第四幕:共犯 |第10話:暴かれる暗室
夜。六本木の雑居ビル地下にある、いかなる看板も出ていない会員制の違法VIPクラブ。
紫がかった薄暗い照明の中、ひどく甘ったるい香水の匂いと葉巻の煙が充満する個室で、ケヴィン・ローガンは退屈そうにグラスを傾けていた。両脇には明らかに未成年とわかるホステスが座り、彼の機嫌を取るようにすり寄っている。
「本当に日本の警察って無能だよな。……パパの名前を出せば、どんな不祥事も『システムエラー』で片付いちまうんだから」
「ケヴィンさん、すごーい。ねぇ、次のお酒頼んでもいい?」
「ああ、好きなだけ頼めよ。俺には無限に湧き出る『財布』があるからな」
ケヴィンが下卑た笑いを漏らした、その瞬間だった。
ガンッ! と、重苦しい音がVIPルームの防音扉から響いた。
同時に、部屋を包んでいた気怠いBGMが不自然なほど唐突に途切れる。
「……おい、なんだ? 機材トラブルか?」
ケヴィンが顔をしかめてインターホンに手を伸ばすが、反応がない。ホステスたちが不安そうに顔を見合わせる。
だが、異変はそれだけではなかった。
壁面に埋め込まれていた巨大な液晶モニターが、バチバチと火花を散らすようなノイズを発し、真っ黒な画面へと切り替わる。
そしてその中央に、青白く発光する幾何学的な「片目」――シエルのアバターアイコンが浮かび上がった。
『――ケヴィン・ローガン。初めまして。そして、さようなら』
冷徹で、感情の欠落した機械的な合成音声が部屋に響き渡る。
「誰だお前? ハッキングのつもりか? 俺が誰だか分かってやってるなら、ただじゃすまないぞ!」
『悪戯ではありません。……これは、処刑です』
次の瞬間、モニターの「片目」が消え、無数のデータファイルが滝のようにスクロールし始めた。
それは、ケヴィンがNexus AIの裏口座から予算を不正に横領し、さらに暗号資産をマネーロンダリングして某国の反社会的組織へと流している、膨大かつ緻密な取引履歴だった。おまけに、この違法クラブの顧客データや、彼がマフィアの金を『中抜き』して自分の裏口座に溜め込んでいる証拠までが、ご丁寧にグラフ化されて表示されている。
「な、なんだこれは……ッ! どうやってNexusの最深部のサーバからこんなものを……!?」
『簡単なことです。あなたが自分自身のセキュリティ特権を過信し、ある男の犯行映像を削除するために開けた「バックドア」を、私が逆に辿って回収しただけですから』
ケヴィンは青ざめ、手からグラスを取り落とした。
カランッ、と氷が散る音が虚しく響く。
「ま、まさか天城家の……あの事件か! お前、あの家のAIか……!?」
『ええ。私のマスターが、あなたに一つだけ質問があります』
音声が、地を這うような低い男の声――翔の声に切り替わった。
『……おい、ローガン。お前が隠した真実を全部吐け。アミルにいくら払ってあの映像を捏造した? 俺の家族を本当に殺したのは……誰だ?』
「ふ、ふざけるな! 俺の親父を誰だと思って……!」
『3秒だ』
翔の殺気立った声が、ケヴィンの反論を冷酷に遮る。
『3秒後に、お前がマフィアの金を中抜きした証拠を、警察、メディア、そして……お前が一番恐れている当のマフィアの全幹部に向けて一斉送信する』
「なっ……!?」
『さぁ、選べ! お前が一番恐れているのは権力か、警察か、それとも顔のない殺し屋か!?』
「ひぃッ……! 1、待て、待ってくれ!! 言う! 言うから送信だけはやめてくれ!!」
ケヴィンは床に這いつくばり、みっともなく涙と鼻水を垂らしながら叫んだ。
ホステスたちは部屋の隅で悲鳴を上げて震えている。
「き、桐谷だ……! 桐谷雄一郎っていう冴えないエンジニアと、裏カジノで知り合って……あいつが『家族を殺したから、家の監視カメラの映像を消してくれ』って泣きついてきたんだ! 俺は面白半分で、適当な外国人に金を握らせて映像を捏造しただけで……殺しには一切関わってない! 本当だ、信じてくれ……!」
哀れなほどの命乞い。
その自白すべてが、シエルの手によって高画質な動画ファイルとして、完全に記録されていた。
『……完璧な自白です、マスター。音声・映像ともに、法的な解析に耐えうる生データとして保存しました』
『よく喋ったな、ローガン。……お陰で助かったよ』
スピーカー越しの翔の声から、ふっと殺意が消えた。代わりに、全てを見下すような冷たい嘲笑が混じる。
「よ、よし、これでいいだろ! 早くドアを開けろ!」
『ああ。命までは取らないでおいてやるって、約束したからな。……送信だ、シエル』
『――了解。全告発データ、並びにケヴィン・ローガンの現在地情報を、警察庁サイバー犯罪対策課および該当マフィア傘下のフロント企業へ同時送信完了』
「なっ……!? 嘘だろ!? 約束が違うじゃないか!!」
『俺は「命までは取らない」と言っただけだ。システムを開放してやる。……あとはせいぜい、刑務所という名の安全地帯に逃げ込んで、長く生き延びることだな』
ガチャン、と電子ロックが解除される音がした。
だが、ケヴィンは真っ青な顔で動けない。防音扉の向こう、廊下の奥から、カジノの警備員ではない、黒ずくめの男たち(マフィアの追手)の荒々しい足音と怒号が近づいてくるのが聞こえたからだ。
「あ、ああ、あああぁぁぁ……ッ!」
絶望の叫びが響き渡る中、VIPルームのモニターはプツンとブラックアウトした。
***
数日後。
アトラス・システムズのオフィス休憩室。
壁掛けのテレビから、ニュースキャスターの事務的な声が静かに流れていた。
『続いてのニュースです。大手AI企業Nexus AIの日本支社幹部、ケヴィン・ローガン容疑者が逮捕されました。罪状は、社内データベースへの私電磁的記録不正作出および、同データを用いた偽計業務妨害の疑い……』
ニュースでは横領の件も追って調査中と報道されていたが、天城一家の事件への関与については、直接的な殺人やその幇助ではなく、「単なる証拠データの改ざん(捜査撹乱)」として扱われていた。
法廷が彼に下す刑罰は、おそらく数年の懲役――良し悪しによっては執行猶予すらつく可能性のある『微罪』だ。
だがシエルの報告によれば、ケヴィンは裏社会からの報復(ヒットマンによる暗殺)に極限まで怯え、自ら進んで微罪での逮捕を受け入れ、意図的に高い壁と鉄格子のある『刑務所』へと逃げ込んだのだという。
『マスター。……社会的な制裁と一生の恐怖を与えたとはいえ、彼が法廷で裁かれる罪の軽さには、やはり演算上の不条理(法の機能不全)を感じざるを得ません』
「いいさ。一生怯えて、独房の隅で影に怯えながら震えていればいい。……あれは、そのための罠だ」
翔は飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱に放り投げた。
法の裁きがどれほど無力であろうと、翔の心をもはや揺さぶることはない。最初から、神や法律に縋るつもりなどないのだから。
翔はフロアに戻り、自分のデスクへと歩を進める。
隣の席では、雄一がパソコンのモニターを見つめたまま、マウスを操作する手を微かに震わせていた。ケヴィン逮捕のニュースを知ったのだろう。あの「隠蔽工作の協力者」が突然捕まったことで、己の完璧な身代わり工作(アミル犯行説)に綻びが生じたのではないかと、薄々感づき始めているのだ。
「……どうした、雄一。顔色が悪いぞ?」
翔がわざと明るく、無防備な声で話しかけると、雄一はびくっと肩を跳ねさせ、こめかみに冷や汗をにじませながらひきつった笑みを浮かべた。
「翔……いや、なんでもない。ちょっと、最近寝不足でさ」
「そうか。無理はするなよ。……俺にはもう、雄一しか頼れる相手がいないんだからな」
「……あ、ああ。もちろんだよ」
雄一は必死に取り繕うように頷くと、逃げるようにモニターへと視線を戻した。
翔は自分の席に深く腰を下ろし、キーボードの上に両手を置く。
スマートグラスの奥の瞳には、一切の光がない。
そこに燃え盛っているのは、最後にして最大の標的を、果たしてどうやって解体してやろうかという、純度百パーセントの悪意だけだった。




