本音
「確かに俺は君をいいように利用した。だけど、君のことを差別するつもりも粗略に扱うつもりもない。危害を加えるような真似も絶対にさせない……!」
力強い口調と掴みかかるような眼差しにどきっとした。
「何の関係もない君を巻き込んで、本当に悪いことをしたと思ってる。面目を保つことで頭が一杯で他に手段がなかったとはいえ……借金返済を餌に君を買うなんて、卑劣だった」
すまない、とアズフェルトが頭を下げた。意表をつかれ、シェイラは言葉につまる。
「俺を怒っているのは当然だ。君の意思を無視して乱暴なことをした上に、理不尽な態度ばかりとって混乱させて……俺にはそんな資格ありはしないのに」
夕陽のせいで紫にも見える両目を伏せ、アズフェルトが悔しげに奥歯を噛みしめる。その沈痛な面持ちに戸惑いの波が押し寄せた。
「どうして急に謝るの? あなたは侯爵様よ。私なんかよりずっと偉いし力もある」
「そんなことは関係ない。言っただろう、偶然生まれただけだと。俺の持つ財産も名誉も先代たちの功績があってのことで、俺のものじゃない」
ふらりとシェイラのそばから離れ、マラウクはあずまやの円柱に手をついた。
「皆が俺を敬うのは、俺が偉大な聖騎士の子孫で、有能だった父の息子だからだ。そうでなければこんな青二才にかまうものか。……偉大な名前があるだけで俺には何もない。ウィルやスミッティの手助けがなければ自分を守ることもできない。大公は俺を買ってくれてはいるが、騎士団長になったといっても机上での処理に手一杯でとても規律改正なんて。シヴォーレンの屋敷だって母に任せきりだ。でも俺はこのシンクレア家の誇りを守る義務がある。だから必死にしがみついているしかない。……なんて、こんなこと言ってもしょうがないな」
アズフェルトの背中が自嘲に揺れた。
――この人もこんな風に気弱になるのね。
使用人や貴族たちの話の中では、アズフェルトは非の打ちどころのない貴公子だった。もちろんシェイラも、違う世界に住む遠い存在だと思っていた。
でも本当はそうじゃないのだ。
高貴な家に生まれた者には特権と同時に、重大な責任や義務が課せられる。だから彼は完璧な貴公子でなければいけないのだろう。
でもそううまくはいかない。その背に背負う荷物が大きい分、苦労は相当なものだ。
きっと今のは彼の本音だ。
完璧さを願い、だが現実の厳しさに苦悩し煩悶を繰り返す、どこにでもいる普通の若者の声だ。
「ねえ、どうして悲観的に考えるの?」
夕影のにじむ後姿にシェイラは問いかけた。
「これから実現していけばいいじゃない。願いも夢も、思うだけじゃ叶わないもの」
アズフェルトが驚いたようにこちらを向いた。
「死ぬのを待つだけのよぼよぼのおじいさんだったら話は別よ。でもあなたはまだこれからだし、団長にだってなったばかり。思った通りにいくことなんてほんの一握りしかこの世界にはない。けど、だからっだからみんな頑張るのよ。どうなるかわからなくても、自分を信じて。……ねえ、ヒースって知ってる?」
赤く眩しい夕景にシェイラは目を向けた。
「空麦っていう作物で、ハートランドでは生産がさかんなの。柔らかい穂先をお粥にして食べたり、葉や茎は干して家畜の餌にするんだけど、夏には大人の背も追い越すほどぐんぐん伸びる。だから空麦っていうの。ハートランドは夏にはよく雷雨や嵐がきてね、そのたびに畑はめちゃくちゃ。もちろんのっぽのヒースもくたっと倒れちゃう。でもね――ヒースだけは自分の力で起き上がるの。何度雨風に打たれて倒れても、絶対に負けないの。太陽が出れば必ず立ち上がる、すごく強い作物なのよ」
シェイラは目を閉じた。まぶたの裏に故郷の夕暮れが浮かびあがる。
「……辛いことや悲しいことがあると、私はいつもヒースを思い出すの。負けないで頑張ろう。ヒースみたいに、くじけずに立ち上がろうって」
どこまでも続くヒース畑、吹き抜ける熱い夏の夕風、濃い緑の匂い……。懐かしく、でもとても鮮明に思い出せる故郷の日々。――いつか帰りたい場所。
「だから両親を亡くして一人ぼっちになっても、やってこられた」
最後に父と母が微笑む姿を見て、シェイラは目を開けた。




