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小さな町にある、小さな商店街。アルの働く時計屋の隣に、私の祖母が営む薬屋がある。アルは祖父の店を継ぐべく時計職人を目指し、私は加齢のため店に立てなくなってきた祖母のかわりに、店に出て祖母の調剤した薬を売っている。店をいつかは継ぎたいと、少しずつ薬の勉強もしていた。
祖母の作る薬はよく効くと評判だけど、私が作ると同じ材料を使っていてもなかなかうまくできないことが多い。丸薬から粉薬から生薬の湯薬から、はてはお香の類まで。効能さまざまな薬を扱う店は販売のほか喫茶店のようにもなっていて、店の中で煎じたての湯薬を飲むこともできた。
幼いころから遊び場にしていた、壁一面の引き出しに薬の原料が入った薬棚のある店。絵本代わりに眺めていた薬の本たち。その中に一冊、魔術師にしか作れない特殊な薬の調剤方法が載った、古い魔術書があった。
私が祖母にねだって譲ってもらった、古い魔術書。薬のことだけではなくさまざまな魔術道具のなども記されているそれに、アルの持っている懐中時計のことが載っていた。
『愛してるの銀時計』
それは、意中の人の心を惑わしてしまうという魅了魔法のかかった時計だった。
蓋を開くと、時計が自分のかわりに愛をささやいてくれる。その声を聞いた人は、時計を開いた人のことを好きになってしまう。
つまりアルはあのとき、時計の魔法のせいで、私に恋をしてしまったのだった。
「――レーナ、いるか?」
あの日からアルは毎日、仕事が終わったら私のもとへとやってくるようになった。
毎晩遅くまで店に残り熱心に修行をしていた彼が、用もないのに私に会いにくる。そして私は彼のために、湯薬を煎じながら店を開けて待っているようになっていた。
「頼まれてる時計なんだけどさ。調べてみたら部品がひとつ傷んでるのがあって、それが原因かもしれないんだ。古い時計だから今いろんなところに部品が残ってないか頼んでるんだけど、ちょっと時間かかるかもしれない」
「無理なら、いいよ? おばあちゃんも古いものだから仕方ないって言ってたし。かわりに持ってきてくれた時計も気に入ったみたいだから、だめならそれを買いたいって」
「でも大事にしてる時計なんだしさ、俺も長く動かしてやりたいと思うんだよ」
カウンターに二人で腰かけ、お茶のかわりに湯薬を一緒に飲む。私はもうなれた味だけど、滋養強壮効果のある材料を調合した湯薬はとんでもなく不味い。これでもかというくらい濃くいれたコーヒーのように苦く、そして奇妙な甘さがあり、いいようのない臭いが鼻をつく。けれど毎日修行を頑張り疲労の色を顔に浮かべるアルには、ぜひとも飲んで欲しい薬だった。
今までのアルなら湯薬を見るなり逃げようとしたり味がわからないよう一気飲みして苦悶の表情を浮かべたりしていたのだけど、店に通うようになってからは顔をくしゃくしゃにしながらも味わって飲むようになった。
「古い時計なのに細かく手入れされて錆もほとんどついてないし、大事にしてるんだなって見ててわかるんだよ。今の時代の新しい技術も勉強したら面白いけど、俺は昔からの時計を修理して長く動かしてやる仕事のほうが好きだな」
自分の目指す仕事に誇りを持つアルのまなざしは、きらきらと輝いて幼い頃から変わっていない。私は幼いころから薬の材料を混ぜて遊び、アルはルーペ片手に小さな歯車を組み立てて遊んでいた。
「それに、レーナのためなら俺なんだってやりたいからさ」
くもりなく輝いていた瞳が、その一言で、熱っぽく色が変わる。私をじっと見つめ、手を握ってくる。普段は時計の繊細な部品に触れる指先が、私の手の甲を撫で指を絡めてくる。
ぞくり、と背筋が粟立ち、私はすぐに手を引っ込めた。
「なんで逃げるの?」
「だって、アルらしくないから」
アルの瞳は、私を求めて決してそらすことがない。飲み終えたカップを洗ってしまおうと離れると、彼は後ろをついてカウンターの中に入ってきた。
「『愛してる』って、先に言ったのはレーナのだろ?」
アルは覚えていない。愛の言葉は銀時計がささやいたということを。自分が魔法にかけられて、私に偽りの愛情を抱いてしまったということを。
私の知るアルはいつも、自分の夢に向かってまっすぐにすすむ人で。町の娘たちからプレゼントをもらってもデートに誘われてもすべて無視して、ただひたすらにルーペをのぞき込み時計と会話をするような人だったのに。