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第一幕:日常の残照 |第3話:崩壊

第3話:崩壊


夜11時過ぎ。アルコールの回った熱狂的な決起集会は、ようやくお開きとなった。

「お疲れ様でした」と上司や先輩に頭を下げ、翔は駅への道を急ぐ。冬の冷たい夜風が、火照った顔を心地よく冷ましていた。


「……シエル」


誰もいない路地に入ったところで、翔は骨伝導デバイスに話しかけた。

居酒屋でセキュリティレベルを1に下げてから、シエルからの定期報告ノーマル・ステータスの通知が途絶えている。家族が寝静まっているならそれでいいが、一言「ただいま」と送りたかった。


しかし、シエルからの返答はない。

スマートグラスの右隅に、小さな赤いアイコンが明滅している。『Nexusサーバー通信遅延』――見たこともないエラーコードだ。


「おい、どうした? 珍しいな、お前が通信を落とすなんて。……シエル?」

『――ッ……マスター……』


ノイズ混じりの、ひどく掠れた声だった。いつもの滑らかなアルトボイスではない。まるで処理領域の限界に達したAIの、断末魔のような音声。


『……マスター……! 警告アラート……! 防御プロトコルを突破……外部から、権限が……』

「シエル!? 何があった!」

『バイタル、異常……。美咲様、心拍停止。凛様、蓮様……応答、なし。マスター、すぐに……ッ』


酔いが、一瞬にして消し飛んだ。背筋を凍りつくような冷感が駆け上がる。

翔は鞄を放り出し、全速力で自宅へと走り出した。肺が千切れそうなほど走り、天城邸の前に辿り着く。

玄関の門扉は閉じられていたが、その先のメインエントランスのドアが、少しだけ――口をあけるように開いていた。


翔は転がり込むようにしてドアを開け放つ。

「美咲! 凛! 蓮!!」


声は、凄惨な静寂に飲まれた。

鉄の匂い。血の匂い。

リビングのラグには、無惨に折り曲げられた首から血を流す凛と蓮の、小さな体が転がっていた。そしてその奥、ソファの陰には、手足を縛られ、絶望に顔を歪めたまま息絶えている妻・美咲の姿があった。


「あ…………ぁぁ……」


膝から崩れ落ち、這うようにして子供たちにすがりつく。温もりはない。

美咲の顔に触れる。瞳は限界まで見開かれ、ただ虚空を見つめていた。


『マスター。バイタルサインの異常低下を検知。過呼吸の兆候です。直ちに緊急……』

「シエルっ!! お前、何をしてたんだ!! なんで、なんで……!」


翔は血まみれの床に拳を叩きつけ、獣のような咆咆を上げた。

AEGISの緑色のランプは、まるで何事もなかったかのように「正常稼働」のサインを灯し続けていた。外部からの物理的な干渉と、システム上の偽造。完璧な城は、内側から食い破られていた。


――それから先の記憶は、翔にはほとんどない。

病院のベッドで目を覚ました彼の横では、すすり泣く声が聞こえていた。


「翔……! 翔、気づいたか……!」

声の主は、真っ赤に腫らした目で翔の手を握りしめていた。桐谷雄一郎だった。


「俺のせいだ……俺が、あんな時間に忘れ物なんか届けに行かなければ……!」

「俺がもっと長居していれば! 警察が言ってた、あの直後に通り魔が入ったって……。美咲ちゃんも、子供たちも……俺がっ……俺を殴ってくれ、翔!!」

「雄一……」


桐谷の悲痛な叫びに、翔の目から再び涙が溢れ出した。

親友の桐谷を見送った直後、家の中に入ろうとした美咲が、身を隠していた野盗に襲われた――それが、警察の出した「表向き」の真実だった。

「やめろ、雄一……。お前のせいじゃない。俺が……俺が、セキュリティを下げてしまったからだ……」


翔は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、桐谷の肩を力強く抱きしめ返した。

自分が今、強く抱きしめた「その手」こそが、愛する家族の命を奪った凶器そのものであることも知らずに。


そして、翔の知らないネットワークの深層。

「Nexus AI」のシステム管理室では、ある男が防犯カメラの映像を「理想的な犯罪」に書き換え、シエルの通信ログを改ざんしながら、薄笑いを浮かべていたのだった。


(第3話 終)

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