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トワイライト・ガーデン  作者: 貴水 玲
【第二幕】 いつわりの婚約者
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美しい館

 予想外の出来事から二日後、シェイラはヴィクトリアの郊外グロウ・ヒースにある屋敷の一室にいた。

 足元にばらまかれた黄金に、シェイラは怒りも忘れて唖然とした。夢でも見ているのかと頬をつねってみたが、痛かった。

 立ち尽くすシェイラを置いて青年は女主人のところへ行き、身請けにはいくら必要かと尋ねた。唖然としたのは主人も同じ、でもしっかりとえげつない金額を口にした。しかし青年は臆することなく「わかった」と一言告げ、その日は帰った。そして翌日、約束通りの額の金貨が届けられ、さらに次の日には迎えの馬車が来て……仲間の少女たちに別れを告げ、シェイラはわけもわからぬまま時忘れの館を出ることになったのだった。

――信じられない……。

 天蓋つきの寝台の上に緋色のドレスの裾を広げて仰向けに寝転び、シェイラは大きなシャンデリアの下がる天井を見上げた。

 馬車で案内されたのは、緑野にそびえる四階建ての白亜の豪邸だった。

 磨き抜かれた大理石の玄関、シャンデリアの連なる広いホール……二階にあるこの部屋まで、青い毛氈の敷かれた廊下をいったいいくつ渡り継いだだろうか。

 この部屋だって、以前家族と住んでいた家ほどの大きさがある。しつらえられた調度品も装飾品も高級だと素人目にもすぐわかる。

――なんで……こんなことになったんだっけ。

 呆気にとられている間に事が進み、今一つ実感がわかない。身請けされて、娼館の外に出たなんて。しかも買主は……とんでもない身分の人間だったのだ。

 シヴォーレン侯爵、アズフェルト・ディー・シンクレア。それが青年の名だ。侯爵といえば貴族の中でも最も高貴な存在――大貴族である。

 馬車の中でシェイラは迎えに来た老執事から青年のことを聞いた。

 シンクレア侯爵家はロザリアムの東方、景勝地として名高いシヴォーレンの領主で、代々大公家に仕える騎士を排出してきた武芸の名門。かつては帝国より、最高栄誉である『聖騎士』の称号を授与されたこともあるという。半年前当主が他界し、一人息子であるアズフェルトが爵位を継承した。彼自身も騎士であり、二十一歳という異例の若さで、最近騎士団の総長に就任したばかりらしい。

――騎士団て……あれよね。

 主都ヴィクトリアを守護するリジオン騎士団――巷では“貴族の社交場”と呼ばれている貴族の子弟のたまり場。

 ロザリアムが独立国となった三百年ほど前に、国の秩序と平和の守護者となるべく結成された。だが今はそんな大義も忘れ、外面重視のお飾り騎士団になり果てている。

 上層界では騎士団への入団は通過儀礼的な慣習で、数年の懲役義務を果たせばよいことになっているという。つまりはたてまえの奉仕。治安警吏の任務など二の次で、御前試合などの華やかな行事ばかりに熱心という実状らしい。

 執事の話によると、シンクレア家はリジオン騎士団の創立者であり、代々当主は総長を務めているという。大公の信頼も厚く、国政でも重用されてきたらしい。

――なんか、別世界の人よね……。

 ふかふかの寝台から起き上がり、シェイラは大きな窓の前に立った。

 窓の外には、色とりどりの花が咲く美しい造形庭園が広がっている。

 当主のアズフェルトはこの屋敷に一人で住んでいるらしい。さらに領地であるシヴォーレンには、先祖代々受け継がれてきた領主館もあるという。

「ここに一人なんて、贅沢すぎじゃない? 大掃除なんか始めたら一年はかかりそう」

 住人でなく使用人の立場で考えてしまうのは貧乏人の性である。想像しただけで気が遠くなりそうになってシェイラは窓辺の籐椅子に座った。

「こんなお金持ちがなんでにせの婚約者が必要なわけ? それにあの人なんか変だし……」

 アズフェルトは本当に伯爵邸でのことを覚えていないようなのだ。再会も偶然だという。でもあんな印象的な出来事を忘れるなんてよっぽど記憶力が悪いのか、やはりお酒の飲みすぎか――。酒癖が悪いのかと執事に訊いたが「まさか」と怪訝な顔をされた。

「でもなーんか、すっきりしないのよねえ……」

 殴られた記憶がないのはありがたいことなのだが、もやもやする。

 今になってちょっと大げさだったかもしれないとシェイラは後悔していた。キスは許せないがこっちも引っ叩いたし。あんなに泣きわめくことはなかったかもしれない。

「やっぱり……謝っておこうかな」

 彼はきっと罪悪感から身請けを申し出たのだ。とんでもない散財をさせてしまった。

「やっぱりよくないわ! 侯爵に言おう」

 こんなお詫びは望んでなかった。ただちゃんと謝ってくれればそれでよかったのだ。殴ったなんて言えばまた娼館に戻されるかもしれないが、それも仕方ない。

 よしと決意してシェイラは立ち上がった。だがその時、部屋の扉が大きく開かれた。

「わっ、ウソ、マジ!? 本当に連れてきたんだっ」

 戸口に現われたのは、アズフェルトではなく別の青年だった。

 眩しい白のロングコートの裾をなびかせ、何やら嬉しそうに近付いてくる。

「へえーかわいいじゃん。金髪に空色の目――女神ティアナの使い、大天使シリエルと同じだ。素材としては完璧だね!」

 快活そうな若葉色の瞳に覗き込まれてシェイラは戸惑う。

 優男、という言葉がぴったりの整った顔立ちの青年だった。日に透けると金にも見える薄い栗色の髪と瞳の色が相まって、春の景色のように柔らかい雰囲気を持っている。

 白地に金刺繍が美しいコートの胸元には、薔薇を象った青銀の徽章が光っている。どこかで見覚えがある――と記憶を探ろうとしていると、青年が人好きのする笑顔で言った。

「きみ、フィーの連れてきた人形娼婦ドールだろう?」

 シェイラの手を取り、青年が恭しく頭を下げる。身に馴染んだ端正な挙措だった。

「ようこそ、華麗で退屈な世界へ――歓迎するよ」

「ウィル!!」

 そこへ、軍靴の音を響かせて飛び込んできたのはアズフェルトだった。


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