お茶会
「紹介するわね、みんなわたくしのお友達よ。こちらがコールリッジ伯爵令嬢のミレディア、その隣がクレオン子爵令嬢のアデリーナとランジェラクティ男爵夫人。それから……」
マグノリアが並べる名前らしき言葉の羅列を前に、シェイラは固い笑顔で途方に暮れていた。
全然覚えられない。聞いたそばから全部耳を通り抜けていく。名前を一度で覚えるのも貴婦人の嗜みだと教わったが、これは無謀な試みである。
マグノリア主催のお茶会は高い生垣に囲まれたサー・ハウスの内庭で催される。
真っ白なクロスが掛けられた細長いテーブルには、磨き込まれた銀のティーセットや大きなケーキ、サンドウィッチなどが並んでいる。
そしてそれを囲むのはマグノリアに選ばれた六人の女性たち。全員テーブルの長い辺に三人ずつ向かいあう形で座り、マグノリアは短い辺の主役席に。シェイラはマグノリアの斜め右の席に彼女の好意で座っていた。
「……と一番向こうがフェルネル男爵令嬢のアリス。皆さま、今日からシェイラもこのお茶会の一員よ。仲良くして差し上げてね」
一通り紹介し終え、マグノリアは黒いレースのヴェール越しに客たちを見渡した。
「はじめまして、シェイラ様。お会いできて光栄ですわ」
「本当に。こうしてお話出来てうれしいですわ。とても楽しみにしていましたの」
派手に着飾った婦人達が次々に言葉を投げかけてくる。リボンやレースをふんだんに使ったドレスに首元や指には煌びやかな宝石類。晴天の下では反射しまくって目が眩む。さらに髪も目が回りそうなほどきつい螺旋状の巻き髪だったり、後頭部を高く盛り上げた束髪だったりととにかく手の込んだ装いである。
「こ、こちらこそ皆様とお知り合いになれて光栄ですわ。よろしくお願いします……」
一週間の特訓で鍛えた精一杯の笑顔でシェイラは応対する。女たちが「まあ」と感嘆の声を上げた。
「お噂は聞いていましたけど、本当におかわいらしい。花の妖精のようだわ」
「ええ、なんてすてきな金の髪でしょう。お手入れは何でなさってるの?」
「その白いドレスも清楚なお姿にぴったり。もしかしてレースは特注品では?」
隅々まで精査しようとする婦人たちの目つきに、顔が引きつりそうになる。だがそこは集中力と根性で抑え込んだ。
「皆さんいけませんわよ。そんな風に質問攻めにしたら。まずはお茶をいただきましょう」
そこへ割り込んだ女王の一言に婦人たちの質問がぴたりと止んだ。黒いレースの手袋をはめた手がすっとティーカップを持ち上げる。
「歓迎するわシェイラ。わたくしたちのお茶会へようこそ」
爽やかに晴れ渡る空、色彩と光溢れる庭園。理想的な春の景色を背景に、黒ずくめの美女はヴェールの越しでもわかる美貌に華やかな微笑みをのせた。
――このまま何事もなく終わってくれればいいんだけど……。
笑顔を保ち続けたまま、シェイラは緊張でカラカラに乾いた喉を紅茶で潤した。
『無理はするなよ。何かあったらすぐ呼べ』
シェイラが馬車を降りる時、アズフェルトはひどく心配そうだった。罠かもしれないから用心しろ、と何度も言い聞かせられた。
罠である可能性は高い。なにしろマグノリアとは数日前気まずい状態で別れたばかりなのだ。だからそれなりの覚悟はしてきたのだが、
「ヴィクトリアはいかが? もう慣れたかしら」
にこやかに尋ねるマグノリアからは邪悪な気配はまったく感じられない。装いは相変わらず奇抜なのだが、それ以外は王女と呼ぶにふさわしい優雅さと気品の化身である。
「お気遣いありがとうございます。ええ、おかげ様でだいぶ慣れましたわ」
この笑顔は果たして本物なのか。とにかく油断は禁物だ。愛想を振りまきつつ、シェイラはしっかりと気を引き締めた。
「アデリアと違って退屈な場所でしょう。あちらは皇帝陛下のいらっしゃる都ですもの」
「いえ、そんなことは……ヴィクトリアも都に劣らない華やかで美しい都ですわ」
「父が聞いたら喜ぶわ。そういえば……こちらにいる間は侯爵邸に滞在されているそうね」
その話題に五人の婦人たちがいっせいに飛びついた。
「シンクレア卿のお屋敷に!? なんておうらやましい」
「本当に! アズフェルト様はご自宅ではどんなご様子? やはり凛々しく貴公子然としていらっしゃるのかしら? ああきっとそうに違いありませんわ」
婦人たちの目が期待に輝く。
――どんなご様子……ねえ。
確かに仕草や振る舞いはいつだって貴公子然としている。でも案外落ち込みやすいし、抜けているし、完璧とは言い難い部分もたくさんある。
だけど、そんなことを言ったらきっと顰蹙を買うだろう。場の雰囲気からそう感じ取って、シェイラは当たり障りのない返事を選んだ。
「ええ、皆さまのご想像通りですわ。それにとてもお優しくて思いやりのある方です」
「ああ! やっぱりそうなんですのね」
婦人たちがうっとりと甘いため息をつく。
「一緒にいる時は何をしてお過ごしなの? どんなお話をなさるの?」
「え……ええと」次々に飛んでくる質問にシェイラは焦る。一言も聞き逃すまいと婦人たちの目は真剣だ。
「お、お忙しい方なのでゆっくりとお話する時間はないのですが……昨日は一緒に大聖堂へお祈りにいきました。あ、それから市場にも」
「市場? それは……下層区の?」
「ええ、行ってみたいと仰っていたので。一緒に露店を見て回りました」
「まあシンクレア卿が?」
今度は一様に目を丸くして、婦人たちは互いの顔を見合わせた。
「どうしてそんな場所にご興味が? 庶民が買うような安物しかないところでしょう? アズフェルト様にはちっとも似あいませんわ」
「掏りや乞食が徘徊する危険な場所だと聞いたことが。わたくしは絶対に行けませんわ! シェイラ様、きっと怖かったでしょう?」
「そんなことありません。とっても楽しいところですよ」
憐れむような目を向けてくる婦人たちに、シェイラはとんでもないと首を振った。
「お菓子を買って食べたり、どれだけ安く値切れるか挑戦したり――それが市場の醍醐味で」
「……は? 値切る?」
婦人たちの表情がいっせに強張る。それを見た瞬間、シェイラは自分の血の気が引く音を聞いた。
「あ、ええと~、そんなことを市場の人が――言っていたんです! さすがに私はそんなことは出来ませんでしたけど――。し、視察で立ち寄ったんです。国民の暮らしを知るのも都を守る騎士の務めだとアズフェルト様がおっしゃって……」
「ああ、そういうことですの。そうですわよね、まさかアズフェルト様の婚約者ともあろう方がそのような下賤な行いするわけないですもの。びっくりしてしまいましたわ、ほほほほ」
一瞬凍りついた庭園の空気が再び華やかな嬌笑に包まれる。
――危なかった!!
合わせて微笑みつつ、シェイラはからからに渇いた喉を紅茶で潤した。
「でもさすがアズフェルト様ですわ。下層の民のことまで日々気にかけてらっしゃるなんて」
「本当に。大公閣下のご寵愛を受けるにふさわしいお方ですわ」
まるで自分のことのように婦人たちがはしゃぐ。その時、静かにティーカップを口元に傾けていたマグノリアが声を挟んだ。
「アズフェルト様は昔から誠実で慈しみ深い方だから。シスター・エリーの孤児院へは行かれたかしら?」
婦人たちのおしゃべりがぴたりと止んだ。それに満足したようにマグノリアが艶やかに微笑む。
「……孤児院、ですか? いいえ、まだ……」
「あら、そうなの? 郊外の丘の上にある孤児院のことよ。アズフェルト様のお父様が恵まれない子供たちのためにお作りになった場所なの。シンクレア家のご当主様は代々篤志家で、財産のほとんどを救護院や孤児院に寄付されているんですの。……ああ、もちろんそれはご存じですわよね。婚約者ならば」
新しく注がれた紅茶にたっぷりと砂糖を入れ、マグノリアが金のスプーンでゆっくりとかき回し始める。それを見てシェイラは唾を飲んだ。
「昔はわたくしもアズフェルト様とよく行ったものだわ。花を摘んだり馬に乗ったり一日中遊んで。秘密や悩みごとやいろんな話をして……。あの頃は楽しかった。ずっと一緒にいられると思って疑わなかったから――」
くるくるとマグノリアが紅茶の中でスプーンを回す。執拗に、絶え間なく。琥珀色の渦巻きがどんどん早く細かくなっていく。
――えーと……こういう場合どうしたらいいわけ?
おそらくこれは――嫌味だろう。
そうだったの、残念ね?
ごめんなさい、もう諦めて?
そんな風に返したら確実に呪い殺されそうだ。
「ま、まあ~わたくしの夫も救護院に多額の寄付をしていますのよ。皆さまもですわよね?」
その空気の淀みを察知してか男爵夫人と紹介されていた婦人が会話を繋いだ。
「ええ、もちろん。貧しい方たちの救済はわたくし共貴族の使命ですもの。でも、訪問はほとんどしませんの。あそこの子供たちは乱暴で、あまりお行儀がよくないでしょう」
シェイラの隣に座る子爵令嬢が扇で口元を隠し眉をひそめた。
「確かにそうですわね。あたくしなんて睨まれたことがありますのよ。野蛮な目でしたわ。引き取られている子供たちは盗みや身売りをしていた子たちばかりだとか……浅ましいことですわ」
「まだまだ下層区にはそうした子供が多いのでしょう。早く全員見つけて更生させるべきですわ。わたくしたちは十分な支援をしているのですもの。このまま売婦や泥棒が増え続けたらヴィクトリアの評判にも関わりますわ。せっかく第二のアデリアと呼ばれるほど美しい都ですのに……そういえば先日オーレーンで花売りを見かけたんですのよ」
まあ嫌だ、と婦人らが嫌悪を浮かべる。
花売りとは、花かごを手に路地裏などで客引きをする少女たちのことだ。彼女たちはみんな親のない十二、三の幼い子供で、ただその日一日を食べていくためにパン一つ二つに相当する額で体を売っている。
――ただ、生きるために仕方なく。誰も手を差し伸べてくれないから。自分でなんとかしなければいけないから。
彼女たちのおかげでうまく話題は逸れたが、シェイラはひどく暗い気分になった。
「取り締まりを強化した方がいいんじゃないのかしら。心配だわ」
「そうすべきだわ。ねえ、シェイラ様。ぜひアズフェルト様にそうおっしゃって」
「……ええ、そうですね」
そう頷きながら、シェイラは膝の上で手を握りしめた。
何もわかっていない――この人たちは。この世界の外のことを。現実の厳しさを。
お金の援助だけではすべては解決しない。すさんだ心は、傷ついた体は……それだけでは癒されないのだ。だがそう言ったところで彼女たちにはわからないだろう。
「まあ皆さま、そんな心配はご無用ですわよ。我が国の優秀な騎士たちに任せておけば」
マグノリアの笑い声が高らかに響いた。
「それよりもシェイラ、まだ貴女のことについて何も聞いていないわね。わたくし、いろいろ聞きたいことがありますのよ。アデリアでの暮らしのこととか、王宮のこととか。お父様のお仕事についても詳しく。教えてくださらない?」
「……え?」
――まずい、どうしよう。
再び頭の先からさあっと血の気が引いた。
王都のこと? 王宮? わかるわけがない。
でも何か言わなくては――頭の中の教本をひっくり返し必死でページをめくる。その時視界にあるものが飛び込んだ。
「そ、その前に公女様! その素敵なブローチのことをお聞きしてもよろしいでしょうか。ずっと気になってましたの」
マグノリアの胸元に輝く真紅のブローチ。黒一色の中で燦然と輝くそれにシェイラは一か八か話題転換をはかる。
「ああ、これね」
赤い唇を弓型に引き、マグノリアが赤い石を撫でた。
「素晴らしい品でしょう、わたくしのお気に入りですのよ。北の塔で見つけましたの。おそらく収集家だったおじい様のコレクションの一つだわ。お父様に見せたら、わたくしにぴったりだからってくださったのよ」
「ええ、とてもよくお似合いで。公女様のお美しさを引き立てる最高の品ですわ」
「わたくしも気になっていましたのよ。本当に美しいですわね」
感情を込め一心にほめる。他の婦人たちも乗ってきてくれたおかげで、マグノリアは気をよくしたようだった。
「そうでしょう、当然だわ。北の塔には他にも素晴らしい美術品がたくさんありますのよ。それを見つけるのが今のわたくしの楽しみの一つなの。行ってみたいでしょう?」
「ええ、とっても! ぜひ今度ご一緒させていただきたいですわ」
――冗談、絶対行きたくない!
あやしい実験をしている場所になんか。何かの儀式の生贄にでもされそうな気がする。
「ええ、いいですわよ――あなたも今日からわたくしたちの一員ですもの。でも……一つ条件がありますのよ」
マグノリアの黒い瞳が不穏な光を孕んだ。「新しく入った方には試練を受けていただくきまりなの」
「『キツネとコマドリ』ですわね!」
「まあ、久しぶりですわ。やりましょう、やりましょう」
婦人たちが華やかな歓声を上げ、一斉に椅子から立ち上がった。
「キツネと……コマドリ?」
意味がわからずシェイラは首を傾げた。




