
その美声で囁くように言われるとくらくらするのですが……。確かにいい雰囲気ですものね。そう口を開く前に、綺麗な顔が近づきました。長い指が頬に触れ、思わず息を止めました。さらりと、指が耳に触れます。
「シェルの花、少しずれているね」
差しのばされた手の隙間からそっと伺ったルシアン様はそれは甘く甘く微笑んでいました。
「あ、りがとうございます」
心音が、いつもより早く鳴り出します。誤解がとけてから、こんな風に甘い微笑みを浮かべられることが多くなりました。恐らく、エカチェリーナ様との事を考えて笑みの練習をしているのだと思うのですが……心臓に悪いです。
大きな木に遮られ程良い日差しが降り注ぎます。そよ風も心地よく、お昼寝には絶好の場所ですね。ベンチがもっと広ければ横になれるでしょうに―――……。
そんな事を思ったのがいけなかったのでしょうか。
気がつけばこちらを見つめる空を切り取ったような青い瞳がすぐ上にありました。片手はそっとわたしの髪に触れています。現状が把握できずぱちりと瞬きをしました。青い瞳の持ち主――ルシアン様は目を見開き固まっています。
三度瞬きをしたところでやっと、失態に気がつきました。
「も、申し訳ありません! そのっ、わたしどのくらい寝ていたのでしょうか……?」
なんとわたしはルシアン様の肩に顔を預けて眠りこけていたのです!
「大丈夫。ほんの十分くらいの間だったよ」
「肩までお借りして……」
「あ、いや。これは私が……。っではなく、気にしなくていいよ」
うう。悩み事が解決したからといって気がゆるみすぎです。国王陛下ともあろう御方の! 肩を! 借りていたなんて!
居たたまれなくなり、俯くとぽんぽんと頭を撫でて下さいました。
何度もいいますが、わたし一応結婚適齢期……をやや過ぎた女性なのですが。
幼い頃と同じ振る舞いをされてはエカチェリーナ様に誤解を生みかねませんよ?
―――けれど、わたしはこの手がとても好きなので……。
エカチェリーナ様と結ばれるまではどうか堪能させて下さい。
ルシアンとリディアナの散歩場所は全てイリアとフィリスによってセッティングされた王宮内のデートスポットです




