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 時計を落としてしまったときの、アルのあのひきつった表情。私はそれを忘れられない。彼はきっと気づいていた、私がその時計を使いたがっていたことに。

 私がアルのことを好きだということに。

 アルの前で私がこの惚れ薬をすべて飲み干したら、少しは効果があってくれるだろうか。自分で自分を惑わせて、アルの偽りの愛も気にしないくらい自分勝手に彼のことを好きになれたらどれだけいいだろう。

 実際に得てみたアルの愛に感じるものは、幸福よりも虚しさのほうが強かった。

 穴があきそうなほど読んだ銀時計の頁。魔法にかかった人がどんなことをしてくれるのか、それを私にしてくれるアルを思い浮かべながら、私はいつも眠りについていた。

 そして今夜の私もまた、銀時計とアルを思い浮かべながら、魔術書を抱いて眠りについたのだった。


 アルは毎晩私のもとを訪れ、毎晩私に愛の言葉をささやき、熱い抱擁をして去っていった。

 そして彼が店にこもる時間は確実に減り、昼間隣の店からアルのことを叱る祖父のものであろう声が聞こえてくることが増えた。

 仕事もうまく手につかず上の空なアルの姿はたしかに、町の娘たちが彼を見つめるときの、頬を赤く染めてうっとりとするそれによく似ていた。

「ねぇ、アル」

「なぁに?」

 アルの愛情表現は、日に日にエスカレートしていくように思えた。私を抱きしめる時間は長くなり、声色も甘えた子猫のようだ。私の腰に手をまわし、耳朶に唇を這わせる日もあれば、今日は私の胸に顔をうずめにおいをかいだり頬ずりをしてくるのだった。

「掛け時計、いつになったら直してくれるの?」

 仕事は早いと有名なアルが、いつまでたっても修理を終えてくれない。もしそれを、ほかの客にまでしてしまっていたら。それが怖くて、私はたずねた。

「もうちょっと、時間かかるかな」

「もうちょっとってどれくらい?」

「あと一週間くらい……」

「この前もあと一週間って言ってたよね?」

 私の声色が変わったことに気づいて、アルはおずおずと身体を離した。

「ほんとはもう、できてる……」

「じゃあどうして持ってきてくれないの?」

「それは……」

 叱られた子供のように、眉根を下げるアル。いつも自信に満ちた瞳が切なそうに翳った。

「持ってったら、レーナに会いに行く口実がなくなっちゃうから」

 はじめのころの、強気に愛の言葉を告げる彼の姿はどこにいってしまったのか。これではまるで、自分の気持ちを告げられずにくよくよする私を見ているようではないか。

 叱られるのをおそれてしゅんと肩をすくめる彼がたまらず愛しくなって、私は自ら、アルを抱きしめていた。

「アル……」

 なんてかわいいんだろう。こんなアルの姿見たことがない。

 そう思う心の奥底で、冷静になる自分もいる。

 アルはこのままじゃだめになってしまう。

 私の腕の中で、胸に顔をうずめて甘えてくるアル。そのやわらかな髪を撫でながら私はひとつ、深呼吸をする。何度も何度も読み返した魔術書を、あの銀時計の頁の言葉を、頭の中で反芻する。

 銀時計の魔法にかけられた者は、愛の言葉をささやき、抱擁をする。

 ――けれど決して、口づけはしない。

 それがこの銀時計の魔法。

「ごめんね、アル……」

「レーナ?」

 私の震える声に気づいて、アルが不思議そうに顔をあげる。

 どうしたの、とたずねるその唇に、私はそっと自分の唇を重ねた。

 アルは私に愛をささやいても、決して唇を重ねてはくれなかった。

 なぜなら銀時計の魔法を解く方法は、口づけをすることだから。

 白雪姫も眠り姫も、美女と野獣もカエルの王子様も、キスをすれば魔法が解ける。

 キスをすれば、この魔法も解けてしまう。

 愛してるの銀時計の魔法は、ほんのひと時の間だけ、愛しい人の気持ちを手に入れることのできるものだった。

 私はアルから唇を離すことができなかった。離せば彼はすべてを忘れてしまう。私のことを好きだったときのことを。私に愛をささやき、抱きしめた日々のことを。

 すこしの間でいい。私はアルの気持ちが欲しかった。

 たとえ魔法が言わせたことだとしても、彼は私のことを愛していると言ってくれた。私のことを好いてくれた。抱きしめてくれた腕の力強さを、私は忘れない。

 このままずるずると魔法をかけ続けていたら、アルは夢を、叶えられなくなってしまう。

 強く唇を押し付け、アルの唇の熱さとやわらかさを自分に刻みつけ、私は顔を離した。

 そしてアルの顔を見ることができぬまま、すぐにその場から立ち去った。


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