5話.スポットライトはお日様?
学園生活の初日は、どうにか終わった。
何をしても止める事の出来ない『時間』という概念に、今日という日以上に感謝することはないだろう。
なんて、くだらないことを考えられるぐらいには、ティエラの余裕も戻ってきていた。
ソルと一緒に王都の商業区を歩いていると、濃い赤茶色の陸屋根が特徴的な、クリーム色の建物が見えてきた。
同時に、空を横切る薄い青色の線も視界に入る。
ティエラがこれだけたくさんの『飛行絨毯航路』を見たのは、王都に来てからだ。
実家方面にもあったけど、精々が3本程度だった。一方で、王都は渋滞緩和のためからか、飛行絨毯用のレーンがたくさん空に敷かれている。
低空を走る道は公共の絨毯バス用。その上は、貴族やお金持ちが使う高度レーンと言った具合だ。
ティエラが絨毯バス用以外のレーンを利用する日が来ることは、恐らくないだろう。
――空を泳いでいるみたいでいいな。
そんな感想を胸に収めて、ティエラは建物の方に意識を戻した。
一階はベーカリーショップになっており、裏手口のすぐ隣には階段が設置されている。この建物の二階が、これからティエラとソルが暮らす家だ。
ここは、ティエラの両親が経営している支店だ。
ティエラが小さい頃に一度来た時、裏手口の取っ手もパン生地を捻ったようなデザインをしていて、可愛いと思ったことをよく覚えている。
誰にどこを見られても恥ずかしくない外観にしたと、両親が語っていたからかもしれない。そうは言っても、正面から建物を見た方がずっときれいだと思ってしまうのは、仕方がない。
大きめのガラス窓が左右に一つずつあって、左にはお手頃価格のパンやお菓子が並べられている。
右にはリボン付きのギフトボックスや、色鮮やかな焼き菓子のアソートなど、主に贈答用に好まれる商品が並んでいたと記憶している。
実家の本店で毎日のように見てきたが、ティエラはいまだにショーウィンドウから見えるお菓子の箱や焼き立てのパンには目がない。
――ああ……このパンの匂い。
スンスンと、猫のように鼻を動かしている自分に気づき、ティエラはちょっと照れた。
ソルに気づかれたかなと思って振り返ると、自分の十倍以上の勢いで鼻を動かしている彼がいた。思わず吹き出しそうになったので、慌てて前を向いた。
店を象徴する木製の彫刻看板には羽の生えた赤ちゃん二人が、それぞれ丸いパンとカップケーキを持っている姿が彫られている。ちなみに、裏手の扉前にも同じものがついている。
かつんかつんと、二人分の高い足音が響く。最後にガチャっと質の違う音が鳴って、パタンと静寂が下りた。
「はああ……疲れたぁ……」
ティエラは適当に靴を脱ぎ、早々にリビングのソファに腰を下ろした。手足をだらんと伸ばしきり、完全に脱力する。
部屋は質素だけれど、二人で暮らすには申し分ない広さだ。実家を離れてもそれなりの家に住めることに、今更ながら両親は金持ちだなあ、なんて考えが浮かぶ。
帰省する時は、王都の手土産を持っていこう。
ソルも靴を脱いで、ティエラのすぐ横に置いてあるクッションの上に座り、くつろいでいる。その姿は入学式で騒ぎを起こした人と同一人物とは思えないほどで、すっかり落ち着いていた。
これが、いつものソルだ。
ぼーっとソルを見つめていると、こちらを気にした様子もないまま、彼はすっと席を立った。
冷蔵庫の中を漁り、小型のミートパイをいくつか乗せた平皿と、水の入ったカップを持ってくる。水の入ったカップは、ティエラの分もある。
「ありがと」
「ん。ティエラも食べる?」
「ちょっとだけいただこうかな」
このミートパイは、下で営業しているお店の物だ。とはいっても、昨日の売れ残りだが。
支店の持ち主は両親だが、ティエラはその娘なので、恩恵をバリバリに受けている。ティエラは焼きたてのクロワッサンが一番好きだが、大体なんでも食べる。
ソルは、ティエラが一つ平らげる間に好きに食べて、好きにゆっくりしている。
自由なところがまさに彼らしさだなとぼんやり眺めていると、彼が隣に来て、頭をこつんと寄せてきた。
――ああ、これだ。この体温、この重み。
ティエラは一ヶ月前のことを思い出した。
あの日、ティエラは風邪で寝込んでいた。
急に身体が重くなったと思って目を開けたら、胸に頭を乗せて身体を限界まで丸めて寄り添ってくれているソルがいた。
その仕草こそ、前世の愛猫、ソルと全く同じだった。
あの瞬間、風邪をこじらせてぜえぜえ言っているにも関わらず、ティエラは『これ、猫だ!』と叫び、確信した。
いきなり大声を出したからソルは飛び起きて逃げていき、両親は飛んできたので凄く申し訳ないことをしたけど、あの時ばかりは叫ばずにいられなかった。
ティエラが一人回想に浸っている横で、ソルは窓際にクッションを持って移動していた。満腹になったらしく、身体を丸めて寝息を立てはじめる。
この光景を見て、ソルの中ではまだ不安などが渦巻いていることを知り、ティエラは眉を下げた。
押し入れから彼のお気に入りの毛布を取り出し、そっと掛けてあげた。
彼が元猫であると確信してからの一か月間、ティエラはずっと気を揉んでいた。おかげで、ちょっとだけ体重が減ったのは嬉しかったけど、そっちはちゃんと運動を頑張ろう。
――環境が変われば、また猫としての本能が出てしまうかもしれない。
そんな不安は、気づいたその日から湧き出てきたものだ。
もっと早く気づけよと何度も自分を責めたが、過ぎてしまった時間は戻らない。そう思って、泣く泣く受け入れた。
そして迎えた入学式。まさに非日常の代表みたいな今日を、10年以上の月日を人間と遜色ない生活を過ごしてきたソルが、耐えられるのか、耐えられないのか……。
結果は、言わずもがなだった。
「結局、あのスポットライトはなんだったんだろう……」
あれがなければ、ソルが膝の上に乗ってきたとしても、ティエラさえ黙っていれば悪目立ちすることはなかった。隣の席の人のことは、考えないものとしておこう。
「あれ、僕がやった」
「うん?」
完全に意識外からの返答だったため、ティエラは反射的に聞き返すような音程の声を出してしまった。
のそのそと起き上がってきたソルの身体から、毛布が滑り落ちる。
「多分」
ソルが不安そうに口をつぐんだので、ティエラはそっと待つことにした。
無理に急かすのは逆効果だというのは、10年以上を一緒に暮らしてきた経験でよく分かっている。
――猫の頃も、そうだったなあ。
つい、ソルが猫だった時の頃を思い出し、ティエラはその考えを追い出した。今の彼は人間だから、ティエラは出来る限り、彼を人間として尊重したい。
「寒くて嫌だったから、お日様来ないかなーって思ったら、来た」
「お日様……」
まさかと思い、ティエラは入学式で起きたあの時の感覚を思い出す。
ティエラは自分が生きてきた人生の中で、スポットライトを浴びた経験はない。しかし、よくよく思い出してみると、包み込むような、それでいて穏やかな光だった……ようにも思う。
いや、正直に言うと分からない。ソルにそう言われたから、そんな気がしてきただけだ。あの時は大量の視線を浴びて極度の緊張状態だったから、非常にあいまいなことしか思い出せない。
「えっと……じゃあ、ここでもう一回、お日様を出せる?」
ティエラは半信半疑ながら、ソルにあの時したことをお願いしてみた。実際に目の前で起こされたら信じるしかないと、腹をくくる。
「やってみる」
ソルは頷いて、目を閉じた。今のところ、変化はない。
「…………」
1分ほど経ったが、まだ変化はない。ティエラは辛抱強く待つことにした。
* * *
10分が経過した。まだ、変化はない。これだけ待っても音沙汰がない以上、流石にソルの勘違いだったのではないかと、ティエラは自分の中で答えを出した。
「ソル、その……頑張ってくれてるところ申し訳ないんだけど、やっぱり勘違いじゃないかな?」
たまたま、ソルがお日様を望んでいた時にスポットライトが当たったため、それをお日様だと思い込んでしまったのだろう。
可愛いところもあるなあと、ティエラはついニコニコしてしまった。そして悪目立ちした時のことを考えて、スンっとなった。
「……あれ、ソル?」
一人芝居をしている間も、ソルはずっと目を閉じて動かない。もしかして、もしかするかもしれないと、ティエラは立ち上がってソルのそばに寄った。
「…………」
「寝てるっ!!」
思わず笑ってしまい、そっと毛布をかけ直す。
「……ほんと、手のかかる弟だなぁ」
呆れ半分、愛しさ半分。
これもソルらしいからいいかと、ティエラはスポットライト事件を一先ず忘れることにした。




