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トワイライト・ガーデン  作者: 貴水 玲
【第七幕】 薔薇の名前
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もう一人の彼

 遠くの地平線に沈んでゆく夕陽を、シェイラは窓辺で見守っていた。

――そろそろ、よね。

 大きく一つ息をついて、後ろを振り返る。

 寝台の端に腰かけて、アズフェルトはずっと俯いたままだ。その時が来るのを、静かに待っているように。

 次第に部屋の中が暗くなり始めた。夜の闇の気配が、穏やかに、ゆっくりと忍び寄ってくる。

 微動だにしないアズフェルトを、シェイラは息をのんで見つめた。

 ピクリ、とその肩が動く。そしてゆっくりと顔が上がった。


「――よお、久しぶりだな」


――来た。


〈彼〉が。


 背筋を緊張が走り抜けた。ごくりと唾をのみ込み、シェイラは心を落ち着かせる。


「何突っ立ってるんだよ。オレに会いたかったんだろ?」


 端正な唇から、皮肉めいた言葉が飛び出す。

 顔も、声も同じ。けれど何かが違う――。シェイラを見てふっと浮かべた暗い微笑みは、明らかにアズ

フェルトが作る表情とは別物だった。

「……聞こえてたの? 私たちの会話。会いたかったわけじゃない。でも、一度あなたと話をしなきゃと思ったの」

 自分を奮い立たせシェイラは〈彼〉に切り出した。

 いざとなったらすぐにアズフェルトを呼び戻せるよう、気つけ薬は預かっている。手の中のガラスの小瓶をぐっと握りしめ続ける。

「あなたが、魔女の呪いの正体なの? どうして勝手なことばかりするの? そのせいでアズフェルトは迷惑して、苦しんでる。出来れば出て行って欲しいんだけど、そういうのって可能なのかしら?」

「……はっ。いきなりそれかよ。色気がねえなあ。せっかくまた会えたんだから、話は後にしようぜ」

 キシ、とかすかに寝台が軋んだ。

 けだるそうに立ち上がり、もう一人のアズフェルトはクラヴァットを外してシャツの襟元を緩めた。何かを企むようなその薄笑いに、シェイラは小瓶を持った手を前に突き出した。

「やめて。それ以上近づかないで」

「おっと」とおどけるように〈彼〉が降参のポーズをとる。

「話が出来ないなら、これを頭から振り掛けるわよ。言っとくけどこれ、ものすごーく年代物の薔薇酒(ロゼリアン)らしいから。たぶん、一滴で意識を失うわよ。嫌だったら大人しく質問に答えなさいっ」

 こんな脅しがきくか不安はあったが、怯んだら負けだと、シェイラは精一杯強気に出る。あと一歩でも動いたら、中身をぶちまけて逃げよう――そう警戒していたが、

「……わかったよ。少しだけつきあってやる」

 相手は意外にも素直に聞き入れ、再び寝台の端に腰を下ろした。

――あれ……案外聞き分けがいいのね。

 思い通りにはいかないだろうと覚悟していたので拍子抜けする。もしかしたら話せばわかるのかもしれないと、期待を込めてシェイラは仕切り直した。

「ありがとう、助かるわ。じゃあ、さっきの質問に答えてほしい」

「オレが呪いの正体かって? そうでもあるし、そうでもないと言えるな」

「……よく意味がわからない。ちゃんと説明して」

「そう焦るなよ。せっかく久しぶりに外に出られたんだから」

 わざともったいぶって、〈彼〉は窓の向こうを見遣った。

 黄昏が去り、夜が駆け足で訪れた空には薄雲に包まれた月が顔を出していた。

 室内は暗闇に包まれ、まるで別の世界に閉じ込められてしまったようだった。二人の間にあるテーブルランプの明かりが、かすかに揺れる。

「……確かにオレは魔女の呪いで作り出されたシンクレアの“影”だ。でもれっきとしたあいつの一部でもある。心の闇から生まれた人格だからな」

「……闇?」

「そうだ。こいつがずっと押し殺してきた『影』の感情――それがオレだ。誰もが持ってる本能みたい

な黒い部分だ。魔女は代々一族の当主からその感情を引きずり出して自我を持つように仕組んだ。『表』の心を少しずつ蝕んで壊し――呪いを完成させるために」

「呪いの“完成”ってどういうこと? それって少し変じゃない?」

『呪い』はもうすでに長い間シンクレアの当主の体を蝕み続けてきたはず。その体質こそが『呪い』ではないのか。

「人格の分裂は準備段階ってことさ。魔女の呪いはな、まだ未完成なんだよ。……それが達成されるのは、オレが本体になった時だ」

「本体になるって……つまり」

 シェイラが言い終わる前に、ニヤリ、と〈彼〉が口角を上げた。

「そう、臆病者のあいつが消えて、昼も夜もオレがアズフェルトになるってことさ」

「なっ……アズフェルトと入れ替わる気なの!?」

――そんなの、冗談じゃないわ……!

 シェイラは愕然とした。

 呪いが未完成? 準備段階? 『呪い』がまさか時計仕掛けになっているとは思っていなかった。

 それが本当なら今目の前にいる〈彼〉は、本体――アズフェルトを殺そうとしているということだ。

「おいおい、勘違いするなよ。オレが何かするわけじゃねえ。それが起きるのはあいつが魔女に屈した時だ。自分をなくし、無駄な抵抗をやめて魔女のものになった時、呪いは完成しあいつは消える。これはそういう勝負なんだ」

「でも、あなたはそうなるように動いているんでしょう? 何もかも全部知っていて、アズフェルトを苦しめてきた。そこまでして、アズフェルトになりたいの?」

 アズフェルトのかすかに震えていた体を思い出す。

〈彼〉はおそらくアズフェルトの苦悩も、思いもすべてを知っている。こうして姿を現さない時も、何らかの方法で意識を保つことが出来るのだろう。その上で アズフェルトの心と体を支配しようとしている。

「――それが主の望みだから。彼女の望みを叶えるためにオレは生まれた。だから従ってる。呪いが完

成すれば、彼女は想い続けた男の魂を手に入れる。そしてオレは自由になり、この体をもらう」

「利害が一致しているってこと……? 何よそれ、勝手すぎるわ! 魔女が愛していたのはオーリオでしょう? アズフェルトじゃない! 彼も……彼のお父様もおじい様も皆関係ないじゃない!」

「そんなことはあの女にはどうでもいいんだよ。本人じゃなくたって、同じ魂を持つ者ならな。――な

あ、そんな目くじら立てずにもうあいつのことは放っておけよ。どうせもうすぐその時は来る。オレに乗り換えろよ。あんな臆病者より、ずっといい思いさせてやれるぜ」

 大きく揺らめいたランプの炎に気を取られた一瞬のうちに、〈彼〉はシェイラの目の前に立っていた。

 ビクリと震えた手から薔薇酒の小瓶が滑り落ちる。

 その手を掴まれ、同時にもう一方の手で腰を抱かれた。

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