幼なじみ
「ウィル様!」
唯一心の許せる協力者の登場に、シェイラは思わず破顔した。
「お姫様の救出、無事完了。これで総長にお咎めを受けずに済む」
シェイラを誘おうとしていた準騎士たちがぽかんとこちらを見ている。見せつけるように身体を寄せ、ウィルが耳元で囁いた。
「何かあったら君のそばにいてくれって頼まれたんだ。さっきは大丈夫だった?」
「ええ、ちょっと驚いたけど。あ、あのねウィル様、私この曲知らないんだけど……」
不安に急かされシェイラはウィルにそっと切り出した。習ったワルツもなんとか、というところでこんな早い曲には到底合わせられない。
「よかった、じつは僕もこの難曲は踊り切る自信がない。じゃあ隅へ移動しよう」
空いている長椅子を見つけると、曲に合わせながら人込みを抜け、ウィルはシェイラを窓辺へと導いた。椅子に座った途端、ほっとして肩の力が抜けた。
「いやー、見事だったよ、さっきの挨拶! あれなら誰も君を疑いやしない。それにすごくきれいだ、他のご婦人らがかすむくらいにね。みんな見惚れてたよ」
「あ、ありがとう」
相変わらずウィルの賛辞には気恥ずかしくなる。顔が熱くなりそうなのをごまかすために、シェイラは話を変えた。
「でもちょっと心配なの。……人形娼婦だって誰かに気付かれないかって」
「それは心配ないよ。だって、この場にいる全員がお互いのことをちゃんと把握出来てると思う? 何度顔を合わせても名前すら出てこない人もいる。もし君を見たことがあっても、わかるわけないよ。それに、今はみんなあの二人に夢中だ」
ウィルが指し示す方へシェイラは目を向けた。
「すごいのね、あの二人」
広間の中央では、アズフェルトとマグノリアがため息が出るほど優雅な舞踏を披露している。白と黒、その対照的な世界が見事に重なり合い、人々の目線をさらう。
「フィーは何をやらせても完璧だよ。舞踊でも剣術でも。アデリアの士官学校時代は剣技大会はいつも優勝、成績も首位。ご婦人からの手紙の数も一番」
最後だけくやしそうにウィルが言う。
「きれいな方ね、公女様って。……ちょっと怖いけど」
気高さと妖艶さが溶けあった危うい美しさ――大公妃エレオーラは稀代の美女として有名だったが、どうやらそれはきっちり遺伝したようだ。
「そう? 僕には君の方が何倍もきれいだと思うけどね。確かに目をひくけど……昔はもっと清楚で大人しかったんだよ、マグは」
マグ? 大公のような親しい呼び方にシェイラは首を傾げた。
「ああ、実はね。僕ら三人は幼馴染みなんだよ。父親について僕とフィーは小さい頃からよくサー・ハウスに来てて、マグと一緒に遊んでた」
「……そうなの。侯爵はそんなこと一言もいってなかったわ」
彼女がアズフェルトのことを『信頼できる友』と言ったのはそういうことだったのか。
「小さい頃は内気で、鼻のそばかすばっかり気にしてて。あんなきつい感じじゃなかったんだよ。もっと優しくて素直で……でも半年前くらいかな、あんな風に変わったのは」
どこか遠い目をして、ウィルが支柱に背中を預けた。
「毎日黒い服ばかり着て、化粧も濃くなって。近頃は、物置になってる北の塔にこもって、古文書とかあやしい魔術書を読み漁って、何かの実験をしてるらしい。それでついたあだ名が“魔女”。親しい取り巻きしか近づけさせないし、僕もすっかり疎遠だよ」
――魔女……確かにね。
それにあの迫力はただものではない。呪い殺す力くらいありそうだ。
「でもお似合いね、あの二人」
並んでも遜色のない美しさ。額に入って壁に飾られていてもおかしくないくらいだ。それに身分からいっても一緒になって当然の二人だろう。そう言うとウィルが笑った。
「それ、フィーが聞いたら青ざめるよ。だって彼女から逃れるために、君を婚約者に仕立てたんだから」
「――え!? そうだったの!?」
だからあんな目で睨まれたのだ――ようやくつじつまが合って、今さらながらシェイラは引き受けたことを後悔した。
「昔からマグはフィーに夢中なんだ。残念ながら彼女の完全なる片思いだけど。フィーは恋愛には無関心でね。今までははぐらかしてきたみたいだけど、マグもめげなくて睡眠薬とか媚薬を盛ろうとした
り……。でも大公の娘だから無下には出来ないし、マグに睨まれたくないから他のご婦人たちは迂闊にフィーと仲良く出来ないし。聞いた話じゃ、抜け駆けしてひどい目に遭った子もいるとか……」
「ひ、ひどい目って?」
「よく知らないけど、陰湿ないじめ? そんなんだから“魔女に魅入られた”なんて噂もたつ始末でね。今は大公が離そうとしないからいいけど、マグももう十九だし。『婿になれ』と言われるのも時間の問題って感じで、あいつ危機感感じてたんだ」
「それが“魔女の呪い”ってわけ。なんか、ばかばかしいほど私的な問題ね……。どうしてそこまで侯爵は嫌がるの? 公女様と結婚すれば出世間違いなしじゃない」
富と権力の亡者、それが貴族。有益な結婚は誰もが望みそうな気がするけれど。
「うん――理由はね『彼女が本当に魔女だから』だって」
「……本気なの?」
「まあ根拠はあるみたいだよ、僕にはわからないけど。でもあいつだいぶ追い詰められてて……見かねて僕が提案したんだ。『娼婦でも買って婚約者のふりをさせたら』って」
――え。
シェイラは固まった。今、聞き捨てならないことを聞いたような気がする。
「僕が……って、まさか、この計画はウィル様が考えたの?」
「あ~……うん、実はそう。冗談のつもりで言ったんだけど、フィーは真に受けちゃってさ。まさか本当にやるとは思わなかったんだよ。ほんとごめん、巻き込んでっ!」
両手を顔の前で合わせてウィルが謝ってくる。
――ショックだ。なんだかものすごくショックだ。一連のことはすべてアズフェルトの独断だと思っていた。だからウィルは好意で親身になってくれているとばかり……。
――でも……発端はこの人の余計なひと言だったのね〜〜!
実際は罪悪感から様子を見に来ていただけだったのだ。がっくりと肩から力が抜けた。
「ご、ごめんね黙ってて。なんか言いずらくてさ……無理矢理頼んじゃったところもあるし。でもまさか一週間でここまで完璧にやりこなすなんてびっくりだよ! 君ならこの先も立派にこなせる! ここまできたら最後まで頼むよっ」 この通りと懇願するウィルの向こうで、曲の終りを告げる最後の一音が弾んだ。
歓声と拍手が広間を埋め尽くす。
盛り上がるにはほど遠い気分でシェイラはため息を吐き出した。




