すれ違う気持ち
色とりどりのバラが咲き誇る秘密の庭園に、アズフェルトは佇んでいた。
夕暮れを意識し始めた風が、シェイラの長い金の髪を揺らし庭に戯れるバラの香をさらう。優しい春の匂いを集めて、空はほんのりと色づき始めていた。
「……大丈夫なのか、起きて」
背を向けたままアズフェルトが話しかけてきた。その言葉で、やっぱり意図的に来なかったのだとシェイラは確信した。
「ええ、おかげさまで。サラには散歩を渋られたけど」
ついて行くと聞かないので途中で巻いてきた。今頃必死に探しているに違いない。後で謝っておかなければ。
「みんな色々気遣ってくれたわ。……あなた以外ね。ねえ……どうして来てくれなかったの?」
待ってたのに――ちょっとだけ口をへの字に曲げる。こうして胸のつかえを口に出すと、今までどれだけ自分が気にしていたかがわかって悔しい。
アズフェルトが振り向いた。生彩を欠いた青い瞳と視線が重なった瞬間、シェイラには彼の心情が手に取る様にわかった。
「……君を一人で行かせるべきじゃなかった」かすれた声を絞り出し、アズフェルトが下を向いた。
「守ると言ったのに、俺は何一つ出来ていない。だから……」
「ここで反省して落ち込んでたわけ? だったら様子を見に来てほしかったわ」
包帯の巻かれた右手首をガウンの上から押さえ、シェイラはアズフェルトへ近付いた。
「私……怒ってないわ。あなたを責めるつもりもない。あれは予測のつかない事故だったのよ」
「違う」
アズフェルトが強く否定する。
「わかっていたことだ、よく考えれば。……あれは事故じゃない。仕組まれてたんだ」
魔女に――。そう言いきるアズフェルトに、シェイラは一番気になっていたことを聞かずにはいられなかった。
「……私を殺そうとしたっていうこと?」
「――運が悪ければそうなってただろう」
「でも、彼女から禍々しい気配なんて特にしなかったけど……」
多少の悪意は感じたけれど、誰でも恋敵に嫉妬心くらいは抱くはず。そういう解釈でおさまるようにも思う。だがかたくなにアズフェルトは首を振った。
「違う、君にはわからないだけだ。君が助かったのは偶然にすぎない。でも次はきっと――。俺が間違ってた。君を巻き込むべきじゃなかったんだ」
「ちょっと、きっと死ぬみたいな言い方しないでよ。決まったわけじゃないでしょ」
思わずアズフェルトの上着の袖を引き、シェイラは強い口調で言った。
「責任を感じてるのはわかる。でもそうならないかもしれないじゃない。現に私はここにいる、怪我をしたけど無事に。あなたはそれを喜んでくれないの?」
懐まで近付き、まだ見ぬ悲劇に怯えて揺らぐ青い瞳をシェイラは真っ直ぐ見上げた。
「……すまない。でも、俺は自分が許せないんだ。君を傷つけたことが……」
長いまつ毛を伏せ、アズフェルトが唇を噛みしめる。
「もうこれ以上君を危険な目に晒したくない。だから、婚約者の件は忘れて安全な場所へ逃げてほしい。借金は俺がすべて支払う。君のこの先の生活ももちろん保障する。他にも何かあれば――」
「ちょっと待ってよ!」
唐突な解放宣言にシェイラは声を張り上げた。
「急にもういいなんて――それでいいわけ!? だって、婚約者がいないとあなた困ることになるんでしょ!?」
急に勝手すぎる、ここまで巻き込んでおいて。勝手に話を進めようとする身勝手な態度にひどく腹がたった。
「それに急にいなくなったらみんなに怪しまれるわ。なんて説明するわけ?」
「言い訳はどうとでも出来る。虚飾で塗り固められた世界だ。真実なんてもとからほとんどない。それにウィルも協力してくれる」
「ウィル様が?」
『ごめんね』
その瞬間、あの時のウィルの謝罪の意味をシェイラは理解した。
「そう……。私が目覚める前、あなたたちはその話をしていたのね」
「……聞こえてたのか。ウィルに言われたんだ。君を解放した方がいいって。この先もまた危ない目にあう可能性は高い。そうなれば」
「……私が何者かばれてしまうかもしれない」
答えのかわりにアズフェルトの視線がわずかに下がる。
『早めに関係を絶つべきだ。彼女のためにも、君のためにも』
ぼんやりと聞こえていたウィルの言葉の数々の霧がみるみる晴れてくる。
だから謝ったのだ。君を見捨てる方を選んでごめんと――。
「……そうよね」
ずきり、とナイフの先で突かれたかのように胸が痛んだ。
「私は……ただの人形娼婦だもの」
急に現実に引き戻されてシェイラは後ずさった。
そうだ、何を勘違いしていたんだろう。
一人の人間として認められているような気になっていたけど――結局は住む世界が違う。
いくら一緒にいたって、同じ存在になんかなれるわけがないのに。
「そうじゃない」
そのまま踵を返そうとしたシェイラを、アズフェルトの声が引き止めた。




