とある一幕
イリア視点です
リディーの瞳が潤み始めた。
それを横目で確認し、私は騎士団長様の手を取る。
手を取った瞬間何故かびくりと身を震わせた騎士団長様はぼんやりと私を見上げた。
“行きましょう”
声には出さずに伝える。
そのまま固まっている騎士団長様の手を引いて医務室からそっと退出した。
ふんわりと微笑むルシアン様をみて、リディーは少し元気になったようだ。
これなら少し時間を置いて二人っきりにしていたら、リディーも完全に立ち直るでしょう。
良かった……。
私には出来ないことが、ルシアン様には出来るのは少し悔しいけれど。私は慰めるのが上手くないから仕方ないわね。
「……えっと、イリア? その……」
医務室から出てしばらく歩いていると躊躇いがちな声がかかった。
「なんでし……何故頬を赤く染めているのですか?」
「いや、ほらてっ手が……」
白い肌を真っ赤に染めた騎士団長様は手が握られているから、という。
は?
「何を今更……。普段も握っているでしょう」
「や、その。自分から握るのと、握られるのは違うしさ」
訳の分からない理屈。
私は握っている騎士団長様の手をみる。今までも触られていたから分かるけれど、その美少女然とした容姿からは想像できないほど大きく、堅い手。しかし、何故かその肌は日焼け対策に奔走する私たちなどより、きめ細かく白い。
鍛錬しているのだろうとも思うし、しているのかしら? とも疑いたくなる。
そっと放すと、握りなおされた。……駄目ね。この人の思考回路が理解できそうにないわ。
「何がしたいのですか」
「あ、いや、つい……」
今日の騎士団長様はおかしい。
訳の分からないのはいつものことだけど、照れたり……私の事を好きな子といったり。
少し手を引くとあっさり離された。
そのかわり、顔を背けた私の前に回り込んできて首を傾げる。
「イリア、どうかしたの?」
「……それはこちらの台詞ですが。あとイリアと呼ばないで下さい」
「うう、分かったよトレイシー侍女長」
珍しく素直に聞いてくださった。
変だけど、良い方向に変になってくれているなら楽でいい。
「では、これで」
「いや、ちょっと待って!」
特に用事もないので礼をして去ろうとするが引き留められてしまった。
……はぁ。
「何でしょう」
「お土産、どうせだから今貰っていかない?」
「……ありがとうございます」
まめな人。
告白を断っている私にこうしてまで愛を囁くのだから。
彼と私の関係は奇異なもので。それでも、彼は輝くような笑顔を私に向ける。私がそれに笑顔を返した事はないけれど、その笑顔は嫌いじゃない、と思う。
**
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
差し出された箱を受け取る。彼らしく丁寧に包装された箱。よくある形なので中身が何かは推測できない。
「……えっと。出来ればここで開けてくれると嬉しいなぁ」
「分かりました」
綺麗な包装を破かないように、丁寧に開いていく。
丁寧にあける私を騎士団長様が甘い色の乗った笑顔で見つめているのが目に入る。少しだけ緊張しながらも最後の包装を解いた。
「……綺麗」
透明な箱には、蝶のモチーフの美しい腕輪が入っていた。
蝶のモチーフは私の一番好きなもので、いつの間に知っていたのかとか、高価だろうと思う前に呟きが漏れた。
羽模様まで彫り込まれた細やかな模様の細工。凄く好みのデザインで目をしばたかせる。
これは……凄く嬉しい。笑みが出そうなくらい。
今、私は微笑んでいるのかしら。
そう思いそっと騎士団長様を見つめると柔らかなのに悔しそう、という珍妙な表情をしていた。
「どうかなさいましたか」
「いや、イリアが凄く喜んでくれているのが伝わってきて嬉しいんだけど、笑顔はみれなかったなと思って……!」
……そう。私は微笑んでいないのね。やっぱり笑顔はどうも苦手だわ。
「イリアと呼ばないで下さい。しかし、そうなのですか。笑っていると思っていました」
「えっ!?」
「ありがとうございます。とても好きなデザインで凄く嬉しいです」
しっかりと頭を下げる。
好みはリディーに聞いたのでしょうけれど、きっと誰かに買いに行かせたのではなく、買いに行って最終的に選んだのは彼自身。それはやっぱり嬉しい。
「イリア……」
頭を上げた先にびっくりするぐらい笑顔の騎士団長様がいた。甘い声音で呼ばれる。
「君を愛せて僕は幸せだ」
ゆるっと上がる口角に、温かな熱を持った瞳。胸の金の紋章が霞むくらいの笑みだ。流石、顔立ちの良いものの笑顔の迫力は違う。
瞠目して見つめてしまったが、すぐに気を取り直す。
「……騎士団長様にはいつもお世話になってばかりですね」
「そんな僕が勝手に近寄ってるだけだよ」
まぁ。それは否定しないけれど。
「今度お礼をさせて下さい。何が宜しいでしょうか、なんでもしますが」
「っ! い、イリアっ!? そ、そそそういうこと他の人に言っちゃ駄目だよっ!?」
笑顔から一瞬で赤面になった騎士団長様は勢いよく詰め寄ってくる。何を想像したのよ。
「はぁ。他の方には言いません。ただ騎士団長様はどうせ無理なお願いなんてなさらないでしょう」
手で制しつつ、そういうと長いため息を吐かれた。
「……うん。そうなんだけどさ」
「何がよろしいですか?」
「い、いいの……?」
そっとこちらを見つめてくる動作は私より女の子らしい。
頷くと、何かを決意したようにきっと顔を上げる。
「その、イリアと呼ぶ許可が欲しい、な」
「お断りします」
間一髪入れずに断った。
「え?」
「え? ……あぁ、申し訳ありません。つい反射的に」
どうやら私はこの人の申し出を断るクセが付いてしまったようね。
「反射っ!? 反射ってどうなのかな!?」
「申し訳ありません」
仕方ないでしょう。いつも会話に一度は出てくる台詞ですから。
「で、構いませんがそれでは私の気持ちが晴れないので他には?」
そんな簡単なお願いなんてむしろこちらが困る。いつも勝手に呼んでくるくせにこういうところでは遠慮するのね。
「え。……じゃあ、フィリスって読んでくれると嬉しいな」
「他には? 出来れば私が何かする方向でお願いします」
「いやっ、もういいよ!?」
遠慮はいいから早くして欲しい。騎士団長様の事を冷たく見つめる。
イリア呼びを許可するのは確かに私にとって特別な意味を持つけれど、苦にもならない事を言われても私の気が晴れない。
「ええっと、……じ、実は今度試合があるんだけど、応援に来てくれる?」
「分かりました。リディーと応援にいきます」
そこになにか食料を差し入れすれば良いでしょう。騎士団長様との会話を早々に切り上げるとさっと礼の姿勢をとり、再度お礼をいってから立ち去った。