開門Ⅱ
「いや、ただ変わってると言いたいだけだ。普通、相手が侯爵と知っていたらそんな口のきき方はしないだろう。不敬罪で一生牢獄暮らしになる可能性だってあるんだから」
「……何よ、脅し? 私から見ればあなたたち貴族の方が変よ。当たり前にしている生活やパーティーだって、下層の人間にとっては考えられないことだもの。時間の浪費と無駄遣いが好きなんて十分変わってる」
今回のことだって。娼館から娼婦を買って婚約者に仕立て上げるなんて普通に考えたらありえない。大金を積んでまでやろうと思うことではないはずだ。
「君みたいな率直な女性は初めてだ」
よほどおかしいのか、肩を震わせてアズフェルトは笑っている。
ああ、まただ。
きっとこの人も思っているに違いない。見た目ほど中身はよくないって。
「……ウィル様にも言われたわ。そんな珍獣を見るような目で見ないで」
自分の意見を率直に言うことがどうしていけないのか。罰や糾弾を恐れていたら正しいことは出来ないと父は言っていた。時には勇気を出して困難を乗り越えることも必要だと。
農作物を買い上げる成金商人たちの横暴に誰も異議を唱えられないでいた時も、父は一人でも立ち向かった。命知らずだと蔑む人もいたが、シェイラは真摯な父の生き方を誇らしく思った。だから自分も真っ直ぐに生きようと決めていた。でもそんな心がけを受け入れられることは、実際少ない。
「珍獣か……! ははっ、そうかもしれないな」
「……笑えばいいわよ。だから無理だっていったのよ、私なんかにこんな」
文句ない着心地の高級な絹のドレスの裾をつまみ、シェイラは小さく息をついた。
「でも、引き受けた仕事はきっちりやるから。だからちゃんと報酬は払ってよね! だましたりしたら許さないんだから!」
今後の人生はすべてその報酬にかかっている。それと引き換えにできるなら、完璧にこなしてやる――そのことだけを目標に、今日まで頑張ったのだ。
「ああ、わかってるよ」口元の笑みはそのままにアズフェルトが頷いた。
「今夜は大公主催といっても、毎年恒例の顔見せの舞踏会だ。会話を楽しみダンスをするだけの気楽な集まりだから。多少は騒がれるかもしれないが……“肩書”は覚えたな」
もちろん、とシェイラは頷いた。
肩書とは社交界で披露するためにアズフェルトが用意した、シェイラの偽りの身分だ。覚えるまでスミッティに復誦させられ、今や頭の中からすぐに取り出せる状態だ。
「でもあなたのことを訊かれたら? 私はあなたをほとんど知らない。まあ、それはそっちも同じだと思うけど」
なんせこうして話すのは、あの最悪な夜も含めて四度目。だがまともな会話は今日が初めてかもしれない。
「君のことは知っているよ。この一週間でいろいろ調べさせてもらった。でもオレが語らなくてはならないのは架空の君についてだから、特に問題はない」
「ちょっと待って……私のこと調べたの!?」
驚いて身を乗り出すと、こともなげにアズフェルトは「ああ」と頷いた。
「オレは君の主人だ。素姓を調べるのは当然だろう。辺境ハートランドの牧場で育ち、両親の残した借金返済のために都に来た。別にばれて困ることはないだろう。田舎者だろうが貧乏だろうが俺は気にしないし、誰に漏らすわけでもない」
「悪かったわね田舎育ちの貧乏人で! でも好きでやってるんじゃないんだからっ」
きれいに化粧を施された顔が熱くなる。否定できない事実だけど、改めて言われると悔しくて恥ずかしい。でもアズフェルトにはそんな気持ちはわかりっこないだろう。
「わかってる。とにかく心配しなくていい。今夜はウィルもいるしな。あいつは外部でこのことを知る唯一の人間だ。社交場での対応は手慣れてるから心配ない」
「……あ、そう。ウィル様が来るならすっごく安心だわ!」
わざとらしく大げさに言う。アズフェルトが形のいい眉をひそめた。
「……あいつ、毎日屋敷に来てたって?」
「ええ、誰かと違って私を心配してくれてね! おかげでダンスも出来るようになったし色々教えてくれた。優しいし素敵だし、ウィル様がいれば心強いわ」
「やめておけ」
アズフェルトの声のトーンが急に下がった。
「ウィルはだめだ。絶対に好きになるなよ。君には合わない」
「……は? わ、わかってるわよ!」低い美声にどきりとしたがすぐに苛立ちが追い抜いた。
「身分違いだっていうんでしょ! 安心してよ、そんなつもりはないからっ。余計なお世話です!」
「そうか。ならいい」
怒り心頭のシェイラからそっけなく目をそらし、アズフェルトは窓の帳を開けた。
――合わない、ですって? そんな言い方しなくてもいいじゃない!
ちゃんと立場はわきまえてる。確かにウィルは魅力的だけど……。 むかむかする気持ちを抑えてシェイラも外を見た。
商業区オーレーンの中心街、美しい天使の石膏像の並ぶ大聖堂前の大通りを抜けて、馬車は上層区の門をくぐった。
この先にはヴィクトリアを見下ろす高台へ続くもう一つの門がある。今夜の目的地はその丘に聳える大公の住む城、サー・ハウス。限られた者しか足を踏み入れることを許されない聖域だ。近付くにつれ、馬車の明かりらしき小さな光がその門に向って点々と連なっているのが見える。今夜はあいにくの曇り空で月も星も見えないが、その様子はさながら地上の星河のようだ。
「――もうすぐだな。そろそろ準備を」
横に置かれた蓋つきの箱の中から、アズフェルトがレース地の白いベールを取り出した。
上層界では、初めて社交場に出る女性はベールで顔を隠して登場する習慣がある。内心ぎすぎすしていたがこれも仕事。気を取り直してシェイラは頭をかがめた。
「それと、これからは名前で呼んでくれ。仮にも婚約者なんだからな」
「名前って……ええと“フィー”?」
「……その気の抜けた呼び名はやめてくれ。許可もなしにウィルが勝手につけて迷惑してる。アズフェルトと」
「ふうん……そうなの。わかったわ」
――猫みたいでかわいいのに。
そう思ったが言うとにらまれそうなので、シェイラは我慢した。
「……何だ、じろじろ見るな。いよいよここからが本番だ。頼むぞ、失敗は許されない」
シェイラの頭の上で、アズフェルトがふわりとベールを広げた。
「――わかってるわよ」
聖域へ誘う巨大な門をゆっくりと馬車が通り抜けていく。
純白のベールが舞い降りてくる瞬間、不本意だけど、結婚の儀式みたいだとシェイラは思った。




