第十話 6
一人称リディアナ視点です
怪我人が出たようでわたしに安静にしておきなさいと言い、お医者様は訓練所に向かいました。
医務室にはわたし一人。
膝の上でぎゅっと手を握りしめました。ああ、わたしはなんて事をしてしまったのでしょう。陛下、お怒りのご様子でした。
仕方ありません。わたしは怒られて当然の事をしました。大事な交渉の邪魔をしただけではなく、陛下のお優しい気遣いさえ無下にしたのです。
何故あのとき、素直に医務室に行かなかったのかという後悔が今更ながら押し寄せます
どうしましょう。わたし、きっと陛下に嫌われてしまいました……。
もしかしたら、陛下付き侍女もやめさせられてしまうかも。きゅっと胸が痛みました。
王宮に来て、何も分からないわたしに優しく教えて下さった陛下。付きまとっても決して嫌な顔をなさらず、優しい笑みを浮かべて下さいました。
母が亡くなったとき、わたしは王宮から出される覚悟をしました。しかし、陛下にお茶入れの才能を見いだされ陛下付きの侍女として王宮での生活することが許されました。前回は王宮から追い出せれそうになったとき陛下が助けて下さいました。ですが、今回怒らせてしまったのは陛下本人です。しかもこの失態は誰がみても明確なもの。弁護のしようがありません。
あぁ、助けていただいた陛下に恩返しがしたいと頑張ってきましたのに、最後までわたしは陛下の恩に報いることが出来なかったのですね。
せり上がってきた熱を外に出さないよう、目蓋をきつく閉じます。
どれくらいそうしていたでしょうか、不意に頭に手が乗せられました。
目をあけると、侍女長の品の良いスカートが広がっています。
「……イリアぁ」
イリアはやはり無表情でそこに立っていました。何も言わずにぽんぽんと頭を撫でてくれます。あの場にはイリアもいましたから、わたしの失態をしっています。心配して来てくれたのでしょう。良き親友をもってわたしは幸せですね。
「……会談は?」
「心配しなくても上手くいっている様子だったわ。もうすぐ終わるでしょうね」
ほっと安堵の息が漏れました。
「……よかった」
イリアは例え慰めでも自分の目で見て感じた真実しかいいませんから、本当に上手く行っているのでしょう。安心しました。
「どうしてイリアはここに?」
「ちょうどさっき騎士団長様が遠征から帰ってきたからその迎えの手配のために抜けたのよ」
あぁ、そういえばそろそろ帰ってくる時期でしたね。
この国ラーシェの騎士団長はフィリス・マグナム様。やや幼い容姿とは裏腹に抜群の剣裁きをなさるこの国最強の騎士さんです。陛下の幼なじみにして親友。もっとも同じ幼なじみであるわたしはあまりお会いしたことは無いのですが。
わたしは主に王宮で陛下とお会いしておりましたし、マグナム様は剣の修行で会っていましたので、わたしとマグナム様との接点はほぼ無しです。ですので幼い頃から知っているもののわたしとマグナム様は幼なじみとは言い難いですね。
そんな陛下と幼なじみ同士のわたしより、イリアの方がよっぽど彼には会っているでしょう。なんたって彼は―――
バゴンッ!
大きな音をたてて医務室の扉が壊されました。
おおっふ。
なんて驚く事はありません。
ラーシェの王宮では見慣れた光景です。
まぁ、最近ではあまり見ることがありませんでしたが。
「イリア、ただいま。早く君に会いたくて急いで任務を終わらせてきたよ」
にっこりと笑った男性はイリアの手を取ると、どこからか一輪の花を取り出しました。
「遠征で行った所で見つけたんだ。君の好きそうな香りだと思って、一輪だけ持ち帰ってきたよ。花言葉は、愛しい人。僕の愛しいイリアに捧ぐにはぴったりだ」
美青年というより、美少年、美少女といった方がしっくりくる陛下とは違った美貌のマグナム様の甘い笑顔に思わずわたしでさえ頬を染めてしまいます。
しかし、イリアは眉一つ動かさず、むしろわたしの頭を撫でていた時より、やや冷淡に瞳を細めて握られた手を払います。
「いい加減になさったら如何ですか? 扉を壊さないで下さいと何度言ったら分かって下さるのです。貴方のために無駄な費用が掛かっているということを自覚なさって下さい」
美少年顔のマグナム様は悲しげに眉を寄せると頭を垂れました。
「ごめんよイリア。ひさしぶりに愛しい君に会えると思うと歯止めがきかなくて」
……ひさしぶりではなくても扉壊していますがというツッコミは心の中だけに秘めておきます。わたしは無粋ではありませんからね!
「毎回のことですが、理由になっていません。訓練で鍛えた鋼の精神はどこへいったのですか。反省なさってください」
マグナム様の出す甘ったるい……こほん。甘い空気はイリアの放つブリザードにかき消されます。
「ごめんよ。訓練で鍛えた筈なんだけどね。好きな子を前にすると役に立たないや」
「……ですからそれは理由になりません」
イリアはふいっと後ろ(マグナム様からみた後ろ、つまりわたしの方です)を向いて、冷たく言いました。
しかし、マグナム様。相変わらず甘いですね。思わず呆れた目を向けてしまいましたが、あれ。
イリアが手でぱたぱたと顔を仰いでいます。
…………あれ、イリア照れて、る……?
顔は変わらず無表情ですがわたしにはわかります。イリアは照れています。何故!?
マグナム様の台詞を思い返しますが、いつもと変わらない気がします。
……いえ。思い返せばひとつ異なる点がありました。
マグナム様は基本、愛おしい君や、愛しているという表現をお使いになります。しかし、今回はめずらしく「好きな子」という言い方をなさいました。愛しい人より現実感がありますね。
今まではきっと現実感がない台詞だったので聞き流せたのでしょう。ですが、今回下手に現実感のある台詞に思わず照れてしまった、と……うん。イリア可愛いすぎますね。
「イリアは後ろ姿すらも美しいね。けれど君の瞳をみて会話したいな。こっちを向いてくれないかい?」
しかしイリアを堕とす、おっとうっかり落とす手掛かりに気が付かない残念なマグナム様は甘い言葉を吐き続けます。
……これ教えて差し上げた方がいいのでしょうか?
「花以外にもお土産を買ってきたんだよ。美しい君にぴったりの細工の細かい腕輪でね。気に入ってもらえると嬉しいな。真剣に選んだんだよ。……まぁ、代わりにうっかりルシアンに頼まれていた買い物忘れちゃったんだけどねー」
何ですって!
いくらイリアが好きだからって陛下のお頼みを蔑ろにするなんて! もう教えてやりませんからね! 精々、ご自分で気づくことですね!
「まぁ、いいや。今馬車に置いてあるから後で持って行くねイリア」
「ありがとうございます。そしてイリアと呼ばないで下さい騎士団長様。親しい相手以外にそう呼ばれるのは不快です」
暗にあなたと親しくないと言う意味ですね! 辛、辣! 流石にぐっと言葉につまるマグナム様。さすがに可哀想になってきます。
「……わ、分かったよ。じゃあイリアって呼ばないかわりに僕のことはフィリスって呼んで?」
しかしめげない! うう、いっそ涙を誘うくらいの健気さです。
「お断りします」
はい! 出ましたイリアの一刀両断!
思わずくすっと笑ってしまいました。いつも通りのやりとりに心が解されます。
きちんと陛下に謝罪して、まだ陛下の傍に居させて下さいと心を込めてお願いしましょう。
わたしとしたことが珍しく暗くなっていました。まだ終わっていないのですから明るく考えなくては。この失態は幸運なことにエカチェリーナ様がお許し下さいました。ですからきっとまだ挽回のチャンスはあります!
未来への明るい指標を示してくれた二人に向かって朗らかに笑いかけました。