人形娼婦
お集まりなる紳士淑女の皆様方
今宵お目にかけますはその昔、美しきガードルードの森で生まれた
ゆゆしき恋の物語――
透き通った声で口上を述べ、美しい二人の少女が広間の客に向かって優雅に一礼した。
フリルやレースがふんだんに使われたエプロンドレスで着飾ったその姿は、まるで人形のように愛らしい。『生きる夢』と呼ばれる人形娼婦たちの可憐ながらも魅惑的な微笑みは、会場の男性客たちの目を釘づけにしていた。
「では皆さま、ごゆっくりご観劇くださいませ……」
役者たちが現れ、幕が開く。拍手と歓声の中でもう一度退座の挨拶をして、少女たちは舞台の後ろの深いドレープカーテンの向こうへ消えた。
「おつかれさま、姉さんたち!」
戻って来た麗しい娼婦たちを、裏の小部屋で待機していた赤いエプロンドレスの少女――シェイラは笑顔で迎えた。だが顔を合わせた途端、彼女たちはぐったりとうな垂れた。
「……ああっ! もうホント疲れたっ。最悪!」
「あ~きつかったぁ~。もうくたくた、帰りた~い!」
さきほどの気品漂う振る舞いはどこへやら。大口でため息をつき、小部屋の隅にある長椅子に両手足を投げ出すさまは、この上なくだらしない。
仕事上の先輩である少女たちの醜態に、シェイラは慌てて後ろ手にカーテンをしっかりと閉めた。
「ちょっと二人とも気抜きすぎ! そんなところを伯爵に見られたら大変よ」
今夜呼ばれているこの屋敷の主人はコールリッジ伯爵。
このロザリアム公国の参事、つまり君主である大公の宰相を務める大貴族だ。ちらりと顔を見ただけだが、厳しそうな男だった。こんなところを見られて出張費を支払わないなんて言われたら困る。絶対に困るのだ。
「大丈夫よお、お芝居がおわるまでは。何だっけ、男好きな魔女とヘタレ騎士の恋物語?」
「妻と愛人の魔女が騎士を取り合う安っぽい愛憎劇じゃなかった?」
「……どっちも違うと思うけど」
楽隊が奏でる音楽が帳越しに聞こえてくる。
今宵、旅芸人たちが催す寸劇の題は『ガードルードの魔女』。伝説の騎士が人間の魂を食らう悪名高い魔女を倒す、という有名な昔話だ。
「羽振りがいいこと、貴族様は。あたしたち“人形娼婦”だけじゃなく、旅一座も招くなんて。ほんと遊び呆けるのがお好きね。バッカみたい」
黒ドレスの少女が起き上がり、シェイラの方を向いてべっと舌を出す。
背後のカーテンの向こうにあるのは、豪華なシャンデリアが燦然と輝く大広間。そこには大勢の着飾った老若男女が集まっている。彼らは皆、ロザリアムの貴族たちである。
リーン王国には属する四つの公国があり、大公と呼ばれる王族の血をひく四人の君主がそれぞれ治めている。公国は貴族の治める複数の「領」で形成されている。ロザリアム公国の貴族たちも普段は己の治める領地で暮らしているのだが、毎年議会の始まる四月になるとこの主都ヴィクトリアにやってくる。目的は国政への参加――のはずなのだが、議会の始まりは社交シーズンの開幕も意味する。彼らは大公の邸宅、サー・ハウスに近いセント・エリスに第二の屋敷を持っており、連日パーティーに明け暮れるのだ。
この時期には、リーン王国に属する他の三公国からも貴族たちが国賓として招かれる。
ロザリアム元首のレーヴェン・ロザリアム大公爵は大の社交好きで、このシーズンには自らも盛大な宴を催す。主都ヴィクトリアは商業により発展したが、同時に社交地としても有名だった。そしてヴィクトリアに居を構える貴族たちも、国華のためにと己の持てる財力を総動員して豪勢なパーティーを開く。そしてその余興として、芝居をみせる旅の芸人や、シェイラたちのような人形娼婦と呼ばれる見せ物専用の娼婦を呼んで接客させるのが流行りだった。
「でもなんであたしたちが、給仕までしなきゃなんないのぉ? 人形娼婦は安娼婦とは違うのよ。一晩話をするだけで何千ルビーもする――高嶺の花なんだから」
青ドレスの少女が肘置きの上で不服そうに頬杖をついた。
人形娼婦の仕事は、豪華な衣装を着て天使のように微笑むこと。名の通り観賞用の娼婦で、『外見の美しさ』で客を魅了する商売だ。
でも最近は客が来るのを待つだけでは利益が上がらないと女主人が言い出し、貴族のパーティーへの出張営業が始まった。まだ人形娼婦になって一ヶ月のシェイラは他の娼婦たちのように接客はほとんど出来ないが、手伝いで連日上層街へ来ている。
だが傲慢な貴族たちのパーティーでは、客の機嫌をとれだの給仕しろだの召使い同然に扱われる。だからはっとするほど美しい少女たちの顔も、陰では不平不満に歪んでいた。
「あのごうつくババア、もうけしか興味ないのよ! あたしらがこき使われようが過労死しようがどうでもいいんやっ。ああーー腹たつわぁ!」
「ちょっと、言葉! 訛り《コット》なんて広間の人間に聞かれたらいい笑い者よ」
黒ドレスの少女の注意に、青ドレスの少女があわわと口元を両手で押さえた。
“貴族の令嬢のような気品”が売りの少女たちのほとんどは、貧しい下町や田舎育ちの娘だ。仕込まれて作り上げた偽りの自分が、ふとした瞬間にはがれ落ちてしまう。シェイラもなんとか言葉は矯正したが、時々気を抜くと飛び出してしまいそうになる。
「でも私はこうして外に出られる方がいいな。ほら、珍しいものもいろいろ見られるし」
このままでは永遠に不満の止まらない二人を鎮めようと、シェイラは明るく言った。
娼館では主人の許可なく外には出られず、閉鎖的な生活を強いられる。都にやってきて間もないシェイラは、花街のある下層街クレ・マリアのことも満足に知らない。だから限られた時間でも外の世界に触れられるのは楽しかった。
「相変わらずたくましいわね、シェイラ。見た目だけは天使みたいにきれいなのに」
シェイラの、緩やかなウエーブを描く蜂蜜色の髪や透き通るような白い肌、大きな空色の瞳をじっと眺めて、黒ドレスの少女が残念そうにため息をついた。
「ほんと、黙ってれば男なんか簡単に手玉にとれそうなのに。でも、キレて客に紅茶を浴びせるわ、おかみと言い争いはするわ。それじゃいつまでたっても満足にお客は取れないわよ、シェイラ・アルニー」
「うっ……そ、それは」
先日の初仕事での失敗を指摘され、シェイラは言葉を詰まらせた。
「こ、紅茶は仕方なかったのっ! だって出そうとしたらお客がどさくさに紛れて触ろうとしたんだもの! おかみさんとケンカしたのだってちゃんと理由があって……。も、もうしないわよ、早く一人前になって稼がないといけないんだからっ」
そう、頑張らないといけない。大切なものを取り戻すために――
そのために前を向いて生きようと決めたのだ。
「だから今夜も姉さんたちの仕事ぶりをしっかり見学して――あ、そうだ! 二人とも甘いものがほしくない?」
ぐったりと寝そべったままの二人に、シェイラは切り出した。「広間の隣の部屋に、おいしそうなお菓子がたくさんあるのを見つけたの」
「ほしい!」二人が同時に飛び起きた。
疲れがにじんでいた少女たちの面差しが、花が咲いたようにぱっと明るくなる。『生きる夢』と花街で噂の彼女たちも、本来は無邪気な普通の女の子なのだ。同じ境遇を生きる彼女たちは仲間であり、家族のようなもの。その喜ぶ顔を見るのがシェイラは好きだった。
「じゃあちょっと待ってて、こっそり持ってくるから」
今夜も長い。栄養補給は必要不可欠だ。
二人に目配せして、シェイラはそっと小部屋の外へ出た。




