黒衣の美女
「ダンスはお好きかな、シェイラ嬢。おそらく夫君ともどもこれから質問攻めに合うじゃろうが、楽しんでいかれよ。心よりそなたを歓迎する」
「はい、ありがとうございます」
大公が玉座に下がる。それを見計らっていた人々がシェイラたちの元へ群がった。
「おめでとうございます、シンクレア卿。お美しい婚約者殿でおうらやましいですな」
「結婚式はいつ頃のご予定で?」
「お二人のなれそめをぜひ詳しく聞きたいですわ」
次々と祝いの言葉や賛辞、質問が飛んでくる。どの顔にも似たような愛想笑いがべったりと貼りついていて見分けがつかない。まるで同じ仮面を被っているみたいだ。
「ありがとうございます。詳しくは正式な婚約の後発表させていただくつもりです」
一人一人ににこやかに対応するアズフェルトに寄り添いながら、シェイラもなんとか強引に笑顔を作る。持久戦を覚悟した時、高らかにファンファーレが鳴り響いた。
「ごきげんよう、皆さま」
後方の大扉がばっと開かれ、深黒の衣装を纏った美女が現れた。
長いトレーンの黒レースのローブに、首元には蜘蛛の巣を思わせる豪奢なブラックオニキスの首飾り。高く結いあげた黒髪は黒い尾羽の帽子で飾り、胸元の大きなガーネットのブローチだけが、唯一鮮やかな光彩を放っている。その姿はまるで冥夜の女王――禍々しさと妖艶さを併せ持つ派手な美女だった。
「おお、マギー! 待っておったぞ、我が愛しの娘よ」
愛娘の奇抜な登場に、上機嫌で大公が玉座から腰を上げた。
白で統一された世界を切り裂くように、ロザリアム公女・マグノリアは孔雀の羽扇を広げゆったりと歩き出す。そして低い位置で迎えたシェイラたちの横で止まり、父親を見上げた。
「ごめんなさいお父様、遅くなって。帽子選びに手間取ってしまいましたの」
「そうか、それは仕方ないのぅ。その甲斐あって素晴らしく美しいぞ」
親ばか丸出しの猫撫で声。さきほどまでの威厳漂う権力者は幻だったかのような変わりようだ。娘に大甘だという噂は本当だったとシェイラは知った。
「お父様こそ今日はお髭がつやつやでいい感じですわ~。――まあ、アズフェルト様! いらっしゃっていたのね!」
アズフェルトを見つけ、マグノリアの華やかな顔立ちがいっそう輝いた。その場から黒いレースの手袋をはめた手を差し出す。前に進み出てアズフェルトはその手を取った。
「――ご無沙汰しております、マグノリア姫。お元気そうでなによりです」
本来ならば、ここで指先への口づけをするのが高貴な女性への礼儀だ。だがそうしなかったアズフェルトに、マグノリアは顔色を曇らせ――そして針のような長いまつげにびっしりと縁取られた、二つの黒曜石を攻撃的に光らせた。
「……アズフェルト様、その方はどなた?」
内に秘める過激さがのぞく鋭い眼差し。射すくめられ、シェイラは身を固めた。
「おお、そうじゃ、紹介せんとな。王都からいらしたシェイラ・アルニー嬢じゃ。先ほど報告を受けたばかりじゃが、なんと二人は婚約したそうでな。お前も挨拶を」
「……婚、約?」
ぴくり、とマグノリアの赤い唇の端がわずかに動いた。
「まあ、本当ですの――? それはぜひともご挨拶したいわ」
跪くアズフェルトの横をすり抜けて、マグノリアが近付いてくる。上がる心拍数を抑えて、シェイラは腰を落とし一礼した。
「はじめまして、シェイラ・アルニーと申します。公女様におかれましては……」
「まーあ、なんてかわいらしい方!」
黒レースの手袋をはめた手が、シェイラの頬に触れた。
「素敵な金の髪ね、なんてうらやましい。肌も透き通るようだし」
長い指が、髪を、輪郭を調べるようになぞっていく。
「幸運な方ね、ロザリアム一の騎士を射止めるなんて。きっとみんな悔しがるわ。でもわたくしは心から祝福するわ。彼は国の誇りであり、わたくしにとっても信頼できる友人ですもの。おめでとう」
気品あふれる微笑みを浮かべ、マグノリアが握手を求めてくる。向けられた好意にほっとしてシェイラはその手をとった。だがすぐに凍りついた。
――え?
マグノリアの顔に笑顔はなく、かわりに激情に燃える眼差しがシェイラを見下ろしていた。だがそれはほんの一瞬のこと――次の瞬間には微笑みは元の場所に戻っていた。
「これからよろしくね、シェイラ。私のことはマグノリアと呼んで。お友達が増えてうれしいわ。ぜひ今度お茶会にいらして」
歓声と拍手が起こる。握手の手をはなし、マグノリアはくるりと身を翻した。
「さあ皆さま、時を忘れて踊り明かしましょう! アズフェルト様、踊ってくださるわよね?」
「え?」
戸惑いの色を走らせたアズフェルトを振り返り、マグノリアは再び手を差し伸べた。
「いつも通り一曲目のお相手をお願いするわ。美しい婚約者以外に“忠誠のキス”は出来なくても、そのくらいの思いやりは持つものよ、シンクレア卿?」
仮にも目の前に婚約者であるシェイラがいるにも関わらず、大胆な行動だった。
だが主君の娘である彼女に対し、意見出来る者はいない。貴族として最高位の爵位を保持するシンクレア家の当主とてそれは同じだった。
「……もちろんです。我が姫君」
「すまない」というような一瞥をシェイラに寄越し、アズフェルトは前に進み出た。
「さあ音楽を! 楽しい夜の始まりよ、もっと情熱的な曲にしてちょうだい」
楽隊の奏でる音楽が一変した。緩やかで優しかった旋律が、嵐のように力強く加速する。
――な、なにあれ……!
立ち尽くしたまま、中心部へと向かう二人の姿をシェイラは呆然と見送った。
なんだか挑戦状を突きつけられた気分だ。それにさっきの目――まるで憎しみと怒りで出来ているようだった。あんな風に敵意を向けられたのは生まれて初めてだった。
「あの、シェイラ嬢。よろしければ私たちと一曲踊っていただけませんか」
おさまらない鼓動に困っていると、数人の男たちが近寄ってきた。
「え!? あ、はい、あの……」
気が動転したままで対応できない。
こういう時はどうするんだっけ――思いつかずシェイラが口ごもっていると、
「諸君――申し訳ない。ダンスの相手は僕が予約済みでね」
ふわりと背中を抱かれ、輪の中から救いだされた。




