大好きな場所
少女にもらった花を女神の聖壇に捧げてから、シェイラとアズフェルトはヴィクトリアの中心街であるオーレーンを後にし花街のあるクレ・マリアへ向かった。
クレ・マリアには花街の他に名物の通りが二つある。
一つは庶民の台所と呼ばれる青果市場のあるラトリー・レーン。
そしてもう一つはロザリアム各地から集まった名産品を扱う露店のひしめくアデル・レーンだ。
「奥さん、安くしとくよ、ちょっと寄ってきな!」
「パドルフィールド産の新鮮な果物だよ。甘くておいしいよ!」
「メンフィスから入荷したレースはいかが?」
「きれいなバラはどう? 女神様の捧げ物にぴったりだよ」
二つの通りが交差するクレ・マリアの中心部では明るい売り子の声が次々に飛び交っている。昼前の市場通りには人が溢れ、熱気と活気に満ちあふれていた。
「すごい人だな……まるで別の街にでも来たみたいだ」
買い物客でひしめき合う通りをアズフェルトが驚いた様子で見回している。
はやる気持ちを抑えて、シェイラは胸一杯に息を吸い込んだ。
優しい花の匂い、甘酸っぱい果物の匂い、甘いお菓子に香ばしいパンの匂い……混ざり合うたくさんの匂いが早くおいでと誘いかけてくる。
元気な売り子の声、買い物客の賑やかなおしゃべり、すべての音が心を躍らせる。そうまるで音楽みたいに――。
華やかな夜会の演奏も素敵だけど、自然に調和しあう生きている音こそ本当に人をわくわくさせるものだ。
「あー、生きてるって感じ!」
思わず声を上げてから、シェイラははっとして隣のアズフェルトを見上げた。
「あ……ごめんなさい、つい。花街にいた時は外に出してもらえなかったから……うれしくって。こういうところは初めて?」
まずい。
危うく町娘返りするところだった。はしゃぐ気持ちを慌ててしまいこむ。
「巡回で近くを通りかかったことはあるが、こうして実際に見て回るのは初めてだ。君はこういうところが好きなのか?」
「ええ、大好き! 私の故郷の街でも時々大きな市場が開かれるんだけど、その時はお祭りみたいに賑やかだった。よく両親と出かけたわ。普段は贅沢はしないんだけどその時はおこづかいがもらえて……あっ!」
鼻先をふわりとかすめた甘い香りにぱっと顔を輝かせ、シェイラは近くの屋台に駆け寄った。
「ヌーフだわ、なつかしい!」
店先の大きなカゴの中には、茶色い粉のふりかかった揚げ菓子がこんもりと盛られている。ほかほかと上がる湯気と香ばしい香りに昔の思い出が呼び起こされる
。
「へえ、これはヌーフっていうのか?」
「そうよ。黒パンを揚げてきび砂糖をふりかけてるの。空麦の収穫祭の時に作るお祝い用のお菓子。それとはちょっと形が違うけど……すっごくおいしいのよ」
普段お菓子なんて滅多に食べられなかったけれど、年に一度の収穫祭の時だけは子供たちは心ゆくまでヌーフを頬張るものだった。
市場が開かれる時も時々売られていて、それを見つけた時は両親にせがんで買ってもらったのを思い出す。
「食べたいのか?」
隣からくすりと小さく笑う声がして、シェイラは籠の中を物欲しそうにじーっと見つめていた自分に気付いた。
「え、えっと、ちょっと昔を思い出しちゃって」
「買ってやるよ。いくつ食べるんだ?」
「そ、そんなに何個も食べないわよ失礼ね。おじさん、二つちょうだい。砂糖たっぷりかけてね!」
「あいよ。お、お嬢さん美人だねえ。一つおまけしといてやるよ」
「ほんと? ありがとう、じゃあ大きいのにしてね!」
――ああ、こういうやりとりも久しぶり!
揚げたてのヌーフが三つ入った包みを受け取ってにんまりしつつ、シェイラは懐から金貨を取り出そうとしているアズフェルトを「待って」と止めた。
「ここは案内役の私のおごり」
バッグから小さな銅貨を三枚出して店主に渡し、シェイラはアズフェルトの腕を引っ張って店を離れた。
「気持ちはありがたいが、ご婦人に払わせるのは……」
「男の沽券に関わる? いいじゃない、そんなつまらないルールなんて。それに金貨なんてちらつかせちゃダメよ。こういうところは人も多い分治安も悪いから、どこでスリが狙ってるかわからないの。そのために目立つ飾りははずしてきたんだから」
小声で囁いて、シェイラはとりあえず安全確認のため周囲を見回した。
高価な装飾品の類は用心のため馬車に置いてきたとはいえ、物腰や言葉遣いからアズフェルトが上流階級の者だというのは容易に知れてしまうだろう。ただでさえこの侯爵様は人目を引く容姿をしているのだ。用心に越したことはない。
「そうか、それは軽率だった。すまない」
神妙な顔つきでアズフェルトが謝る。動揺をちらつかせるその様子に、
――さっきと同じ人とは思えないわね。
シェイラは吹き出しそうになるのをこらえた。
少女を助けたアズフェルトは、まるで物語に出てくる王子様みたいだった。でも今は叱られてしゅんとする子供みたいで――
――なんていうか……かわいい?
放っておけないというか。手のかかる弟みたい。そんな風に言ったらきっとショックを受けるだろうけれど。
「知らなくてもしょうがないわ。よーし、今日は庶民代表として、私が市場の楽しみ方を教えてあげる! まずは温かいうちにこれを食べましょ」
腕の中のヌーフの包みをちょっと上げて見せ、シェイラはにっこりと笑った。




