月夜の逢引
大変遅くなりました。
第四幕スタートです。よろしくお願いします★
サー・ハウスから少し離れた林の中。池のほとりに建つあずまやの中に、二人の人影が向かい合っていた。
「……アズフェルト様」
穏やかな水面には、途切れることなく雲の流れる夜空が映し出されている。時折気まぐれに月が現れては隠れ、闇はかすかな明暗の点滅を繰り返す。
「ごめんなさい、わがままを言って」
水鏡の方を向いて立つ男の背に、女がそっと身を寄せる。黒いドレスに黒いベールという出で立ちは、まるで夜の化身のようだ。
「でもこうでもしなければ、貴方はわたくしと二人きりにはなってくれないから……。どうしても、ほんの少しでもいいの。わたくしの話を聞いていただきたくて」
悲愴感をまとうその声は、艶めいて甘い響きを持っている。
「――姫君」
白い礼服姿の男が女を振り返った。
――……なに、してるんだろう。私……
木の陰からその光景を盗み見ながら、シェイラは自問せずにはいられなかった。
絶対に探しになんかいかないと誓ったはずだ。だが今、自分はアズフェルトと公女マグノリアの逢引現場の目と鼻の先にいる。完全なのぞきである。
手の中にはエルヴィスから渡されたガラスの小ビンがある。だがこの状況でどう渡せるというのだろう。ここまで来てしまって、今さらシェイラは後悔していた。
「姫君なんて呼ばないで。今は二人きりよ。いつものようにマグノリアと呼んで」
アズフェルトの胸にマグノリアが飛び込む。
「姫、いけません。人目がないからといって軽率なことは」
「やめて、そんな他人行儀な言い方! わたくしの気持ちを知ってるくせに!」
顔をそむけるアズフェルトに、マグノリアはさらにすがりつく。
「わかってるわ、貴方にとっては迷惑な想いだってこと。でも、ずっと見てきたのよ。小さな頃からずっと……それなのに婚約者だなんて! ひどい、ひどすぎるわ」
すすり泣く声が聞こえてくる。胸を貸したまま、アズフェルトは黙って聞いている。
「貴方はわたくしに言ったのに。“君と出会ったのは運命だ。こんな奇跡はきっと一生に一度しかない。”って、私を抱きしめてくださったのに……! でも次に会った時にはいつも通りそっけなくて……まったく覚えていないなんて!」
マグノリアが本格的に泣き始める。とんでもない話に、シェイラは鼻頭にしわを寄せた。
「ひ、姫。申し訳ありませんが、その件については言い訳をせねばなりません。実は――」
「いや! 聞きたくありませんわ!」アズフェルトの胸を突き返し、マグノリアが耳を塞ぐ。
「気の迷いだったとでも言うのでしょう。でも、それでもわたくしはうれしかったの……!あんなに美しい月夜は今までに一度もなかったわ」
――あ~の~男は~~!
シェイラは拳を震わせた。
どこでも同じことをしているわけだ、あの遊び人の侯爵様は! まさか公女にまで手を出していたなんて――
「覚えていないなんて、嘘なのでしょう? ほら、あの時もこんな月夜でしたのよ」
手すり間際まで、マグノリアがぐいとアズフェルトの腕を引く。ちょうど雲が途切れ、ふんわりとした線のような月が空に現れた。
「あ……」
アズフェルトの体がぐらりとよろめいた。上半身を折り曲げ、手すりに手をつく。
「どうなさったの、アズフェルト様? 顔色が急に――」突然の変調にマグノリアが慌てる。
「大変、ここへお座りになって。スプリングを用意させましたの。すぐ持ってきますわ!」
石の腰掛けにアズフェルトを座らせ、マグノリアは隅にあるテーブルに駆け寄った。
スプリングとはレモンやぶどう、リンゴなどの果物をつけ込んだ、パーティーでは定番の飲み物だ。ちょうどシェイラの隠れている方を向いているので、マグノリアの手元が見える。水差しをとり、中身をグラスに注ぐ。そして持っていくと思いきや、マグノリアは胸元から何かを取りだした。
――何かの……ビン?
すばやくふたをはずし、中のものを数滴スプリングに落とす。そして再び胸元に仕舞い込み、グラスを手にアズフェルトを振り返った。
――い、入れた……! まさか、毒!?
ひやりと体が冷たくなったのをシェイラは感じた。
もしや弄ばれた腹いせ? 自尊心の高い公女ならば許しがたい屈辱だろう。
「さあ、マラウク様。お飲みになって。少し楽になるわ」
マグノリアが差し出したグラスを、うな垂れたままアズフェルトが受け取った。
――ど、ど、ど、どうしよう!
毒だったら。でも違うかもしれない。
公女がアズフェルトを好きならば、そんなことをするはずはない。でも何か入れたのは事実だ。確かに何か――入れたのだ。
アズフェルトがグラスを口元に持っていく。
『古文書とかあやしい魔術書を読み漁って、実験みたいなことをしてるらしい――』
ウィルの言葉を思い出す。唇に届くまであと少し。もうどうにでもなれ――シェイラはぎゅっと目をつむった。
「アズフェルト、飲んじゃだめ!!」




