光の聖堂
陽が昇り始めた青空に、鐘の音が高らかに鳴り響く。
上層区と下層区に挟まれた商業区オーレーンの中心街は、行き交う人々や馬車で溢れていた。参拝客で賑わう大通りには、躍動感溢れる六体の巨像が立ち並んでいる。女神ティアナの守護天使たちが見ているのは、その先にある荘厳な石造りの大聖堂。蒼穹に向かってそびえ立つ二つの尖塔の先では、祈りの時を知らせる金色の鐘が軽やかに揺れている。
「わあ……!」
大聖堂を仰ぎ見て、シェイラは思わず息をのんだ。
まず目に飛び込んだのは、大輪の花を思わせるファサード上部の大きな薔薇窓だった。アーチ装飾や精緻な彫刻が施された控壁や柱も素晴らしく、どこを見てもその造形美に見とれてしまう。
「おい、ひっくり返るなよ」
アズフェルトの手に背中を支えられ、ようやく我に返る。背中に後頭部がつきそうなくらい反っていた首を元の位置に戻し、ずり落ちそうになったコサージュつきの帽子を直す。上目遣いに見上げれば、寄り添う相手は呆れ顔だった。
「バカみたいに大口を開けてたぞ」
「ご、ごめんなさい。でもあんまり大きくてきれいだから。いつも鐘の音は聞いていたけど、こうして間近で見るのは初めてなの。一度来てみたいと思ってたのよ」
大聖堂を見ずに帰ることなかれ。ヴィクトリアを訪れたことのある者がよく言う決まり文句である。
女神ティアナの信者にとってここは聖地であり、憧れの場所なのだ。
『本当に女神さまが降り立つように美しくて、心が透き通る不思議な場所なのよ』
昔母がそう教えてくれたのを覚えている。ヴィクトリアは父と母が新婚旅行で訪れた場所なのだという。その時訪れたこの大聖堂の美しさは何年たっても忘れられないと話していた。だからいつか自分も見てみたいと思っていたのだ。
でも籠の鳥である人形娼婦の時には無理な話だった。借金を返して自由の身になったら必ず訪れようと決めていた。きっと気が遠くなるほど先の話だろうと思っていたのに、こんなに早く叶うなんて。
――うれしい。
白いレース手袋をはめた手を胸に当て、感動をかみしめる。父や母もこんな風に見上げたのだろうか。そう思うと胸がいっぱいになった。
「ロザリアムで最も古く大きな聖堂だ。ヴィクトリアの象徴であり、憩いの場でもある。日に一度は祈りを捧げるのが騎士や住人の日課だ。――どうした?」
「え? あ、ううん、なんでもない! 本当にすごいなあと思って、なんか感動しちゃった」
覗き込んできたアズフェルトに見られまいと、シェイラは慌てて熱くなった目頭を拭った。笑顔を作って誤魔化し、「早く中が見たいわ」と急かす。
「ずいぶんはしゃいでるな。まあ楽しそうで何よりだが。じゃあ行こうか」
アズフェルトが差し出した腕をシェイラは取り、階段を上っていく。前方へせり出すように設計されたアーチ型の入口の両側の柱には、今にも飛び立ちそうな躍動感ある天使の浮き彫り。大きく開放された扉の中へ二人は並んで足を踏み入れた。
巨大な円柱の立ち並ぶ聖堂内は明るく広々とした空間だった。
身廊の床には青い光が大きな花模様を描き出している。薔薇窓からの光だ。陽に透けて浮き上がる鮮やかな青は、ため息が出るほど美しい。
アーチ型の天井は目が眩むほどに高い。小さな靴音さえもすべて吸い込まれ、神聖な吐息となって降り注いでくる。
通路の両側に設けられた細長い椅子では、身なりのいい男女や老人、商人や子供をおぶった女性など様々な人々が熱心に祈っている。身分の隔てなく開放されている大聖堂の中では、格差など存在しないかのような自由で穏やかな時間が流れていた。
「みんな熱心なのね」
「大公の影響さ。政務の合間を縫って頻繁に参拝するほど信仰に厚い。君だってここへ来る前は礼拝には毎日行っていたのでは?」
「うん……まあ」当然のように言われてシェイラは口ごもる。
確かに故郷の街でも礼拝堂はあった。だが月に二、三度行けばいい方で、熱心に祈っていたわけでもない。昔からじっと座っているのは苦手で、考えるより行動する方が好きなのだ。
「そういえば、あなたのお屋敷にも礼拝堂があるわよね? 家でも祈るの?」
「あれは大天使シリエルの守礼堂だ。彼の天使はシヴォーレンでは守り神のような存在でね。危機が訪れると姿を現し救いを与えるという言い伝えもある。その加護にあずかれるようにと、祖父がミレン湖の聖堂から聖遺物の一部を移させたんだ。何だかよくわからん錆びた棒だけどな。でも通常はこの大聖堂に参拝する。我が守護天使に見えることも出来る」
光に満ちた身廊を進んでいくと、眩いステンドグラスに囲まれた内陣へと辿り着いた。美しい女神の傍らにあるのは最後の守護天使。八人の天使を導く大天使シリエルの像だ。




