再会
――いけない、はぐれた?
辺りを見回すがアズフェルトの姿はどこにもない。ついさっきまで一緒にいたのに――。
――うそ~、どこ行ったの!?
人混みをかき分けながら一人一人、行き交う人の顔を確かめていく。はぐれたにしてもまだそんなに遠くは離れていないはず。見落とさないように気をつけながら進んでいると、
「おや、また会いましたね」
覚えのある声のような――と思った直後、目の前に羽つきのつぶれた帽子を被った若い男の顔がひょいっと現れた。
「こんにちは、お嬢さん。偶然ですね」
「え……っ、あ、あなた――きゃっ!」
突然足を止めたせいで背後から来た買い物客にぶつかられ、シェイラはよろめいた。
「おっと、大丈夫ですか ちょっとよけましょうか」
男に腕を引かれ、露店と露店のすき間へと避難する。改めてその顔を見上げ、シェイラは空色の瞳を瞠った。
「あなた、この間大公の舞踏会で会った――」
「はい、旅一座の座長、エルヴィスです。覚えていていただき光栄です」
あの夜と同じ、しま模様のだぼだぼのサスペンダーつきズボンに生成りのシャツを着た男・エルヴィスは、芝居じみたお辞儀をしてみせた。
「こんなところで何を……ってそれより、あなたに確かめたかったのよ。この間のあれは何!? よくわからないこと言うし、急に消えるし――。もしかして本当は奇術師なの?」
大公屋敷の塔の上、出口は一つでシェイラはその近くにいた。でも振り返った時、エルヴィスの姿は忽然と消えていたのだ。
その後いろいろあったためすっかり忘れていたが、不思議で仕方なかったのだ。
「まあ、そんなところでしょうか。しがない身の上ですから、生きるためにいろいろと技は身につけてきましたので。たいていのことは何でも器用に出来ますよ」
帽子のつばを人差し指で弾き上げ、エルヴィスがにっこりと微笑む。顔の左半分は長い髪に隠されて見えないが、右半分を見る限りではその造作は案外整っている。それにあの夜は暗くてよく見えなかったが、肩にかかるぼさぼさの髪は金髪で、瞳の色はシェイラと同じ空色だった。
「はぐらかすのね……いいわ、そういうのここへ来てから慣れてるから。ところでこんなところで何をしてるの? あなたも観光?」
「まあ、そうですね。都に来るのは初めてなので。次の町に行く前に見ておこうと身内の者たちとやってきたんですが……どうやらはぐれてしまったようで。ちょうどお嬢さんをお見かけしたので思わず声をかけてしまいました。でも意外ですね、このような場所でお会いするとは。周囲を気になさっていたようでしたが、どなたかお探しで?」
「あ……ええ、そうなの。私もはぐれちゃったみたいで」
シェイラは小さくため息をついた。「早く見つけないと大変だわ。あの侯爵様ったら本当に根っからのお坊ちゃま育ちだもの。変なやつにカモにされてないか……」
「侯爵様が、カモですか?」
「……あ」
しまった、お嬢様はこんな言葉使わない――慌てて口元を押さえると、エルヴィスが「ははあ」と顎をさすった。
「そういえば、あなたは“お嬢様のフリをしている”とおっしゃっていましたね。あのパーティの時耳に挟んだのですが、大公様のご寵愛を一身に受けていらっしゃる若き侯爵様が、たいそう美しいご令嬢とご婚約なされたとか……もしやあなたがそのお相手ですか?」
「え、ええ……まあね」
そうだ、この男にははうっかり本当のことを話してしまいかけたのだ。まさかまた会うなんて思っていなくて――。思い出してティティーリアは後悔した。
「それはそれは、おめでとうございます。シンクレア侯爵様といえば、正義感に溢れる素晴らしいお方とどの夜会にお邪魔しても話題に上っておりますよ。お飾りと言われる騎士団も、彼の人気で持ち直しつつあるとか……。ですがそうなると確かに大変でしょうねえ、……公然と嘘をつき続けるのは」
ドキリとして、シェイラは思わずエルヴィスを見つめた。
「でも――偽ることに慣れると抜け出せなくなってしまうから気をつけて。本当のあなたを、自分を見失わないように」
金色の帳に半分隠された細面に静かな笑みを称え、エルヴィスがあの夜と同じように謎めいた言葉を投げかけてくる。
どうやら追及しようとは思っていないようだ。安心したが、気の滅入る指摘だった。
「そうね……嘘で自分を飾るって、思ったよりもきゅうくつで後ろめたいわ。でもこれは人助けみたいなものなの。だからしばらくは頑張らなきゃ。本当はありのままの自分に戻りたくなるけど、それじゃあ受け入れられっこないし」
「そうですか?」エルヴィスが首を傾げた。
「ありのままのあなたを受け入れてくれる人は必ずいますよ。生まれや育った環境が違っても」
「まさか」シェイラは肩をすくめた。
「本当の私なんて、上流階級の人たちに気に入られるはずないわ。あの人たちとは何もかも違うんだもの。だからお嬢様じゃない私は嘘をつくしかない」
そんなの山ほどある。動作、言葉遣い、食べるものや住む場所、何もかも庶民とは違う。必死で近付く努力をしたって決して同じにはなれない、雲の上の存在だ。
「そうですかねえ。まあ、嘘が真実に変わるということもありますからねえ」
「え?」
エルヴィスが読めない笑みを浮かべた。
「偽りも真実も紙一重。それが人を傷つけることもあれば、幸せに導くこともあるのです。だからその瞬間を見逃したらいけませんよ?」
口元で立てた骨ばった長い人差し指を、エルヴィスが振り子のように左右に揺らす。ふいに目が眩み、シェイラはぱちぱちと目を瞬いた。
「シェイラ!」
ぐいと肩を引かれて、シェイラははっと我に返った。振り返ると、アズフェルトの安堵したような顔があった。
「よかった、見つかって。こんなところで……何してるんだ? 壁に向かって」
「え? 壁? 違うわ、今この人と――」
そうエルヴィスの方を指差して、シェイラは愕然とした。
そこには誰もいなかった。
ただ、ひび割れたレンガの壁があるだけだった。




