愚かな王女のはかりごと
拙作『推して駄目だったので引くことにした』のコミカライズが収録されたコミックスの発売記念で執筆したスピンオフです
本編ヒロインの母親視点のお話です
また、こちらより先にヒロインの姉と妹視点およびヒーロー視点のスピンオフをそれぞれ投稿しています
本作単体だと状況がわかりにくい不親切仕様につき、先に上記四作をお読み頂けると幸いです
感想欄で意外と母への言及があった印象があって書いてはみたのですが
我ながらガチでヤバい母を爆誕させました
投稿にあたって読み返して
ジャンルをヒューマンドラマとホラー(ヒトコワ)でちょっと迷ったくらいのヤバさです
ヒトコワ要素のあるお話であることをご了承の上お読み下さい
政敵のはずの相手から届いた婚約申し入れ書を見下ろして、首を傾げる。
確かに常々、シルヴァーナを他国に遣るべきではないと、主張していた男だったが。
「息子まで使うとは思わなかったわ、いえ」
むしろこの求婚は、彼の息子側の望みかもしれない。
傍に控える、美しい夫を見遣る。
この夫にそっくりな容姿で生まれた娘が、彼の息子に粉をかけていた。
「マヴァルジーアさま?そちらは?」
視線を向けられた夫が、問い掛けて来る。
アスマントス公爵の地位を持つのはわたくし。夫は騎士の地位のまま、わたくしの夫兼護衛を務めさせている。顔だけは一級品で、騎士としての腕はそれなり、しかし頭の出来はさほど良くないこの男に、公爵家など回せないからだ。
それでも夫として、わたくしに五人も娘を授からせてくれた。息子が授かれなかったのは残念だが、所詮お飾りの新興公爵家、さしたる問題はない。
なによりシルヴァーナが生まれたのは、この夫のお陰だ。感謝こそすれ不満など、あろうはずもない。
「ヴァージンバウアー侯爵からの信書よ。内容は婚約申し入れ書。ヴァージンバウアー侯爵家継嗣の婚約者として、わたくしのシルヴィちゃんが欲しいのですって」
頬に指をあてて、書面を見下ろす。なかなか、下手に出た申し入れだ。あの男が寄越すものとしては、破格なほどに譲歩している。
まさか、あの、シルヴァーナが、ねぇ?
ふふ、と微笑んで、わたくしは甘やかな声を出す。
「ヴァージンバウアー侯爵家の継嗣と言えば、眉目秀麗で優秀な若者だったわね。わたくしのシルヴィちゃんと結婚するなら、あの子がわたくしの義息になるのね!素敵!わたくしのシルヴィちゃんを遠くに行かせるなんて、ほんとうは嫌だったし、ちょうど良いわ。お兄さまにお願いして、ふたりの婚約を認めて貰いましょう!」
書面を机に置き、両手で頬を包み込む。うっとりと、夢見るように表情をとろけさせて。
「政敵同士、本来許されないふたりが結ばれるなんて、まるで物語みたいだわ。わたくしと、あなたみたいね。国民も、それを望んでくれているみたいだもの、お兄さまも、きっと許してくれるわね。わたくしのシルヴィちゃんが、みんなに祝福されて、誰よりも素敵で、誰よりも幸せな花嫁になるのよ!夢みたいだわ」
「マヴァルジーアさま、それは」
夫はわたくしを、愚かな王女と思っている。我儘で、考えなしの、お花畑で生きる王女だと思って、結婚前から変わらずそう扱っている。ずっと、夫にとってわたくしは、守られるべき王女殿下のまま。
わたくしも夫のことを、愚かな騎士と思っているから、お互いさまだけれど。
ちらりと、書面に綴られた署名を見る。美しくはあるが格式張った、賢しらな筆致。
きっとこの男の方が、わたくしの本質は理解出来ているのだろう。
だからこそ、いがみ合っていたわけだが。
そんな賢しらな男と違い、愚かで哀れな夫に、彼が思う通りの愚かな王女らしく微笑みかける。
「あなたもそう思うでしょう!さっそく、お兄さまにお手紙を書かなくちゃ。それとも、直接会いに行った方が良いかしら」
断るべきと、夫は言いたいのだろう。なにせ、シルヴァーナは他国に嫁がせるべしと言うのが、兄である国王陛下の思し召しだ。そのために、シルヴァーナは幼少から徹底的な教育を受けさせられていて、頭の天辺から足の爪先まで、その馬鹿馬鹿しい教育に染まりきっている。
だからまさかそんなシルヴァーナが、こんな大番狂わせをして見せるなんて、思ってもみなかった。
カナイオーラがなにかこそこそと企てているのは知っていたから、なにかしでかすとしても、カナイオーラだと思っていたけれど。
「シルヴィの、意見も、聞いてあげた方が」
夫もシルヴァーナの考え方は多少理解しているのだろう。わたくしよりも御し易い娘に、判断を委ねようと提案して来る。
ああ、愚かだこと。
だから彼を、夫に選んだのだけれど。
「あら!聞くまでもないわ!わたくしは母親よ?娘の気持ちなんて聞かなくてもわかるわ。それに、訊いては可哀想よ。わたくしのシルヴィは良い子だから、自分の意思を曲げてまで、王家に尽くしてしまうかもしれないもの。ネッビオーロ、あなたもわたくしのシルヴィがずっと、恋をしていたのは知っているでしょう?」
娘の本心も推し量れない愚かな夫は、わたくしの言葉に曖昧な笑みで答える。肯定はしたくないが、否定も出来ない、と言ったところなのだろう。
愚かな王女らしく、それを都合好く肯定と判断して、上機嫌な態度で国王へ出す手紙の用意を始める。
ほんとうに、愚かだ。
賢しらな字と夫を見比べて、思う。
あの、厭味なほどに優秀な男が、勝算もなく政敵の家へ求婚の申し入れなど、するはずもないだろうに。
婚約申し入れ書が届いた時点で、結果など決まったようなものなのだ。
裏で手を引く者が優秀であればあるほどに、戦いの勝敗など決まりきってしまうのだから。
ё ё ё ё ё ё
わたくしは、生まれたときから運命を定められた王女だった。いずれ王となる王太子の娘。父が王となれば、長兄が王太子の地位を継ぐ。わたくしは、国の駒として他国に嫁ぐのが役目。
それを、不満に思っていたわけではない。
おそらく生まれながらにして壊れていたのであろうわたくしには、愛や恋と言うものがわからなかった。愛のない結婚をせよと言われても、政略結婚の相手に恋をしてはいけないと言われても、自分の人生を悲観することはなかったのだ。だって、愛も恋も、わたくしには必要のないものだったから。
ただ、いずれ他国に嫁ぐものとして、国の恥になるなと教育されるなかで、ひとつの疑問を持った。
「ねぇ、中兄さま」
だから問い掛けた。
いずれ王となる長兄ではなく、不測のときのスペアとして飼い殺される運命の、次兄に。
「大兄さまより、中兄さまの方が賢いのだから、中兄さまが王を継いだ方が、国のためになるのではないかしら?」
次兄の方が長兄より、視野が広く頭の回転も速い。決断力もあるし、発想力や求心力も高いように思う。つまり、総合的にみて、次兄の方が長兄より優秀なのだ。
必ずしもより優秀な者が上に立つ必要はないけれど、国王として外交の場や民の前に立つこともある以上、国をより良くするためには、次兄が王となった方が良いように思う。
だが、賢いはずの次兄は、幼子を諭すようにわたくしを戒めた。
「可愛いマルヴィ、兄弟で争うなんて、あってはいけないことだよ」
わたくしは、ただ闇雲に争えとは、言っていない。
過去この国は、陰惨な権力争いで、多くの民が犠牲になった。国家存続の危機にすら、陥りかけた。それは、わかっている。
だが、だからと言って争うよりも最初から決めておいて、たとえ暗愚でも王に立てて良いとは、ならないだろう。
争いは破壊を生む。足を引っ張り合うならば、大きな害ともなるだろう。だが。
どんな良い政策も比較し検討する必要があると言うのに、人間だけは比較検討の必要がない、なんて、おかしな話ではないか。
けれど、兄弟たちの誰に聞いても、わたくしに賛同するものはおらず、上に投げ上げた林檎がいずれ落下するのと同じように、なんの疑問もなく同じ答えを返すばかりだった。
兄弟たちにとって間違っているのはわたくしで、彼らは圧倒的に正しいと。争うなんて許されぬことで、争いを生まない今の状況こそ、とりわけ望ましい状況なのだと。
ああ、壊れているのだ。
なんの感慨もなく、そう思った。
もとより壊れたわたくし以上に、どうしようもなく、兄弟たちは壊れているのだと。
その、原因は、わかっていた。
争いを生まぬためと、言葉を話し始める前から行われる教育。刷り込まれた歪んだ思想が、壊れてなどいなかった兄弟たちを壊し尽くしたのだ。
ゆえにもとより壊れていたわたくしだけが、もとより壊れていたから、それ以上歪められることなく遺った。
歪んだそれを理性だとは、愛だとは、分別だとは、倫理だとは、道徳だとは、わたくしには考えられない。
狂っている、この国は。
けれど"おかしな"思想を持つわたくしは、愚かだと思われていて。
この国はきっと、わたくしがなにを言っても変わらない。聞き入れない。それに、わたくしに、そこまでの才覚はない。
自分に対する愛すら持たないわたくしは、自分をそう評価した。
そうして、ならばと決意を固める。
ならば、愚かな王女でいようと。愚かな王女として国を引っ掻き回して、この、狂った国を壊してやろうと。
だから恋に落ちた振りをして。なにも理解しない愚かな王女として、"逆らってはいけない存在"である国王、父に逆らった。自分は、恋する相手と結婚するのだと。
まるで、恋に恋する女だった。そして、ただただ、茶番だった。
なにせ、相手もわたくしもお互いに恋なんて、欠片もしていなかったのだから。
それでも相手が逆らえないのを良いことに、まるで真実恋人であるかのように振る舞った。
「まあ、お父さま、反対して下さるの?それなら物語のように、愛しい方と手を取り合って、ふたりだけの世界に逃げて行けるのね。素敵!」
うっとりとそう告げたときの、父の顔はおかしかった。
駆け落ちと天秤にかけて、監視下を抜けないところで飼い殺す方が、まだマシだと思ったのだろう。父はわたくしが望む相手と結婚することを認めた。身代わりに、わたくしがいずれ産む子を王家に差し出すことを約束させて。
「あなたは」
父も兄弟もその側近や指導者たちも、わたくしに恋人として選ばれた騎士ですら、愚かな王女になにを言っても無駄と、わたくしに対しては閉口したにもかかわらず、唯一、苦言を呈した者がいた。
「自分がなにをやったのか、理解しているのですか」
当時はまだ王太子補佐官であった、グラディス・ヴァージンバウアー侯爵子息。のちに侯爵家を継ぎ、宰相となる男で、今のわたくしの政敵。
愚かな王女のわたくしは、微笑んで首を傾げた。
「なんの話かしら?」
「しらばっくれないで貰えますか。外交上の約束を蹴るなど、我が国の信用問題です。あなたのやった行為は、世界中から我が国が軽んじられかねない愚行ですよ。あなた、国を潰すつもりですか」
潰れた方が良いだろうに。こんな狂った国は。
「でも、お父さまが良いと言ったもの」
ただ笑って、答える。
「国王であるお父さまの判断が絶対だわ。そうでしょう?だって、そう教わったもの」
「どの口で」
呆れたように吐き捨てるのは、わたくしが父の意向に逆らって、国になんの益も与えない結婚を望んだからだろう。
なんにもわからない顔をして、わたくしは夢見るように微笑んだ。
「物語のような恋でしょう?国中で、わたくしを祝福してくれているの。でも、あなたは反対していても良いのよ」
鋭い視線が、わたくしを見据える。
「物語には悪役や障害が付きものだもの。平坦なだけでは面白くないから仕方ないわ。ちょっと意地悪されるくらいなら、わたくし、我慢してあげる」
「そうやって」
グラディス・ヴァージンバウアーが、貴族らしく整った顔を歪ませる。
「陛下も折れさせたわけですか、女狐」
「なんのことかしら?むつかしいお話は、わたくしにはわからないわ」
「どの、口で。いえ、もう良いです」
わたくしがまともに応じる気などないのだと理解したのだろう。グラディス・ヴァージンバウアーは首を振り、話を切り上げた。
「他者を踏みにじればいずれ、自分が踏みにじられる番が来ます。それを、ゆめゆめお忘れなさらぬよう」
「そうね。悪者は、いつか正義に滅ぼされるものよ」
当時のわたくしはなんにも理解しない顔をして、そう答えたものだったが。
ё ё ё ё ё ё
その、踏みにじられる番が、今だとでも言うのだろうか。
兄への手紙をしたため、夫に預けて王宮へ向かわせたあと、改めてグラディス・ヴァージンバウアーからの書簡に目を通しつつ思う。
あのとき。王家が批判を浴びずに済むよう、父は世論を操らせた。王女と無名の騎士の婚姻が、まるで美談であるかのような噂を、まことしやかに流布させたのだ。
グラディス・ヴァージンバウアーは、あるいは息子の、エイジア・ヴァージンバウアーは、そのときの焼き直しかのように、賢しらに世論を操って見せている。
次兄ならばともかく、長兄では。今の国王では、現状をひっくり返すことなど不可能だろう。否。今の次兄でも無理だ。争いを悪とし、上を目指すことを諦めた、今の次兄では。
これがこの国の王家の本質で、だからこそこの国のありようは、誤りなのだ。
身内とすら争えない人間が、どうして、生き馬の目を抜く国際情勢で、国を守って行けると言うのだろう。競争は向上心を育てる。競争もなく、向上心など維持し続けられるものではない。向上心をなくした先に待つのは、停滞ではなく劣化だ。この国が足を止めているあいだにも、周辺諸国は歩みを進め続けているのだから。
ただ、与えられるだけのものに、なんの意味がある。
欲して、望んで、努力して。その先で得るからこそ価値があり、失わぬためにさらなる努力を重ねられるのではないか。
この国の王家は。争いを拒んだ者たちは。いずれこの国を滅びに向かわせる。
愚かな王女のわたくしは、滅びに向かうその歩みを、ほんの少し、加速させただけ。
あるいは誰かが気付いて、全部ひっくり返してくれたならと、思わなかったわけではないが。
「まさか、あのお人形さんが、ねえ?」
三女は五人いる娘たちのなかで、唯一、夫によく似て生まれた娘だった。王家から送り込まれた指導者たちが口をそろえて褒める"優秀な"娘。王家を利することだけを生きる意味だと教え込まれた、可哀想なお人形。
まさか王家へ叛旗を翻す旗頭が、あのお人形になるとは思ってもみなかった。
「血は争えない、と言うことかしら?」
恋がしたいと言われたときに、そこまでするのかと思った。狂った国は、そこまでさせるのかと。
外見だけでなく、中身まで、父親に似たのかと。
けれど違ったのだ。あの子はちゃんと、わたくしにも似ていた。
父から美しい見目と国への忠義、それから伴侶運の無さを受け継いで、母からは、壊れた心を受け継いだのだ。
だからこそ、あの子は国を崩壊させる一手となった。
王家の血筋でありながら、国王の意思に従わず、よりにもよってヴァージンバウアー侯爵家の継嗣になんて捕まってしまったのだ。
お人形はただ、政略結婚に彩りを添える、みんな大好きな悲劇を、造り上げたかっただけだろうに。
ふふ、と、愉悦の笑みが漏れる。
わたくしは凡才で、国をひっくり返す度量などなかった。だからわたくしが壊すのではなく、いずれ、誰かが壊そうと、壊せると、思う小さな足掛かりにでもなればと思っていた。
少しずつ、少しずつ、歪んだ国にヒビを入れて、いつか崩落させられればと。
わたくしの娘たちのなかで次の一手を取るとすれば、四女だと考えていた。考える力の弱い長女次女に、甘ったれの五女、それから、あまりに言いなりのお人形では、きっと国を変えようなんて思わないだろうと。
だが実際は、いちばん国に狂わされた娘が。この国に"優秀"と認められた娘が。お人形にされた三女が。こんなにも大きな反逆の一手となってのけた。
なんて滑稽なことだろう。なんて皮肉なことだろう。なんて、喜劇であることだろう!
この国は変わる。国の言いなりでひとりではなんにも出来ないはずだったお人形が変える。きっと。
だって愚かなこの国は。慢心の上にあぐらをかく愚者の集まりは、まだ国を出ていないからとシルヴァーナに末端とは言え王位継承権を残している。
すべてをひっくり返したなら、正当な権利でもって国の頂点に立てるのだ、シルヴァーナは。
のちのひとびとの評価が、どうなるかなんてわからないし知ったことでもないけれど。
たとえ歴史書には遺らないとしても。
国が決定的に変わる切欠となったなら、誰からも価値を見出されない愚かな王女にも、生きる意味はあったと言えるかもしれない。
べつにそんなことを、望んでいたわけではないけれど。
「可哀想な、可愛いシルヴァーナ」
誰にも聞こえない声で、小さく謡うように呟く。
「せめてあなたの人生が、幸せであることを願うわ」
愛のわからないわたくしは、善い母ではない。善い母であろうともしなかったどころか、母国を壊すために、我が子を利用するような女なのだ。
いくらでも恨んで良い。いくらでも憎んで良い。それだけのことはやったのだから。
でも、それでも、壊れた愚かな母として、狂わされてしまった美しくも哀れな娘に思うことは。
「どうか美しく踊ってね」
どうか悔いなく美しく、生き抜いて欲しいとばかりだ。
そうしてわたくしは、我が子を動乱の渦中へと、突き落とすべく動き出した。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
誰得作品になってしまったので
これを言って良いのか迷うのですが
本編を応援して下さった方々に感謝を込めて
あの、せめてなにかと作者なりに
この作品の良いところ探しをしたので
ここでお伝えするとですね
まず、婚約するにあたってこの後確実に
公爵と侯爵の対面があるのですよね
愛を持たない女狐と愛妻家の狸の
表面上はきっと素敵な笑顔の
表面上は幸せいっぱいで温かい一幕です
そう言うのすごく好きな作者なので
想像してふふふってなりました
もうひとつ、このガチヤバ女狐さんと愛妻家の狸さんと比べると
本編カップルが仔犬のじゃれあいに見えて来ます
読み返して可愛らしさに癒されて下さい
ちょっとはどなたかの得になれたでしょうか
こんなところまでお読み下さってありがとうございます
本編の方のコミカライズを収録したコミックスが
本日、2026年9月30日に発刊予定です!
詳しくは7月15日の活動報告をご確認下さい




