小さな翳り
「わあ……本当にステキ。ねえ、貴族の結婚式はここで行うのが伝統なんでしょう!? あなたのご両親もそうだった?」
「ああ、そう聞いてる」
「へえ……ここで永遠の愛を誓うのね」
なんてロマンチック。女神の前で、その使徒たちに囲まれて祝福を受けるなんて。
想像しただけで、うっとりしてため息が出そうだ。
「じゃあいつかあなたも式を挙げるのね」
本物の婚約者と。チラリとアズフェルトの横顔を見上げる。
いつか彼の隣に並ぶのは、いったいどんな女性だろうか。
自分のような田舎娘ではなく、きっと高貴で気品あふれる本物のご令嬢に違いない。誰であれ、その人はとんでもなく幸運ね――そんなことを思っていると、
「いや、それはないな。俺は結婚はしないから」
「え?」
七色の光が交錯する祭壇の前に跪き、アズフェルトが頭を垂れる。一瞬ぽかんとしたシェイラも慌ててそれに倣い、両手を組んで目を閉じた。
――今のって、どういうこと?
聞き間違い……じゃないと思う。結婚しないって言った?
どうしてだろう。彼のような高位の貴族にとって『結婚』は重要事項のはずだ。家名を絶やさぬために、地位を確固たるものにするために、ふさわしい血筋の花嫁を迎えるのは絶対的に必要なのでは?
何だか、気になる。
冗談にしては真面目な声だったような――
でも神聖な祈りの途中で問いただすわけにもいかず祈るふりをしていると、後ろの方でささやき声がした。
「ねえ、あれアズフェルト様じゃありませんこと?」
シェイラはうっすらと目を開けた。
「まあほんと。今日も素敵だわ。お帰りの時に声をかけてみましょうか」
「でも隣にいる方って例の――」
ひそひそと、あちこちから小さな声が聞こえてくる。どうやらアズフェルトの顔見知りのご婦人たちらしい。
今日は非番のためアズフェルトは騎士団の礼服でなく、落ち着いたダークブラウンのコートとズボン姿だ。それでも簡単に人目をひくのはさすが“都中の女性の憧れの的”だけある。
声には気付いていない様子で立ち上がり、女神像に向かってアズフェルトが騎士の敬礼を送る。それに倣い、まったく祈りどころではなかったシェイラも両手を解いて立ち上がった。
「シンクレア総長!」
再び並んで入口へと引き返しかけた時、二人の若い男が近寄って来た。
「おはようございます、総長も礼拝ですか? お休みなのに早いですね」
屈託ない笑顔で青年らが挨拶してくる。どこかあどけなさの残るその顔からして、シェイラと同じような年頃だろう。真新しいロングコートの胸には薔薇の徽章が輝く。
「ああ、出かける前にと思って。お前たちも早いな。今日は午後からじゃなかったか?」
「よくご存じですね、さすがだなあ。ええ、ちょっとこれから郊外の村へ。昨晩夜盗騒ぎがあったようで、様子を見に。レウェア指導官は必要ないと言うんですがやっぱり見過ごせなくて。まあ、僕らみたいな従騎士が行っても何の役にも立たないかもしれませんけど」
「そんなことはない、いい心がけだ。騎士団は民のためにある。どんなに小さな事件でも等閑視すべきじゃない。行って調べてきてくれ。後で報告を」
穏やかな表情で頷いたアズフェルトに「はい!」と青年たちが元気よく返事をする。そしてシェイラの方を見て互いに目配せし合った。
「あの、総長。そちらの方はもしかして――」
「ああ、紹介しよう。シェイラ・アルニー嬢。俺の婚約者だ」
肩を抱き寄せられ、シェイラはお嬢様の微笑みを満面に貼りつけた。
「はじめまして騎士様方。お勤めご苦労さまでございます」
「いやあ、騎士様なんて」恐縮した様子で青年たちが顔を見合わせる。
「僕らはまだ駆け出しですよ! いつか人々を守れる立派な騎士になりたいと思ってはいますが。でも総長さすがですね。こんなきれいなご令嬢とご婚約なんて。騎士としても尊敬してますが、男としてもうらやましい限りですよ」
見習い騎士たちの態度は実にくだけた感じだが、アズフェルトは気にしている様子はない。むしろそれを快く受け入れ親しんでいるようだ。
「そうだよ、俺は幸運だ。君のような人に出会えて、一生そばにいてもらえるなんて」
鮮やかな笑顔に見つめられ、不本意にもどきっとする。余計なことを考えそうになるのを、シェイラは必死に振り払った。
「ひゃー、言ってくれますね! どうやら僕らはお邪魔のようだ」
「ああ、これ以上のろけられる前に退散しよう。では失礼します。よい休日を!」
気持ちのいい一礼をして、青年たちは祭壇へ向かって行った。
「去年入団したばかりの従騎士たちだよ」
再び歩きながら小声でアズフェルトが言った。
「まだ指導官の準騎士のもとで訓練中だがよくやってくれている」
「……へえ。まじめな人もいるのね、騎士団って……と」
しまったと口元を押さえる。アズフェルトがくすりと笑んだ。
「いいさ。巷で騎士団が何て言われているかオレも知ってる。不名誉極まりないが、事実剣を下げ印を胸に掲げれば一人前の騎士だと思い込んでいる呆れた連中も多い。貴族の子弟たちはみな、地位や財産のあることで己が偉大になったと勘違いしている。その中で彼らのように志の高い者たちは救いだよ」
「……ずいぶん辛口ね。あなただって貴族なのに」
まるで他人事のように批難するアズフェルトを、シェイラは不思議に思う。最高位の称号を持つ貴族の当主とは思えない険のある口調だった。
「……そうだな」
聖堂の陰影が映る横顔に、ふと暗い色が過った気がした。だが外に出た時にはもうその相は消えていた。
「さて、次はどうする? 他に行きたいところはあるか?」
見間違いだろうか。さっき結婚のことを言った時も同じような表情をしたような気がしたのだが。
「ええと……そうね。せっかくだから色々見て回りたいけれど」
気になったが口には出さずにシェイラは話を合わせた。
たぶん触れない方がいいことだろう。それよりも今は観光を楽しもう。せっかくの機会なのだから。
「ちょっと待って。昨夜色々考えたの」
さっそく気分を切り替えて、シェイラは昨夜ベッドの中で書きだした『見たいものリスト』をレースのハンドバッグから出そうとした。――その時、
「何をする! 汚い手で触るな!」




