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 アルはいつもシャツの胸ポケットに、銀色の懐中時計をいれていた。

 時間を見るのはいつも腕時計。けれどその腕時計も、手首から肘までさまざまな大きさのものがずらりと巻かれている。その時刻はすべてバラバラで、彼いわくいろんな国の時間にあわせているらしかった。

 懐中時計は、いつも胸にしまっているだけ。彼はけっしてその蓋を開こうとしなかった。

「アル、いま何時?」

「十一時三十五分」

「もうお昼ご飯の時間はすぎたと思うけど?」

「あ、ごめん違う国の見てた」

 そう言ったきり、彼は赤毛の頭をあげようとしない。結局いまは何時なのか。作業に集中するアルの腕から、陽が傾いてきたころの時刻を探す。たぶんもうすぐ七時になると思うのだけど、いつも使っている時計が壊れてしまったのは本当に不便だった。

 私がいつも店番をしている薬屋の時計は、祖母の趣味で長く使っているぜんまい式の壁掛け時計だった。祖母がまめにぜんまいを巻いているはずなのだけど、最近どうも時刻が狂うようになってしまっていたのだった。

 そんな時いつもお世話になるのが、お隣さんの時計屋の、見習い時計職人のアル。彼は今私の依頼を受けて、年季の入った壁掛け時計の修理をすべく悪戦苦闘していた。

「なにが原因とか、わかりそう?」

「この時計古いし、ちょっと難しいかも」

 アルの持つ懐中時計は、掛け時計よりもはるかに古いものだった。鎖が切れるたびに何度も何度も取り替えた、彼の祖父の祖父の祖父の祖父の、と、数え切れないくらい昔から受け継がれた時計だと前に聞いたことがある。

 アルはその時計に、絶対触らせてくれない。

 いつも彼の胸元で、胸の音をずっと聞いている懐中時計。ぬくもりのうつっているであろう、つややかな丸みをおびた銀色の時計。私はいつもそれを見せて欲しいとお願いしているのに、彼は決して許してくれなかった。

 今日もそう。集中しているところにこっそり手を伸ばしてみても、あと少しというところで払われてしまう。

 私はただ、時計ごしにでも、アルのぬくもりを感じたいだけなのに。そんなこと知るわけもなく、彼は代々受け継がれている大事な時計を、私が触って壊すことを警戒しているのだった。

「見た感じ、どこもおかしいとこないんだよな……一回細かくバラしてみないとわかんないかも」

 困ったように頭をかきむしりながら、アルは掛け時計とにらめっこをする。濃茶に染められた木製の掛け時計は、いつも金色の振り子がゆらゆらと揺れていた。けれど今は壁から外してカウンターの上に横たえているので、動いていない。アンティーク調の数字が並ぶクリーム色の文字盤が蓋のように開き、アルはその中で複雑に組まれている歯車の動きを調べてくれていた。

 あれこれ手を尽くした結果、彼はそろそろ限界のようだった。

「とりあえずこれ、今日は持って帰っていいか? じいちゃんに相談してみるのが一番だと思うからさ」

「うん、お願いします。ごめんね、急に頼んじゃって」

 アルの祖父は、遠くの町からも修理の依頼が来るほど腕のいい時計職人だった。だからいつも忙しそうで、アルもその手伝いであまり暇がない。お隣のよしみで毎日のように顔を合わせてはいるものの、こうして二人で話すのは久しぶりのことだった。

「今晩で直らなかったら、明日かわりの時計持ってくるから。ばあちゃんにそう伝えといてくれるか?」

「わかった」

「うわ、もうこんな時間」

 腕時計を見て、アルはあわてたように工具を片付けはじめる。彼が夜遅くまで時計屋に残って自分の修行をしていることを私は知っている。本当は修理なんて頼まれてる場合じゃないくらい忙しいこともわかっていて、私はそれでも、アルにお願いしてしまった。

 工具を自分の仕事鞄に入れて、掛け時計は傷をつけないように大事に布に包んで。私がお茶がわりにいれた湯薬を一気に飲み干し思いっきり顔をしかめ、アルは時計を抱えて「じゃあ」と言った。

 その胸ポケットから、ふいに銀時計がこぼれ落ちた。

 いつもなら鎖でつながっているはずなのに、それが切れてしまっていた。私が拾おうとすると、彼はあわてたように掛け時計を置いて「いいよ」と制する。せっかく親切で拾おうとしているのにそんな態度をされて、私は思わずむきになって手を伸ばした。

 丁寧に手入れされているのが一目でわかる、古いながらも輝きをくもらせない銀時計。お互い拾おうと手を伸ばすものだから、私が拾い顔をあげるとアルの顔がすぐ近くにあった。

 かち、と、手の中で音がした。拾ったはずみで、懐中時計の蓋が開いてしまったのだ。

 蓋が開き、文字盤が開く寸前。アルが声にならない声をあげたのを私は聞いた。


『――アル、愛してるわ』


 文字盤があらわになった時計から、そう、声が聞こえた。

 それは私の声をしていた。

「違う、今のはこの時計が……」

 私が言ったわけじゃない。そう言う前に、私はアルに抱きしめられていた。

「レーナ、愛してる」

 耳元でささやかれて、私は手の中の懐中時計を強く握り締める。時計の針は動いていなく、言葉を発したことなんて信じられないくらい静かな、ただの時計だった。

 アルが代々受け継いでいた、この懐中時計。それは古い魔術の本で読んだ、ある魔法をかけられた時計。

『愛してるの銀時計』と呼ばれていた。


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