秘密の花園
鳥の群れが黄昏の空を横切っていく。
金色のベールの降りた庭園では、咲き始めたバラの甘く爽やかな芳香がほんのりと漂っていた。
囁きのような夕風が、そっと花びらを揺らして通り過ぎる。庭園の奥にある鳥籠の形をしたあずまやの中に、シェイラは探していた人物がいるのを見つけた。
「……なんでここがわかったんだ」
気まずそうな顔が振り返る。
あからさまに落ち込んでいるアズフェルトの様子にシェイラは意識して明るい声で言った。
「サラが教えてくれたの、バラ園じゃないかって。でも広すぎて迷っちゃった。果樹園や礼拝堂もあるなんて、さっすが侯爵の邸宅よね~!」
「……ここは俺の私的な庭だ。誰にも教えるなと言ってあるんだが」
迷惑そうにアズフェルトが眉を寄せる。元気づけようとしていた気持ちが一気に冷めた。
「なによ、心配して来たのに失礼ね。今朝だって人の顔見て逃げ出すし」
朝一番に受けた無礼行為が甦る。アズフェルトに近づき、シェイラは両腕を組んだ。
ここ三日アズフェルトはあきらかにシェイラを避けていた。今朝なんて、顔を合わせた途端踵を返して逃げ出したのだ。
「言っとくけど、サラは悪くないから。帰って来たって聞いて、私が無理やり言わせたの。罰するなら私にどうぞ。煮るなり焼くなり好きにして」
「……俺をなんだと思ってる」
ふん、とすねた子供のようにアズフェルトが顔をそむけた。
「位が高い家に偶然生まれただけで、俺は別に偉くない。むしろ自分の人格管理一つ出来ない力のない人間だ。……軽蔑しにきたんだろう」
卑屈さ全開の態度に、シェイラは呆れた。
「そんなつもりはないわよ。ただ話がしたかっただけ。……ここ、座ってもいい?」
ベンチの空いているところを指さす。少し間があって、アズフェルトが左端へとずれた。
「ありがとう。きれいなお庭ね。それにいい香り……もうバラが咲いてるのね」
右端に座って色づく景色を眺め、シェイラは胸いっぱいに芳香を吸い込んだ。
「……早咲きのバラだ」
ぽつりとアズフェルトが言った。
「新種もいくつかある。茶花に合うか試しに植えさせてるんだ」
「ねえ、これはなんて名前? 変わった花びらの形ね」
フリルのような花びらが何枚も重なったピンクのバラにシェイラは指先で触れた。
「……エレノア。オレの母親の名前だ。父がつけた」
「へえ、すてき! 愛する人の名前をつけるなんて。こっちは?」
「それはまだ名前がない。……て、そんなことを言いに来たんじゃないだろう。聞きたいのは昨日のことでは?」
そう指摘され、「そうだった」とシェイラは指を引っ込めた。
「ええと……“呪い”は今は平気なの?」
「ああ。変化が起きるのは月が出ている夜だけだ。それに気つけがあれば心配ない。身体が慣れたせいで、強い酒しか効かなくなったけどな」
『シンクレアの嫡男は、特異な体質を持って生まれるんだ。月を見ると人格が変わる』
昨夜、帰りの馬車の中でアズフェルトは“呪い”についてこう話した。
古の魔女キーラが祖先に、月を見ると本来の自分を忘れ別の人格になってしまう呪いをかけたこと。変化すると軟派な体質になって、見境なく女性を口説いたり迫ったりしまくり、その時の記憶が一切なくなること。発動を防ぐためには気付けとなる酒が必要で、そのためにいつも持ち歩いていること……など。
「……毎日ホロヴァを届けさせてるのは、その防御策だったのね」
お菓子なら誰の目も気にせずお酒が摂取出来る。毎日大量に作らせるのは薬がわりだったのだ。
「ああ、ウィルの考えだ。昔から悪知恵だけは働くやつで。でもそのおかげでずいぶん助けられてる。両親とスミッティ以外でこのことを知るのはウィルだけだ。あいつがいなかったら……今頃俺はヴィクトリア一の節操なしだったろうな」
……笑えないのは、自分も被害に遭ったからだろう。恐る恐るシェイラは尋ねた。
「あの……よくあるの? 昨日や前みたいなこと」
「あるわけない! いつもは細心の注意を払ってる。でもうっかり忘れることがあって……それで夜の外出はウィルに同伴を頼むんだが、あの日は任務が長引いてウィルが遅れて……君が去った後、変化したまま広間に入ろうとしたらしい」
迂闊だった、とアズフェルトが深いため息とともにうな垂れた。
「……『口封じ』の意味がわかったわ。確かにあれがばれたら大変だものね。だから私に婚約者役をやらせようと思ったんでしょ」
大金を積んでまで。きっと今までも同じように金銭でカタをつけてきたのだろう。
「……それもある。でも口封じは誤解だ。ただ込み入った事情で焦っていて……」
「知ってる、公女様の求愛から逃れるため、でしょ。でもとってもお似合いだと思うけど」
「――やめてくれ。……確かにマグノリアがああなった原因は俺にある。半年ほど前、うっかり彼女を口説いたらしくて……」
煩悶するアズフェルトにシェイラは疑いの眼差しを向ける。
「……ねえ、ほんとにそれって呪いなの? その、精神的な病気とかじゃ」
「い、異常者扱いするな! 俺だって悩んでるんだ、こんな体質――でも手は出してない! ウィルが探しにくるのが少し遅かったら……危なかったが」
「でも公女様は期待しちゃったわけでしょ。ふつうするわよね。好きな人に迫られたら」
「……わかってる、俺の失態だ。でも――あれは”魔女”だ」
美男子に似合わない、生気を欠いた暗い面相でアズフェルトがシェイラを見た。
「我が一族に呪いをかけた。シンクレアの当主たちはみな、あの存在に悩まされてきた。姿をかえてつきまとう悪霊に――君も魔女の話は知ってるだろう」




